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第4章 野山獄
7 旅の終わり
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一方、熊本で宮部に会った後に清正廟を訪ねた玄瑞は、南下して松橋から舟で天草に行こうとするも嵐に阻まれたため、陸路北上して有明海を経て、彼杵から大村湾を渡り、ついに長崎へ辿り着いた。
清正廟を詣でて攘夷の士気が高まりつつあった玄瑞は、そこで港一体を埋め尽くす巨大な西洋艦や唐人・蘭人館が雑居する街並み、我が物顔に闊歩する西欧人の兵士等を目の当りにして、ますます西洋列強への敵愾心を強めた。
そして長崎を発った玄瑞はそのまま大村、唐津、浜崎を通り過ぎ、そこから唐津湾岸、博多湾岸を進んでいって、福岡藩黒田家の城下である筑前福岡に入った。
玄瑞はそこで蒙古襲来の舞台となった古戦場跡を訪ね、さらに神風信仰でおなじみの箱崎宮を参拝した。
「文永の役後に蒙古の使者を斬って、断固たる決意を示した北条時宗こそ正に真の英傑、かの清正公にも引けをとらぬ武士じゃ。また海を覆い尽くさんばかりの蒙古の大船団を、箱崎宮の吹かした神風が一網打尽にして、縦横無尽に動く鎌倉武士がこれに止めを刺す様はなんと痛快でのあったことか。蒙古襲来から六百年後の今、異人共の妖気にこの神州を汚され、皇国の威が衰頽しちょるのは誠に嘆かわしいことじゃ。今こそ敵国降伏の名の元に賊を叩き斬って恥を漱がねばいけん」
箱崎宮の門前で攘夷の決意を新たにした玄瑞は、自身の攘夷への心意気を『箱崎にて感有り』と題した古詩に詰め込んで表現した。
その後、玄瑞は小倉にもどり、関門海峡を渡り馬関を経て、安政三(一八五六)年五月の初めごろ、身も心もすっかり尊王攘夷思想に染まった志士として帰萩した。
「この九州遊歴は長いようで存外短かったのう。じゃがこの遊歴のお蔭で尊皇攘夷の何たるかを知ることができたのはまっことええ土産じゃ。次は宮部殿が仰っていた例の吉田寅次郎じゃ。あの者は確か今松本村にある実家に謹慎させられちょると専らの噂みたいじゃから、まずは挨拶がわりに文でも送ってみようかのう」
この時の玄瑞は、これが寅次郎との激しい論争の始まりになろうとは夢にも思っていなかった。
清正廟を詣でて攘夷の士気が高まりつつあった玄瑞は、そこで港一体を埋め尽くす巨大な西洋艦や唐人・蘭人館が雑居する街並み、我が物顔に闊歩する西欧人の兵士等を目の当りにして、ますます西洋列強への敵愾心を強めた。
そして長崎を発った玄瑞はそのまま大村、唐津、浜崎を通り過ぎ、そこから唐津湾岸、博多湾岸を進んでいって、福岡藩黒田家の城下である筑前福岡に入った。
玄瑞はそこで蒙古襲来の舞台となった古戦場跡を訪ね、さらに神風信仰でおなじみの箱崎宮を参拝した。
「文永の役後に蒙古の使者を斬って、断固たる決意を示した北条時宗こそ正に真の英傑、かの清正公にも引けをとらぬ武士じゃ。また海を覆い尽くさんばかりの蒙古の大船団を、箱崎宮の吹かした神風が一網打尽にして、縦横無尽に動く鎌倉武士がこれに止めを刺す様はなんと痛快でのあったことか。蒙古襲来から六百年後の今、異人共の妖気にこの神州を汚され、皇国の威が衰頽しちょるのは誠に嘆かわしいことじゃ。今こそ敵国降伏の名の元に賊を叩き斬って恥を漱がねばいけん」
箱崎宮の門前で攘夷の決意を新たにした玄瑞は、自身の攘夷への心意気を『箱崎にて感有り』と題した古詩に詰め込んで表現した。
その後、玄瑞は小倉にもどり、関門海峡を渡り馬関を経て、安政三(一八五六)年五月の初めごろ、身も心もすっかり尊王攘夷思想に染まった志士として帰萩した。
「この九州遊歴は長いようで存外短かったのう。じゃがこの遊歴のお蔭で尊皇攘夷の何たるかを知ることができたのはまっことええ土産じゃ。次は宮部殿が仰っていた例の吉田寅次郎じゃ。あの者は確か今松本村にある実家に謹慎させられちょると専らの噂みたいじゃから、まずは挨拶がわりに文でも送ってみようかのう」
この時の玄瑞は、これが寅次郎との激しい論争の始まりになろうとは夢にも思っていなかった。
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