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坂門

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アックスピーク

あの可愛さに守ると誓います

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 受付の片隅で大楯を側に置き、ネインさんは静かに目を閉じていました。微動だにしないその姿は、端麗な顔立ちもあって美しい彫刻のようです。
 ユラさんはみんなの仕事ぶりが珍しいのか、肩口から覗き込んではひとり頷いていました。何で頷いているのかは、まったく不明なのですが⋯⋯。ただ、それもすぐに飽きてしまい、“見回りに行って来るぞ”と言い残して、裏口へと消えてしまいます。きっと、建物の中を探検しに行ったのだと思います。
 
 私達のソワソワと少し落ち着かない心持ちと違って、ハルさんはいたっていつも通り。何事も無かったかの様に仕事に従事していました。
 ハルさんの落ち着き払う姿は安心を与えてくれます。その姿に私達も少しずつ落ち着きを取り戻して行き、気が付けば、いつもの日常を取り戻していました。

◇◇◇◇

「ネイン、少し休んで。今は大丈夫よ」
「休むも何も、何もしておりませんので疲れておりません」
「いいから、休みなさいって」
「⋯⋯かしこまりました」

 ハルさんの言葉でようやくネインさんが動きました。私達もハルさんのその言葉に、緊張していた体が緩んで行きます。

 日常に寄り添う非日常。何が起こるのか、起きようとしているのか見えてこない状況。そして、慣れない現状に頭も、体も強張るのは仕方の無い事ですよね。何かが起こる予感は私ですらあります。それが良くない事であろう事も分かっているのですから。


 お昼が近くなりお客さんの波もひと段落です。フィリシアが、ここぞとばかりにハルさんに向きました。

「ハルさん、どうして来ないって分かるの?」
「勘かなぁ。ネルソンって名前を出したら、少し驚いていたでしょう。何で、その名が出て来たのか、今一生懸命に考えている最中かなってね。きっと答えが出せないで焦っているわよ」
「おほぅ~なるほどね。デルクスさんから聞いていたのが、ここに来て効いているって感じだ」
「そうね。でも、それだけじゃないわよ。ウチには優秀な人材が揃っているからね」
「ウチ??」
「そう、ウチよ」
早駆けそくたつです』

 首を傾げているフィリシアの前に一通の封書が投げ込まれました。

「あ、ハルさん宛だ。はい」
「ありがとう⋯⋯ほらね、言っている側から早速の報告よ。さすがマッシュ、仕事が早い」

 丁寧に封を開け、すぐに封書を取り出しました。ハルさんはすぐに読み終わったのか、上目で私達を見つめ、ニヤリと口端を上げて見せます。

「フィリシア、悪いけどまたギルドに行って、モーラにこれを渡して来て」

 ハルさんはペンを取り出し、モーラさんへの手紙をサラサラとしたためました。

「了解、んじゃ、行ってきまーす」
「あ、待って。念の為、ユラを護衛につけるわ。それと、モーラに急ぐよう伝えておいて」
「分かりました!」

 フィリシアは受付を飛び出して行ってしまいます。
 相変わらずの突貫ぶりですね。
 そして私達はまた仕事へと戻って行きます。何事も無い事を祈りつつ、日常を過ごして行きましょう。

◇◇◇◇

 バックヤードに行くのにかこつけて、ロッカの様子を覗きに行きます。
 ずっと見守っているアウロさんの側でキノとクエイサーが、寝息を立てていました。
 どうやらすでに飽きたと見受けられます。白虎に寄り添う白髪の幼女の姿に、もはや驚きはありません。わちゃわちゃとしている大人達の事情はどこ吹く風、キノとクエイサーは通常運転です。あまりの緊張感の無さに本当に護衛なんて務まるのかなって思ってしまいますが、何も無い今はそっとしておく事にしましょう。

「アウロさん、お疲れ様です。どうですか?」
「うん、お疲れ様。こっちは順調、問題無しだよ。お店の方はバタバタしたみたいだね」
「はい。変な人達が来ましたけど、ハルさんが追い返しました」
「そっか。いつもの感じだね」
「あのう⋯⋯キノで大丈夫ですかね? どうにも信じられないのですよ。本当に強いのですか?」
「ハルさんのお墨付きだから大丈夫、心配いらないよ」
「ですかねぇ⋯⋯」

 廊下で爆睡している姿に説得力がゼロですが、みんなのお墨付きを信じるとしましょうか。
 中庭を覗く窓越しに視線を感じ、顔を上げます。そこには、私達を覗き込むロッカの姿がありました。首を傾げながら、まん丸な瞳を私達に向けています。フワフワの産毛を左右に揺らし、好奇心一杯のつぶらな瞳と目が合ってしまいました。
 ほわわわわわわ~。
 これはもう罪です。この可愛さに耐えられる人はいませんって。
 この可愛さを死守する事を誓います。今、誓います。いや、とっくに誓っていたのですが、改めてですよ。
 ロッカを殺して剥製にするなんて言語道断です。許しません。
 フンフンとひとり鼻息を荒くして、私は仕事へと戻って行きました。

◇◇◇◇

「ただいまー」

 閉店間際になってようやくフィリシアは帰って来ました。この様子だとギルドは大混雑だったのでしょう。

「フィリシア、ありがとう。どうだった?」
「大丈夫、いつもの感じ。『また、あいつは面倒事を⋯⋯』ってぶつくさ言いながら読んでいたから大丈夫じゃない」
「そうね。ユラもありがとうね」
「おう。けていたヤツいたぞ」

 ユラさんの何気ない返事に私達はドキっとしてしまいます。一緒にいたフィリシアも、まったく気づいていなかった様で、ユラさんの言葉に目を丸くして驚いていました。ただ、ハルさんだけは、さも当たり前のごとく軽く頷くだけです。

「そう。ひとり?」
「さっきの狼だ」
「なるほど⋯⋯ユラ、夜に備えて一休みして。食堂にご飯用意してあるから好きなだけ食べていいわよ」
「本当か!? んじゃ、ちょっと飯行ってくる」

 軽い衝撃を残してユラさんは食堂に向かいました。
 後を尾けるなんて何を企んでいるのでしょうか? 気を付ければと思うのですが、何をどうすればいいのやら⋯⋯。兎にも角にも、ハルさんの言いつけを守るしか今はありませんね。

「みんなも外に出る時はひとりで出ないでね。部屋は準備してあるから、しばらくここで寝泊まりしてちょうだい」
『『はい』』

 ハルさんの言葉に頷き、私達は残りの仕事を片付けて行きました。部屋がいっぱい余っているのは、こんな時とても助かりますよね。

◇◇◇◇

 静まり返る廊下。
 私はひとり椅子に腰掛け、アックスピークの親子を見守ります。みんなも街も、寝静まる夜の深い時間。アックスピークの親子も巣穴に閉じ籠り、身を寄せ合っていました。
 月の灯りが淡く照らす中庭、その奥で静かな時を刻んでいます。緩やかな時間の流れと淡い青光。街の喧騒も届かないここは、世間のしがらみから隔離された非現実的な空間に感じてしまいました。
 あ、今のうちに草を足しておこうかな。
 ギシっと椅子の軋む音が、私の立ち上がりに合わせて鳴りました。足音を立てない様、静かに足を運び、裏手の倉庫を目指します。
 裏口を開くと、少しひんやりした空気が流れ込み、ぼんやりしていた頭の熱を奪い去りました。
 裏口から外へ出て、併設する倉庫へ向かいます。
 外に出るという認識はありませんでした。裏手にある倉庫に行くだけですからね。
 
 でも⋯⋯。

 私の口は塞がれ、視界は一瞬で黒く染まって行きます。
 瞬く間の出来事に抗う隙などありはしませんでした。手足の自由も奪われ、必死にもがいてはみたものの、私に為す術はありません。真っ暗な視界の中、暗然たる後悔ばかりが積み上がり、恐怖が私の心を支配して行きます。

◇◇◇◇

「何ともな仕事だよね」
「ああ」
「ちょっと可哀そうじゃない?」
「ああ? 知るか。嬢ちゃんも暴れるな。大人しくしてれば何もしねえよ」

 ゴソゴソと蠢く大きな袋を抱える二人組の男が、街の外れに消えて行く。
 夜更けに人影は無く、見る者はいない。闇がふたりの姿を隠して行き、街の外へと消えて行った。
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