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第13章 晋作の婚姻
2 晋作の悲しみ
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利助達が江戸で寅次郎の亡骸を葬っていたころ、虚ろな顔をした晋作が独り松本川の河原にたたずんでいた。
江戸から萩に戻って数日後に、寅次郎の訃報を伝え聞いた晋作は衝撃と絶望の余り、すっかり無気力状態になってしまっており、毎日松本川の河原に足を運んでは、何をするでもなくただ茫然と川の流れを眺めていた。
この日も晋作は死んだ魚のような目で、穏やかな松本川の流れを眺めている。
「いつ見てもこの川の流れはまっこときれいで穏やかじゃのう。先生が亡くなられたっちゅうのに、何も変わることなくただ海を目指してゆっくりと流れとる……」
力なく笑いながら晋作がぼそりと呟く。
「わしの心もこの松本川と同じように、ずっと不変であり続けられたらええのに……。不変であり続けられれば、きっとこの苦しみ、悲しみから逃れられるはずなのに……」
師を失った心の痛みを晋作が吐露すると、
「不変であり続けられるもんなどこの天下には存在せぬ。人や世は勿論のこと、山野河川さえも例外ではないけぇのう」
と後ろからよく知った声が聞こえてきたので振り返ると、真面目腐った表情をした久坂が突っ立ているのが見えた。
「久坂……」
「こねーな所で何をしちょるんじゃ? 晋作」
久坂が晋作の横に座り込みながら尋ねてくる。
「何って、ただ川を眺めちょるだけじゃ。先生が死んだっちゅう知らせを聞いてからというもの、何もやる気が起きなくてな……。じゃけぇ毎日松本川に足を運んでは、こうしておる次第じゃ」
晋作が暗い声で言うと、久坂は軽く笑って、
「なるほど、そねーな事じゃったか。心配して損したのう」
と一蹴した。
「そねーな事とは一体何じゃ! 先生が亡くなられたんじゃぞ! 卑劣な井伊大老の謀略にかかって、伝馬獄で斬首されたのじゃぞ! なのにおめぇは何とも思わんのか? 悲しみも悔しみも何も感じんのか?」
久坂の言葉に憤慨した晋作が詰るようにして言う。
「わしには先生の死を悲しんじょる暇などない! 蘭語の習得を始めとして、洋式軍艦の仕組みやその運用、西洋砲術、海陸兵制書の翻訳など、いろいろやることがあるけぇ、立ち止まっちょるわけにはいけんのんじゃ!」
久坂は毅然とした態度で晋作の問いに答えると続けて、
「それに西洋の知識や技芸を少しでも多く学び、吸収することが、先生の弔いにもなるし、先生の志を継ぐことにもなるとわしは信じちょる。異人共は今こねーしてる間も、この神州を侵略しようと虎視眈々と狙っておる。じゃけぇその異人共に太刀打ちできるように奴らの知識や技芸を盗み、攘夷を果たせるだけの力を持たにゃあいけんのんじゃ。もしそれが果たせずじまいに終われば、それこそ先生の死を無駄にし、冒涜することになりかねんからのう」
と自身の決意について滔滔と語る。
「流石じゃのう、久坂。かつて先生に防長第一流の人物と評された男は、志からして違うっちゃ」
久坂の話を聞いてもまだ立ち直れずにいた晋作は吐き捨てるようにして言った。
「そうじゃ、わしはちょうど村塾へ行くところじゃけぇ、おめぇも一緒に来るか? 晋作」
久坂は立ち上がって自身の着物についた埃を払うと、ふいに晋作を誘う。
「村塾じゃと? 先生がもうおらん村塾へ行って一体どねーするつもりなのじゃ?」
晋作は怪訝そうな顔をして尋ね返す。
「江戸におる飯田さん達から先生の遺言書が届いたけぇ、それを他の塾生達と供に拝見しようと思うて、今日村塾に集まることになっておるのじゃ。先生が最期に何を残していかれたのか、それを知ることができれば、晋作もきっと何かを掴むことができるはずじゃ」
晋作の質問に答え終えた久坂は急いでいるからこれにて失礼とだけ言い残して、その場を後にしようとすると、
「待っちょくれ! 久坂」
と晋作に呼び止められた。
「わしも一緒に村塾へ行く! 村塾へ行って先生の遺言をこの目で確かめる!」
晋作は久坂の誘いにのることに決意すると、久坂は軽く笑って、
「晋作ならきっとそねーゆうと思うとった。さあ、早う急ごうっちゃ」
と言って足早に河原を後にした。
江戸から萩に戻って数日後に、寅次郎の訃報を伝え聞いた晋作は衝撃と絶望の余り、すっかり無気力状態になってしまっており、毎日松本川の河原に足を運んでは、何をするでもなくただ茫然と川の流れを眺めていた。
この日も晋作は死んだ魚のような目で、穏やかな松本川の流れを眺めている。
「いつ見てもこの川の流れはまっこときれいで穏やかじゃのう。先生が亡くなられたっちゅうのに、何も変わることなくただ海を目指してゆっくりと流れとる……」
力なく笑いながら晋作がぼそりと呟く。
「わしの心もこの松本川と同じように、ずっと不変であり続けられたらええのに……。不変であり続けられれば、きっとこの苦しみ、悲しみから逃れられるはずなのに……」
師を失った心の痛みを晋作が吐露すると、
「不変であり続けられるもんなどこの天下には存在せぬ。人や世は勿論のこと、山野河川さえも例外ではないけぇのう」
と後ろからよく知った声が聞こえてきたので振り返ると、真面目腐った表情をした久坂が突っ立ているのが見えた。
「久坂……」
「こねーな所で何をしちょるんじゃ? 晋作」
久坂が晋作の横に座り込みながら尋ねてくる。
「何って、ただ川を眺めちょるだけじゃ。先生が死んだっちゅう知らせを聞いてからというもの、何もやる気が起きなくてな……。じゃけぇ毎日松本川に足を運んでは、こうしておる次第じゃ」
晋作が暗い声で言うと、久坂は軽く笑って、
「なるほど、そねーな事じゃったか。心配して損したのう」
と一蹴した。
「そねーな事とは一体何じゃ! 先生が亡くなられたんじゃぞ! 卑劣な井伊大老の謀略にかかって、伝馬獄で斬首されたのじゃぞ! なのにおめぇは何とも思わんのか? 悲しみも悔しみも何も感じんのか?」
久坂の言葉に憤慨した晋作が詰るようにして言う。
「わしには先生の死を悲しんじょる暇などない! 蘭語の習得を始めとして、洋式軍艦の仕組みやその運用、西洋砲術、海陸兵制書の翻訳など、いろいろやることがあるけぇ、立ち止まっちょるわけにはいけんのんじゃ!」
久坂は毅然とした態度で晋作の問いに答えると続けて、
「それに西洋の知識や技芸を少しでも多く学び、吸収することが、先生の弔いにもなるし、先生の志を継ぐことにもなるとわしは信じちょる。異人共は今こねーしてる間も、この神州を侵略しようと虎視眈々と狙っておる。じゃけぇその異人共に太刀打ちできるように奴らの知識や技芸を盗み、攘夷を果たせるだけの力を持たにゃあいけんのんじゃ。もしそれが果たせずじまいに終われば、それこそ先生の死を無駄にし、冒涜することになりかねんからのう」
と自身の決意について滔滔と語る。
「流石じゃのう、久坂。かつて先生に防長第一流の人物と評された男は、志からして違うっちゃ」
久坂の話を聞いてもまだ立ち直れずにいた晋作は吐き捨てるようにして言った。
「そうじゃ、わしはちょうど村塾へ行くところじゃけぇ、おめぇも一緒に来るか? 晋作」
久坂は立ち上がって自身の着物についた埃を払うと、ふいに晋作を誘う。
「村塾じゃと? 先生がもうおらん村塾へ行って一体どねーするつもりなのじゃ?」
晋作は怪訝そうな顔をして尋ね返す。
「江戸におる飯田さん達から先生の遺言書が届いたけぇ、それを他の塾生達と供に拝見しようと思うて、今日村塾に集まることになっておるのじゃ。先生が最期に何を残していかれたのか、それを知ることができれば、晋作もきっと何かを掴むことができるはずじゃ」
晋作の質問に答え終えた久坂は急いでいるからこれにて失礼とだけ言い残して、その場を後にしようとすると、
「待っちょくれ! 久坂」
と晋作に呼び止められた。
「わしも一緒に村塾へ行く! 村塾へ行って先生の遺言をこの目で確かめる!」
晋作は久坂の誘いにのることに決意すると、久坂は軽く笑って、
「晋作ならきっとそねーゆうと思うとった。さあ、早う急ごうっちゃ」
と言って足早に河原を後にした。
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