49 / 152
第5章 松陰と玄瑞
9 単身赴任の父
しおりを挟む
一方、江戸の長州藩邸では、世子の毛利騄尉改め、定広に仕えている小忠太の元に、息子からの文が届いた。
「おお! 晋作からまた文が届いたか。この江戸勤めにおいて、家の者からの文は何よりの励みになるのう」
藩邸内にある長屋の一室にいた小忠太はしみじみとした気持ちになっている。
小忠太が定広に付き従って萩を離れてからもう二年の月日が流れており、多忙を極める江戸暮らしにおいて、家族からの文が唯一の拠り所となっていた。
小忠太はよほど楽しみにしていたのか、大急ぎで文の封を開けて中身を読み始めた。
「六月二十八日の御翰が届きましたので、ありがたく拝読させて頂きました。まず以って御殿様、若殿様方がますますご機嫌よく遊ばされ、恐悦至極に存じ奉りまする。はたまたお父上様が御勇健御勤仕なさるべく、恐喜少なからず存じ奉りまする。ここ最近はお爺様もお婆様もお母上様も、みな御平安になさっちょりまする。次に我々子供達もみな相揃い、つつがなく暮らしちょるけぇ、何の気遣いもなさる必要はないものと存じちょります。萩の気候は如何したのか、ここ最近は残暑がなかなか去らず炎熱、暑中同様にございまする。じゃけん雨天の節は、四山万樹初めて秋気が相催してございまする」
晋作の文を途中まで読んだ小忠太は安堵したのか、ほっと溜息をついて、
「ええことじゃ。やはり家の者がみな変わりなくおるちゅう文ほどありがたいもんはない。じゃが江戸に参勤してからもう二年、萩におる子供達の顔が正直恋しくて敵わんのう」
と独り言を洩らした。
彼が再び文の続きを読み進め、晋作が作った『立秋』と称した詩と、織田信長と柴田勝家の故事の添削を始めると、襖の戸を叩く音と共に小忠太を呼ぶ声が聞こえた。
「夜分遅くに失礼致す、小忠太殿は居られるか?」
同僚の長井雅樂が酒の入った徳利を片手に小忠太を訪ねてきた。
「儂はここにおるぞ、長井殿。一体如何なる用向きか?」
文を読むことを邪魔されて、いさかか気分を害した小忠太が怪訝そうに尋ねる。
「上質の酒が手に入ったけぇ、一緒に一杯どうかと思うてきた次第じゃったが……」
怪訝そうな小忠太の声を聞き、長井は困惑しながら答えた。
「取り込み中ならば、また改めて出直してこようかのう」
長井が残念そうにその場から立ち去ろうとすると、小忠太は慌てて襖の戸を開け、
「待たれよ。儂は別に手持無沙汰にしておるけぇ、久しぶりに一杯付き合うぞ」
と言って呼び止めて長井を自身の部屋に招き入れた。
「なるほど、御子息からの文を読んじょるところじゃったのか、それは申し訳ないことをした」
長井はばつの悪そうな顔をしながら頭を掻いた。小忠太も長井も大分酔いが回ったためか、顔がすっかり赤くなっている。
「そねー気になされるな、長井殿。貴方も儂も若殿様にお仕えする身、遠慮はいらぬ。むしろ儂の方こそ、先程はすまんかったのう」
小忠太は長井のお猪口に酒を注ぎながら謝罪した。
「じゃけん小忠太殿はええ御子息に恵まれたのう。文をまめに書いてくれるとは。まっこと羨ましい限りじゃ」
長井はお猪口に注がれた酒をぐいっと飲み干す。
「別にそねーな事はありませんよ。晋作にはむしろ最近頭を悩まされっぱなしでしてのう……。爺様からの文には、学問にはあまり興味を示さず、剣術ばかりに熱中しちょると書かれるような有様じゃし……。正直高杉家の先行きが気がかりでならん」
小忠太は息子の愚痴をこぼすと自身のお猪口に酒を注ぎ始める。
「若いときは少しくらい破天荒な方がむしろええくらいじゃ。小忠太殿の御子息はまだ十八で明倫館の大学生じゃったはず。これから心を入れ替えて学問に打ち込めば、必ず大成するはずじゃ」
長井は笑いながら言うと、またお猪口に酒を注ぎ始めた。
「長井殿の仰る通り、晋作がここいらで心を入れ替えてくれればええんじゃが、そう都合よくいかぬのが世の常とゆうものじゃ。今晋作が寄越した文が手元にあるが、そこには勝家の豪胆さや強情さを讃えた内容が書かれちょった。よほどの切っ掛けがない限りは現状は変わらんじゃろうのう」
小忠太は嘆きながら言うと、お猪口に注がれた酒を飲み始めた。
「おお! 晋作からまた文が届いたか。この江戸勤めにおいて、家の者からの文は何よりの励みになるのう」
藩邸内にある長屋の一室にいた小忠太はしみじみとした気持ちになっている。
小忠太が定広に付き従って萩を離れてからもう二年の月日が流れており、多忙を極める江戸暮らしにおいて、家族からの文が唯一の拠り所となっていた。
小忠太はよほど楽しみにしていたのか、大急ぎで文の封を開けて中身を読み始めた。
「六月二十八日の御翰が届きましたので、ありがたく拝読させて頂きました。まず以って御殿様、若殿様方がますますご機嫌よく遊ばされ、恐悦至極に存じ奉りまする。はたまたお父上様が御勇健御勤仕なさるべく、恐喜少なからず存じ奉りまする。ここ最近はお爺様もお婆様もお母上様も、みな御平安になさっちょりまする。次に我々子供達もみな相揃い、つつがなく暮らしちょるけぇ、何の気遣いもなさる必要はないものと存じちょります。萩の気候は如何したのか、ここ最近は残暑がなかなか去らず炎熱、暑中同様にございまする。じゃけん雨天の節は、四山万樹初めて秋気が相催してございまする」
晋作の文を途中まで読んだ小忠太は安堵したのか、ほっと溜息をついて、
「ええことじゃ。やはり家の者がみな変わりなくおるちゅう文ほどありがたいもんはない。じゃが江戸に参勤してからもう二年、萩におる子供達の顔が正直恋しくて敵わんのう」
と独り言を洩らした。
彼が再び文の続きを読み進め、晋作が作った『立秋』と称した詩と、織田信長と柴田勝家の故事の添削を始めると、襖の戸を叩く音と共に小忠太を呼ぶ声が聞こえた。
「夜分遅くに失礼致す、小忠太殿は居られるか?」
同僚の長井雅樂が酒の入った徳利を片手に小忠太を訪ねてきた。
「儂はここにおるぞ、長井殿。一体如何なる用向きか?」
文を読むことを邪魔されて、いさかか気分を害した小忠太が怪訝そうに尋ねる。
「上質の酒が手に入ったけぇ、一緒に一杯どうかと思うてきた次第じゃったが……」
怪訝そうな小忠太の声を聞き、長井は困惑しながら答えた。
「取り込み中ならば、また改めて出直してこようかのう」
長井が残念そうにその場から立ち去ろうとすると、小忠太は慌てて襖の戸を開け、
「待たれよ。儂は別に手持無沙汰にしておるけぇ、久しぶりに一杯付き合うぞ」
と言って呼び止めて長井を自身の部屋に招き入れた。
「なるほど、御子息からの文を読んじょるところじゃったのか、それは申し訳ないことをした」
長井はばつの悪そうな顔をしながら頭を掻いた。小忠太も長井も大分酔いが回ったためか、顔がすっかり赤くなっている。
「そねー気になされるな、長井殿。貴方も儂も若殿様にお仕えする身、遠慮はいらぬ。むしろ儂の方こそ、先程はすまんかったのう」
小忠太は長井のお猪口に酒を注ぎながら謝罪した。
「じゃけん小忠太殿はええ御子息に恵まれたのう。文をまめに書いてくれるとは。まっこと羨ましい限りじゃ」
長井はお猪口に注がれた酒をぐいっと飲み干す。
「別にそねーな事はありませんよ。晋作にはむしろ最近頭を悩まされっぱなしでしてのう……。爺様からの文には、学問にはあまり興味を示さず、剣術ばかりに熱中しちょると書かれるような有様じゃし……。正直高杉家の先行きが気がかりでならん」
小忠太は息子の愚痴をこぼすと自身のお猪口に酒を注ぎ始める。
「若いときは少しくらい破天荒な方がむしろええくらいじゃ。小忠太殿の御子息はまだ十八で明倫館の大学生じゃったはず。これから心を入れ替えて学問に打ち込めば、必ず大成するはずじゃ」
長井は笑いながら言うと、またお猪口に酒を注ぎ始めた。
「長井殿の仰る通り、晋作がここいらで心を入れ替えてくれればええんじゃが、そう都合よくいかぬのが世の常とゆうものじゃ。今晋作が寄越した文が手元にあるが、そこには勝家の豪胆さや強情さを讃えた内容が書かれちょった。よほどの切っ掛けがない限りは現状は変わらんじゃろうのう」
