上 下
86 / 152
第10章 暴走の果てに

5 伏見要駕策

しおりを挟む
 藩から追っ手を差し向けられたことも、兄が岩倉獄に入牢となったこともまだ知らない和作は、萩を出てから二十日目にして、ようやく伏見にたどり着いた。
 伏見では大原卿と兼ねてから懇意の仲であり、寅次郎に伏見要駕策を提案した播磨浪人の大高又二郎と備中浪人の平島武二郎が和作を出迎えて、供に大原卿に伏見要駕策を説くこととなった。
「我らのためにわざわざ萩から来て下さったこと、心より感謝申し上げる」
 和作と供に御所近くにある大原卿の屋敷を目指す途上、武二郎が礼を言った。
「我らの師であった雲浜先生が幕府に捕らえられたのを機に、頼三樹三郎殿や池田大学殿、三国大学殿など有志の者達が次々と捕らえられて、尊王攘夷の火がまさに消えかけている時に野村殿が来て下さり、まこと心強く存じまする」
 間部下総守が京で志士達の弾圧を始めて以降、ずっと肩身の狭い思いをしていた武二郎はうれしさで胸いっぱいだ。
「そねー感謝して頂けるとは、わしもうれしい限りであります!」
 和作は武二郎にお礼を言われて満更でもない様子でいる。
「本当はわしだけでなく、他にも何人かおるはずじゃったのじゃが、いろいろありましてな……」
 兄の杉蔵や、伏見要駕策に反対した塾生達の説得に失敗したことを思い出してしまった和作は、途中で言葉に詰まってしまった。
「いろいろとは、一体?」
 又二郎が不思議そうな顔をして尋ねる。
「いんや、何でもござりませぬ! わし一人で十人分の働きをしてみせますけぇ、どうか大船に乗ったつもりでおって下され」
 気を取り直そうとした和作は無理に笑おうとしたせいで、どこかぎこちない笑顔となった。
「なるほど、それは頼もしい限りじゃ。では早う大原卿の元へ参りましょう。きっと大原卿も我々が来るのを首を長くして待っておられるゆえ」
 又二郎達は大原卿の屋敷へ向かう足どりを早めた。





 あれこれ話しているうちに三人は大原卿の屋敷へとたどり着き、和作は大原卿こと大原重徳に対面することとなった。
「お初にお目にかかります。わしは長州浪人の野村和作であります。本日は吉田寅次郎の命でこちらに参りました」
 和作は又二郎らと供に平身低頭しながら大原卿にあいさつをする。
「面をあげなはれ。野村はん」
 大原卿は流暢な京言葉で和作に話しかけた。
「風の噂で吉田寅次郎は今、藩内の獄に幽閉されていると耳にしはりやすが、それはまことのことであらしゃいますやろか?」
 大原卿が和作に尋ねると、和作はやんごとなき人に声をかけられた緊張からか、
「ま、まことのことであります。それ故わ、わしが代わりに参った次第であります」
 と言葉につっかえながら質問に答えた。
「本日野村殿が参ったのは他でもない、伏見要駕策について大原卿にお話しするためでございます」
 緊張してうまく喋れない和作に代わって、又二郎が平身低頭したままの状態で要件を話す。
「ほう、さよですかぁ。してそれは如何なる策にあらしゃいますか?」
 大原卿は興味津々な様子で和作達に尋ねる。
「江戸に参勤途上にある我が殿を伏見で足止めした上で、大原卿と引き合わせ、そして大原卿と供に帝のおわす御所に参内させて、幕府の失政を正す勅を出させるっちゅう策であります! 水戸に出された密勅が井伊の赤鬼によって骨抜きにされ、志ある者達が次々と捕らえられちょる現状を打開するには、我が長州の兵力と大原卿のお力を持って幕府を正すより他にないとわしは存じちょります! どうかどうか、我らに大原卿のお力を貸してはもらえんでしょうか?」
 先程の緊張はどこへやら、気を持ち直した和作は理路整然と伏見要駕策について説明した。
「なるほどなるほど。野村はん方はなかなかええ策を考えつきはりましたなあ。公卿の一人としてうれしい限りですさかいに」
 大原卿は上機嫌な様子で言うと、今度は残念そうな表情をして、
「ただ、野村はん方のお力になることは難しゅうございますやろなあ。水戸の密勅降下に関わりはった近衛様や鷹司様、青蓮院宮様などが幕府の圧力で動きを封じられ、さらにそれを受けた帝が、必ず元の鎖国にもどすとゆわれはる間部下総守の言葉に耳を傾けて、条約調印のことはとりあえず不問にすると決めはられた以上、下手なことはできまへん。もし無理に帝に勅を出させようものなら、かえって我らが帝の不興を被ることにならしゃいますやろ」
 と和作達の頼みを断った。
「お待ちください! どうかそねーなことを仰られずにわし等に力をどうかお貸しください! 我々にはもう大原卿しか頼れるお方がおらんのです!」
 大原卿の言葉に納得のいかない和作がしつこく食い下がる。
「野村殿の申される通りです! 今我々が動かねば、この国は井伊の赤鬼達によって滅ぶこととなりましょうぞ!」
 又二郎達もなんとかして大原卿を心変わりさせようとした。
「気持ちは分かりやすがこればかりはどうにもなりまへん。兵を起こすには今はまだ時期尚早、どうか堪えておくれやす」
 和作達の懸命の説得も空しく、大原卿の心が変わることは決してなかった。





 こうして寅次郎の伏見要駕策は失敗に終わり、協力者であった和作もまもなく藩の役人に捕らえられて萩に送り返された後、兄と同じく岩倉獄に入牢することとなった。



  
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~

裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか ――― 将軍?捨て子? 貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。 その暮らしは長く続かない。兄の不審死。 呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。 次第に明らかになる不審死の謎。 運命に導かれるようになりあがる吉宗。 将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。 ※※ 暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。 低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。 民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。 徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。 本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。 数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。 本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか…… 突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。 そして御三家を模倣した御三卿を作る。 決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。 彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。 そして独自の政策や改革を断行した。 いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。 破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。 おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。 その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。 本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

小沢機動部隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。 名は小沢治三郎。 年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。 ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。 毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。 楽しんで頂ければ幸いです!

後悔と快感の中で

なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私 快感に溺れてしまってる私 なつきの体験談かも知れないです もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう もっと後悔して もっと溺れてしまうかも ※感想を聞かせてもらえたらうれしいです

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

処理中です...