幕末群狼伝~時代を駆け抜けた若き長州侍たち

KASPIAN

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第5章 松陰と玄瑞

9 単身赴任の父

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  一方、江戸の長州藩邸では、世子の毛利騄尉改め、定広に仕えている小忠太の元に、息子からの文が届いた。
「おお! 晋作からまた文が届いたか。この江戸勤めにおいて、家の者からの文は何よりの励みになるのう」 
 藩邸内にある長屋の一室にいた小忠太はしみじみとした気持ちになっている。 
 小忠太が定広に付き従って萩を離れてからもう二年の月日が流れており、多忙を極める江戸暮らしにおいて、家族からの文が唯一の拠り所となっていた。 
 小忠太はよほど楽しみにしていたのか、大急ぎで文の封を開けて中身を読み始めた。
「六月二十八日の御翰が届きましたので、ありがたく拝読させて頂きました。まず以って御殿様、若殿様方がますますご機嫌よく遊ばされ、恐悦至極に存じ奉りまする。はたまたお父上様が御勇健御勤仕なさるべく、恐喜少なからず存じ奉りまする。ここ最近はお爺様もお婆様もお母上様も、みな御平安になさっちょりまする。次に我々子供達もみな相揃い、つつがなく暮らしちょるけぇ、何の気遣いもなさる必要はないものと存じちょります。萩の気候は如何したのか、ここ最近は残暑がなかなか去らず炎熱、暑中同様にございまする。じゃけん雨天の節は、四山万樹初めて秋気が相催してございまする」 
 晋作の文を途中まで読んだ小忠太は安堵したのか、ほっと溜息をついて、
「ええことじゃ。やはり家の者がみな変わりなくおるちゅう文ほどありがたいもんはない。じゃが江戸に参勤してからもう二年、萩におる子供達の顔が正直恋しくて敵わんのう」   
 と独り言を洩らした。   
 彼が再び文の続きを読み進め、晋作が作った『立秋』と称した詩と、織田信長と柴田勝家の故事の添削を始めると、襖の戸を叩く音と共に小忠太を呼ぶ声が聞こえた。
「夜分遅くに失礼致す、小忠太殿は居られるか?」 
 同僚の長井雅樂が酒の入った徳利を片手に小忠太を訪ねてきた。
「儂はここにおるぞ、長井殿。一体如何なる用向きか?」 
 文を読むことを邪魔されて、いさかか気分を害した小忠太が怪訝そうに尋ねる。
「上質の酒が手に入ったけぇ、一緒に一杯どうかと思うてきた次第じゃったが……」 
 怪訝そうな小忠太の声を聞き、長井は困惑しながら答えた。
「取り込み中ならば、また改めて出直してこようかのう」 
 長井が残念そうにその場から立ち去ろうとすると、小忠太は慌てて襖の戸を開け、
「待たれよ。儂は別に手持無沙汰にしておるけぇ、久しぶりに一杯付き合うぞ」 
 と言って呼び止めて長井を自身の部屋に招き入れた。




「なるほど、御子息からの文を読んじょるところじゃったのか、それは申し訳ないことをした」 
 長井はばつの悪そうな顔をしながら頭を掻いた。小忠太も長井も大分酔いが回ったためか、顔がすっかり赤くなっている。
「そねー気になされるな、長井殿。貴方も儂も若殿様にお仕えする身、遠慮はいらぬ。むしろ儂の方こそ、先程はすまんかったのう」 
 小忠太は長井のお猪口に酒を注ぎながら謝罪した。
「じゃけん小忠太殿はええ御子息に恵まれたのう。文をまめに書いてくれるとは。まっこと羨ましい限りじゃ」 
 長井はお猪口に注がれた酒をぐいっと飲み干す。
「別にそねーな事はありませんよ。晋作にはむしろ最近頭を悩まされっぱなしでしてのう……。爺様からの文には、学問にはあまり興味を示さず、剣術ばかりに熱中しちょると書かれるような有様じゃし……。正直高杉家の先行きが気がかりでならん」 
 小忠太は息子の愚痴をこぼすと自身のお猪口に酒を注ぎ始める。
「若いときは少しくらい破天荒な方がむしろええくらいじゃ。小忠太殿の御子息はまだ十八で明倫館の大学生じゃったはず。これから心を入れ替えて学問に打ち込めば、必ず大成するはずじゃ」 
 長井は笑いながら言うと、またお猪口に酒を注ぎ始めた。
「長井殿の仰る通り、晋作がここいらで心を入れ替えてくれればええんじゃが、そう都合よくいかぬのが世の常とゆうものじゃ。今晋作が寄越した文が手元にあるが、そこには勝家の豪胆さや強情さを讃えた内容が書かれちょった。よほどの切っ掛けがない限りは現状は変わらんじゃろうのう」 
 小忠太は嘆きながら言うと、お猪口に注がれた酒を飲み始めた。



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