小忠太は嘆きながら言うと、お猪口に注がれた酒を飲み始めた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
AIシミュレーション歴史小説『瑞華夢幻録』- 華麗なる夢幻の系譜 -
静風
歴史・時代
この物語は、ChatGPTで仮想空間Xを形成し、更にパラレルワールドを形成したAIシミュレーション歴史小説です。
【詳細ページ】
https://note.com/mbbs/n/ncb1a722b27fd
基本的にAIと著者との共創ですが、AIの出力を上手く引出そうと工夫しています。
以下は、AIによる「あらすじ」の出力です。
【あらすじ】
この物語は、戦国時代の日本を舞台に、織田信長と彼に仕えた数々の武将たちの壮大な物語を描いています。信長は野望を胸に秘め、天下統一を目指し勇猛果敢に戦い、国を統一するための道を歩んでいきます。
明智光秀や羽柴秀吉、黒田官兵衛など、信長に協力する強力な部下たちとの絆や葛藤、そして敵対する勢力との戦いが繰り広げられます。彼らはそれぞれの個性や戦略を持ち、信長の野望を支えながら自身の野心や信念を追い求めます。
また、物語は細川忠興や小早川隆景、真田昌幸や伊達政宗、徳川家康など、他の武将たちの活躍も描かれます。彼らの命運や人間関係、武勇と政略の交錯が繊細に描かれ、時には血なまぐさい戦いや感動的な友情、家族の絆などが描かれます。
信長の野望の果てには、国を統一するという大きな目標がありますが、その道のりには数々の試練や困難が待ち受けています。戦いの中で織り成される絆や裏切り、政治や外交の駆け引き、そして歴史の流れに乗る個々の運命が交錯しながら、物語は進んでいきます。
瑞華夢幻録は、戦国時代のダイナミックな舞台と、豪華なキャストが織り成すドラマチックな物語であり、武将たちの魂の闘いと成長、そして人間の尊厳と栄光が描かれています。一つの時代の終わりと新たな時代の始まりを背景に、信長と彼を取り巻く人々の情熱と野心、そして絆の物語が紡がれていきます。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)

忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

艨艟の凱歌―高速戦艦『大和』―
芥流水
歴史・時代
このままでは、帝国海軍は合衆国と開戦した場合、勝ち目はない!
そう考えた松田千秋少佐は、前代未聞の18インチ砲を装備する戦艦の建造を提案する。
真珠湾攻撃が行われなかった世界で、日米間の戦争が勃発!米海軍が押し寄せる中、戦艦『大和』率いる連合艦隊が出撃する。

狩野岑信 元禄二刀流絵巻
仁獅寺永雪
歴史・時代
狩野岑信は、江戸中期の幕府御用絵師である。竹川町狩野家の次男に生まれながら、特に分家を許された上、父や兄を差し置いて江戸画壇の頂点となる狩野派総上席の地位を与えられた。さらに、狩野派最初の奥絵師ともなった。
特筆すべき代表作もないことから、従来、時の将軍に気に入られて出世しただけの男と見られてきた。
しかし、彼は、主君が将軍になったその年に死んでいるのである。これはどういうことなのか。
彼の特異な点は、「松本友盛」という主君から賜った別名(むしろ本名)があったことだ。この名前で、土圭之間詰め番士という武官職をも務めていた。
舞台は、赤穂事件のあった元禄時代、生類憐れみの令に支配された江戸の町。主人公は、様々な歴史上の事件や人物とも関りながら成長して行く。
これは、絵師と武士、二つの名前と二つの役職を持ち、張り巡らされた陰謀から主君を守り、遂に六代将軍に押し上げた謎の男・狩野岑信の一生を読み解く物語である。
投稿二作目、最後までお楽しみいただければ幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる