148 / 152
第18章 上海
2 島津和泉の率兵上京
しおりを挟む
晋作が長崎に滞在していた頃、久坂は薩摩の島津久光が近々千余名の兵を率いて京に上洛するという報を久留米の浪人から聞き出し、それを受け萩の松下村塾にて久光の挙兵に加わるための密議をしていた。
松下村塾には久坂の他に佐世八十郎や中谷正亮、松浦亀太郎、寺島忠三郎、品川弥二郎、土佐を出奔した吉村虎太郎や沢村惣之丞等がいた。
「島津和泉の率兵上京に加わるにはやはりわし等だけで出奔突出するしか道はないと考えちょる!」
品川が強い口調で藩を捨てることを主張すると、松浦もそれに同調して、
「わしも弥次と同じ考えじゃ! 和泉は今月の一六日には薩摩を出立して馬関へ赴き、そこから蒸気船に乗って上方へ向かうつもりみたいじゃけぇ、ここでぐずぐずしとる暇はわし等にはないけぇのう!」
と急ぎ出奔することを久坂達に勧めてくる。
久坂の命で馬関に出向き、清末の御用商にして薩摩の御用達でもあった白石正一郎と出会い会談した時に久光の事をいろいろ聞かされた松浦は焦りに焦っていた。
「彼らのゆうちょることは至極最もじゃき! こんまま萩で何もせずに手をこまねいちょっては長州も土佐の二の舞になるぜよ!」
土佐浪人の吉村虎太郎も品川や松浦の考えに賛同する。
「土佐で公武一和を唱えのさばっとる参政の吉田東洋を諫めんがため、武市先生が一藩勤皇の論を以って直談判に及んだり、それが失敗すると今度は東洋を追い落とすために東洋に不満を持っちょる上士を言い包めんとしたが全て徒労に終わったぜよ! わし等は東洋も武市先生ももう駄目じゃち思うて土佐を捨て、藁にも縋る思いで長州の久坂殿のもとに身を寄せたがじゃ! 久坂殿には是非とも勤皇の実を上げてもらわんといかんきに!」
故郷を捨てもう戻る場所がない吉村達は何としてでも久坂に事を起こしてもらう腹積もりだ。
「……」
品川達に出奔を促された久坂は何を言うでもなく目を閉じただ黙っている。
「く、久坂?」
八十郎が心配そうに言うも久坂はまだだんまりを決め込んでいる。
静寂がその場を支配する。
久坂は一体何を考えちょるのじゃろう、一体どうしたのじゃろうとある者は心配し、またある者は焦りからくる苛立ちを抑え込もうとしている。
皆が久坂に対し思い思いの念を抱きはじめた頃、ようやく久坂は目を開け、
「わしの心もおめぇ等と同じじゃ」
とぼそっと一言呟いた。
「長州は阿保親王以来数百年の長きに渡り、勤王の門閥として朝廷に忠を尽くしてきたけぇ、外夷に国を蝕まれ存亡の危機に陥った今こそ勤皇の実を挙げねばいけんと思うとる。じゃが藩政府はあくまでも航海遠略を藩是にして勤皇の実を挙げる気がないけぇ、わし等は出奔して薩摩の挙兵に加わるより他にどうすることもできぬ。このまま何もせんかったら長州人は臆病者じゃと末代まで誹りを受けることになる。それだけは何としてでも避けねばいけん」
こうするより他に手立てがないのだ、出奔するより他に道はないのだと久坂は周りにも自分にも必死になって言い聞かせていた。
「久坂、おめぇの考えはよう分かった。よう分かったが一体どねぇして出奔するつもりなんじゃ?」
中谷が尋ねる。
「まず和泉の上洛を受けて萩の国相府から兵庫へ行くことを命じられとる毛利将監様か、あるいはご家老の浦靱負様の一行に加わろうと考えとる」
久坂が出奔の具体的な方法について話し始める。
「将監様か浦様の一行に加われば兵庫、いんや大阪まで労せず行くことができるはずじゃ。大阪まで行けば京は目と鼻の先、薩摩の挙兵に加わることも容易になる。いま萩の国相府には当役手元役の前田孫右衛門様がいらっしゃる。前田様は寅次郎先生や周布様と親しい間柄じゃったけぇ、両者にゆかりの深いわしが将監様か浦様のどちらかの一向に加わりたい旨をお願いすればきっとお聞き届けくださるはずじゃ」
「なるほど。それはええ考えじゃ」
久坂の案を聞いた中谷はすっかり納得したようだ。
「おめぇに兵庫の一件の話をしといてよかった」
「本当は長州も薩摩と同じように一丸となって率兵上京できれば、薩摩よりも先に長州が勤王の一番槍を挙げることができれば一番ええのじゃが今更仕方のないこと。明日にでも前田様の元に行って頼んでみることにするかのう」
この密議の翌日、久坂は前田孫右衛門の屋敷に直談判しに行き、その結果久坂は医学修行の名目で浦の従者に加えられ、また佐世や中谷達もそれぞれ浦の従者として上方に行くことが決まった。
松下村塾には久坂の他に佐世八十郎や中谷正亮、松浦亀太郎、寺島忠三郎、品川弥二郎、土佐を出奔した吉村虎太郎や沢村惣之丞等がいた。
「島津和泉の率兵上京に加わるにはやはりわし等だけで出奔突出するしか道はないと考えちょる!」
品川が強い口調で藩を捨てることを主張すると、松浦もそれに同調して、
「わしも弥次と同じ考えじゃ! 和泉は今月の一六日には薩摩を出立して馬関へ赴き、そこから蒸気船に乗って上方へ向かうつもりみたいじゃけぇ、ここでぐずぐずしとる暇はわし等にはないけぇのう!」
と急ぎ出奔することを久坂達に勧めてくる。
久坂の命で馬関に出向き、清末の御用商にして薩摩の御用達でもあった白石正一郎と出会い会談した時に久光の事をいろいろ聞かされた松浦は焦りに焦っていた。
「彼らのゆうちょることは至極最もじゃき! こんまま萩で何もせずに手をこまねいちょっては長州も土佐の二の舞になるぜよ!」
土佐浪人の吉村虎太郎も品川や松浦の考えに賛同する。
「土佐で公武一和を唱えのさばっとる参政の吉田東洋を諫めんがため、武市先生が一藩勤皇の論を以って直談判に及んだり、それが失敗すると今度は東洋を追い落とすために東洋に不満を持っちょる上士を言い包めんとしたが全て徒労に終わったぜよ! わし等は東洋も武市先生ももう駄目じゃち思うて土佐を捨て、藁にも縋る思いで長州の久坂殿のもとに身を寄せたがじゃ! 久坂殿には是非とも勤皇の実を上げてもらわんといかんきに!」
故郷を捨てもう戻る場所がない吉村達は何としてでも久坂に事を起こしてもらう腹積もりだ。
「……」
品川達に出奔を促された久坂は何を言うでもなく目を閉じただ黙っている。
「く、久坂?」
八十郎が心配そうに言うも久坂はまだだんまりを決め込んでいる。
静寂がその場を支配する。
久坂は一体何を考えちょるのじゃろう、一体どうしたのじゃろうとある者は心配し、またある者は焦りからくる苛立ちを抑え込もうとしている。
皆が久坂に対し思い思いの念を抱きはじめた頃、ようやく久坂は目を開け、
「わしの心もおめぇ等と同じじゃ」
とぼそっと一言呟いた。
