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第18章 上海
3 長井雅樂と周布政之助
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一方、京では慶親からの主命を受けた長井雅樂が航海遠略策の周旋を行っており、議奏の正親町三条実愛等公卿相手に巧みな弁舌を振るっていた。
安藤対馬守が水戸浪士達に襲撃され、航海遠略策にやや陰りが見え始めるも長井の舌先三寸でどうにか持ちこたえていた。
そんな長井の元を十日ほど前に復職したばかりの周布政之助が訪ね、島津和泉の上洛を機に藩主である慶親を江戸から京へ上洛させるか否かについて、京の長州藩邸の一室で会談することとなった。
「やっと謹慎が解けたようですな、周布殿」
長井が笑いながら周布に語りかけるも目は全く笑っていない。
「周布殿ともあろう御方が久坂の如き青二才に唆されて勝手に江戸を離れ、我が殿に無礼な進言をして謹慎に処されるとは夢にも思わなかったぞ。儂と同じようにかつての村田様のご意思を継いどるはずの周布殿が一体何故あねぇ愚行に走ったのか、儂にははなはだ分からん」
国の政に関して多少考えに違いはあれど、根っこの所は同じだと信じていたのに何故儂を裏切るような真似をした、何故寅次郎の弟子達の肩を持つと問い質したいのを長井はかろうじて堪えていた。
「その話はあとでええでしょう。今は御殿様を上洛させるべきか否かについて話し合うべきであります」
周布も周布でそねぇ嫌味を言われるために京へ来たわけではない、くだらない戯言を儂に聞かせるなと言いたいのを我慢している。
「島津和泉が上洛することを聞きつけ、それに加勢しようと真木和泉や平野国臣等諸国の攘夷浪士達が続々と京や大阪に集結し、天下が騒然としとるのは長井殿ほどの御方ならご存じでありましょう。もし島津和泉が引き連れてきた薩摩の兵だけでなくそれらの浪士達も加えて上洛を果たし、長州よりも先に勤王の実を挙げようものなら長州は勤王門閥としての立場を失うことになります。そねぇなことになる前に和泉よりも先に御殿様を上洛させ、勤王の実を挙げるのが肝要かと儂は考えとりますが長井殿はどねぇ思われとりますかな?」
周布は丁寧な言葉遣いながらもどこかとげとげしい。
「御殿様が上洛する必要はない。それよりも京での公武周旋により一層力を入れることこそ大事じゃと儂は思うとる」
長井が周布の考えを一蹴する。
「島津和泉が上洛に踏み切ったのは勤王の実を挙げるためなどではなく、薩摩主導による公武周旋、幕政改革を行うためじゃ。江戸の薩摩藩邸に放った儂の間者によれば和泉は亡き兄の島津又三郎(斉彬)の事を深く慕い、又三郎の意思を継ぐつもりでおるそうじゃ。又三郎はかつて越前や尾張、水戸などと共に朝廷との繋がりが深い一橋公を次の公方様にすべく奔走し、それが失敗に終わると今度は率兵上京をして朝廷の威光を笠に幕政の改革に乗り出そうとするもその矢先に病にかかって死んだ。和泉は兄が志半ばで果たせず仕舞いに終わってしまった事を自身が代わりに成し遂げるつもりでおるみたいじゃ。そねぇ和泉が攘夷浪士共の喜ぶようなことを行うなど到底考えにくいとは周布殿は思わぬか?」
お主よりも儂の方が何枚も上手じゃと言わんばかりの体で長井が問いかけてくる。
「なるほど。その間者の得た和泉に関する知識が正しいとするならば、確かに長井殿の仰られとる通りなのかもしれませぬな」
周布が仏頂面をしながら言う。
「しかし和泉の率兵上京の狙いが本当に公武周旋、幕政改革にあるとするなら、長井殿の航海遠略策がその陰に追いやられることになりやしませぬか? 薩摩の力は少なく見積もっても我が長州と同じか、あるいは長州を遥かに上回っていてもおかしくはありませぬ。その薩摩が本腰を入れて公武周旋、幕政改革に乗り出してきたとするなら、何か対抗策を考えぬとまずいのではありませぬか?」
周布が心の中でふと浮かんだ疑問を尋ねると、長井はふっと笑い、
「そねぇな心配はする必要ないっちゃ。和泉は他の諸侯と何の繋がりも関係も持っていないどころか、薩摩藩主になったことがただの一度としてない無位無官の田舎者じゃ。薩摩藩主で越前や尾張といった他の諸侯との繋がりもあった又三郎だからこそ率兵上京することに意義があるのであり、田舎者の和泉が率兵上京したところで何の実を挙げることもできぬじゃろう」
と周布の考えをまたも一蹴した。
「正直ゆうて和泉よりも久坂達の方が儂としては懸念しとるくらいじゃ」
長井の口から久坂の名が出ると、周布は不思議そうな顔をしながら、
「何故和泉よりも久坂達を懸念しとるんでしょうか? 久坂達は今萩におるはずですが」
と尋ねる。
「久坂達は兵庫へ行くご家老の浦様の従者に加わって東上し今は大阪におるみたいじゃ。昨日江戸の行相府から久坂に関しての文が来て知った。奴らはきっと和泉の挙兵に加わるために萩の国相府の連中をうまいこと言い包めて大阪に来たに違いないっちゃ。奴らに勝手なことをされると我が藩の公武周旋に差し障りがでかねぬけぇ、今のうちに釘を刺しておかんといけんな」
長井は険しい表情で言うと、部下である来原良蔵と時山直八を自身の部屋に呼び出すよう周布に命じた。
安藤対馬守が水戸浪士達に襲撃され、航海遠略策にやや陰りが見え始めるも長井の舌先三寸でどうにか持ちこたえていた。
そんな長井の元を十日ほど前に復職したばかりの周布政之助が訪ね、島津和泉の上洛を機に藩主である慶親を江戸から京へ上洛させるか否かについて、京の長州藩邸の一室で会談することとなった。
「やっと謹慎が解けたようですな、周布殿」
長井が笑いながら周布に語りかけるも目は全く笑っていない。
「周布殿ともあろう御方が久坂の如き青二才に唆されて勝手に江戸を離れ、我が殿に無礼な進言をして謹慎に処されるとは夢にも思わなかったぞ。儂と同じようにかつての村田様のご意思を継いどるはずの周布殿が一体何故あねぇ愚行に走ったのか、儂にははなはだ分からん」
国の政に関して多少考えに違いはあれど、根っこの所は同じだと信じていたのに何故儂を裏切るような真似をした、何故寅次郎の弟子達の肩を持つと問い質したいのを長井はかろうじて堪えていた。
「その話はあとでええでしょう。今は御殿様を上洛させるべきか否かについて話し合うべきであります」
周布も周布でそねぇ嫌味を言われるために京へ来たわけではない、くだらない戯言を儂に聞かせるなと言いたいのを我慢している。
「島津和泉が上洛することを聞きつけ、それに加勢しようと真木和泉や平野国臣等諸国の攘夷浪士達が続々と京や大阪に集結し、天下が騒然としとるのは長井殿ほどの御方ならご存じでありましょう。もし島津和泉が引き連れてきた薩摩の兵だけでなくそれらの浪士達も加えて上洛を果たし、長州よりも先に勤王の実を挙げようものなら長州は勤王門閥としての立場を失うことになります。そねぇなことになる前に和泉よりも先に御殿様を上洛させ、勤王の実を挙げるのが肝要かと儂は考えとりますが長井殿はどねぇ思われとりますかな?」
周布は丁寧な言葉遣いながらもどこかとげとげしい。
「御殿様が上洛する必要はない。それよりも京での公武周旋により一層力を入れることこそ大事じゃと儂は思うとる」
長井が周布の考えを一蹴する。
「島津和泉が上洛に踏み切ったのは勤王の実を挙げるためなどではなく、薩摩主導による公武周旋、幕政改革を行うためじゃ。江戸の薩摩藩邸に放った儂の間者によれば和泉は亡き兄の島津又三郎(斉彬)の事を深く慕い、又三郎の意思を継ぐつもりでおるそうじゃ。又三郎はかつて越前や尾張、水戸などと共に朝廷との繋がりが深い一橋公を次の公方様にすべく奔走し、それが失敗に終わると今度は率兵上京をして朝廷の威光を笠に幕政の改革に乗り出そうとするもその矢先に病にかかって死んだ。和泉は兄が志半ばで果たせず仕舞いに終わってしまった事を自身が代わりに成し遂げるつもりでおるみたいじゃ。そねぇ和泉が攘夷浪士共の喜ぶようなことを行うなど到底考えにくいとは周布殿は思わぬか?」
お主よりも儂の方が何枚も上手じゃと言わんばかりの体で長井が問いかけてくる。
「なるほど。その間者の得た和泉に関する知識が正しいとするならば、確かに長井殿の仰られとる通りなのかもしれませぬな」
周布が仏頂面をしながら言う。
「しかし和泉の率兵上京の狙いが本当に公武周旋、幕政改革にあるとするなら、長井殿の航海遠略策がその陰に追いやられることになりやしませぬか? 薩摩の力は少なく見積もっても我が長州と同じか、あるいは長州を遥かに上回っていてもおかしくはありませぬ。その薩摩が本腰を入れて公武周旋、幕政改革に乗り出してきたとするなら、何か対抗策を考えぬとまずいのではありませぬか?」
周布が心の中でふと浮かんだ疑問を尋ねると、長井はふっと笑い、
「そねぇな心配はする必要ないっちゃ。和泉は他の諸侯と何の繋がりも関係も持っていないどころか、薩摩藩主になったことがただの一度としてない無位無官の田舎者じゃ。薩摩藩主で越前や尾張といった他の諸侯との繋がりもあった又三郎だからこそ率兵上京することに意義があるのであり、田舎者の和泉が率兵上京したところで何の実を挙げることもできぬじゃろう」
と周布の考えをまたも一蹴した。
「正直ゆうて和泉よりも久坂達の方が儂としては懸念しとるくらいじゃ」
長井の口から久坂の名が出ると、周布は不思議そうな顔をしながら、
「何故和泉よりも久坂達を懸念しとるんでしょうか? 久坂達は今萩におるはずですが」
と尋ねる。
「久坂達は兵庫へ行くご家老の浦様の従者に加わって東上し今は大阪におるみたいじゃ。昨日江戸の行相府から久坂に関しての文が来て知った。奴らはきっと和泉の挙兵に加わるために萩の国相府の連中をうまいこと言い包めて大阪に来たに違いないっちゃ。奴らに勝手なことをされると我が藩の公武周旋に差し障りがでかねぬけぇ、今のうちに釘を刺しておかんといけんな」
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