幕末群狼伝~時代を駆け抜けた若き長州侍たち

KASPIAN

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第10章 暴走の果てに

5 伏見要駕策

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 藩から追っ手を差し向けられたことも、兄が岩倉獄に入牢となったこともまだ知らない和作は、萩を出てから二十日目にして、ようやく伏見にたどり着いた。
 伏見では大原卿と兼ねてから懇意の仲であり、寅次郎に伏見要駕策を提案した播磨浪人の大高又二郎と備中浪人の平島武二郎が和作を出迎えて、供に大原卿に伏見要駕策を説くこととなった。
「我らのためにわざわざ萩から来て下さったこと、心より感謝申し上げる」
 和作と供に御所近くにある大原卿の屋敷を目指す途上、武二郎が礼を言った。
「我らの師であった雲浜先生が幕府に捕らえられたのを機に、頼三樹三郎殿や池田大学殿、三国大学殿など有志の者達が次々と捕らえられて、尊王攘夷の火がまさに消えかけている時に野村殿が来て下さり、まこと心強く存じまする」
 間部下総守が京で志士達の弾圧を始めて以降、ずっと肩身の狭い思いをしていた武二郎はうれしさで胸いっぱいだ。
「そねー感謝して頂けるとは、わしもうれしい限りであります!」
 和作は武二郎にお礼を言われて満更でもない様子でいる。
「本当はわしだけでなく、他にも何人かおるはずじゃったのじゃが、いろいろありましてな……」
 兄の杉蔵や、伏見要駕策に反対した塾生達の説得に失敗したことを思い出してしまった和作は、途中で言葉に詰まってしまった。
「いろいろとは、一体?」
 又二郎が不思議そうな顔をして尋ねる。
「いんや、何でもござりませぬ! わし一人で十人分の働きをしてみせますけぇ、どうか大船に乗ったつもりでおって下され」
 気を取り直そうとした和作は無理に笑おうとしたせいで、どこかぎこちない笑顔となった。
「なるほど、それは頼もしい限りじゃ。では早う大原卿の元へ参りましょう。きっと大原卿も我々が来るのを首を長くして待っておられるゆえ」
 又二郎達は大原卿の屋敷へ向かう足どりを早めた。





 あれこれ話しているうちに三人は大原卿の屋敷へとたどり着き、和作は大原卿こと大原重徳に対面することとなった。
「お初にお目にかかります。わしは長州浪人の野村和作であります。本日は吉田寅次郎の命でこちらに参りました」
 和作は又二郎らと供に平身低頭しながら大原卿にあいさつをする。
「面をあげなはれ。野村はん」
 大原卿は流暢な京言葉で和作に話しかけた。
「風の噂で吉田寅次郎は今、藩内の獄に幽閉されていると耳にしはりやすが、それはまことのことであらしゃいますやろか?」
 大原卿が和作に尋ねると、和作はやんごとなき人に声をかけられた緊張からか、
「ま、まことのことであります。それ故わ、わしが代わりに参った次第であります」
 と言葉につっかえながら質問に答えた。
「本日野村殿が参ったのは他でもない、伏見要駕策について大原卿にお話しするためでございます」
 緊張してうまく喋れない和作に代わって、又二郎が平身低頭したままの状態で要件を話す。
「ほう、さよですかぁ。してそれは如何なる策にあらしゃいますか?」
 大原卿は興味津々な様子で和作達に尋ねる。
「江戸に参勤途上にある我が殿を伏見で足止めした上で、大原卿と引き合わせ、そして大原卿と供に帝のおわす御所に参内させて、幕府の失政を正す勅を出させるっちゅう策であります! 水戸に出された密勅が井伊の赤鬼によって骨抜きにされ、志ある者達が次々と捕らえられちょる現状を打開するには、我が長州の兵力と大原卿のお力を持って幕府を正すより他にないとわしは存じちょります! どうかどうか、我らに大原卿のお力を貸してはもらえんでしょうか?」
 先程の緊張はどこへやら、気を持ち直した和作は理路整然と伏見要駕策について説明した。
「なるほどなるほど。野村はん方はなかなかええ策を考えつきはりましたなあ。公卿の一人としてうれしい限りですさかいに」
 大原卿は上機嫌な様子で言うと、今度は残念そうな表情をして、
「ただ、野村はん方のお力になることは難しゅうございますやろなあ。水戸の密勅降下に関わりはった近衛様や鷹司様、青蓮院宮様などが幕府の圧力で動きを封じられ、さらにそれを受けた帝が、必ず元の鎖国にもどすとゆわれはる間部下総守の言葉に耳を傾けて、条約調印のことはとりあえず不問にすると決めはられた以上、下手なことはできまへん。もし無理に帝に勅を出させようものなら、かえって我らが帝の不興を被ることにならしゃいますやろ」
 と和作達の頼みを断った。
「お待ちください! どうかそねーなことを仰られずにわし等に力をどうかお貸しください! 我々にはもう大原卿しか頼れるお方がおらんのです!」
 大原卿の言葉に納得のいかない和作がしつこく食い下がる。
「野村殿の申される通りです! 今我々が動かねば、この国は井伊の赤鬼達によって滅ぶこととなりましょうぞ!」
 又二郎達もなんとかして大原卿を心変わりさせようとした。
「気持ちは分かりやすがこればかりはどうにもなりまへん。兵を起こすには今はまだ時期尚早、どうか堪えておくれやす」
 和作達の懸命の説得も空しく、大原卿の心が変わることは決してなかった。





 こうして寅次郎の伏見要駕策は失敗に終わり、協力者であった和作もまもなく藩の役人に捕らえられて萩に送り返された後、兄と同じく岩倉獄に入牢することとなった。



  
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