108 / 152
第13章 晋作の婚姻
2 晋作の悲しみ
しおりを挟む
利助達が江戸で寅次郎の亡骸を葬っていたころ、虚ろな顔をした晋作が独り松本川の河原にたたずんでいた。
江戸から萩に戻って数日後に、寅次郎の訃報を伝え聞いた晋作は衝撃と絶望の余り、すっかり無気力状態になってしまっており、毎日松本川の河原に足を運んでは、何をするでもなくただ茫然と川の流れを眺めていた。
この日も晋作は死んだ魚のような目で、穏やかな松本川の流れを眺めている。
「いつ見てもこの川の流れはまっこときれいで穏やかじゃのう。先生が亡くなられたっちゅうのに、何も変わることなくただ海を目指してゆっくりと流れとる……」
力なく笑いながら晋作がぼそりと呟く。
「わしの心もこの松本川と同じように、ずっと不変であり続けられたらええのに……。不変であり続けられれば、きっとこの苦しみ、悲しみから逃れられるはずなのに……」
師を失った心の痛みを晋作が吐露すると、
「不変であり続けられるもんなどこの天下には存在せぬ。人や世は勿論のこと、山野河川さえも例外ではないけぇのう」
と後ろからよく知った声が聞こえてきたので振り返ると、真面目腐った表情をした久坂が突っ立ているのが見えた。
「久坂……」
「こねーな所で何をしちょるんじゃ? 晋作」
久坂が晋作の横に座り込みながら尋ねてくる。
「何って、ただ川を眺めちょるだけじゃ。先生が死んだっちゅう知らせを聞いてからというもの、何もやる気が起きなくてな……。じゃけぇ毎日松本川に足を運んでは、こうしておる次第じゃ」
晋作が暗い声で言うと、久坂は軽く笑って、
「なるほど、そねーな事じゃったか。心配して損したのう」
と一蹴した。
「そねーな事とは一体何じゃ! 先生が亡くなられたんじゃぞ! 卑劣な井伊大老の謀略にかかって、伝馬獄で斬首されたのじゃぞ! なのにおめぇは何とも思わんのか? 悲しみも悔しみも何も感じんのか?」
久坂の言葉に憤慨した晋作が詰るようにして言う。
「わしには先生の死を悲しんじょる暇などない! 蘭語の習得を始めとして、洋式軍艦の仕組みやその運用、西洋砲術、海陸兵制書の翻訳など、いろいろやることがあるけぇ、立ち止まっちょるわけにはいけんのんじゃ!」
久坂は毅然とした態度で晋作の問いに答えると続けて、
「それに西洋の知識や技芸を少しでも多く学び、吸収することが、先生の弔いにもなるし、先生の志を継ぐことにもなるとわしは信じちょる。異人共は今こねーしてる間も、この神州を侵略しようと虎視眈々と狙っておる。じゃけぇその異人共に太刀打ちできるように奴らの知識や技芸を盗み、攘夷を果たせるだけの力を持たにゃあいけんのんじゃ。もしそれが果たせずじまいに終われば、それこそ先生の死を無駄にし、冒涜することになりかねんからのう」
と自身の決意について滔滔と語る。
「流石じゃのう、久坂。かつて先生に防長第一流の人物と評された男は、志からして違うっちゃ」
久坂の話を聞いてもまだ立ち直れずにいた晋作は吐き捨てるようにして言った。
「そうじゃ、わしはちょうど村塾へ行くところじゃけぇ、おめぇも一緒に来るか? 晋作」
久坂は立ち上がって自身の着物についた埃を払うと、ふいに晋作を誘う。
「村塾じゃと? 先生がもうおらん村塾へ行って一体どねーするつもりなのじゃ?」
晋作は怪訝そうな顔をして尋ね返す。
「江戸におる飯田さん達から先生の遺言書が届いたけぇ、それを他の塾生達と供に拝見しようと思うて、今日村塾に集まることになっておるのじゃ。先生が最期に何を残していかれたのか、それを知ることができれば、晋作もきっと何かを掴むことができるはずじゃ」
晋作の質問に答え終えた久坂は急いでいるからこれにて失礼とだけ言い残して、その場を後にしようとすると、
「待っちょくれ! 久坂」
と晋作に呼び止められた。
「わしも一緒に村塾へ行く! 村塾へ行って先生の遺言をこの目で確かめる!」
晋作は久坂の誘いにのることに決意すると、久坂は軽く笑って、
「晋作ならきっとそねーゆうと思うとった。さあ、早う急ごうっちゃ」
と言って足早に河原を後にした。
江戸から萩に戻って数日後に、寅次郎の訃報を伝え聞いた晋作は衝撃と絶望の余り、すっかり無気力状態になってしまっており、毎日松本川の河原に足を運んでは、何をするでもなくただ茫然と川の流れを眺めていた。
この日も晋作は死んだ魚のような目で、穏やかな松本川の流れを眺めている。
「いつ見てもこの川の流れはまっこときれいで穏やかじゃのう。先生が亡くなられたっちゅうのに、何も変わることなくただ海を目指してゆっくりと流れとる……」
力なく笑いながら晋作がぼそりと呟く。
「わしの心もこの松本川と同じように、ずっと不変であり続けられたらええのに……。不変であり続けられれば、きっとこの苦しみ、悲しみから逃れられるはずなのに……」
師を失った心の痛みを晋作が吐露すると、
「不変であり続けられるもんなどこの天下には存在せぬ。人や世は勿論のこと、山野河川さえも例外ではないけぇのう」
と後ろからよく知った声が聞こえてきたので振り返ると、真面目腐った表情をした久坂が突っ立ているのが見えた。
「久坂……」
「こねーな所で何をしちょるんじゃ? 晋作」
久坂が晋作の横に座り込みながら尋ねてくる。
「何って、ただ川を眺めちょるだけじゃ。先生が死んだっちゅう知らせを聞いてからというもの、何もやる気が起きなくてな……。じゃけぇ毎日松本川に足を運んでは、こうしておる次第じゃ」
晋作が暗い声で言うと、久坂は軽く笑って、
「なるほど、そねーな事じゃったか。心配して損したのう」
と一蹴した。
「そねーな事とは一体何じゃ! 先生が亡くなられたんじゃぞ! 卑劣な井伊大老の謀略にかかって、伝馬獄で斬首されたのじゃぞ! なのにおめぇは何とも思わんのか? 悲しみも悔しみも何も感じんのか?」
久坂の言葉に憤慨した晋作が詰るようにして言う。
「わしには先生の死を悲しんじょる暇などない! 蘭語の習得を始めとして、洋式軍艦の仕組みやその運用、西洋砲術、海陸兵制書の翻訳など、いろいろやることがあるけぇ、立ち止まっちょるわけにはいけんのんじゃ!」
久坂は毅然とした態度で晋作の問いに答えると続けて、
「それに西洋の知識や技芸を少しでも多く学び、吸収することが、先生の弔いにもなるし、先生の志を継ぐことにもなるとわしは信じちょる。異人共は今こねーしてる間も、この神州を侵略しようと虎視眈々と狙っておる。じゃけぇその異人共に太刀打ちできるように奴らの知識や技芸を盗み、攘夷を果たせるだけの力を持たにゃあいけんのんじゃ。もしそれが果たせずじまいに終われば、それこそ先生の死を無駄にし、冒涜することになりかねんからのう」
と自身の決意について滔滔と語る。
「流石じゃのう、久坂。かつて先生に防長第一流の人物と評された男は、志からして違うっちゃ」
久坂の話を聞いてもまだ立ち直れずにいた晋作は吐き捨てるようにして言った。
「そうじゃ、わしはちょうど村塾へ行くところじゃけぇ、おめぇも一緒に来るか? 晋作」
久坂は立ち上がって自身の着物についた埃を払うと、ふいに晋作を誘う。
「村塾じゃと? 先生がもうおらん村塾へ行って一体どねーするつもりなのじゃ?」
晋作は怪訝そうな顔をして尋ね返す。
「江戸におる飯田さん達から先生の遺言書が届いたけぇ、それを他の塾生達と供に拝見しようと思うて、今日村塾に集まることになっておるのじゃ。先生が最期に何を残していかれたのか、それを知ることができれば、晋作もきっと何かを掴むことができるはずじゃ」
晋作の質問に答え終えた久坂は急いでいるからこれにて失礼とだけ言い残して、その場を後にしようとすると、
「待っちょくれ! 久坂」
と晋作に呼び止められた。
「わしも一緒に村塾へ行く! 村塾へ行って先生の遺言をこの目で確かめる!」
晋作は久坂の誘いにのることに決意すると、久坂は軽く笑って、
「晋作ならきっとそねーゆうと思うとった。さあ、早う急ごうっちゃ」
と言って足早に河原を後にした。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
天狗の囁き
井上 滋瑛
歴史・時代
幼少の頃より自分にしか聞こえない天狗の声が聞こえた吉川広家。姿見えぬ声に対して、時に従い、時に相談し、時に言い争い、天狗評議と揶揄されながら、偉大な武将であった父吉川元春や叔父の小早川隆景、兄元長の背を追ってきた。時は経ち、慶長五年九月の関ヶ原。主家の当主毛利輝元は甘言に乗り、西軍総大将に担がれてしまう。東軍との勝敗に関わらず、危急存亡の秋を察知した広家は、友である黒田長政を介して東軍総大将徳川家康に内通する。天狗の声に耳を傾けながら、主家の存亡をかけ、不義内通の誹りを恐れず、主家の命運を一身に背負う。

『影武者・粟井義道』
粟井義道
歴史・時代
📜 ジャンル:歴史時代小説 / 戦国 / 武士の生き様
📜 主人公:粟井義道(明智光秀の家臣)
📜 テーマ:忠義と裏切り、武士の誇り、戦乱を生き抜く者の選択
プロローグ:裏切られた忠義
天正十年——本能寺の変。
明智光秀が主君・織田信長を討ち果たしたとき、京の片隅で一人の男が剣を握りしめていた。
粟井義道。
彼は、光秀の家臣でありながら、その野望には賛同しなかった。
「殿……なぜ、信長公を討ったのですか?」
光秀の野望に忠義を尽くすか、それとも己の信念を貫くか——
彼の運命を決める戦いが、今始まろうとしていた。
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

名残雪に虹を待つ
小林一咲
歴史・時代
「虹は一瞬の美しさとともに消えゆくもの、名残雪は過去の余韻を残しながらもいずれ溶けていくもの」
雪の帳が静かに降り、時代の終わりを告げる。
信州松本藩の老侍・片桐早苗衛門は、幕府の影が薄れゆく中、江戸の喧騒を背に故郷へと踵を返した。
変わりゆく町の姿に、武士の魂が風に溶けるのを聴く。松本の雪深い里にたどり着けば、そこには未亡人となったかつての許嫁、お篠が、過ぎし日の幻のように佇んでいた。
二人は雪の丘に記憶を辿る。幼き日に虹を待ち、夢を語ったあの場所で、お篠の声が静かに響く——「まだあの虹を探しているのか」。早苗衛門は答えを飲み込み、過去と現在が雪片のように交錯する中で、自らの影を見失う。
町では新政府の風が吹き荒れ、藩士たちの誇りが軋む。早苗衛門は若者たちの剣音に耳を傾け、最後の役目を模索する。
やがて、幕府残党狩りの刃が早苗衛門を追い詰める。お篠の庇う手を振り切り、彼は名残雪の丘へ向かう——虹を待ったあの場所へ。
雪がやみ、空に淡い光が差し込むとき、追っ手の足音が近づく。
早苗衛門は剣を手に微笑み、お篠は遠くで呟く——「あなたは、まだ虹を待っていたのですね」
名残雪の中に虹がかすかに輝き、侍の魂は静かに最後の舞を舞った。

空母鳳炎奮戦記
ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。
というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

幕府海軍戦艦大和
みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。
ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。
「大和に迎撃させよ!」と命令した。
戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる