71 / 152
第8章 江戸へ
7 日米修好通商条約の調印
しおりを挟む
井伊掃部頭直弼は大老に就任した後、孝明天皇の勅許を得ることを目的に大名たちに条約調印についての意見を問い、そしてそれを実行に移すための時間を稼ぐために、条約調印の延期をハリスに申し出て三月ばかりの猶予を得ていた。
この日直弼は堀田備中守を始めとした幕閣の面々を、評定所に呼び寄せて、条約調印のさらなる延期の是非について問いただしていた。
「清国がエゲレスとフランスに敗北を喫した今、もはや悠長にはしておられませぬ! 早うメリケンと条約を結ばねばこの日本国は第二の清国となりまするぞ!」
ハリスから清国が戦に敗れて、天津で屈辱的な内容の条約を結ばされた事実を知らされた岩瀬肥後守は、早期の条約調印を断固として主張する。
「肥後殿の申す通りでございます。我々がこのまま手をこまねいていたら、エゲレスやフランスの艦隊に攻め込まれるやもしれませぬぞ」
井上信濃守も岩瀬肥後守の考えに同調した。
「お主らの言い分にも理はあるが、帝からの勅許が得られぬ限り条約の調印に踏み切ることはできぬ。帝のご意向は絶対であり、決して無下にはできんからの。なればこそ再度大名たちに条約調印の是非を問い、そして調印すべきという意見が過半数になったときに、再度帝に勅許を打診するのが一番の方策と儂は心得ておる。そのためにはさらなる条約調印の延期が必要不可欠なのじゃ」
あくまでも帝を重んじる姿勢を貫き通したい直弼は岩瀬達の意見を否定する。
「そうは申されましても、果たして帝が攘夷からお考えを変えなさるかどうか、分かったものではございませぬぞ」
堀田備中守は口を挟むと続けて、
「帝の周りは九条関白を事実上失脚に追い込んだ攘夷派の公卿ばかりで固められており、奴らを退けぬ限り帝から勅許を得ることなど夢のまた夢でござりまする。掃部頭様はその事をご存じござりませぬか?」
と直弼に質問を投げかけた。
「お主に言われずともすでに知っておるわ、このたわけめ」
直弼は吐き捨てるようにして言った。京都で勅許を得ることに失敗したことで堀田備中守は直弼から疎んじられていた。
「でしたら猶更ではござりませぬか! 帝や攘夷派の公卿共の顔色ばかりを窺って、条約調印の時期を逸するようなことになれば、幕府も朝廷も立ちゆかなくなりまするぞ。それにメリケンとて今は条約調印の延期に応じておりますが、いつしびれを切らして艦隊を差し向けてくるか分かったものではござりませぬ! 掃部頭様が迅速にご決断下さらねば、この日本国は滅亡致しまするぞ!」
岩瀬肥後守が直弼に噛みつく。
「それもよう分かっておる。もし勅許を得られぬまま条約調印の期日を迎え、さらなる延期も不可能となったならば、その時は幕府の威を持って強引にでも調印に踏み切るより他はあるまい。じゃがそれは本当にやむを得ない場合の最終手段じゃ。今はなるべく条約調印の延期の交渉をして、勅許を得るための時を稼ぐために尽力する。それで異存はないか? 肥後守」
直弼が岩瀬を宥める。
「……異存ござりませぬ。やむを得ない事態になった暁には、我々の判断で条約の調印を致す所存ゆえ、くれぐれもお忘れなきようお願い申し上げまする」
岩瀬はまだ不服そうな様子ではあったが直弼の考えに同意した。
江戸城で行われた討議の翌日、井伊掃部頭は条約交渉の談判委員であったことを理由に、岩瀬肥後守と井上信濃守を条約調印の全権委員に命じた。
全権委員に命じられた岩瀬肥後守と井上信濃守は品川沖で汽船に乗り、神奈川の小柴沖に停泊しているポーハタン号のハリスの元へと向かっていた。
「やはり誰が何と申そうが、儂は今日メリケンとの条約調印に踏み切るつもりじゃ。期日までまだ一月あるがそんなものは関係ない。さらなる延期の交渉など持っての他じゃ。掃部頭様はこの日本国を取り巻く事態を分かっておられぬのじゃ」
汽船の上で海を見つめながら岩瀬肥後守は直弼の意向に逆らう決意を固めた。
「その通りじゃ。条約調印の勅許を待っておる間に、エゲレスやフランスに攻め込まれたらそれで一巻の終わりじゃ。今が条約を調印する最後の好機なのじゃ」
岩瀬肥後守と一緒に海を見ていた井上信濃守はそのまま続けて、
「じゃがもし勅許を得ぬまま条約調印に踏み切れば、幕府は真っ向から朝廷と対立することになるじゃろうな……。そして我々も掃部頭様によってお役を解かれることになる……」
と苦悶の表情を見せた。
「信濃殿、掃部頭様の意向に従おうが従うまいが、我々はどのみちお役を解かれることになりまするぞ」
岩瀬肥後守がずばり指摘する。
「掃部頭様は紀州の徳川慶福公を将軍の継嗣にするつもりでおるのに対し、我々は一橋公を将軍の継嗣にすることを望む一派に属しておる故、遅かれ早かれお役を解かれる定めにございまする。信濃殿の兄上である川路左衛門尉殿も、一橋公を将軍の継嗣にするお考えであったために掃部頭様にお役を解かれ、西の丸へ左遷され申した。それに掃部頭様は元々西洋の学問も、そしてそれに通じている我々のような者も蛇蝎の如く嫌っておられる。我々の命運は掃部頭様が大老になったときに既に決まっておったのだ……」
岩瀬肥後守はどこか諦観めいた口調で語ると、
「なればこそお役についている間に条約の調印に踏み切らねばならんのじゃ。儂はこの日本国が異人共に踏み荒らされる様など見とうない。例え勅許がないまま条約を調印したことで、朝廷を敵に回すことになったとしても、我々の手で必ずやこの日本国を奴らの魔の手から守りましょうぞ」
と井上信濃守に協力を要請した。
「分かり申した。儂も肥後殿と運命を共に致しましょうぞ」
井上信濃守もついに覚悟を固めたようだ。
安政五年六月十九日、ポーハタン号上においてハリスとこの二人の全権委員との間で、日米修好通商条約が調印された。
この条約で函館・神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港や、開港地におけるアメリカ領事の常駐とその他アメリカ人の居留、アメリカ公使の江戸常駐、江戸・大阪の開市、阿片の輸入の厳禁、領事裁判権の承認、日本通貨(金貨・銀貨)とアメリカ通貨(金貨・銀貨)の同種同量による交換、関税のうち輸入税を二十%(一部例外を除く)、輸出税を五%に設定することなどが取り決められた。
また岩瀬達はアメリカと条約を締結してから数か月の間に、イギリスやフランス、ロシア、オランダといった他の西洋諸国とも同じ内容の条約を結んだ。
これにより日本はアメリカと正式に通商関係を結ぶこととなったと同時に、名実ともに完全なる形で開国することになった。
この日直弼は堀田備中守を始めとした幕閣の面々を、評定所に呼び寄せて、条約調印のさらなる延期の是非について問いただしていた。
「清国がエゲレスとフランスに敗北を喫した今、もはや悠長にはしておられませぬ! 早うメリケンと条約を結ばねばこの日本国は第二の清国となりまするぞ!」
ハリスから清国が戦に敗れて、天津で屈辱的な内容の条約を結ばされた事実を知らされた岩瀬肥後守は、早期の条約調印を断固として主張する。
「肥後殿の申す通りでございます。我々がこのまま手をこまねいていたら、エゲレスやフランスの艦隊に攻め込まれるやもしれませぬぞ」
井上信濃守も岩瀬肥後守の考えに同調した。
「お主らの言い分にも理はあるが、帝からの勅許が得られぬ限り条約の調印に踏み切ることはできぬ。帝のご意向は絶対であり、決して無下にはできんからの。なればこそ再度大名たちに条約調印の是非を問い、そして調印すべきという意見が過半数になったときに、再度帝に勅許を打診するのが一番の方策と儂は心得ておる。そのためにはさらなる条約調印の延期が必要不可欠なのじゃ」
あくまでも帝を重んじる姿勢を貫き通したい直弼は岩瀬達の意見を否定する。
「そうは申されましても、果たして帝が攘夷からお考えを変えなさるかどうか、分かったものではございませぬぞ」
堀田備中守は口を挟むと続けて、
「帝の周りは九条関白を事実上失脚に追い込んだ攘夷派の公卿ばかりで固められており、奴らを退けぬ限り帝から勅許を得ることなど夢のまた夢でござりまする。掃部頭様はその事をご存じござりませぬか?」
と直弼に質問を投げかけた。
「お主に言われずともすでに知っておるわ、このたわけめ」
直弼は吐き捨てるようにして言った。京都で勅許を得ることに失敗したことで堀田備中守は直弼から疎んじられていた。
「でしたら猶更ではござりませぬか! 帝や攘夷派の公卿共の顔色ばかりを窺って、条約調印の時期を逸するようなことになれば、幕府も朝廷も立ちゆかなくなりまするぞ。それにメリケンとて今は条約調印の延期に応じておりますが、いつしびれを切らして艦隊を差し向けてくるか分かったものではござりませぬ! 掃部頭様が迅速にご決断下さらねば、この日本国は滅亡致しまするぞ!」
岩瀬肥後守が直弼に噛みつく。
「それもよう分かっておる。もし勅許を得られぬまま条約調印の期日を迎え、さらなる延期も不可能となったならば、その時は幕府の威を持って強引にでも調印に踏み切るより他はあるまい。じゃがそれは本当にやむを得ない場合の最終手段じゃ。今はなるべく条約調印の延期の交渉をして、勅許を得るための時を稼ぐために尽力する。それで異存はないか? 肥後守」
直弼が岩瀬を宥める。
「……異存ござりませぬ。やむを得ない事態になった暁には、我々の判断で条約の調印を致す所存ゆえ、くれぐれもお忘れなきようお願い申し上げまする」
岩瀬はまだ不服そうな様子ではあったが直弼の考えに同意した。
江戸城で行われた討議の翌日、井伊掃部頭は条約交渉の談判委員であったことを理由に、岩瀬肥後守と井上信濃守を条約調印の全権委員に命じた。
全権委員に命じられた岩瀬肥後守と井上信濃守は品川沖で汽船に乗り、神奈川の小柴沖に停泊しているポーハタン号のハリスの元へと向かっていた。
「やはり誰が何と申そうが、儂は今日メリケンとの条約調印に踏み切るつもりじゃ。期日までまだ一月あるがそんなものは関係ない。さらなる延期の交渉など持っての他じゃ。掃部頭様はこの日本国を取り巻く事態を分かっておられぬのじゃ」
汽船の上で海を見つめながら岩瀬肥後守は直弼の意向に逆らう決意を固めた。
「その通りじゃ。条約調印の勅許を待っておる間に、エゲレスやフランスに攻め込まれたらそれで一巻の終わりじゃ。今が条約を調印する最後の好機なのじゃ」
岩瀬肥後守と一緒に海を見ていた井上信濃守はそのまま続けて、
「じゃがもし勅許を得ぬまま条約調印に踏み切れば、幕府は真っ向から朝廷と対立することになるじゃろうな……。そして我々も掃部頭様によってお役を解かれることになる……」
と苦悶の表情を見せた。
「信濃殿、掃部頭様の意向に従おうが従うまいが、我々はどのみちお役を解かれることになりまするぞ」
岩瀬肥後守がずばり指摘する。
「掃部頭様は紀州の徳川慶福公を将軍の継嗣にするつもりでおるのに対し、我々は一橋公を将軍の継嗣にすることを望む一派に属しておる故、遅かれ早かれお役を解かれる定めにございまする。信濃殿の兄上である川路左衛門尉殿も、一橋公を将軍の継嗣にするお考えであったために掃部頭様にお役を解かれ、西の丸へ左遷され申した。それに掃部頭様は元々西洋の学問も、そしてそれに通じている我々のような者も蛇蝎の如く嫌っておられる。我々の命運は掃部頭様が大老になったときに既に決まっておったのだ……」
岩瀬肥後守はどこか諦観めいた口調で語ると、
「なればこそお役についている間に条約の調印に踏み切らねばならんのじゃ。儂はこの日本国が異人共に踏み荒らされる様など見とうない。例え勅許がないまま条約を調印したことで、朝廷を敵に回すことになったとしても、我々の手で必ずやこの日本国を奴らの魔の手から守りましょうぞ」
と井上信濃守に協力を要請した。
「分かり申した。儂も肥後殿と運命を共に致しましょうぞ」
井上信濃守もついに覚悟を固めたようだ。
安政五年六月十九日、ポーハタン号上においてハリスとこの二人の全権委員との間で、日米修好通商条約が調印された。
この条約で函館・神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港や、開港地におけるアメリカ領事の常駐とその他アメリカ人の居留、アメリカ公使の江戸常駐、江戸・大阪の開市、阿片の輸入の厳禁、領事裁判権の承認、日本通貨(金貨・銀貨)とアメリカ通貨(金貨・銀貨)の同種同量による交換、関税のうち輸入税を二十%(一部例外を除く)、輸出税を五%に設定することなどが取り決められた。
また岩瀬達はアメリカと条約を締結してから数か月の間に、イギリスやフランス、ロシア、オランダといった他の西洋諸国とも同じ内容の条約を結んだ。
これにより日本はアメリカと正式に通商関係を結ぶこととなったと同時に、名実ともに完全なる形で開国することになった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
色は変わらず花は咲きけり〜平城太上天皇の変
Tempp
歴史・時代
奈良の都には梅が咲き誇っていた。
藤原薬子は小さい頃、兄に会いに遊びに来る安殿親王のことが好きだった。当時の安殿親王は皇族と言えども身分は低く、薬子にとっても兄の友人という身近な存在で。けれども安殿親王が太子となり、薬子の父が暗殺されてその後ろ盾を失った時、2人の間には身分の差が大きく隔たっていた。
血筋こそが物を言う貴族の世、権謀術数と怨念が渦巻き血で血を洗う都の内で薬子と安殿親王(後の平城天皇)が再び出会い、乱を起こすまでの話。
注:権謀術数と祟りと政治とちょっと禁断の恋的配分で、壬申の乱から平安京遷都が落ち着くまでの歴史群像劇です。
//
故里となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり
(小さな頃、故郷の平城の都で見た花は今も変わらず美しく咲いているのですね)
『古今和歌集』奈良のみかど
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小沢機動部隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。
名は小沢治三郎。
年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。
ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。
毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。
楽しんで頂ければ幸いです!
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる