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第5章 松陰と玄瑞

1 旧友との再会

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 安政三(一八五六)年五月下旬、法光院。
 十八歳になった晋作はこの院にある金毘羅社に参拝に来ていた。 
 明倫館で剣術修行を行うようになってから四年の月日が流れたが、修行に出向く前に金毘羅社へ参拝することをかかしたことはただの一度もなかった。
 晋作がいつものようにお参りを済ませ、剣術道具を片手にその場から去ろうとすると、一人の坊主頭の青年が晋作の前に姿を現した。
「おお! 久しいのう、久坂!」 
 晋作はうれしそうな様子でその坊主頭の青年に声をかける。
「いつ萩に戻ってきよった? お前が九州を遊歴しちょることは知っちょったが、全く文を寄越さんから動向が分からず心配しちょったんじゃぞ」
「はは! それは済まんのう、晋作。九州ではいろいろあって文を書いちょる暇がなかったんじゃ。じゃが九州を遊歴したお蔭でわしの見識は以前よりも深まったと思うちょる。ぜひ晋作にもわしの話を聞いてもらいたい」 
 久坂は上機嫌で言うと、熊本で会った宮部鼎蔵や清正廟、異人館が雑居する長崎、蒙古古戦場跡や箱崎宮を訪れた時の事を掻い摘んで話した。
「久坂はまっことおもしろきものをいろいろ見聞きしてきたようじゃのう。わしも一昨年江戸に参ったが、藩邸にずっと閉じ込められちょって何もできんかったけぇ、正直羨ましく思うちょる……」 
 晋作は江戸の長州藩邸で外出を許されず、ただひたすら『武学拾粋』を読んだり書き写したりしていた日々のことを思い出し、落胆したような表情をしている。
「そねー落ち込むな。晋作のお父上は若殿様の奥番頭を勤めておるけぇ、そのうち学問修行か剣術修行の名目でまた江戸に行くことができるじゃろう。その時に諸国の志士と交わって見識を深めたり、珍しきものをたくさん見たりすることができるはずじゃ」 
 久坂は笑いながら晋作を励ますと唐突に、
「ところで晋作は松本村の吉田寅次郎ちゅう浪人は知っちょるかのう?」 
 と尋ねてそわそわし始めた。
「ああ、もちろん知っちょるぞ。下田からメリケンの船に乗り込むんに失敗して野山獄に入獄した者のことじゃろう? 今は確か松本村に謹慎しちょるとかしちょらんとか。爺様がその者の事について話しちょるのを前に聞いたことがある」 
 晋作は久坂が突然吉田寅次郎の名前を出したことに内心困惑しながらも、自身が知っている吉田寅次郎の情報について話す。
「その通りじゃ。熊本の宮部鼎蔵殿にお会いした時に、萩に戻ったら吉田寅次郎を訪ねる様にゆわれちょってのう、じゃがいきなり不躾に訪ねるのもどねーなもんかと思い、文を書いてみたのじゃ」
「ほう、それで吉田寅次郎からは文の返事は来たんか?」
「いんや、まだじゃ。じゃけん文を出してからもう七日近く経つけぇ、そろそろ返事が返ってくる頃じゃと思うのじゃ。あの宮部殿が傑物と認める程の男じゃけぇ、一体どねーな返事を寄越すんか楽しみで楽しみで仕方がないのじゃ」 
 久坂はわくわくを抑えきれないのか若干興奮気味でいる。
「そうか、それは何よりじゃ。吉田寅次郎から早う色よい返事が来ればええのう。ではわしはこれから明倫館に行かねばいけんのでこれにて失礼させてもらおう」 
 晋作は剣術道具を持って颯爽とその場をあとにした。

 
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