上 下
105 / 152
第12章 師の最期

8 寅次郎の審判

しおりを挟む
 晋作が荷造りをしていたころ、評定所にて井伊掃部守達が、寅次郎の裁きをどうするかについて話し合っていた。
「やはり吉田寅次郎も死罪にするのが妥当かと存じまする!」
 町奉行の石谷因幡守穆清が寅次郎の処刑を主張する。
「間部様の誅殺を企んだ者などを生かしておいては、後々幕府の災いになることは火を見るよりも明らか! 橋本左内や頼三樹三郎、飯泉喜内らと同じように伝馬獄にて斬首するのが理に敵うておりまする!」
 石谷は何としてでも寅次郎の首を刎ねなければ気が済まないようだ。
「いくら間部様の誅殺を企てたからと言って、寅次郎を斬首するのは余りにも苛烈過ぎるのではござりませぬか?」
 勘定奉行の池田播磨守頼方が石谷に対して異を唱えると、石谷はむっとした表情になる。
「御定書から申し上げましても、寅次郎は八丈島辺りに遠島するのが妥当であると存じます。それに九月五日及び十月五日の尋問における寅次郎の立ち振る舞いを見る限りでは、奴が本気で幕府に弓を引くつもりだったかどうかさえも疑わしく存じます。確かに間部様の誅殺を企てたことは許されざることではござりまするが、それも国を憂うるが故の暴走、心情的にもここは武士の情けで遠島にするのが肝要ではないでしょうか」
 池田播磨守はあくまでも寅次郎の処刑に反対するつもりのようだ。
「播磨の申すとおりじゃ。寅次郎が儂を亡き者にしようとしたのは私怨ではなく、あくまでも外夷に侵略されんとする国の将来を憂いてのこと、儂も寅次郎は遠島に処すのが妥当だと思う」
 寅次郎の暗殺の標的になった老中の間部下総守も池田播磨守の意見に賛同する。
「そもそも橋本左内や頼三樹三郎、飯泉喜内等を死罪にすること自体儂は反対であった。どんなに重くても遠島か、あるいは重追放程度に留めておくべきであったと今でも思うておる……」
 間部下総守が苦悶の表情を浮かべながら本音をこぼす。
「それは京で先頭きって、在野の志士共を一網打尽にされた方のお言葉とは到底思えませぬなあ、下総殿」
 寺社奉行の松平伯耆守宗秀が間部に毒づく。
「貴方様は御公儀に歯向かった者を一人残らず仕置なさるつもりであったのではござりませぬか? それを今更変節してかような事を申されるとは誠に理解に苦しむ。それならば初めから、京に乗り込んで志士共の粛清などなさらなければよろしかったのではありませぬか?」
 松平伯耆守に図星をつかれた間部はさらに苦しそうな表情になった。
「掃部守様は此度の一件について、如何なさるおつもりで御座いますか?」
 ずっと沈黙している井伊掃部守に対して石谷因幡守が尋ねる。
「下総や播磨の申すとおり、確かに吉田寅次郎を死罪にするのはいささか無情な仕打ちであるな」
 因幡守の問いに対して井伊掃部守が厳格な表情で答えた。
「じゃが今この日本国はエゲレスやフランス、オロシアなどの外夷に狙われて、未曾有の危機に瀕しておるのじゃぞ。奴らからこの国を守りきらねばならぬという時に、国の要である幕府が攘夷浪士や公卿共にいいように振り回されていては、外夷に攻め込まれるよりも前に内から国が崩壊し、かつての戦国乱世の時代に逆戻りすることになるのは自明の理じゃ。そうなればこの国を外夷から守る手立てが完全になくなり、日本国が印度や清国の二の舞になるであろうことは申すまでもない。そのような事態になることを防ぐためには、例えどれだけ憎まれようとも、どれだけ血を流そうとも、幕政を乱す輩は一人残らず極刑に処して断固たる決意を示さなければならぬ。それが幕府の大老であるこの井伊掃部守の務めなのじゃ」
 掃部守が自身の並々ならぬ覚悟のほどを語ると、他の面々はみな俯いて誰も何も言わなくなった。




 井伊掃部守が吉田寅次郎を死罪にすることを正式に決定したのは、この話し合いから十日ほど後のことであった。





しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

お江戸を舞台にスイーツが取り持つ、 ~天狐と隼人の恋道場~

赤井ちひろ
歴史・時代
小さな頃に一膳飯やの隼人に拾われた、みなしご天ちゃん。 天ちゃんと隼人の周りでおこる、幕末を舞台にした恋物語。 土方歳三の初恋・沖田総司の最後の恋・ペリー来航で海の先をみた女性の恋と短編集になってます。 ラストが沖田の最後の恋です。

夢の終わり ~蜀漢の滅亡~

久保カズヤ
歴史・時代
「───────あの空の極みは、何処であろうや」  三国志と呼ばれる、戦国時代を彩った最後の英雄、諸葛亮は五丈原に沈んだ。  蜀漢の皇帝にして、英雄「劉備」の血を継ぐ「劉禅」  最後の英雄「諸葛亮」の志を継いだ「姜維」  ── 天下統一  それを志すには、蜀漢はあまりに小さく、弱き国である。  国を、民を背負い、後の世で暗君と呼ばれることになる劉禅。  そして、若き天才として国の期待を一身に受ける事になった姜維。  二人は、沈みゆく祖国の中で、何を思い、何を目指し、何に生きたのか。  志は同じであっても、やがてすれ違い、二人は、離れていく。  これは、そんな、覚めゆく夢を描いた、寂しい、物語。 【 毎日更新 】 【 表紙は hidepp(@JohnnyHidepp) 様に描いていただきました 】

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

処理中です...