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第12章 師の最期

3 悩める若人

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 数日後、晋作の元に寅次郎から長い文が届いた。
「僕去る冬以来、死の一字に大いに発明あり。死は好むべきものに非ず、また憎むべきものに非ず。道尽き心安んずる、即ちこれ死す所なりか……。さすが寅次郎先生、ゆうちょることの一つ一つがまっこと奥深いのう」
 晋作は寅次郎から届いた長文を貪るようにして読みながら感嘆の声を上げる。
「世に身生きながら心が死する者あり。身亡びても魂が存する者あり。心が死すれば生きていても益無く、魂が存すれば亡びても損無きなり。また一種大才略ある人が辱を忍びて事を為すは妙なり。また一種私欲なく私心なき者が生を愉しむは妨げられず。死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生きるべし。僕が所見にては生死は度外に置いて、唯言うべきことを言うのみ」
 晋作は以前寅次郎に尋ねた死についての返答の部分を一通り読むと文を机の上に置き、深いため息をつく。
「もしわしが今死んだとしても残るものは何もないじゃろう……。かとゆうてこのまま生きとっても何か大業を為せるとも思えん……。それに今のわしは先生の文に書かれちょる通り、身は生きながら心が死する者じゃ。まっこと情けないのう……」
 昌平坂学問所に入所して以降の己の言動や行動を思い起こし、自身を大いに恥じた晋作はしばらくの間うなだれていた。
 そして半刻ほど過ぎた辺りから、少し気を持ち直して再び文の続きを読み始めた。
「貴方以前問いて曰く、何をすれば可ならんかと。まず遊学を済ませ、妻を娶り官に就く等のことをひたすら父母の御心に任すべし。もし君側にお出になるのであれば、深く精忠を尽くして君心を得るべし。然る後に正論正義を主張すべし。この時必ず禍敗を取るなり。禍敗の後、人を謝絶し学を修め、一箇恬退の人となりたまわば、十年の後必ず大忠を立てる日もあらん。極々不幸にても一不朽人となるべし」
 弟子の身を案ずる寅次郎の文は見た目も内容も極めて丁寧そのものであり、荒み切っていた晋作の心をほぐすには十分すぎるぐらいだった。
「先生……」 
 自身の将来や進路について記されている箇所を読んだ晋作は、師の気遣いに感じ入ったのか、目に涙を浮かべて独り呟く。
「僕江戸に来て、墨夷の事大いに見聞して驚き、また密かに喜び、そして惜しむ。英夷かつて阿片交易の事に付き、瘍医を広東へ渡して施療治させ、之を継続させるために引痘を以ってする等苦心す。それ思慮深遠というべし。これに対し墨夷は本牧を以って足らずとし、江戸に来倨し、市中自在に横行す。これ条約等の表にては当然の事には候え共、現実に目撃すれば随分驚き申し候。またそれ人心を懐柔する手段、大いに英夷に劣るというべき事柄なり。これを以って密かに喜び申し候。しかし墨夷の所為市中の人心を失えども、又数十年無事ならば人心自ずから帖服すべし。豈に惜しからずや。幕府初めは墨夷をして諸夷を制し、諸侯を抑えんと欲すれども、今は何となく悔悟の色あり。悔悟すれども懲らしめの奇策なければ皆共に亡ぶるより他なし。ここに至りて正義を以って幕府を責めるは宜しからずと雖も、上策は井伊・間部等の所は誠実に忠告するに如かず。中策は隠然として自国を富強して、いつにても幕府の依頼となる如く心懸けるべし。今藩政府、幕府への嫌忌と見えて杉蔵等が獄さえ免ぜず、遊学生も容易には出さず、さながら事機を失うは残念なり。責めては中策にても出たせかし」
 寅次郎の幕政及び藩政に関する意見の部分も読み終えた晋作は意を決したような顔をすると、萩から持参した袋の中から『海国図誌』を取り出し、何かに取りつかれたかの如く熱心に読み始めた。
 
 
 

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