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第6章 松下尊塾
3 寅次郎と雲浜
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久坂逹塾生を帰して急ぎ準備を整えた後、寅次郎は自身を訪ねてきた雲浜を幽室へ招き入れた。
「寅次郎殿とこうして面と向かって話をするのは、黒船密航前の酒宴の時以来ですかのう」
寅次郎と二年ぶりの再会を果たした雲浜が懐かしむように言った。
「正直申すとあの時私は、寅次郎殿とお会いするのはこれが最後だと思っておりました。まさかこの今生の世においてまたお会いできるとは、まるで夢のようでございますな」
雲浜がうれしそうにしている。
「僕も今こねーにして梅田殿と再びお会いできたことが夢のように思えてなりませぬ。お体は依然変わりないですか?」
寅次郎も梅田と再会できたのが余程うれしかったのか、自身でも気づかないうちに笑顔になっていた。
「私は依然変わりないぞ、寅次郎殿。藩籍を失ったときは妻子を養うことはおろか、自身の食い扶持すらままならぬほどの貧困ぶりであったのが、今では京はもちろん、大阪や大和の豪農や豪商逹ともつながりが持てるほどの財を成せるまでになった。その結果長州と上方を結ぶ交易の橋渡しと相成り、今こうしてここにおる次第じゃ」
雲浜が自身の経歴の一部を語る。
「梅田殿が上方で莫大な財を築いたことは風の便りで存じておりますが、まさか我が藩の交易にまで乗り出すほどまでとは、ただただ恐れ入るばかりであります」
寅次郎は心から雲浜を称賛すると続けて
「それでこの上方との交易は、うまくいく見込みはありそうでしょうか?」
と質問した。
「難しい質問ですな。今日坪井殿とお会いした時に、長州の交易の指針について話は聞かせてもらったが、まだ何も言えんとゆうのが本音じゃ。ただ坪井殿は産物取立掛になれなかった豪農商の反発や不満についてまでは頭が回っていないようだったから、もしかするとそれで破綻するやもしれんのう」
雲浜は答えにくそうな様子ではあったが、彼なりの精一杯の考えを寅次郎に伝えた。
「左様でございますか。そいなら長州人の一人として、この交易がうまくゆくことをただただ願うばかりでございますな」
寅次郎がふっと軽く笑う。
「あと寅次郎殿にはまだ申していなかったが、今回私が長州に来たのは交易だけのためではないぞ」
雲浜は急に真面目な顔つきになると続けて、
「私が長州に来た本当の目的は、私と同じく尊皇攘夷の志を持つ有志を少しでも多く増やすことじゃ。黒船が浦賀に来航してからというもの、外夷の脅威はますます増すばかり。清国はエゲレスとフランスに攻め込まれて戦と相成り、印度に至っては完全にエゲレスの属国となり果てて、そこで暮らす民は乞食にも劣る生活を余儀なくされていると聞いている。この神州はまだそこまで外夷に蝕まれてはおらぬが、このまま何もせずにおれば清国や印度の二の舞となるのは火を見るよりも明らか。私は自身が持っている財を全て使い果たしてでもこれを阻止する所存だ。寅次郎殿にはどうかその手助けをしてもらいたい」
と言ってじっと寅次郎の顔を見据えた。
「手助けと申されましても具体的にはどねーなことをすればええんでしょうか? 梅田殿」
寅次郎が首をかしげながら尋ねる。
「確かお主は今松下村塾という塾の塾主をしておったな。その松下村塾に通う塾生の一部でもええから、私が講主を務める望楠軒に寄越してはもらえんか? 私はこの長州を皮切りに諸藩から有志を集め尊王攘夷のなんたるかを説き、忠実な帝の尖兵として戦えるように教練し、そして外夷と戦になった時には、彼らを率いてこれを打ち破ろうと思うのじゃ」
雲浜は自身の計画を熱く語った。
「なるほど、梅田殿の考えはよう理解できましたが、ご期待に沿うことは難しいですな」
寅次郎が残念そうな表情を浮かべている。
「何故じゃ? 私の計画に何か差し障りがあるとでも申すか?」
雲浜がギロッと寅次郎の事を睨んだ。
「そねーなことは御座いませぬ! 梅田殿の計画を手助けしたい気持ちは充分にありまするが、我が村塾に通う門下生のほとんどはただ純粋に生きた学問を学ぶことを目的としちょる若者達であり、まだ国を憂いて尊王攘夷の志を持つ段階にまでは至っておらんけぇ、手助けしたくともできぬのであります」
寅次郎は慌てて弁明すると続けて、
「じゃが一人だけ梅田殿のお力になれるかもしれん者を存じちょります。その者は二月ほどだけ我が村塾で学んじょりましたが、非常に理知的で聡明な若者でございました。今は父の病を理由に故郷の柱島に帰郷しちょりますが、彼ならばきっと梅田殿のお役に立てるやもしれませぬ」
と雲浜にかつての弟子を紹介して彼を宥めようとした。
「それは真に興味深い話じゃ。してその者の名は一体何と申すのじゃ?」
雲浜が怪訝そうに尋ねる。
「名は松崎武人と申す者であります。彼は柱島の島医師の子でございますが、名実共に真の侍になることを常に志しちょりました。武人には私が文を書いて事情を説明しますけぇ、どうか彼を梅田殿の弟子にしては頂けませんかのう?」
寅次郎が雲浜に懇願した。
「相分かった。その松崎武人が我が門下に入ることを心待ちにしておるぞ。では夜も大分更けた故、これにて失礼させて頂こうかのう」
武人の事を聞いて機嫌を取り戻した雲浜はそのまま杉家を後にした。
「寅次郎殿とこうして面と向かって話をするのは、黒船密航前の酒宴の時以来ですかのう」
寅次郎と二年ぶりの再会を果たした雲浜が懐かしむように言った。
「正直申すとあの時私は、寅次郎殿とお会いするのはこれが最後だと思っておりました。まさかこの今生の世においてまたお会いできるとは、まるで夢のようでございますな」
雲浜がうれしそうにしている。
「僕も今こねーにして梅田殿と再びお会いできたことが夢のように思えてなりませぬ。お体は依然変わりないですか?」
寅次郎も梅田と再会できたのが余程うれしかったのか、自身でも気づかないうちに笑顔になっていた。
「私は依然変わりないぞ、寅次郎殿。藩籍を失ったときは妻子を養うことはおろか、自身の食い扶持すらままならぬほどの貧困ぶりであったのが、今では京はもちろん、大阪や大和の豪農や豪商逹ともつながりが持てるほどの財を成せるまでになった。その結果長州と上方を結ぶ交易の橋渡しと相成り、今こうしてここにおる次第じゃ」
雲浜が自身の経歴の一部を語る。
「梅田殿が上方で莫大な財を築いたことは風の便りで存じておりますが、まさか我が藩の交易にまで乗り出すほどまでとは、ただただ恐れ入るばかりであります」
寅次郎は心から雲浜を称賛すると続けて
「それでこの上方との交易は、うまくいく見込みはありそうでしょうか?」
と質問した。
「難しい質問ですな。今日坪井殿とお会いした時に、長州の交易の指針について話は聞かせてもらったが、まだ何も言えんとゆうのが本音じゃ。ただ坪井殿は産物取立掛になれなかった豪農商の反発や不満についてまでは頭が回っていないようだったから、もしかするとそれで破綻するやもしれんのう」
雲浜は答えにくそうな様子ではあったが、彼なりの精一杯の考えを寅次郎に伝えた。
「左様でございますか。そいなら長州人の一人として、この交易がうまくゆくことをただただ願うばかりでございますな」
寅次郎がふっと軽く笑う。
「あと寅次郎殿にはまだ申していなかったが、今回私が長州に来たのは交易だけのためではないぞ」
雲浜は急に真面目な顔つきになると続けて、
「私が長州に来た本当の目的は、私と同じく尊皇攘夷の志を持つ有志を少しでも多く増やすことじゃ。黒船が浦賀に来航してからというもの、外夷の脅威はますます増すばかり。清国はエゲレスとフランスに攻め込まれて戦と相成り、印度に至っては完全にエゲレスの属国となり果てて、そこで暮らす民は乞食にも劣る生活を余儀なくされていると聞いている。この神州はまだそこまで外夷に蝕まれてはおらぬが、このまま何もせずにおれば清国や印度の二の舞となるのは火を見るよりも明らか。私は自身が持っている財を全て使い果たしてでもこれを阻止する所存だ。寅次郎殿にはどうかその手助けをしてもらいたい」
と言ってじっと寅次郎の顔を見据えた。
「手助けと申されましても具体的にはどねーなことをすればええんでしょうか? 梅田殿」
寅次郎が首をかしげながら尋ねる。
「確かお主は今松下村塾という塾の塾主をしておったな。その松下村塾に通う塾生の一部でもええから、私が講主を務める望楠軒に寄越してはもらえんか? 私はこの長州を皮切りに諸藩から有志を集め尊王攘夷のなんたるかを説き、忠実な帝の尖兵として戦えるように教練し、そして外夷と戦になった時には、彼らを率いてこれを打ち破ろうと思うのじゃ」
雲浜は自身の計画を熱く語った。
「なるほど、梅田殿の考えはよう理解できましたが、ご期待に沿うことは難しいですな」
寅次郎が残念そうな表情を浮かべている。
「何故じゃ? 私の計画に何か差し障りがあるとでも申すか?」
雲浜がギロッと寅次郎の事を睨んだ。
「そねーなことは御座いませぬ! 梅田殿の計画を手助けしたい気持ちは充分にありまするが、我が村塾に通う門下生のほとんどはただ純粋に生きた学問を学ぶことを目的としちょる若者達であり、まだ国を憂いて尊王攘夷の志を持つ段階にまでは至っておらんけぇ、手助けしたくともできぬのであります」
寅次郎は慌てて弁明すると続けて、
「じゃが一人だけ梅田殿のお力になれるかもしれん者を存じちょります。その者は二月ほどだけ我が村塾で学んじょりましたが、非常に理知的で聡明な若者でございました。今は父の病を理由に故郷の柱島に帰郷しちょりますが、彼ならばきっと梅田殿のお役に立てるやもしれませぬ」
と雲浜にかつての弟子を紹介して彼を宥めようとした。
「それは真に興味深い話じゃ。してその者の名は一体何と申すのじゃ?」
雲浜が怪訝そうに尋ねる。
「名は松崎武人と申す者であります。彼は柱島の島医師の子でございますが、名実共に真の侍になることを常に志しちょりました。武人には私が文を書いて事情を説明しますけぇ、どうか彼を梅田殿の弟子にしては頂けませんかのう?」
寅次郎が雲浜に懇願した。
「相分かった。その松崎武人が我が門下に入ることを心待ちにしておるぞ。では夜も大分更けた故、これにて失礼させて頂こうかのう」
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