117 / 152
第14章 三度目の江戸
3 晋作と平右衛門
しおりを挟む
それから一ヶ月後、晋作達を乗せた丙辰丸は江戸品川沖に着船し、晋作は桜田の上屋敷にいる義理の父・井上平右衛門の部屋で生活することとなった。
「萩からの長旅ご苦労じゃったな、婿殿」
部屋に入ってきた晋作に対して平右衛門がにっこり笑いながら声をかけるも、当の晋作は仏頂面のまま一言も喋らない。
「お雅が儂に寄越してくれた文に、此度の航海が旦那様との今生の別れになるやもしれんと書かれとったけぇ、正直心配しとったんじゃ」
平右衛門は不機嫌そうな様子の晋作を気に留めることもなく喋り続ける。
「して丙辰丸での航海は如何でしたかな?」
「如何も何も、それはそれはひどいもんじゃった。波にゆられとる船の上で暮らさねばならんかったけぇ、ずっと船酔いに悩まされとりました」
部屋の座布団に座った晋作が首を横に振りながら平右衛門の問いに答えた。
「それに船の中でやれ航行里数じゃの、やれ地点の経緯度じゃのの航海術を松島殿から教えられとったが、正直ゆうて算術はわしの性には合わんけぇ、もう航海術を学ぶんはこれ限りにしようと思うとります」
晋作は航海の愚痴をこぼすと思い切りため息をつく。
「それはまっこと大変でございましたなあ」
平右衛門は気の毒そうに言うと続けて、
「じゃが婿殿、此度の江戸行きは築地にある軍艦教授所で航海術を学ぶためのものではなかったんか? 航海術の会得は藩命じゃと儂は聞いとったんじゃがのう」
とすっとぼけた様子で晋作に尋ねた。
「義父上の仰られとる通りであります。確かにわしは藩命で航海術を学ぶべく江戸に参りましたが、航海術はわしには全くあいませぬ。じゃけぇ此度の江戸逗留を航海術の会得ではなく、撃剣・文学修行に切り替えるつもりであります。丙辰丸で萩を発つ少し前に柳生新陰流の目録を得たけぇ、藩の上役の方々もきっとお許しになるに違いありますまい」
晋作は失った自信を取り戻すべく、己が得意とする剣術に望みを見出そうとしている。
「そうかそうか。婿殿は意外と諦めが早い性分なのじゃな。もっと気骨のある男じゃち思うとったのじゃが」
平右衛門が笑いながら言う。
「言い方が悪すぎますぞ、義父上」
晋作がむっとした表情になる。
「諦めが早いんではなく、これは向き不向きの話であります。軍艦教授所に入所する前に航海術に向いとらんことが気付けたんは、むしろ不幸中の幸いであったとわしは思うとります。やはりわしには剣術や文学の方が性に合っとるんです。これからは剣術や文学に生きることに決めましたけぇ、これ以上あれこれゆうんは止めて頂けますでしょうか?」
晋作が平右衛門に猛抗議すると、平右衛門は慌てた様子で、
「これは済まなんだ。婿殿のゆうちょる通りじゃ。ちと言い過ぎたわい。この平右衛門の無礼、どうかお許し下され」
と晋作に謝ってきたので、晋作もこれ以上何も言わずに話を切り上げて就寝した。
「萩からの長旅ご苦労じゃったな、婿殿」
部屋に入ってきた晋作に対して平右衛門がにっこり笑いながら声をかけるも、当の晋作は仏頂面のまま一言も喋らない。
「お雅が儂に寄越してくれた文に、此度の航海が旦那様との今生の別れになるやもしれんと書かれとったけぇ、正直心配しとったんじゃ」
平右衛門は不機嫌そうな様子の晋作を気に留めることもなく喋り続ける。
「して丙辰丸での航海は如何でしたかな?」
「如何も何も、それはそれはひどいもんじゃった。波にゆられとる船の上で暮らさねばならんかったけぇ、ずっと船酔いに悩まされとりました」
部屋の座布団に座った晋作が首を横に振りながら平右衛門の問いに答えた。
「それに船の中でやれ航行里数じゃの、やれ地点の経緯度じゃのの航海術を松島殿から教えられとったが、正直ゆうて算術はわしの性には合わんけぇ、もう航海術を学ぶんはこれ限りにしようと思うとります」
晋作は航海の愚痴をこぼすと思い切りため息をつく。
「それはまっこと大変でございましたなあ」
平右衛門は気の毒そうに言うと続けて、
「じゃが婿殿、此度の江戸行きは築地にある軍艦教授所で航海術を学ぶためのものではなかったんか? 航海術の会得は藩命じゃと儂は聞いとったんじゃがのう」
とすっとぼけた様子で晋作に尋ねた。
「義父上の仰られとる通りであります。確かにわしは藩命で航海術を学ぶべく江戸に参りましたが、航海術はわしには全くあいませぬ。じゃけぇ此度の江戸逗留を航海術の会得ではなく、撃剣・文学修行に切り替えるつもりであります。丙辰丸で萩を発つ少し前に柳生新陰流の目録を得たけぇ、藩の上役の方々もきっとお許しになるに違いありますまい」
晋作は失った自信を取り戻すべく、己が得意とする剣術に望みを見出そうとしている。
「そうかそうか。婿殿は意外と諦めが早い性分なのじゃな。もっと気骨のある男じゃち思うとったのじゃが」
平右衛門が笑いながら言う。
「言い方が悪すぎますぞ、義父上」
晋作がむっとした表情になる。
「諦めが早いんではなく、これは向き不向きの話であります。軍艦教授所に入所する前に航海術に向いとらんことが気付けたんは、むしろ不幸中の幸いであったとわしは思うとります。やはりわしには剣術や文学の方が性に合っとるんです。これからは剣術や文学に生きることに決めましたけぇ、これ以上あれこれゆうんは止めて頂けますでしょうか?」
晋作が平右衛門に猛抗議すると、平右衛門は慌てた様子で、
「これは済まなんだ。婿殿のゆうちょる通りじゃ。ちと言い過ぎたわい。この平右衛門の無礼、どうかお許し下され」
と晋作に謝ってきたので、晋作もこれ以上何も言わずに話を切り上げて就寝した。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
お江戸を舞台にスイーツが取り持つ、 ~天狐と隼人の恋道場~
赤井ちひろ
歴史・時代
小さな頃に一膳飯やの隼人に拾われた、みなしご天ちゃん。
天ちゃんと隼人の周りでおこる、幕末を舞台にした恋物語。
土方歳三の初恋・沖田総司の最後の恋・ペリー来航で海の先をみた女性の恋と短編集になってます。
ラストが沖田の最後の恋です。
夢の終わり ~蜀漢の滅亡~
久保カズヤ
歴史・時代
「───────あの空の極みは、何処であろうや」
三国志と呼ばれる、戦国時代を彩った最後の英雄、諸葛亮は五丈原に沈んだ。
蜀漢の皇帝にして、英雄「劉備」の血を継ぐ「劉禅」
最後の英雄「諸葛亮」の志を継いだ「姜維」
── 天下統一
それを志すには、蜀漢はあまりに小さく、弱き国である。
国を、民を背負い、後の世で暗君と呼ばれることになる劉禅。
そして、若き天才として国の期待を一身に受ける事になった姜維。
二人は、沈みゆく祖国の中で、何を思い、何を目指し、何に生きたのか。
志は同じであっても、やがてすれ違い、二人は、離れていく。
これは、そんな、覚めゆく夢を描いた、寂しい、物語。
【 毎日更新 】
【 表紙は hidepp(@JohnnyHidepp) 様に描いていただきました 】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる