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第13章 晋作の婚姻

3 留魂録

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 その頃、松本村の松下村塾の塾舎には、かつての塾生である佐世八十郎や中谷正亮、松浦亀太郎、作間忠三郎、品川弥二郎等が、江戸から届いた寅次郎の遺書である『留魂録』を見るべく集まっていた。
「まだ先生の遺書の中身を見てはいけんのですか? わしは早う中身を見たいんじゃがのう!」
 品川が目の前にある『留魂録』と記された複数枚の半紙を見ながら、いらいらした口調で中谷に突っかかった。
「ならん。先生の遺書の中身を見るのは久坂がここに着いてからじゃ」
 中谷がきっぱりと品川の言を否定する。
「中谷さんがそねーゆわれてからもう一刻は過ぎちょりますけぇ、ええ加減中身を見てもええんじゃないかと思いますが!」
「駄目じゃ! 抜け駆けはならん! 久坂は先生の一番弟子じゃけぇ、その久坂を差し置いて、勝手にわし等だけで中身を見るわけにはいけんのんじゃ!」
 品川は中谷に否定されてもなお早く中身を見ることを主張したため、中谷もより強い口調で品川を諫めた。
「久坂は今や西洋学所の舎長じゃけぇ、蘭語や軍艦の運用術の習得だけでなく、舎の管轄もせねばいけんから、多忙を極めちょるんじゃろうな」
 八十郎が思慮深げな顔で呟くと、品川が突然何かを思い出したらしく、
「あ、そういえば、ここしばらく栄太の姿をずっと見かけんが、誰か栄太の近況について知っとる者はおらんか?」
 と唐突に吉田栄太郎のことについて他の塾生達に尋ねてきた。
「何じゃ、いきなり栄太の話など出してきよって」
 亀太郎が突然話題を変えた品川に対して呆れている。
「栄太は今御用所御内用手子として藩に奉公しちょるみたいじゃぞ。この前栄太に会うたときにそねーゆうとった」
 忠三郎が澄まし顔で品川の質問に答えた。
「そうじゃったのか! 塾に全く顔を出さんから、正直心配しちょったんじゃ!」
 栄太郎の近況について知れた品川が得心していると、塾舎の入口がある土間付近から「がさっ、ごそっ」と物音が聞こえてきた。
「おっ、どうやら久坂が到着したみたいじゃけぇ、出迎えに行くとするかのう」
 八十郎がそそくさと土間へ向かったので、忠三郎や品川、中谷達も後に続いた。





「遅いですよ、久坂さん! わし等はもう待ちくだびれました!」
 塾舎の土間に到着したばかりの久坂と晋作に対して、品川が怒っている。
「遅くなってしもうてすまんのう、弥二。わしもいろいろ忙しかったのじゃ」
 久坂が品川達に詫びた。
「おめぇはここに来よっても問題ないんか? 高杉」
 明倫館の居寮生で、晋作の親族の噂についてもよく耳にすることが多い中谷が晋作に尋ねる。
「おめぇが今回江戸から萩に呼び戻されたんは、江戸で先生と懇意にしとったのを憂いたおめぇの御父上の意向によるものじゃと聞いちょったけぇ、もう村塾には来れんものとわしは思うとったぞ」
 中谷は本当に晋作が大丈夫なのかどうか心配でたまらないようだ。
「中谷さんの御心配には及びませんよ! 父上は父上、わしはわしじゃけぇ、わしはただわしのやりたいようにするだけのことじゃけぇのう……」
 晋作は父上など何するものぞと言わんばかりの勢いで言うつもりであったが、途中言葉ではうまく言い表せないもやもやに襲われて、思わず言葉を濁してしまう。
「本当に大丈夫なのか? 晋作。わしには無理をしちょるように見えるがのう」
 中谷同様晋作の身を案じていた八十郎が尋ねてきた。
「わしは大丈夫ですけぇ、早う先生の遺書を見ましょう。今日皆がここに集まったんは、先生の残した遺書を見るためなのじゃから」
 晋作が強引に話を切り上げると、品川達はそれもそうじゃと言って中に続々と戻っていったので、晋作と久坂も塾舎の中に入った。





 塾舎の中に入った晋作達は、早速寅次郎の遺書である『留魂録』を、一人ずつ順に回し読みしていき、半刻後には全員が寅次郎の遺書を頭から最後まで読み終わっていた。
「志半ばで無念の死を遂げられたにも関わらず、先生は先生なりに折り合いをつけて冥土に旅立たれたんじゃなあ……」
 『留魂録』を読み終えた品川がすすり泣きながら感想を漏らすと、中谷がその通りじゃと言ってうんうんと頷く。
「自身の死ぬ間際に人の一生を四季に例えるとは、まっこと先生らしいのう」
 晋作も『留魂録』を読んで胸を打たれたのか、涙をぽろぽろ流している。
「十歳にして死する者には自ずから十の四季が、二十歳には二十の四季が、三十歳には三十の四季がそれぞれあり、十歳をして短しとするのは、ひぐらし蝉の寿命を霊椿の寿命と比較するのと同じくらい意味のないことであり、百歳をして長しとするのは霊椿の寿命をひぐらし蝉の寿命と比較するのと同じくらい意味のないことである……。斬首される直前にこねーなことを仰られるのは先生ぐらいのものじゃ。先生こそ真の侍っちゅうても過言ではない」
 晋作が亡き師である寅次郎を絶賛すると、今度は忠三郎や亀太郎がそれに同調した。
「評定所での先生の立ち振る舞いも天晴なものじゃ。奉行達の権威に怯むことなく、正々堂々と幕政の非を問いただせるのは、恐らく先生ぐらいのものじゃけぇのう」
 晋作や品川同様、八十郎も『留魂録』に記された寅次郎の生きざまにしみじみと感じ入っている。
「討たれたる吾れをあわれと見ん人は、君を崇めて夷払へよ」
 久坂が『留魂録』の一節を突然言い始めたので、他の塾生達の注目はみな久坂に向いた。
「愚かなる吾れを友とめづ人は、吾が友とめでよ人々。七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ、吾れ忘れめや……先生の遺書のこの最後の三行が、先生が最もわし等に伝えたかったことではないかと、わしには思えてならん」
 久坂は自分なりの推論を述べると続けて、
「じゃけぇわしはこれからより一層、西洋の知識や技芸を少しでも多く学び、異人共を打ち払えるだけの力を得るべく、精進を重ねてゆくつもりじゃ。また先生の思想や生き様をより多くの人々に知ってもらうため、後世に残すために先生がこれまでに書いた手紙や著作を整理、編纂しようとも考えとる。先生の残した遺著は膨大じゃけぇ、皆の力をわしに貸してもらえんかのう?」
 と他の塾生達に寅次郎の遺書の出版に協力するよう求める。
「もちろんじゃ。もちろん力を貸すぞ、久坂。先生の御意思がこの世から失われんようにするのも、わし等塾生の大事な務めじゃけぇのう」
 亀太郎が久坂の提案に同意した。
「亀のゆうちょる通りじゃ。先生の残した書物は金銀以上に価値があるけぇ、絶対にわし等で守り抜いていかねばいけん」
 中谷も久坂の意見に賛同すると、晋作や品川などの他の塾生達も皆こぞって同意する。
「わしはまっこと幸せ者じゃ。寅次郎先生のような人を師と仰ぐことができ、そして志を同じくする塾生がこれだけおるのじゃからな……」
 塾生達の好意に感じ入った久坂が涙ぐみながら呟く。

 
  
 

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