上 下
88 / 152
第10章 暴走の果てに

7 草莽崛起論

しおりを挟む
 一方、頼みの伏見要駕策が失敗に終わったことを野山獄内で知った寅次郎は、今度は草莽崛起論を唱えるようになっていた。
 草莽崛起論は在野の尊攘の志士達が立ち上がることを期待した策であり、本来なら村塾の塾生達がその草莽になるはずであったが、既にほとんどの塾生達が寅次郎から離れていったため、もはや自身だけしか草莽の志士はいないと、この時の寅次郎は固く信じて疑わなかった
「今度は何を考えちょられるのでしょうか、先生?」
 寅次郎がいる室の前に姿を現した久子が心配そうに尋ねる。
「ちょうど今草莽崛起の策をまとめちょる所じゃ! 間部暗殺も伏見要駕策も潰えた今となっては、これが最後の頼み綱なのじゃ!」
 寅次郎は半紙に草莽崛起論の内容を熱心に記しながら答えると続けて、
「贅沢な暮らしに毒され、柔弱な婦女のような者ばかりになってしまった徳川幕府など、もはや相手にする価値はない! また幕府の顔色ばかりを窺って、ひたすら幕府に媚びへつらっちょる諸侯も幕府同様不要の存在じゃ!」
 と草莽崛起論の概要について説明し始めた。
「それだけではないっちゃ! 外夷を近づけては神国の穢れと申すばかりで、大昔の時のような雄大な計略もなく、ただひたすら権力にばかり執着しちょる公卿も、最早この国には不要じゃ! 僕の帝への忠義を理解しようともせず、邪魔ばかりしてくる我が藩も、そして僕の教えを微塵も分かっちょらんかった塾生達ももう要らん! この六尺ばかりの我が身さえあれば、全ては事足りるのじゃ!」
 寅次郎は草莽崛起論の概要について説明し終えると、今度は机の上に置いてあった『那波列翁伝』を手に持って、
「これを見んさい! これは長崎で手に入れたナポレオンの伝記じゃ! ナポレオンはコルシカの一将校から這い上がって、最終的には帝にまで昇りつめた稀代の英傑なのじゃ! 彼はエゲレスやオーストリアなどの列強の包囲を打ち破っただけでなく、逆にイュウロッパ全土をほぼその手中に収めた、まさに模範とすべき偉大な男じゃ! 今こそ僕がナポレオンとなって、この国を変えてみせちゃるけぇのう!」
 と言って盛んに息巻いている。
「そねーおっしゃられても、今の先生にできることは何もないのではありませぬか?」
 草莽崛起論の概要を聴いた久子は半ば呆れ気味でいた。
「先生はこの野山獄から一歩たりとも外に出ることはできぬ身であり、村塾の塾生達のほとんどが先生から離れて協力者もいない今、先生が何を申されようとそれは机上の空論でしかないと存じちょります」
 久子は正論を寅次郎に叩きつける。
「いい加減目を覚ましてくださいませ。死に急ぐ先生のお姿など、私はもう見たくありませぬ」
 悲しみのあまり、久子がすすき泣き始めた。
「そねー悲しまれるな、高須殿」
 泣いている久子に対し寅次郎は優しく語り掛ける。
「僕が仮に志半ばで死ぬこととなったとしても、それは決して無駄な死などではござりませぬ。僕の死が切っ掛けとなって僕の志を、いんや思いを受け継ぐ者がおる限り、そしてその受け継いだ者が世をかえようと立ち上がり続ける限り、僕の志は永久に残り続けるのであります。一番大事なのは時勢が来るのを待つことではなく、時勢を自ら作り出していくこと。僕はそれを証明するために、この草莽崛起論を実践に移そうと考えちょるのであります」
 寅次郎は諭すような口調で言うと、久子は涙を拭いながら、
「分かりました、先生がそこまで考えちょられるのならば、私はもう何も申しませぬ。どうかご無事で」
 と言い残して自分の室へと戻っていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

色は変わらず花は咲きけり〜平城太上天皇の変

Tempp
歴史・時代
奈良の都には梅が咲き誇っていた。 藤原薬子は小さい頃、兄に会いに遊びに来る安殿親王のことが好きだった。当時の安殿親王は皇族と言えども身分は低く、薬子にとっても兄の友人という身近な存在で。けれども安殿親王が太子となり、薬子の父が暗殺されてその後ろ盾を失った時、2人の間には身分の差が大きく隔たっていた。 血筋こそが物を言う貴族の世、権謀術数と怨念が渦巻き血で血を洗う都の内で薬子と安殿親王(後の平城天皇)が再び出会い、乱を起こすまでの話。 注:権謀術数と祟りと政治とちょっと禁断の恋的配分で、壬申の乱から平安京遷都が落ち着くまでの歴史群像劇です。 // 故里となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり (小さな頃、故郷の平城の都で見た花は今も変わらず美しく咲いているのですね) 『古今和歌集』奈良のみかど

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

小沢機動部隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。 名は小沢治三郎。 年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。 ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。 毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。 楽しんで頂ければ幸いです!

忠義の方法

春想亭 桜木春緒
歴史・時代
冬木丈次郎は二十歳。うらなりと評判の頼りないひよっこ与力。ある日、旗本の屋敷で娘が死んだが、屋敷のほうで理由も言わないから調べてくれという訴えがあった。短編。完結済。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

処理中です...