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第三章 木と花と賢者の石と  

 Ⅱ 必要な痛み

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「……そろそろ……お師様から話を聞いているころかしらね……んっ……あぁっ!」
 樹木の枝が肉を貫き、果実の酸が肌を溶かす、新芽が、種子が身体中から這い出る。神経を含め、あらゆる器官から無限とも言える増殖を繰り返す痛み。五大元素『木』に当たる花と木以外のすべてが私を蹂躙していく。指一本動かせず、磔刑にされた聖人のようにただうなだれる。
「アイリス。あなたには、こんな姿見せられないわね」
 世界樹の中心。その中には、ひとつの輝く宝石がある。
『賢者の石【母なる自然】』
 様々な定義があるから結論のみを言うと、賢者の石とは対応する元素系の力の塊を結晶化させたもの。その性質は何よりも強固、なによりも強靭、そしてなによりも脆い。なににも傷つけられることがないこの物質は、別存在の意思が触れた時のみ変質する。混沌を望めば、世界を沈め。恋し人を思えば、その者を手に入れることができる。死すらも反転する。
 ただし、これは五元素において一元素ひとつしか生成することができない。そのため、お師様を除くすべての『木』に属する錬金術師が私の願いを阻まんとする。『林の』『森の』『草の』『枝の』『果実の』『新芽の』『種子の』など。私がしていることは当然、理を破る行為であり、私は断たれるべき存在である。
「死ねない身体で良かったと思ったのは、久しぶりね」
 崩れていく私の身体。それに反し、私の傍らで花々は咲き誇っていく。
 世界樹の世界線、ここは木の元素が最も純粋な場所。他の木元素に属する錬金術師が強力なように、私もまた【母なる自然】の恩寵により力を増す。しかし、これではらちがあかない。だから、私は。権能を使用する。
 すべては予定通り。
「『アイリスを介し、命ずる。液体の銀よ、溶かせ』また『花として花。それらは、食い潰し自らを増やすもの也』また『アイリスを介し、命ずる。豊穣の女神ケレス、祝福せん』」銀、花、豊穣。その三要素が劣勢であった私の状況を変えていく。液体の銀は、蝕む木々たちを溶かし。花の権能により、その主導権を花々へと移行。再び木々が私の花を食い殺すのを防ぐべく、豊穣によりその力を増強。あとは、帳を待つだけ。
「ふぅ。少し、お茶にしましょう」
 やっとの事でこの空間は私のものになった。花たちは私を包み、肉体へと帰る。負った傷もすべて、花たちが塞いでいく。世界樹が苦しみもだえるのを聞きながら私はフラワーティーを嗜む。まるで葉をひとつひとつちぎるような悲痛な音。トロイアル世界とは違うもうひとつの世界線に響き渡る。これは呼び声。私による、あなたへの呼びかけ。
「おいたが過ぎるの。『花の』」
「待っていたわ『夜の』」
「なぜ私を呼ぶ。お前など微塵も興味はない。私は子らを寝かしつけるのに忙しい」
「そう言わないで。ひとつ約束をしてくれれば良いのよ」
「不躾である。私にも紅茶出せ」
「葉ではないわ」
「花でよい」
「はいはい」
「ご苦労。では、本題に入ろう。我が名はニュクス。ニュクス・マグノリア。夜を司る錬金術師にして、神。瞬きの間にして夜の子を産む母である。タナトス、ヒュプノス、ネメシス、モロス、ケール、エリス、モモス、オイジュス……」
「知っているわ。次へ」
「お前への名乗りではない。世界樹よ。静まれ。此は害をなす者ではない」
 木々の叫びが収まり、世界の音は再び無へと帰す。それは木々の眠り。世界樹の眠り。
 そして私は始める。花々から、木々への養分の譲渡を。
「ん……あ……」
「どうにかならんのか、その艶やかな仕草は」
「む……り……よぅ……ん……少しだけ……待って……」
「はぁ」
 下半身を、花たちに食わせ。私という存在を同化させる。そして私は栄養分を世界樹へと送り込む。これから行う儀式には、私もそうだけれど世界樹にも大きな負担がかかるから。
「世界樹への悪影響はないのだろうな」
「えぇ……。大丈夫よ。完全に善き元の姿に戻るわ。ただ一度死にゆくだけ」
「【母なる自然】の抽出と再構築、複製か」
「えぇ」
「しかしお前だけでやることでもなかろう。師は如何した」
「あの方には、アイリスを見守っていただかなくてはなりません」
「……因果なものだの。あれはお前を奪ったアイリスを憎んでおろう」
「でも、守ってくださいます。あの方はそういうお方です」
「お前も大概、甘えたよの」
「えぇ。人は、ひとりでは生きていけません。ですから……」
「元、人であろう。お前に人を語る権利などない」
「……そうね」
「終わるからこそ美しい。終わりなき者は所詮、世界における背景でしかない。我々など人らの瞬き一つで不認知となる」
「しかし、記録という概念が生まれてから私たちは永遠です」
「さよう。そして歴史は繰り返す」
「しかし、新たな道を拓く者もあるわ」
「お前のようにな」
「えぇ」
 沈黙が、流れる。ニュクスを取り巻く夜はこの空間を充満して。その中に、翠色の輝きが目を覚ます。【母なる自然】それ、である。
「不躾、であるな。錬金術師」
「ご機嫌麗しゅう。ユグドラシル」
「『花の』お久しぶりです。そちらは、ニュクスかしら」
「えぇ。私はただの帳です。お気になさらず」
「そう。では、マリア、マリア・フローレンス。命じます。死せ」
「叶いません」
「如何でか」
「彼女を取り戻すまで、アイリスが消えるまで。私は死すことはありません」
「幾とせ」
「さぁ。この瞬間かもしれませんし、明日、千年、未来永劫。存じ上げません。そして、我死は違えません」
「ならば。良い。癒やせ。人に、お前と同じ存在であったものに穢された世界樹を。これはお前に課せられた使命であり。原罪である。これは命令ではない。当然である。お前が能(あた)うならば、古き我を与えん。これは慈悲である」
「ありがたき」
「『夜の』」
「はいはい」
「務め、苦労であった。目障りである。失せよ」
「手厳しいの。では、去ろう。『花の』準備はよいか」
「えぇ」
「『我娘アイテールの名の元に明星として命ず、天に光。同じく我娘ヒュプノスの名の元に命ず、目覚めよ、地に命。闇払わん』」
 世界が、開く。世界が、死へと始まる。
「では『花の』いずれ深淵で」
「その時は、お手柔らかに」
「互いにな」
 闇が払われ【母なる自然】の輝きは失せる。そして、私の手の上に。その瞬間。私を中心にして。不(ふ)遑(こう)枚(まい)挙(きよ)、古今東西、ありとあらゆる花々が咲き乱れる。その花々は木々を裂き、ユグドラシルは真ふたつに割れた。世界樹の中央から、私が生まれ出ずる。世界樹の背景。動かぬ太陽を背に。大輪のマリーゴールドが私を中心に大きく咲いた。
「ようようやりおったの『花の』」
 木の元素に属する錬金術師達。それらが私を取り囲んでいた。
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