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第6章 松下尊塾

7 晋作と寅次郎

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 富永とのひと悶着の後、ついに晋作は幽室にいる寅次郎と面会することとなった。
「連れて参りました。彼が此度の入門希望者の高杉晋作でございます」 
 久坂が寅次郎に晋作を紹介する。
「お初にお目にかかります! 毛利家家中高杉子忠太が嫡男、高杉晋作であります!」 
 晋作は丁寧な言葉づかいで自己紹介したものの、まだ気が立っていたのか語気が強めであった。
「初めまして。僕が松下村塾の講主、吉田寅次郎であります。今日はわざわざこの村塾にお越し下さり、誠にありがとうございます」
 晋作とは対照的に寅次郎は穏やかな口調で自己紹介する。
「どうやら有隣が何か粗相をしでかしたようですね、あれは才や見識はあるのじゃが、他人を受け入れる度量が狭いのが難点でな、僕がかわってお詫び申し上げます」 
 寅次郎が晋作に対し軽く頭を下げて謝罪した。それを見た晋作は少し面食らっている。
「頭を上げてください。別にわしは気にしておりませんので」 
 晋作が取って付けたように言った。
「そうかそうか、それはかたじけない」
 寅次郎は笑いながら言うと、
「さて前置きはこれぐらいにして単刀直入に聞かせてもらおうとしようかのう。あなたは何故村塾に入塾をすることを希望するんじゃ? 一体何のために学問を学ぼうとしちょるんじゃ?」
 と唐突に尋ねてきた。
「わしが今日ここに来たのは他でもない、貴方にどねーにしてもお尋ねしたいことがあったからで御座います」 
 晋作がにべもなく答えると続けて、
「以前貴方は下田から黒船に乗ってメリケンへ密航しようとされたみたいですが、一体何故そねーなことをされたのですか? 失敗して命を落とすであろうことは目に見えていたはずなのに」  
 と不躾に尋ね返した。傍で聞いていた久坂は驚きの余りしばらく固まっている。
 それに対して寅次郎は顔色一つ変えることなく
「かくすれば かくなるものと 知りながら 止むにやまれぬ 大和魂」
 とだけ答えた。
「別にこれといった動機はないっちゃ。僕はただ僕の志に従って密航を試みたまでであります。例えそれで命を落とすことになったとしても、己の志を貫くことができれば本望なのであります」  
 予想外の答えを聞かされたことで、狐に摘ままれたような顔になった晋作に対して、 寅次郎が微笑を浮かべながら言った。
「高杉君、君には志はありますか?」   
 寅次郎が再度晋作に尋ねる。
「もちろんございます!  それは防長一強い侍になることであります!  そして毛利家譜代の臣である高杉家の名に恥じぬ侍になることであります!」
 晋作は気を取り直すと、いつもの強気な口調で寅次郎の質問に答えた。
「それは立派な志じゃな。じゃが君のゆう強き侍とは一体どねーな侍なんじゃ? そもそも君のゆう強さとは一体何なのじゃ?」
 寅次郎が畳みかけるようにして質問する。
「わしが理想とする強き侍は、剣の道を究めたその先にあると信じちょります。剣の道を究めるためには技を磨き、体を鍛え、そして心を磨かなければなりませぬ。心・技・体、これらのうち一つでも欠けちょったら、真の強さは得られないのであります。じゃけぇわしは明倫館の剣術道場で日々厳しい稽古に勤しんじょるのであります!」 
 晋作は自身の理想を自信たっぷりに語った。
「なるほど、よう分かりました。では、はっきりと申し上げましょう。今のままの君では、防長一強き侍どころか医学生である久坂君にさえも一生勝てないでしょう」 
 寅次郎は残念そうな表情を浮かべながら首を横に振る。 
 それを聞いた晋作はたちまち頬を紅潮させて
「何じゃと? それは一体どねーな意味なのか、ぜひご教えて頂けますかな、寅次郎殿!」 
 と怒ったように質問した。
「どねーな意味なのか知りたければ、これからもこの村塾に来ることじゃ。そうすれば僕の真意が理解できるかもしれんぞ」
 寅次郎は憤激する晋作を意にも介さずに笑いながら答える。
 晋作はこのやりとりをきっかけにして松下村塾に正式に入門することとなるが、この入門が自身の後の人生を大きく左右することになるであろうことは、この時の晋作にはまだ思いもつかなかった。
 
 
 
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