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黒、困惑、混乱
黒、困惑、混乱
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ログリの語った『黒い』という言葉。ハルは、ふとここ最近の冒険の記憶が頭を過る。
黒素の濃い場所での活動。黒素を浴び、黒く染まる怪物の姿。
最近の冒険者としての活動のせいかしらね。
黒という単語で反射的に黒素を思い出してしまう。
近々の冒険で接触のあった【アウルカウケウスレギオ(金の靴)】、学者系の巨大組織。
そこで聞かされた黒素の研究成果と現状。人に対して負の力を持つ怪物を活性化させる。発生源は不明。人の住む南方へとその領域を広げ、そして未だに解明には至ってはいない。
唯一の手立ては白精石を使って、黒素を吸着させる。それによって一帯の黒素を薄めるという、何とも要領の悪い対抗策しか人は持ち合わせていなかった。
吸着仕切ってしまった白精石。その純白を誇っていた姿は黒く覆われてしまい、役目を終える。
勇者やその関係者は、人知れず白精石をバラ撒いていた。危険を顧みず、黒素の脅威から人々の生活を守る為に⋯⋯。
「はぁ~」
「どうしたのですか? ハルさん?」
「あ、ゴメンゴメン。ちょっと関係ない事思い出しちゃって。切り替え切り替え」
「そうですか」
ハルの深い溜め息にデルクスは力の無い微笑を返すだけだった。
顕微鏡を真剣に覗くラーサとログリを見守る事しか出来ないもどかしさ。時間だけがいたずらに過ぎて行く。
ログリの言葉を受け、ラーサも顕微鏡を覗いていった。
「確かにログリの言う通り、少し黒く見えるな。でも、これで別物と考えるのは無理がないか? 変異種なら色では無く、形が変わるはずだ。形に差異は見られない」
「ならば、何故黒味を帯びているのか? 他に差異が見られないならなおの事、注視すべきだ」
「う~ん。色味が違う⋯⋯。そんな例聞いた事ないぞ。何か思い当たる節はあるか?」
「いや⋯⋯」
ログリと共にラーサも押し黙り、逡巡する姿。
他人の店の事なのに、ログリもデルクスも真剣な顔で事に当たってくれている。その姿にハルは感謝しかなかった。
「デルクスもログリもありがとう。ホント助かる。心強いわ」
「それは、ふたりが元気になってからにしましょう。私もログリも自分でお伺いしているだけですから。それで、ふたりの様子はどうなのですか?」
「アウロは意識を消失したまま。エレナは何回か目を開けたけど、基本は目を閉じている」
「あの娘の方が、症状が軽いのですか? 体力があるアウロでは無く⋯⋯何故でしょう? 体力とは別の所に何かある⋯⋯とかですかね?」
その可能性について考えてはいなかった。
何かそこに理由がある。体力ではない別の理由⋯⋯。
言われてみれば、その通り。
どうして、そこを考えなかった。
盲目になっていた自分自身に、ハルは顔をしかめていく。
「デルクス! ありがとう。足元を見落としていた。確かにあなたの言う通り、そこに何か理由があるはずよね。何だろう? 年齢⋯⋯体格、いや体格と考えるならアウロが目を開けるべき⋯⋯」
「獣人の血⋯⋯や血型とかはどうですか?」
「それはあるかも。あとは性別」
性別⋯⋯あれ? 今、何か繋がり掛けた。
なんだ?
ハルもデルクスもふたりの姿を思い描き、その理由を求めた。
逡巡するハルの右手はもどかしく、自身の耳に触れる。何気ない動作。
指に触れる硬い石の感触。キルロが作った純白を誇る白精石のピアス。
「あっ!!! ピアス! そうか⋯⋯。え⋯⋯でも⋯⋯」
「ど、どうしました?」
いきなり大声を上げたハルに、デルクスは驚きを隠さない。
繋がった。けど、本当に?
自身の考えなのに全く自信が持てない。でも、繋がる、繋がった。
コーレ菌が黒い訳。エレナの症状が少し軽い訳。
「亜種⋯⋯」
「亜種? 何ですかそれは?」
ハルの零した言葉にデルクスだけではなく、ラーサとログリも顔を上げる。ハルの言葉と勢いに戸惑いが浮ぶ。
自信は持てない。それでもハルは言葉を紡いでいく。
「亜種って言うのは⋯⋯黒素って言葉は聞いた事あるでしょう? 黒素を濃く浴びた怪物は黒く染まり、活性化してしまい厄介な存在となる」
「だから? 何?」
ラーサがみんなの思いを代弁する。
「黒素は人に対して負の力を持つ怪物に影響を与える。その【怪物】の部分を【生物】に起き変える事が出来るとしたら⋯⋯」
「だとしたら、どうなるのですか? その亜種という物だった場合、何が違うのですか?」
「力が強力になって⋯⋯苦手なはずの属性に耐性がつく」
デルクスは困惑の表情を浮かべるだけだが、ラーサとログリは顔を見合わせ目を剥く。
「ハルさん。見極める方法はあるの?」
「今、覗いている培養皿をこっちに」
作業台に置かれるコーレ菌が培養された皿。その脇にそっと自身のピアスをコトリと置いた。
「ハルさん、何しているの?」
「このピアスは白精石で出来ている。このコーレ菌が黒素の影響を受けた亜種《エリート》であるなら、何かしらの変化があるはずよ。この石は黒素を吸着する」
興奮を隠せないハルとラーサを尻目にログリは冷静に現状を精査していた。これまでの情報を加味して、次の一手を模索していく。
黒素の影響を受けたとするなら、どう変化する?
ログリは未知の事象を目の前にして、集中はさらに上がっていった。
『ハルさん、聞こえる?! いる?』
「どうしたのモモ?」
伝声管から突然の呼び掛け。明らかな警鐘を伴うモモの切迫した呼び掛けに、熱を帯びていた診察室の空気が一気に冷えて行く。急を告げる伝声管に部屋中の視線が集まった。
『アウロさんがマズイわ。呼吸が浅くて早い。エレナも芳しくない、さっき痙攣を起こしちゃった。この状態が続くと⋯⋯限界が近い』
「分かった。今、原因が分かり掛けているから、急ぐ。もう少し見守って」
『了解。早く。お願い』
限界という単語を使って、モモは核心をオブラートに包んだ。
切実なモモの言葉に、ハルは顔を上げる。
急がなくては。原因は見えて来た。あとはそれに対する対処をしなければ。
再び焦燥が襲う。光明が見えた矢先の急を告げるモモの言葉。
ハルもラーサも奥歯をギリと噛み締め、もどかしさを押し殺す。
デルクスもその空気に当てられ、顔色は優れない。ただひとり、ログリだけは冷静に状況を捉えていた。
「店長さんの先程の話。亜種は、苦手な物に対して属性を持つと⋯⋯。だとするならば、今打っている点滴の成分に対して耐性を得ている。という可能性があると考えて宜しいのでしょうか?」
「あ⋯⋯」
ログリの言葉にハルは絶句する。
そうだ。ログリの言う通りだ。
「フィリシア! 抗生剤を急いで持って来て!」
「分かった!」
再び熱を帯びる部屋。解決の糸が綻びを見せ始めた。
もし亜種ならば、抗生剤に耐性があったしてもおかしくはない。むしろ亜種と考えると辻褄は合う。
でも、何かがまだ引っ掛かる。
ラーサは再びいくつかのサンプルを顕微鏡で覗き、首を傾げていた。
ここに来て戸惑いにも似た更なる疑念。
「ラーサ、どうしたの?」
「ハルさんの言う通りこいつが亜種ってヤツだとしたら、抗生剤に耐性を持っていても、きっとおかしくはない。だけど、今覗いているサンプル。どれを取ってみても、菌の増殖はあまり見られない」
「だから?」
ハルは眉間に皺を寄せ、もどかしさを見せるが、ログリはラーサの言葉の意味を理解した。
「ラーサが言いたいのは、耐性があるというだけでは、ふたりの状態が悪化していく理由にならないと言う事です」
ログリは厳しい表情のまま、まだ確信には触れていない事を告げる。
「そういう事。症状が悪化するって事は体内で菌が増殖しているって事だ。増殖を止めない事には救えない。増殖する原因が不明なんだよ」
ラーサの言葉はハルの焦燥を煽る。また振り出しに戻されたと失望が襲う。垣間見えた光明が暗闇へと吸い込まれて行くイヤな感覚。
パン!
ハルは両頬を叩き、顔を上げた。
大丈夫。前に進んでいる。
下を向くなと自身を鼓舞していった。
止まるな。
瞳に力を宿し、困惑と混乱を運ぶ物へ再び対峙して行く。
黒素の濃い場所での活動。黒素を浴び、黒く染まる怪物の姿。
最近の冒険者としての活動のせいかしらね。
黒という単語で反射的に黒素を思い出してしまう。
近々の冒険で接触のあった【アウルカウケウスレギオ(金の靴)】、学者系の巨大組織。
そこで聞かされた黒素の研究成果と現状。人に対して負の力を持つ怪物を活性化させる。発生源は不明。人の住む南方へとその領域を広げ、そして未だに解明には至ってはいない。
唯一の手立ては白精石を使って、黒素を吸着させる。それによって一帯の黒素を薄めるという、何とも要領の悪い対抗策しか人は持ち合わせていなかった。
吸着仕切ってしまった白精石。その純白を誇っていた姿は黒く覆われてしまい、役目を終える。
勇者やその関係者は、人知れず白精石をバラ撒いていた。危険を顧みず、黒素の脅威から人々の生活を守る為に⋯⋯。
「はぁ~」
「どうしたのですか? ハルさん?」
「あ、ゴメンゴメン。ちょっと関係ない事思い出しちゃって。切り替え切り替え」
「そうですか」
ハルの深い溜め息にデルクスは力の無い微笑を返すだけだった。
顕微鏡を真剣に覗くラーサとログリを見守る事しか出来ないもどかしさ。時間だけがいたずらに過ぎて行く。
ログリの言葉を受け、ラーサも顕微鏡を覗いていった。
「確かにログリの言う通り、少し黒く見えるな。でも、これで別物と考えるのは無理がないか? 変異種なら色では無く、形が変わるはずだ。形に差異は見られない」
「ならば、何故黒味を帯びているのか? 他に差異が見られないならなおの事、注視すべきだ」
「う~ん。色味が違う⋯⋯。そんな例聞いた事ないぞ。何か思い当たる節はあるか?」
「いや⋯⋯」
ログリと共にラーサも押し黙り、逡巡する姿。
他人の店の事なのに、ログリもデルクスも真剣な顔で事に当たってくれている。その姿にハルは感謝しかなかった。
「デルクスもログリもありがとう。ホント助かる。心強いわ」
「それは、ふたりが元気になってからにしましょう。私もログリも自分でお伺いしているだけですから。それで、ふたりの様子はどうなのですか?」
「アウロは意識を消失したまま。エレナは何回か目を開けたけど、基本は目を閉じている」
「あの娘の方が、症状が軽いのですか? 体力があるアウロでは無く⋯⋯何故でしょう? 体力とは別の所に何かある⋯⋯とかですかね?」
その可能性について考えてはいなかった。
何かそこに理由がある。体力ではない別の理由⋯⋯。
言われてみれば、その通り。
どうして、そこを考えなかった。
盲目になっていた自分自身に、ハルは顔をしかめていく。
「デルクス! ありがとう。足元を見落としていた。確かにあなたの言う通り、そこに何か理由があるはずよね。何だろう? 年齢⋯⋯体格、いや体格と考えるならアウロが目を開けるべき⋯⋯」
「獣人の血⋯⋯や血型とかはどうですか?」
「それはあるかも。あとは性別」
性別⋯⋯あれ? 今、何か繋がり掛けた。
なんだ?
ハルもデルクスもふたりの姿を思い描き、その理由を求めた。
逡巡するハルの右手はもどかしく、自身の耳に触れる。何気ない動作。
指に触れる硬い石の感触。キルロが作った純白を誇る白精石のピアス。
「あっ!!! ピアス! そうか⋯⋯。え⋯⋯でも⋯⋯」
「ど、どうしました?」
いきなり大声を上げたハルに、デルクスは驚きを隠さない。
繋がった。けど、本当に?
自身の考えなのに全く自信が持てない。でも、繋がる、繋がった。
コーレ菌が黒い訳。エレナの症状が少し軽い訳。
「亜種⋯⋯」
「亜種? 何ですかそれは?」
ハルの零した言葉にデルクスだけではなく、ラーサとログリも顔を上げる。ハルの言葉と勢いに戸惑いが浮ぶ。
自信は持てない。それでもハルは言葉を紡いでいく。
「亜種って言うのは⋯⋯黒素って言葉は聞いた事あるでしょう? 黒素を濃く浴びた怪物は黒く染まり、活性化してしまい厄介な存在となる」
「だから? 何?」
ラーサがみんなの思いを代弁する。
「黒素は人に対して負の力を持つ怪物に影響を与える。その【怪物】の部分を【生物】に起き変える事が出来るとしたら⋯⋯」
「だとしたら、どうなるのですか? その亜種という物だった場合、何が違うのですか?」
「力が強力になって⋯⋯苦手なはずの属性に耐性がつく」
デルクスは困惑の表情を浮かべるだけだが、ラーサとログリは顔を見合わせ目を剥く。
「ハルさん。見極める方法はあるの?」
「今、覗いている培養皿をこっちに」
作業台に置かれるコーレ菌が培養された皿。その脇にそっと自身のピアスをコトリと置いた。
「ハルさん、何しているの?」
「このピアスは白精石で出来ている。このコーレ菌が黒素の影響を受けた亜種《エリート》であるなら、何かしらの変化があるはずよ。この石は黒素を吸着する」
興奮を隠せないハルとラーサを尻目にログリは冷静に現状を精査していた。これまでの情報を加味して、次の一手を模索していく。
黒素の影響を受けたとするなら、どう変化する?
ログリは未知の事象を目の前にして、集中はさらに上がっていった。
『ハルさん、聞こえる?! いる?』
「どうしたのモモ?」
伝声管から突然の呼び掛け。明らかな警鐘を伴うモモの切迫した呼び掛けに、熱を帯びていた診察室の空気が一気に冷えて行く。急を告げる伝声管に部屋中の視線が集まった。
『アウロさんがマズイわ。呼吸が浅くて早い。エレナも芳しくない、さっき痙攣を起こしちゃった。この状態が続くと⋯⋯限界が近い』
「分かった。今、原因が分かり掛けているから、急ぐ。もう少し見守って」
『了解。早く。お願い』
限界という単語を使って、モモは核心をオブラートに包んだ。
切実なモモの言葉に、ハルは顔を上げる。
急がなくては。原因は見えて来た。あとはそれに対する対処をしなければ。
再び焦燥が襲う。光明が見えた矢先の急を告げるモモの言葉。
ハルもラーサも奥歯をギリと噛み締め、もどかしさを押し殺す。
デルクスもその空気に当てられ、顔色は優れない。ただひとり、ログリだけは冷静に状況を捉えていた。
「店長さんの先程の話。亜種は、苦手な物に対して属性を持つと⋯⋯。だとするならば、今打っている点滴の成分に対して耐性を得ている。という可能性があると考えて宜しいのでしょうか?」
「あ⋯⋯」
ログリの言葉にハルは絶句する。
そうだ。ログリの言う通りだ。
「フィリシア! 抗生剤を急いで持って来て!」
「分かった!」
再び熱を帯びる部屋。解決の糸が綻びを見せ始めた。
もし亜種ならば、抗生剤に耐性があったしてもおかしくはない。むしろ亜種と考えると辻褄は合う。
でも、何かがまだ引っ掛かる。
ラーサは再びいくつかのサンプルを顕微鏡で覗き、首を傾げていた。
ここに来て戸惑いにも似た更なる疑念。
「ラーサ、どうしたの?」
「ハルさんの言う通りこいつが亜種ってヤツだとしたら、抗生剤に耐性を持っていても、きっとおかしくはない。だけど、今覗いているサンプル。どれを取ってみても、菌の増殖はあまり見られない」
「だから?」
ハルは眉間に皺を寄せ、もどかしさを見せるが、ログリはラーサの言葉の意味を理解した。
「ラーサが言いたいのは、耐性があるというだけでは、ふたりの状態が悪化していく理由にならないと言う事です」
ログリは厳しい表情のまま、まだ確信には触れていない事を告げる。
「そういう事。症状が悪化するって事は体内で菌が増殖しているって事だ。増殖を止めない事には救えない。増殖する原因が不明なんだよ」
ラーサの言葉はハルの焦燥を煽る。また振り出しに戻されたと失望が襲う。垣間見えた光明が暗闇へと吸い込まれて行くイヤな感覚。
パン!
ハルは両頬を叩き、顔を上げた。
大丈夫。前に進んでいる。
下を向くなと自身を鼓舞していった。
止まるな。
瞳に力を宿し、困惑と混乱を運ぶ物へ再び対峙して行く。
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