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第14章 三度目の江戸

3 晋作と平右衛門

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 それから一ヶ月後、晋作達を乗せた丙辰丸は江戸品川沖に着船し、晋作は桜田の上屋敷にいる義理の父・井上平右衛門の部屋で生活することとなった。
「萩からの長旅ご苦労じゃったな、婿殿」
 部屋に入ってきた晋作に対して平右衛門がにっこり笑いながら声をかけるも、当の晋作は仏頂面のまま一言も喋らない。
「お雅が儂に寄越してくれた文に、此度の航海が旦那様との今生の別れになるやもしれんと書かれとったけぇ、正直心配しとったんじゃ」
 平右衛門は不機嫌そうな様子の晋作を気に留めることもなく喋り続ける。
「して丙辰丸での航海は如何でしたかな?」
「如何も何も、それはそれはひどいもんじゃった。波にゆられとる船の上で暮らさねばならんかったけぇ、ずっと船酔いに悩まされとりました」
 部屋の座布団に座った晋作が首を横に振りながら平右衛門の問いに答えた。
「それに船の中でやれ航行里数じゃの、やれ地点の経緯度じゃのの航海術を松島殿から教えられとったが、正直ゆうて算術はわしの性には合わんけぇ、もう航海術を学ぶんはこれ限りにしようと思うとります」
 晋作は航海の愚痴をこぼすと思い切りため息をつく。
「それはまっこと大変でございましたなあ」
 平右衛門は気の毒そうに言うと続けて、
「じゃが婿殿、此度の江戸行きは築地にある軍艦教授所で航海術を学ぶためのものではなかったんか? 航海術の会得は藩命じゃと儂は聞いとったんじゃがのう」
 とすっとぼけた様子で晋作に尋ねた。
「義父上の仰られとる通りであります。確かにわしは藩命で航海術を学ぶべく江戸に参りましたが、航海術はわしには全くあいませぬ。じゃけぇ此度の江戸逗留を航海術の会得ではなく、撃剣・文学修行に切り替えるつもりであります。丙辰丸で萩を発つ少し前に柳生新陰流の目録を得たけぇ、藩の上役の方々もきっとお許しになるに違いありますまい」
 晋作は失った自信を取り戻すべく、己が得意とする剣術に望みを見出そうとしている。
「そうかそうか。婿殿は意外と諦めが早い性分なのじゃな。もっと気骨のある男じゃち思うとったのじゃが」
 平右衛門が笑いながら言う。
「言い方が悪すぎますぞ、義父上」
 晋作がむっとした表情になる。
「諦めが早いんではなく、これは向き不向きの話であります。軍艦教授所に入所する前に航海術に向いとらんことが気付けたんは、むしろ不幸中の幸いであったとわしは思うとります。やはりわしには剣術や文学の方が性に合っとるんです。これからは剣術や文学に生きることに決めましたけぇ、これ以上あれこれゆうんは止めて頂けますでしょうか?」
 晋作が平右衛門に猛抗議すると、平右衛門は慌てた様子で、
「これは済まなんだ。婿殿のゆうちょる通りじゃ。ちと言い過ぎたわい。この平右衛門の無礼、どうかお許し下され」
 と晋作に謝ってきたので、晋作もこれ以上何も言わずに話を切り上げて就寝した。
 


 
 
 

 



 
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