ハルヲンテイムへようこそ

坂門

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悲しみの淵

モヤモヤとする心持ちと枯れる涙

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 オーカシュフルドを乗せた搬送板を抱え、オランジュさんは【オルファステイム】へと向かいます。

 開いた患部を簡単に閉じ、清潔な布で雑菌から守る為にしっかりと包みました。
 オランジュさんは、フィリシアから搬送板を乱暴にひったくると、足早に【ハルヲンテイム】を去って行きます。私達はその背中を、やるせない思いで見つめるだけ。誰もが口を閉じ、このモヤモヤとした気持ちを整理出来ないでいました。


「さぁ、みんな、仕事に戻ろう。【オルファステイム】なら、きちんと対応してくれるよ。心配しなくとも大丈夫!」

 アウロさんの空元気な声が、待合に虚しく響きます。そんな事は百も承知ですよ。このモヤモヤした気持ちをどうにかしたいだけなのです。

「何だか納得出来ないよね。せっかく助けてあげられたのに、わがまま言ってどっか行っちゃうなんてさ。どうせ同じなんだから、こっちでも良かったのに。スッキリしないよ」
「まぁまぁ、フィリシア。気持ちはみんな同じさ。でも、あの仔が助かるなら、それでいいじゃないか」
「そうだけどさ⋯⋯」

 アウロさんの言っている事は十分に理解していても、フィリシアはむくれて浮かない表情です。

「あとで誰か【オルファステイム】に行って、様子を見て来ようよ。私が行って来るか?」
「そうね⋯⋯その時に手が空いている人間が様子を見に行けばいいんじゃない? 少し時間を置かないと、先方にも迷惑でしょう」
「ま、そうだよな⋯⋯」

 ラーサさんとモモさんもフィリシアと同じです。納得出来ないモヤモヤを無理矢理に押し込めている感じがしました。
 そんな私もそう。スッキリとしない心持ちを無理矢理押さえ付けて、仕事へと戻って行きました。
 

 モヤモヤは、うやむやになって行きます。
 止まっていた仕事は、雪崩のように押し寄せて来ました。私達は押し寄せる雪崩に抗い、時間は簡単に溶けて行きます。
 
 あれから二日ほど経ったある日。
 待合の喧騒を突き破り、激しく表玄関の扉が、またしても開きます。

「⋯⋯オランジュさん?」

 私達の困惑をよそに、ふくよかな婦人は人垣を押し退け、受付へと真っ直ぐに向かって来ました。その表情から激しい怒りが読み取れます。怒りの矛先は、間違い無く私達に向いているのは一目瞭然でした。

「どういう事!!」

 開口一番、バン! と受付を激しく叩きつけ、怒声を上げます。待合の喧騒は一気に止み、水を打ったように静かになりました。
 何が起こったのでしょう? 
 オランジュさんの怒声の意味が全く分かりません。唐突過ぎて、啞然としてしまいます。
 私達は互いに顔を見合わせて、首を傾げるだけ。その姿がオランジュさんの怒りに油を注ぎ、さらに怒りの熱量ボルテージは上がって行ってしまいました。

「ウチの仔を殺しておいて、何!? その態度!!」

 殺した?? ポロを??
 その言葉は私達の理解の範疇を越え、より困惑を深めます。
 この人は何を言っているの??
 待合に集う人達も、その言葉にざわつき始めます。
 言い掛かりにしても、殺したなんて質が悪いです。私は段々と腹が立って来て、オランジュさんを睨んでいました。
 
「な、何を根拠に⋯⋯*&%⋯⋯モガッ⋯⋯&%*!!#$!⋯⋯」

 反論しようとした私の口を、フィリシアが塞ぎます。私を横目で見つめるフィリシアの無言の圧に、私は仕方なく大人しくして行きました。
 フィリシアは勿論、モモさんもラーサさんも、アウロさんも、納得なんて出来る分けが無いのに、静かにオランジュさんの怒りを受け止めていました。

◇◇◇◇

 最北にある最大の拠点【王の休養地レグレクィエス】。ここより先には、小さな拠点がひとつあるだけだった。
 北での【清浄】作業の拠点として、ここは常にフル稼働している。前線で働く者達にとってまさしく唯一と言っていい休養地だった。
 
 大型のテントが立ち並び、勇者直属のソシエタスと、中央セントラルから派遣されている人間が忙しく作業に当たっていた。
 行き交う人を縫い、ズルズルと重い体を引きずって行く。
 あてがわれた大型テント。その中へと【スミテマアルバレギオ】の一同は、うつむいたまま吸い込まれて行った。
 マッシュはここの代表者であるシャロンに事の経緯を説明しに行き、ハルとフェインは、もぬけの殻と化しているユラとキルロを寝かしつけて行く。
 一点を見つめたまま、あまりの衝撃の大きさに心は耐えられず、思考を止めているふたり。その姿は心が壊れないようにと自衛しているようにも映った。

「【入眠ソムナス】」

 柔らかなハルの詠声が響く。
 ユラとキルロは糸の切れた操り人形のごとく、崩れ落ちて行った。ふたりをそっと寝かしつけ、フェインは枕元にネインの大楯を立て掛ける。ハルは血塗れのユラの顔を、濡らした布で優しく拭って行った。
 拭う血は、今はもういない人のモノ。
 現実がハルを押しつぶして行く。現実に抗い、震える手でしっかりと拭う。
 何も出来なかった悔しさより、大切なモノを失ってしまった喪失感がゆっくりと心に覆いかぶさって来る。耐えていたハルの心も、震え始めた。

「⋯⋯ぐふっ⋯⋯」
「っつ⋯⋯」

 フェインは大楯に手を掛けたまま、嗚咽をこぼし始める。拭い取った血を見つめ、ハルは悔しさを露わにして行った。それは何も出来ずに、ただただ失ったという事実。
 フェインがハルに向き立膝をつくと、ハルはフェインの顔を自身の肩に押し付けた。震えるフェインを抱きしめると、フェインもハルをきつく抱きしめていった。

「「⋯⋯⋯⋯ぅぅぅ⋯⋯ぅぐっ⋯⋯」」

 どちらともなく、嗚咽は零れて行く。ふたりは声を押し殺し、嗚咽を零し始めた。失った者はもう帰っては来ない。その喪失感が、心を鷲掴みにする。
 苦しい思い。次から次へと涙は溢れ出し、止まろうとはしない。苦しい思いは心の底に鎮座し、いつまでもそこにあり続ける。
 拭う事の出来ない喪失感。
 抱きしめ合うふたりは声を押し殺し、枯れるまで涙を流し続けた。

◇◇◇◇

 —— 搬送板に乗せたオーカシュフルドを運ぶ婦人の姿。
 雑多な人間が集うここミドラスの中心街とは言え、奇異の目を浴び注目を浴びるのに十分だった。
 焦燥に駆られ、足早に街中を進む婦人。人々は勝手な妄想を膨らませ、思い思いにある事無い事を吹聴していた。

「あ!」

 地面に足を取られる婦人。バランスを失った体は、大事に運んでいたオーカシュフルドと共に前へと倒れて行く。

「大丈夫ですかな?」

 婦人とオーカシュフルドを抱きかかえる老輩の紳士。その小綺麗な身なりとスマートな身のこなしは、粗暴な冒険者達が闊歩するここでは異質に映る。柔和な表情を浮かべ顔を覗き込んで来た老紳士に、婦人の緊張の糸は少しばかり解けて行った。

「すいません。ありがとうございました」

 一礼する婦人に老紳士の口元は優しく微笑む。

「いえいえ。何て事はありませんよ。それより、そんなに急いでどうされたのですか? その仔が大変なのですかな?」
「そ、そうなのです! 急いで診て頂かないとなりませんの!」
「ほう、それは大変だ。ただ⋯⋯治療の途中のようにも見えるのですが⋯⋯これは一体⋯⋯?」
「この仔の脚を切るなんて言うから、店を飛び出して来ましたのよ」
「それはまた大変だ」

 大仰に驚いて見せる老紳士に、婦人の心はさらに緩んだ。

「違うお店で診て貰って、脚を切らずに治して頂きますの」
「⋯⋯なるほど。しかし⋯⋯また、同じ結果の可能性もあるのでは⋯⋯」
「次は大きな所で診て頂くので、大丈夫ですわ!」

 婦人は眼前にそびえる【オルファステイム】へと視線を向けると、老輩の紳士も同じように見上げて行く。

「そうですか⋯⋯。治るといいですな」
「ええ。やっぱり小さい所はダメね。【ハルヲンテイム】なんて連れて行かずに、最初からこっちに連れて来れば良かったわ」

 老紳士のこめかみがピクっと反応を見せる。口端さらに上げ、笑みは深くなった。ただ、瞳から笑みは消え、冷たさを湛える。

「⋯⋯治療の途中でしたら、急いだ方が宜しいのではありませんか? あ! こう言うのは如何ですかな? 私の知り合いが始めた調教店テイムショップがあります。そこならすぐに治療に当たれますよ。如何ですかな? ここでは数刻待つなんてざらですよ。ましてや、予約無しの飛び込みとなれば、いつまで待たされる事か⋯⋯。これも何かのご縁、優先で診るように口を利きましょう」
「⋯⋯ぇ⋯⋯、いや、でも⋯⋯」
「何を遠慮されますかな。さぁさぁ、行きましょう。この仔を早く治してあげましょう」
「⋯⋯ぁ⋯⋯はい、では⋯⋯」
「どれ、この仔は私が運びましょう。こちらです。急ぎましょう」
「⋯⋯はい」

 搬送板を取り上げ、老紳士は足早に街中を進み始めた。婦人も必死にあとを追いかけて行く。
 前を行く老紳士の口元が不敵に歪む。
 婦人の目に、その表情が映る事はなかった。

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