90 / 152
第11章 至誠にして動かざるは未だこれ非ざるなり
1 非情な通達
しおりを挟む
安政六(一八五九)年四月。
長州藩主の毛利慶親は江戸桜田にある藩邸にて、家老の益田右衛門介や周布政之助、昨年十月に直目付に就任したばかりの長井雅樂等とともに、幕府から命じられた寅次郎の江戸召還についてどうするかを話し合っていた。
「ここは素直に幕府の命に従って、寅次郎を江戸に送るべきかと存じちょります......」
家老の益田は寅次郎を引き渡すべき旨を口にするも、何か思う所があるのか、表情に苦渋の色が見てとれる。
「もしここで寅次郎を庇い立てしようものなら、却ってあらぬ疑いを招くことになりかねませぬ。断腸の思いではありますが、寅次郎の身柄をこのまま幕府に差し出すのが妥当じゃと儂は思うちょります......」
益田は自分の本心を殺しながら寅次郎の江戸送還を主張した。
「お待ち下され、益田様!」
周布が益田に異議を申し立てる。
「寅次郎を幕府に引き渡す必要は御座いませぬ! 野山獄内で病死したことにして墓を作った上で、当の本人を櫃島辺りに流せばそれで事足りまする! 横暴な掃部頭はいずれ失脚するけぇ、それまで寅次郎の生存を隠し通せさえすれば、きっと状況も変わっておりましょう!」
何としてでも寅次郎を守りたい周布は必死になって寅次郎の江戸送還を阻止しようとした。
「お言葉ですが、周布殿」
長井が澄まし顔で周布に話しかける。
「貴方はそれで本当に幕府の、掃部頭様の目を誤魔化すことができると思っておられるので御座いまするか? 鼠一匹の謀反も許さぬ掃部頭様のこと、きっと寅次郎の墓を暴いて、死体を確認させるための役人を藩内に差し向けてくるじゃろう。もしその時に寅次郎の墓が空であることが判明すれば、我が殿も水戸や越前、尾張、宇和島、土佐の二の舞になるのは必定。そねー危険な賭けに我が殿を、この長州を巻き込むなど持っての他でございます」
慶親や藩への忠義心だけでなく、幕府への忠義心も厚かった長井は徹底的に周布の意見を批判した。
「ならば寅次郎と歳も背格好も近い男の死体を探し出して代わりに埋葬すれば、それで済む話ではござりませぬか? この防長二ヶ国から寅次郎に似た男の死体を探し出すんはそねー難しい話ではござりますまい!」
周布は長井に批判されてもなお自説を曲げようとしない。
「仮に寅次郎と似た男の死体を見つけ出せたとしても、幕府の目を欺き続けることが難しいことには変わりない。偽の墓作りに関わった者の中から、うっかり者が出たらそれで終いじゃからな。緘口を徹底したとしてもばれるときはばれるものじゃけぇ、益田様の仰られちょる通り、寅次郎を幕府に引き渡す以外の手立てはないっちゃ」
しつこく食い下がる周布に対し、長井は突き放したような物言いで答えた。
「殿、如何なされるおつもりでごさいますか?」
一言も口をきかぬ慶親に対して益田が恐る恐る問いかける。
問いかけられた慶親はしばらく目を瞑って黙ったままであったが、やがて重い口を開き、
「ここは益田や長井の申す通り、寅次郎を幕府に引き渡すことにする。長井は小倉源右衛門と供に急ぎ萩へ戻り、そのことを寅次郎に知らせるのじゃ」
と寅次郎を江戸に送還することに決定した。
「殿……そんな……そねーなことが……」
慶親の決定に絶望した周布は言葉もまともに発することもできなくなる。
「周布よ、お主の気持ちもよう分かるがここは黙って耐えるのじゃ。今の長州に幕府と真っ向から戦って勝てるほどの力などないけぇ、こねーするより他ないのじゃ」
慶親は悔しそうな表情を浮かべながら周布を慰めた。
長州藩主の毛利慶親は江戸桜田にある藩邸にて、家老の益田右衛門介や周布政之助、昨年十月に直目付に就任したばかりの長井雅樂等とともに、幕府から命じられた寅次郎の江戸召還についてどうするかを話し合っていた。
「ここは素直に幕府の命に従って、寅次郎を江戸に送るべきかと存じちょります......」
家老の益田は寅次郎を引き渡すべき旨を口にするも、何か思う所があるのか、表情に苦渋の色が見てとれる。
「もしここで寅次郎を庇い立てしようものなら、却ってあらぬ疑いを招くことになりかねませぬ。断腸の思いではありますが、寅次郎の身柄をこのまま幕府に差し出すのが妥当じゃと儂は思うちょります......」
益田は自分の本心を殺しながら寅次郎の江戸送還を主張した。
「お待ち下され、益田様!」
周布が益田に異議を申し立てる。
「寅次郎を幕府に引き渡す必要は御座いませぬ! 野山獄内で病死したことにして墓を作った上で、当の本人を櫃島辺りに流せばそれで事足りまする! 横暴な掃部頭はいずれ失脚するけぇ、それまで寅次郎の生存を隠し通せさえすれば、きっと状況も変わっておりましょう!」
何としてでも寅次郎を守りたい周布は必死になって寅次郎の江戸送還を阻止しようとした。
「お言葉ですが、周布殿」
長井が澄まし顔で周布に話しかける。
「貴方はそれで本当に幕府の、掃部頭様の目を誤魔化すことができると思っておられるので御座いまするか? 鼠一匹の謀反も許さぬ掃部頭様のこと、きっと寅次郎の墓を暴いて、死体を確認させるための役人を藩内に差し向けてくるじゃろう。もしその時に寅次郎の墓が空であることが判明すれば、我が殿も水戸や越前、尾張、宇和島、土佐の二の舞になるのは必定。そねー危険な賭けに我が殿を、この長州を巻き込むなど持っての他でございます」
慶親や藩への忠義心だけでなく、幕府への忠義心も厚かった長井は徹底的に周布の意見を批判した。
「ならば寅次郎と歳も背格好も近い男の死体を探し出して代わりに埋葬すれば、それで済む話ではござりませぬか? この防長二ヶ国から寅次郎に似た男の死体を探し出すんはそねー難しい話ではござりますまい!」
周布は長井に批判されてもなお自説を曲げようとしない。
「仮に寅次郎と似た男の死体を見つけ出せたとしても、幕府の目を欺き続けることが難しいことには変わりない。偽の墓作りに関わった者の中から、うっかり者が出たらそれで終いじゃからな。緘口を徹底したとしてもばれるときはばれるものじゃけぇ、益田様の仰られちょる通り、寅次郎を幕府に引き渡す以外の手立てはないっちゃ」
しつこく食い下がる周布に対し、長井は突き放したような物言いで答えた。
「殿、如何なされるおつもりでごさいますか?」
一言も口をきかぬ慶親に対して益田が恐る恐る問いかける。
問いかけられた慶親はしばらく目を瞑って黙ったままであったが、やがて重い口を開き、
「ここは益田や長井の申す通り、寅次郎を幕府に引き渡すことにする。長井は小倉源右衛門と供に急ぎ萩へ戻り、そのことを寅次郎に知らせるのじゃ」
と寅次郎を江戸に送還することに決定した。
「殿……そんな……そねーなことが……」
慶親の決定に絶望した周布は言葉もまともに発することもできなくなる。
「周布よ、お主の気持ちもよう分かるがここは黙って耐えるのじゃ。今の長州に幕府と真っ向から戦って勝てるほどの力などないけぇ、こねーするより他ないのじゃ」
慶親は悔しそうな表情を浮かべながら周布を慰めた。
1
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
黄金の檻の高貴な囚人
せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。
ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。
仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。
ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。
※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129
※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません
https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html
※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる