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第5章 松陰と玄瑞

7 寅次郎と百合之助

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 数日後、久坂から寅次郎宛に三度文が届いた。   
 この時、寅次郎は父の百合之助と『史記』に出てくる英雄について語りあっていたが、久坂から文が届いた事を知ると途中で話を打ち切って、文を読み始めた。
「随分ご執心じゃのう、寅次。いくら久坂玄瑞が長州随一の藩医じゃった玄機殿の弟じゃゆうても、まだ十七かそこらの青二才じゃろうに。一体玄瑞のどねーな所に魅了されたんじゃ?」 
 百合之助が呆れ果てた表情で言う。
「それは彼の才が抜きんでたものだからでございますよ、父上。僕が文であれだけこっぴどく中傷したにも関わらず、それにめげることなく理路整然と反論し続けられるのは、彼の才が並々ならぬものだからこそ成せるものと僕は思うちょります。もし彼がとるに足らぬ小人ならば、僕が送った文の返事をせずに無かったことにするか、あるいは面従腹背をして逃げるかしていたでしょう。じゃが彼はわざわざ多大な労力をかけて僕に反論の文を書き、あくまで己の主張を貫き通そうと躍起になっちょります。そねー意思の固い人物をこれまでに見たのは僕の人生で初めてであります。じゃからこそ何としてでもこの玄瑞を弟子に、いんや、僕の師として迎えるべく、こねーにして文のやり取りをしている次第であります」 
 寅次郎は父親に長々と説明すると久坂からの文を読み始めた。
「貴方の文は聢と拝見させて頂きました。今回貴方に文を送ったのは議論をするためではなく、私の惑いを取り除いてもらいたく送った次第でございます。神宮皇后や豊臣秀吉の雄図こそ果たすべきであり、北条時宗のように使者を斬るべきでないっちゅう貴方の主張が、どねーにしても私を惑わすのであります。近頃、日本人と異人が雑居して交易を行なっておるが、果たしてその利は我らにあるんじゃろうか、それとも彼らにあるんじゃろうか? 『易経』に『危うき者はその安んずる者なり、亡ぶる者はその存するを保つ者なり』ちゅう言があるが、天下は正にこの言の如く、今の太平に安心しきっており、またいつまでも太平が続くもんと勝手に思うちょります。武備を整えることもせず、士気を高めることもせず、ただ交易を続けておるような有様で、なぜ我等に利があって損することはなしとゆえるじゃろうか? そもそも神州の地は豊富肥沃であり、金銀や米穀、山種、海産に至るまで全て国内で賄うことができる以上、異人と交易する必要などないのであります。それ故、唐船や蘭舶と進んで交易を行うことを禁じたっちゅう古の例が存在するのであります」
 久坂の文の内容はまだ続く。
「じゃがそれを理由にして異人共との国交を断行しようとしても、恐らく奴らは承知せんじゃろうから、その時にこそ使節を斬って断固たる態度を示せばええのであります。また異人共と関わることによって、邪教がこの神州の人々の心を蝕む危険もあると考えちょります。王陽明がかつて『山中の賊は破りやすく、心中の賊は破り難し』とゆうちょりましたが、もし邪教が神州の人々の心を完全に蝕むことになれば、衣食や言語がそのままであっても、心は夷狄と同じになるでしょう。心中の賊とは正にこの事を指すのであり、一度心が夷狄と同じになれば、それを改めるのは甚だ難しいことと存じちょります。じゃけん、そねーなことになる前に使節を斬って、交流を絶つことこそ寛容かと思うのであります。山中の賊は、朝鮮や満州、支那、印度などの国々を指すのであり、是等は心中の賊を破りさえすれば容易く破れるのであります。使節を斬って不退転の覚悟を固めることさえできれば、各地に勢力を広めることも、進取の勢いを伸ばして国の守りを磐石とすることも容易な事と相成り、遂には神宮・秀吉の雄図を果たすことが可能となるのであります。貴方はもっと交易の利害や時機の緩急について考えるべきじゃと、僕は存じちょります」 
 文を読み終えた寅次郎は手紙を机の上に置いた。
「随分大層なことをゆうちょるのう、この久坂玄瑞は。そもそも一介の医者に使節を斬ることなど到底できるはずがないではないか。仮に何かできることがあったとしても、せいぜい詩吟剣舞するくらいじゃろう」 
 側で寅次郎が久坂の文を読んでいるのを聞いていた百合之助が呆れた様子で言った。
「なるほどなるほど。相変わらず使節を斬るちゅうことに執着しちょるようじゃが、異人との交易や邪教についての指摘は的を得ているとゆえるのう。やはり僕の目に狂いはなかったようじゃ。久坂君の才や志についてはこれでよう分かったけぇ、最後にこの文を書いて彼の熱を冷まさせちゃろう」 
 父親とは違って久坂の文の内容に感心した寅次郎は、文を書く準備を始める。

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