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モモ・ルドヴィアの当惑
モモ・ルドヴィアの当惑
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街に出れば否が応でも目に入る【ハルヲンテイム】。その様子を見る度に、私の醜い劣等感が顔を出して本当にイヤだった。
しばらくもしない内に、優しい顔した男性が受付に増えていたわ。
アウロさんね。
順調に邁進している姿を気が付けば睨んでいたの。歩みを止めていたのは自分自身なのにね。今、考えると何を考えていたのかさっぱりよ。ハルさんに当たるのなんて御門違いもいい所。でも、何かのせいにして逃げていないと、あの時は無理だったのかも知れない。空っぽの自分を突きつけられた時の恐怖。崖の縁でユラユラと揺れているくらい、心のバランスは危うかった。一歩間違えば、谷底。何が一番危ういって、私自身その事に気付いていなかったのよ。
本当、バカよね。
ある日、街を歩いていたハルさんを見つけてしまったの。両脇に大きな専門書を抱えて、店に戻る途中だったのでしょう。
見るなって思えば思うほど、視線はそちらに向いてしまう。ハルさんの抱える大きな本が目に入ると、私に変なスイッチが入ってしまったの。
その大きな本は外科医ご用達の専門書。私の心の中でカチリとイヤな歯車が嚙み合ってしまう。
何で調教師が? 無用の長物でしょう? かっこつけ? 冷やかし?
そんな訳無いのにね。今、思い出しても本当に恥ずかしい。どうでもいい小さな劣等感が私を押し潰した。
「あなたなんかに必要無いでしょう?」
酷くない?
この間助けてくれた人に言う言葉じゃないわよね。どうでもいいほど小さなプライドが、私にそれを言わせていた。
「ああっ!? って、あんた? この間の⋯⋯」
私って気が付いたハルさんの怪訝な表情ったらなかったわ。首を傾げてびっくりしていた。それはそうよね。助けてあげた女が、まさかマウントを取りに来るなんて思ってもみなかったでしょうね。
「あなたが、それを読んでどうするの? 外科医の本よ」
私のどうでもいい一言に、怒ってもいいはずのハルさんはひとつ嘆息して上目で私を見つめた。その視線に急激に恥ずかしくなって、カッーって顔に熱が帯びるのが分かった。言ってしまった後悔もあって、さらに自分が惨めに感じってしまったの。
「へぇー、これが外科医向けの本って分かるんだ?」
「だ、だったら何よ」
「いや、別に。あんな場末の酒場に行く人間じゃないんじゃないかってね」
「あなたには関係無いでしょう」
「そうだね、関係無い。それと調教師に必要無いかどうかは、あんたが決める事じゃない。私が決める事。あんたは関係無い。人も動物も同じ。目があって口があって、心臓が動いて血を巡らせている。胃で消化して、肛門や膀胱から余分な物を排泄する。まだ必要? もっと言おうか?」
「ふん」
もう顔から火が出るほど、本当に恥ずかしかった。何であんな声を掛けてしまったのだろうってね。逃げるようにその場から立ち去るのが精一杯。
もうなるべく【ハルヲンテイム】には近寄らないよう心掛けた。わざと遠回りしたりしてね。でも、そういう時に限って【ハルヲンテイム】に行かなくてはならなくなるのよ。
移転先で忘れ物がある事に気付いて、旧【ルドヴィアホスピタル】、今の【ハルヲンテイム】に確認をしに行かなくてはならなくなってしまったの。あいにくミドラスに残っているのは私だけ。
その内容を伝えるヴィトリアからの早駆けを開いた時は、イヤ過ぎて見なかった事にしようかとも思ったわ。でも、流石にねぇ。仕方なく私は【ハルヲンテイム】に確認をするべく、渋々と向かったの。
「あ、あのう。すいませ⋯⋯」
「ちょっと! どけ! ハル!!!」
窓口を覗く私を押しのけて、猟犬を抱えた冒険者が都合5名。それと血塗れの猟犬が5頭。
リン! リン! リン!
と受付のベルを三回、けたたましく鳴らした。
奥の扉からハルさんが飛び込んで来ると、表情は一瞬で険しくなる。私は日が悪かったと思って出直そうとすると、凄い力で腕を掴む人⋯⋯それがハルさん。
「あんた、手伝って! この間助けてやったろう。借りを返せ!」
「ちょ、ちょっと何言っているのよ。無理よ」
「あんた、外科医だろう。いいから来い! 人も動物も一緒だ! アウロ! 緊急手術! 術の準備! 患畜は猟犬が5! あんたらは奥に運んで! 早く! 早く! こっちだ! ほら、あんたもサッサと動け!」
もう、強引もいい所。考える間すら与えてくれない。私はハルさんの馬鹿力に押されて手術室の中へと押し込まれた。
心臓はバクバク言い始めて、頭の血は下がって行く。立っているのがやっとって状態なのに、ハルさんはお構いなしに指示を飛ばすのよ。
「この感じ、内臓もやられての出血だ。出所を探して塞げ! ほら、あんた! ボーっとしてないで、手を動かせ!」
固まっている私にメスを強引に握らせるの、もう倒れるかと思うくらい血の気が引いているのが分かった。そこに届くのはハルさんの怒号。
「おい! 何やってる! サッサと手を動かせ! 目の前の仔を見ろ! 辛いのは誰か考えろ! 人だの動物だのグダグダ言ってんな!」
ハルさんは私が動物だから躊躇していると思っていたみたい。でも、視線を落とすと、だらしなく舌を垂らして苦しそうにしている。私の手は反射的に動いていた。この仔達を助けなきゃ、ハルさんに焚きつけられて意地を張ったのかも知れないわね。
「この仔の血抜きを。もう少し術野を広げます、鉗子で上をもう少し開いて下さい。そう、その辺り⋯⋯あった。酷いわね⋯⋯とりあえず止血クリップで止めて⋯⋯ダメな臓器が多過ぎる⋯⋯これは⋯⋯」
「諦めるな。まずは、出来る事を出し尽くせ。結果を自分で決めるな」
私の後ろで黙々と手を動かすハルさんに負けられないって始めたけど、術を進める内にハルさんの熱にすっかり当てられていた。
私はいつ間にかに忘れていた事を思い出していた。
やり尽くす、ベストを尽くすって事を。
「次は?」
「次はこの仔で」
私は無心でアウロさんの指す仔に対峙していった。成功させるでは無く、救う。一見似ているようで、熱量の矛先が違う。それが正しいとかどうでも良くなっていた。ただひたすらに目の前に集中していった。
手術は終わって、点滴がぶら下がる仔達の意識の回復を待った。主である冒険者達と一緒に祈りながら。
ふと我に返る瞬間。必死に回復を祈っている自分に私自身が首を傾げていた。
震える指先は握力を失い、力の入っていた足は膝が笑って立っているのがやっと。やり切ったという思いが私を祈らせていたのね。
でも、一頭また一頭と息を引き取って行く。力の入らない体で必死に心臓マッサージをして命を繋ごうとした。
報われない思いと祈り⋯⋯。
結局、二頭しか救えなかった。側で見守っていた冒険者達は涙を隠さない。私は疲れと少し混乱する頭で立ちすくんでいた。
動物の為に泣くの??
そんな事が頭を過った瞬間ハルさんの言葉を思い出した、“人も動物も同じ”ってね。
大切な物を失えば悲しい、そんな当たり前の事を今の今まで考えていなかった事を恥じた。私が見ていたのは病気や怪我の症状で、本当に診るべきものはそこにある思い。そんな至極当たり前の事に気付いていなかった自分が悔しかった。
「ごめんね。救ってあげられなかった」
ハルさんの言葉にうな垂れながら首を横に振る冒険者の姿が、胸を抉る。術の後に広がる光景を、私は見た事も考えた事も無かった事に気付かされる。
救えなかった事に、暴言は吐く者がいない。私はそれが不思議だった。でもそれは出し尽くしたからなのだと、後になって気付いた。
悔しさ、悲しみが充満しているこの部屋に突然パン! と乾いた音が響いた。ハルさんが両頬を叩くと、青い瞳はしっかりと前を向いて進む意志を見せていた。
その姿にみんなが顔を上げて行く、ハルさんの思いが悔しさと悲しみを塗り潰して前を向けと背中を押す。
それは、私の小さな劣等感や醜い思いも塗り潰してくれた。そしていつの間にか、手術室に緊張を見せていた自分はどこかへ消えていたの。
しばらくもしない内に、優しい顔した男性が受付に増えていたわ。
アウロさんね。
順調に邁進している姿を気が付けば睨んでいたの。歩みを止めていたのは自分自身なのにね。今、考えると何を考えていたのかさっぱりよ。ハルさんに当たるのなんて御門違いもいい所。でも、何かのせいにして逃げていないと、あの時は無理だったのかも知れない。空っぽの自分を突きつけられた時の恐怖。崖の縁でユラユラと揺れているくらい、心のバランスは危うかった。一歩間違えば、谷底。何が一番危ういって、私自身その事に気付いていなかったのよ。
本当、バカよね。
ある日、街を歩いていたハルさんを見つけてしまったの。両脇に大きな専門書を抱えて、店に戻る途中だったのでしょう。
見るなって思えば思うほど、視線はそちらに向いてしまう。ハルさんの抱える大きな本が目に入ると、私に変なスイッチが入ってしまったの。
その大きな本は外科医ご用達の専門書。私の心の中でカチリとイヤな歯車が嚙み合ってしまう。
何で調教師が? 無用の長物でしょう? かっこつけ? 冷やかし?
そんな訳無いのにね。今、思い出しても本当に恥ずかしい。どうでもいい小さな劣等感が私を押し潰した。
「あなたなんかに必要無いでしょう?」
酷くない?
この間助けてくれた人に言う言葉じゃないわよね。どうでもいいほど小さなプライドが、私にそれを言わせていた。
「ああっ!? って、あんた? この間の⋯⋯」
私って気が付いたハルさんの怪訝な表情ったらなかったわ。首を傾げてびっくりしていた。それはそうよね。助けてあげた女が、まさかマウントを取りに来るなんて思ってもみなかったでしょうね。
「あなたが、それを読んでどうするの? 外科医の本よ」
私のどうでもいい一言に、怒ってもいいはずのハルさんはひとつ嘆息して上目で私を見つめた。その視線に急激に恥ずかしくなって、カッーって顔に熱が帯びるのが分かった。言ってしまった後悔もあって、さらに自分が惨めに感じってしまったの。
「へぇー、これが外科医向けの本って分かるんだ?」
「だ、だったら何よ」
「いや、別に。あんな場末の酒場に行く人間じゃないんじゃないかってね」
「あなたには関係無いでしょう」
「そうだね、関係無い。それと調教師に必要無いかどうかは、あんたが決める事じゃない。私が決める事。あんたは関係無い。人も動物も同じ。目があって口があって、心臓が動いて血を巡らせている。胃で消化して、肛門や膀胱から余分な物を排泄する。まだ必要? もっと言おうか?」
「ふん」
もう顔から火が出るほど、本当に恥ずかしかった。何であんな声を掛けてしまったのだろうってね。逃げるようにその場から立ち去るのが精一杯。
もうなるべく【ハルヲンテイム】には近寄らないよう心掛けた。わざと遠回りしたりしてね。でも、そういう時に限って【ハルヲンテイム】に行かなくてはならなくなるのよ。
移転先で忘れ物がある事に気付いて、旧【ルドヴィアホスピタル】、今の【ハルヲンテイム】に確認をしに行かなくてはならなくなってしまったの。あいにくミドラスに残っているのは私だけ。
その内容を伝えるヴィトリアからの早駆けを開いた時は、イヤ過ぎて見なかった事にしようかとも思ったわ。でも、流石にねぇ。仕方なく私は【ハルヲンテイム】に確認をするべく、渋々と向かったの。
「あ、あのう。すいませ⋯⋯」
「ちょっと! どけ! ハル!!!」
窓口を覗く私を押しのけて、猟犬を抱えた冒険者が都合5名。それと血塗れの猟犬が5頭。
リン! リン! リン!
と受付のベルを三回、けたたましく鳴らした。
奥の扉からハルさんが飛び込んで来ると、表情は一瞬で険しくなる。私は日が悪かったと思って出直そうとすると、凄い力で腕を掴む人⋯⋯それがハルさん。
「あんた、手伝って! この間助けてやったろう。借りを返せ!」
「ちょ、ちょっと何言っているのよ。無理よ」
「あんた、外科医だろう。いいから来い! 人も動物も一緒だ! アウロ! 緊急手術! 術の準備! 患畜は猟犬が5! あんたらは奥に運んで! 早く! 早く! こっちだ! ほら、あんたもサッサと動け!」
もう、強引もいい所。考える間すら与えてくれない。私はハルさんの馬鹿力に押されて手術室の中へと押し込まれた。
心臓はバクバク言い始めて、頭の血は下がって行く。立っているのがやっとって状態なのに、ハルさんはお構いなしに指示を飛ばすのよ。
「この感じ、内臓もやられての出血だ。出所を探して塞げ! ほら、あんた! ボーっとしてないで、手を動かせ!」
固まっている私にメスを強引に握らせるの、もう倒れるかと思うくらい血の気が引いているのが分かった。そこに届くのはハルさんの怒号。
「おい! 何やってる! サッサと手を動かせ! 目の前の仔を見ろ! 辛いのは誰か考えろ! 人だの動物だのグダグダ言ってんな!」
ハルさんは私が動物だから躊躇していると思っていたみたい。でも、視線を落とすと、だらしなく舌を垂らして苦しそうにしている。私の手は反射的に動いていた。この仔達を助けなきゃ、ハルさんに焚きつけられて意地を張ったのかも知れないわね。
「この仔の血抜きを。もう少し術野を広げます、鉗子で上をもう少し開いて下さい。そう、その辺り⋯⋯あった。酷いわね⋯⋯とりあえず止血クリップで止めて⋯⋯ダメな臓器が多過ぎる⋯⋯これは⋯⋯」
「諦めるな。まずは、出来る事を出し尽くせ。結果を自分で決めるな」
私の後ろで黙々と手を動かすハルさんに負けられないって始めたけど、術を進める内にハルさんの熱にすっかり当てられていた。
私はいつ間にかに忘れていた事を思い出していた。
やり尽くす、ベストを尽くすって事を。
「次は?」
「次はこの仔で」
私は無心でアウロさんの指す仔に対峙していった。成功させるでは無く、救う。一見似ているようで、熱量の矛先が違う。それが正しいとかどうでも良くなっていた。ただひたすらに目の前に集中していった。
手術は終わって、点滴がぶら下がる仔達の意識の回復を待った。主である冒険者達と一緒に祈りながら。
ふと我に返る瞬間。必死に回復を祈っている自分に私自身が首を傾げていた。
震える指先は握力を失い、力の入っていた足は膝が笑って立っているのがやっと。やり切ったという思いが私を祈らせていたのね。
でも、一頭また一頭と息を引き取って行く。力の入らない体で必死に心臓マッサージをして命を繋ごうとした。
報われない思いと祈り⋯⋯。
結局、二頭しか救えなかった。側で見守っていた冒険者達は涙を隠さない。私は疲れと少し混乱する頭で立ちすくんでいた。
動物の為に泣くの??
そんな事が頭を過った瞬間ハルさんの言葉を思い出した、“人も動物も同じ”ってね。
大切な物を失えば悲しい、そんな当たり前の事を今の今まで考えていなかった事を恥じた。私が見ていたのは病気や怪我の症状で、本当に診るべきものはそこにある思い。そんな至極当たり前の事に気付いていなかった自分が悔しかった。
「ごめんね。救ってあげられなかった」
ハルさんの言葉にうな垂れながら首を横に振る冒険者の姿が、胸を抉る。術の後に広がる光景を、私は見た事も考えた事も無かった事に気付かされる。
救えなかった事に、暴言は吐く者がいない。私はそれが不思議だった。でもそれは出し尽くしたからなのだと、後になって気付いた。
悔しさ、悲しみが充満しているこの部屋に突然パン! と乾いた音が響いた。ハルさんが両頬を叩くと、青い瞳はしっかりと前を向いて進む意志を見せていた。
その姿にみんなが顔を上げて行く、ハルさんの思いが悔しさと悲しみを塗り潰して前を向けと背中を押す。
それは、私の小さな劣等感や醜い思いも塗り潰してくれた。そしていつの間にか、手術室に緊張を見せていた自分はどこかへ消えていたの。
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