「長州は阿保親王以来数百年の長きに渡り、勤王の門閥として朝廷に忠を尽くしてきたけぇ、外夷に国を蝕まれ存亡の危機に陥った今こそ勤皇の実を挙げねばいけんと思うとる。じゃが藩政府はあくまでも航海遠略を藩是にして勤皇の実を挙げる気がないけぇ、わし等は出奔して薩摩の挙兵に加わるより他にどうすることもできぬ。このまま何もせんかったら長州人は臆病者じゃと末代まで誹りを受けることになる。それだけは何としてでも避けねばいけん」
こうするより他に手立てがないのだ、出奔するより他に道はないのだと久坂は周りにも自分にも必死になって言い聞かせていた。
「久坂、おめぇの考えはよう分かった。よう分かったが一体どねぇして出奔するつもりなんじゃ?」
中谷が尋ねる。
「まず和泉の上洛を受けて萩の国相府から兵庫へ行くことを命じられとる毛利将監様か、あるいはご家老の浦靱負様の一行に加わろうと考えとる」
久坂が出奔の具体的な方法について話し始める。
「将監様か浦様の一行に加われば兵庫、いんや大阪まで労せず行くことができるはずじゃ。大阪まで行けば京は目と鼻の先、薩摩の挙兵に加わることも容易になる。いま萩の国相府には当役手元役の前田孫右衛門様がいらっしゃる。前田様は寅次郎先生や周布様と親しい間柄じゃったけぇ、両者にゆかりの深いわしが将監様か浦様のどちらかの一向に加わりたい旨をお願いすればきっとお聞き届けくださるはずじゃ」
「なるほど。それはええ考えじゃ」
久坂の案を聞いた中谷はすっかり納得したようだ。
「おめぇに兵庫の一件の話をしといてよかった」
「本当は長州も薩摩と同じように一丸となって率兵上京できれば、薩摩よりも先に長州が勤王の一番槍を挙げることができれば一番ええのじゃが今更仕方のないこと。明日にでも前田様の元に行って頼んでみることにするかのう」
この密議の翌日、久坂は前田孫右衛門の屋敷に直談判しに行き、その結果久坂は医学修行の名目で浦の従者に加えられ、また佐世や中谷達もそれぞれ浦の従者として上方に行くことが決まった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~
裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか
―――
将軍?捨て子?
貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。
その暮らしは長く続かない。兄の不審死。
呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。
次第に明らかになる不審死の謎。
運命に導かれるようになりあがる吉宗。
将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。
※※
暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。
低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。
民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。
徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。
本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。
数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。
本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか……
突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。
そして御三家を模倣した御三卿を作る。
決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。
彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。
そして独自の政策や改革を断行した。
いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。
破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。
おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。
その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。
本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。
投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。
小沢機動部隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。
名は小沢治三郎。
年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。
ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。
毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。
楽しんで頂ければ幸いです!
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
色は変わらず花は咲きけり〜平城太上天皇の変
Tempp
歴史・時代
奈良の都には梅が咲き誇っていた。
藤原薬子は小さい頃、兄に会いに遊びに来る安殿親王のことが好きだった。当時の安殿親王は皇族と言えども身分は低く、薬子にとっても兄の友人という身近な存在で。けれども安殿親王が太子となり、薬子の父が暗殺されてその後ろ盾を失った時、2人の間には身分の差が大きく隔たっていた。
血筋こそが物を言う貴族の世、権謀術数と怨念が渦巻き血で血を洗う都の内で薬子と安殿親王(後の平城天皇)が再び出会い、乱を起こすまでの話。
注:権謀術数と祟りと政治とちょっと禁断の恋的配分で、壬申の乱から平安京遷都が落ち着くまでの歴史群像劇です。
//
故里となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり
(小さな頃、故郷の平城の都で見た花は今も変わらず美しく咲いているのですね)
『古今和歌集』奈良のみかど
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる