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第3章 松陰密航
9 黒船密航とその顛末
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その後、寅次郎は引き続き行馬郎の家に滞在して治療に励んだ結果、五日で疥癬を無事完治させることに成功した。
治療を終えて行馬郎の家を後にした寅次郎は、下田の岡村屋にいる金子の元へ帰り、ペリーの黒船に密航すべく夜陰に紛れて漁師から小舟を盗んだ。
そしてその盗んだ小舟で黒船に漕ぎ着けようとするも、天候不順のため舟が流されて失敗に終わり、次の好機を見定めるべく、柿崎弁天島にある弁天社に身を潜めることとなった。
「先生の皮膚病も治り、小舟も手に入れてやっと密航できると思うちょったのに、今度は天候に邪魔されることになるとはの」
弁天社の暗い祠の中で金子がぼそっと呟く。外では強風がしきりに社を打ち付け、建物が倒壊するのではないかと思いたくなるぐらいひどく軋んでいる。
「まだ密航の機会が完全に失われた訳ではないっちゃ! 今日は風も強く波も荒かったから黒船に近づくこともできんかったが、明日は今よりも天候が落ち着くはずじゃ!」
寅次郎は依然強気な様子であったが、外の風は勢いが収まるどころかますます強くなり、今にも弁天社そのものを吹き飛ばせそうな威力となった。
「それにここまで来て天候如きの為に密航を諦める訳にはいかん! 例え明日も天候が悪かったとしても僕は小舟で漕ぎ出すつもりじゃ! 金子君もそのつもりじゃろう?」
「もちろんであります、先生! 先生に付き従ったのは全て密航してメリケンに行くためです! ここで挫折したら僕たちは何のために苦労してここまで来たんか分からなくなります!」
「その通りじゃ、金子君! 明日こそは何としてでも密航を成功させ、黒船の中で祝杯を上げようではないか!」
「はい、先生! 絶対に成功させましょう!」
金子は黒船密航を必ず成功させることを誓うと、夜も大分更けたことを理由に寅次郎に就寝を促し、そのまま祠の床の上で寝てしまった。
一度目の密航に失敗してから二日後の三月二十七日の深夜、寅次郎達は夜陰に紛れ漁師から別の小舟を盗みだして二度目の密航に挑戦することとなった。
今回の密航は前回と比べると風も波も幾分か落ち着いており、何とか小舟を漕ぎ出してゆくことができそうな気候であった。
ただ、櫓を固定する杭がなかったため、褌で縛り付けて漕ぎ出すもすぐにゆるんでしまい、しまいには着物の帯を解いて櫓に縛り付けて漕いでゆくこととなった。
それから程なく寅次郎達は、ペリー艦隊の一隻であるミシシッピ号に辿り着いた。
「僕は吉田寅次郎と申す者じゃ! メリケンに参りたい一心でここまで来た! どうか僕等を乗せてはもらえんじゃろうか?」
寅次郎は高い波に揺られながら、小舟でミシシッピ号の舷側まで乗り付け、声高に叫ぶと舷梯を下すよう手真似をし始めた。
寅次郎達を乗せた小舟の存在に気付いたのか、ミシシッピ号の甲板上にいる乗組員達の数は次第に増え、みな小舟に乗っている寅次郎達を一目見ようと躍起になっている。
「僕は吉田寅次郎じゃ! ぜひとも船に乗せてメリケンへ連れて行ってはもらえんじゃろうか?」
寅次郎は自身の存在を示すべく再び声高に叫んで、必死に舷梯を下すよう手真似をした。
この時、乗組員達は寅次郎が何かを訴えていることは理解できたみたいであったが、日本語が分かる者が誰一人としていなかったため、何を訴えているのかまでは理解できていない様子であった。
「どうやら彼らには我々の話す言葉はもちろんのこと、手真似も通じちょらんみたいですね。いっそのこと象山先生に添削してもらった漢文の趣意書を上に掲げる方が手っ取り早いのではないですか?」
金子が置かれている状況を冷静に分析して寅次郎に助言する。
「君のゆうちょる通りじゃ、金子君! ああ、なぜ僕はもっと早く気付かんかったのか!」
寅次郎は後悔の念に駆られながらも金子に言われた通り趣意書を上に掲げ、ミシシッピ号の乗組員達にそれを見せつける。
金子の助言が功を奏したのか、寅次郎の趣意書を見た乗組員の一人が約三十間程離れた所にあるポーハタン号に行くようしきりにジェスチャーをしてきた。
「どうやら向う側にある黒船に行く様に手真似しちょるみたいですね。少し離れていますが漕いでいってみましょう、先生」
乗組員のジェスチャーを見た金子が寅次郎に促すと、寅次郎も金子の意を汲んでポーハタン号へと小舟を漕ぎ始めた。
その後、荒波に翻弄されながら寅次郎達はポーハタン号へと辿り着いた。
ポーハタン号はミシシッピ号ほど高さがない船であったため、寅次郎達は乗ってきた小舟をポーハタン号に接舷させた上で直接乗り込んで、密航を志願することを決意したが、甲板上で警備していた乗組員達にたちまち発見されて小舟に押し戻されされそうになった。
「くっ! 離せ! 何をするんじゃ! 僕は何としてでも黒船に乗ってメリケンへ行くんじゃ! 誰にも邪魔はさせんぞ!」
寅次郎達は乗組員達ともみあいになりながらも意地を貫き通し、何とかポーハタン号に乗り込んだ。
「ついに黒船に乗り込んだのう! 金子君!」
「ええ、確かに黒船に乗り込む事には成功しましたが、僕達の乗ってきた小舟は流されてしまったみたいですね……」
波に流されてポーハタン号からどんどん離れてゆく小舟を見つめながら金子が言った。小舟には刀や荷物、象山が寅次郎に向けて書いた送別の詩なども積まれたままであった。
「仕方のないことじゃ。密航することを決意したときからこねーなことになることはもうすでに覚悟しちょった。僕等はもう前に進むより他はない」
乗組員達に押さえつけられながらも寅次郎が悟ったような顔つきで言うと、騒ぎを聞きつけてポーハタン号の中から中国語通訳のウィリアムスが姿を現した。
ウィリアムスは乗組員達に手荒な真似は止めるよう指示をして寅次郎達に近づくと、手に持っていた紙に何かを書き始め、その何かを書き終えると寅次郎に紙を手渡した。
その紙には漢文で
「君達は何をしにこの船に来た? 君達の目的は一体何なのだ?」
と簡潔に記されている。
手渡された紙の内容を読んだ寅次郎は唯一持っていた渡航趣意書の写しをウィリアムスに渡すと、ウィリアムスは熱心に趣意書の写しを読み始めた。
程なく趣意書を読み終えたウィリアムスは、寅次郎達に甲板上で待機しているよう漢文で記載した紙を渡すと、ペリーにお伺いを立てるべく趣意書を片手に船の中へと戻っていった。
寅次郎達が密航の希望が叶うのか否かそわそわしながら待ち続けていると、ウィリアムスが新しい紙を手に携えて再び船の中から姿を現して、その紙を寅次郎達に渡した。
その紙には長い漢文で、
「ペリー長官は貴方方の密航の意思を理解されましたが一緒に連れてゆくことはできないとの仰せです。日本とはまだ国交を結んだばかりであり、もし日本の法律を破って貴方方をアメリカに連れてゆけば我が国の信義を損なうことになります。三ヶ月間、我々は下田に滞在する予定ですので、どうしてもアメリカへの渡航を希望されるのであるならば日本の政府から正式に許可をもらうように」
と記載されていた。
紙の内容を全て読み、密航を拒絶されたことを理解した寅次郎達はただただ茫然とするより他なく、アメリカ側が用意した小舟に乗って帰るよう促されてもしばらくは立ち竦んだままであった。
その後、寅次郎達はアメリカ側の意向により小舟で強制的に福浦海岸へ送り帰されると、流された小舟に乗っていた所持品を探し回ることに没頭することとなった。
「駄目です! どこを探しても僕達の所持品らしきものはどこにも見当たりません!」
小舟で送り帰されたあと、一睡もせずに必死に所持品を探していた金子は疲れ果てた様子で寅次郎に言った。
「そうか……せめて所持品を見つけることができれば、まだ密航の機会があると思うちょったが、それも叶わんとなると自首するより他に方法はないっちゃ」
寅次郎が諦めたような様子で言う。送り帰されてから大分時が経ったのか、日の出が海岸を照らしていた。
「もしかしたらここの土地の者が先に、僕達の所持品を見つけてしもうたのかもしれん。だとすれば幕府の追手に捕まるのも時の問題じゃ。その前に潔く自首しようと僕は考えちょるが金子君はどうじゃ?」
「僕も先生の意見に賛成です。追手に捕まって無様な姿を晒すぐらいなら堂々と自首した方がええでしょう。それに僕達はもう十分人事を尽くしました。悔いはありません」
寅次郎の考えを聞いた金子はすっかり諦観している。
「そうと決まればさっさと自首しに行こう。丸一日睡眠も取らずに動き回っていたから眠気がひどくて仕方ないっちゃ」
こうして寅次郎達は柿崎村の名主である増田平右衛門宅に自首をしに行き、そのまま下田奉行所へ連行されることとなった。
そして下田奉行所の指示で長命寺という寺に数日間拘禁され、月がかわって四月になると江戸の伝馬町牢屋敷へと護送された。
またこの頃、波に流された寅次郎達の小舟が積んであった所持品もろとも発見され、寅次郎の密航を後押しする象山の送別の詩も下田奉行所の知る所となったため、象山も伝馬町牢屋敷に入牢することとなった。
象山や寅次郎達が伝馬町牢屋敷に入牢して、厳しい取り調べをうけるようになってから五ヶ月後の嘉永七(一八五四)年九月、彼らを死罪にすべきか否かの判決が幕府の最高裁判機関である評定所にて下され、結果は国許での自宅蟄居に定まった。
象山は松代へ、寅次郎と金子は萩へとそれぞれ送還された。その後、幕府を恐れていた藩の意向で寅次郎は士分の牢獄である野山獄に、金子は庶民の牢獄である岩倉獄に入牢することとなった。
治療を終えて行馬郎の家を後にした寅次郎は、下田の岡村屋にいる金子の元へ帰り、ペリーの黒船に密航すべく夜陰に紛れて漁師から小舟を盗んだ。
そしてその盗んだ小舟で黒船に漕ぎ着けようとするも、天候不順のため舟が流されて失敗に終わり、次の好機を見定めるべく、柿崎弁天島にある弁天社に身を潜めることとなった。
「先生の皮膚病も治り、小舟も手に入れてやっと密航できると思うちょったのに、今度は天候に邪魔されることになるとはの」
弁天社の暗い祠の中で金子がぼそっと呟く。外では強風がしきりに社を打ち付け、建物が倒壊するのではないかと思いたくなるぐらいひどく軋んでいる。
「まだ密航の機会が完全に失われた訳ではないっちゃ! 今日は風も強く波も荒かったから黒船に近づくこともできんかったが、明日は今よりも天候が落ち着くはずじゃ!」
寅次郎は依然強気な様子であったが、外の風は勢いが収まるどころかますます強くなり、今にも弁天社そのものを吹き飛ばせそうな威力となった。
「それにここまで来て天候如きの為に密航を諦める訳にはいかん! 例え明日も天候が悪かったとしても僕は小舟で漕ぎ出すつもりじゃ! 金子君もそのつもりじゃろう?」
「もちろんであります、先生! 先生に付き従ったのは全て密航してメリケンに行くためです! ここで挫折したら僕たちは何のために苦労してここまで来たんか分からなくなります!」
「その通りじゃ、金子君! 明日こそは何としてでも密航を成功させ、黒船の中で祝杯を上げようではないか!」
「はい、先生! 絶対に成功させましょう!」
金子は黒船密航を必ず成功させることを誓うと、夜も大分更けたことを理由に寅次郎に就寝を促し、そのまま祠の床の上で寝てしまった。
一度目の密航に失敗してから二日後の三月二十七日の深夜、寅次郎達は夜陰に紛れ漁師から別の小舟を盗みだして二度目の密航に挑戦することとなった。
今回の密航は前回と比べると風も波も幾分か落ち着いており、何とか小舟を漕ぎ出してゆくことができそうな気候であった。
ただ、櫓を固定する杭がなかったため、褌で縛り付けて漕ぎ出すもすぐにゆるんでしまい、しまいには着物の帯を解いて櫓に縛り付けて漕いでゆくこととなった。
それから程なく寅次郎達は、ペリー艦隊の一隻であるミシシッピ号に辿り着いた。
「僕は吉田寅次郎と申す者じゃ! メリケンに参りたい一心でここまで来た! どうか僕等を乗せてはもらえんじゃろうか?」
寅次郎は高い波に揺られながら、小舟でミシシッピ号の舷側まで乗り付け、声高に叫ぶと舷梯を下すよう手真似をし始めた。
寅次郎達を乗せた小舟の存在に気付いたのか、ミシシッピ号の甲板上にいる乗組員達の数は次第に増え、みな小舟に乗っている寅次郎達を一目見ようと躍起になっている。
「僕は吉田寅次郎じゃ! ぜひとも船に乗せてメリケンへ連れて行ってはもらえんじゃろうか?」
寅次郎は自身の存在を示すべく再び声高に叫んで、必死に舷梯を下すよう手真似をした。
この時、乗組員達は寅次郎が何かを訴えていることは理解できたみたいであったが、日本語が分かる者が誰一人としていなかったため、何を訴えているのかまでは理解できていない様子であった。
「どうやら彼らには我々の話す言葉はもちろんのこと、手真似も通じちょらんみたいですね。いっそのこと象山先生に添削してもらった漢文の趣意書を上に掲げる方が手っ取り早いのではないですか?」
金子が置かれている状況を冷静に分析して寅次郎に助言する。
「君のゆうちょる通りじゃ、金子君! ああ、なぜ僕はもっと早く気付かんかったのか!」
寅次郎は後悔の念に駆られながらも金子に言われた通り趣意書を上に掲げ、ミシシッピ号の乗組員達にそれを見せつける。
金子の助言が功を奏したのか、寅次郎の趣意書を見た乗組員の一人が約三十間程離れた所にあるポーハタン号に行くようしきりにジェスチャーをしてきた。
「どうやら向う側にある黒船に行く様に手真似しちょるみたいですね。少し離れていますが漕いでいってみましょう、先生」
乗組員のジェスチャーを見た金子が寅次郎に促すと、寅次郎も金子の意を汲んでポーハタン号へと小舟を漕ぎ始めた。
その後、荒波に翻弄されながら寅次郎達はポーハタン号へと辿り着いた。
ポーハタン号はミシシッピ号ほど高さがない船であったため、寅次郎達は乗ってきた小舟をポーハタン号に接舷させた上で直接乗り込んで、密航を志願することを決意したが、甲板上で警備していた乗組員達にたちまち発見されて小舟に押し戻されされそうになった。
「くっ! 離せ! 何をするんじゃ! 僕は何としてでも黒船に乗ってメリケンへ行くんじゃ! 誰にも邪魔はさせんぞ!」
寅次郎達は乗組員達ともみあいになりながらも意地を貫き通し、何とかポーハタン号に乗り込んだ。
「ついに黒船に乗り込んだのう! 金子君!」
「ええ、確かに黒船に乗り込む事には成功しましたが、僕達の乗ってきた小舟は流されてしまったみたいですね……」
波に流されてポーハタン号からどんどん離れてゆく小舟を見つめながら金子が言った。小舟には刀や荷物、象山が寅次郎に向けて書いた送別の詩なども積まれたままであった。
「仕方のないことじゃ。密航することを決意したときからこねーなことになることはもうすでに覚悟しちょった。僕等はもう前に進むより他はない」
乗組員達に押さえつけられながらも寅次郎が悟ったような顔つきで言うと、騒ぎを聞きつけてポーハタン号の中から中国語通訳のウィリアムスが姿を現した。
ウィリアムスは乗組員達に手荒な真似は止めるよう指示をして寅次郎達に近づくと、手に持っていた紙に何かを書き始め、その何かを書き終えると寅次郎に紙を手渡した。
その紙には漢文で
「君達は何をしにこの船に来た? 君達の目的は一体何なのだ?」
と簡潔に記されている。
手渡された紙の内容を読んだ寅次郎は唯一持っていた渡航趣意書の写しをウィリアムスに渡すと、ウィリアムスは熱心に趣意書の写しを読み始めた。
程なく趣意書を読み終えたウィリアムスは、寅次郎達に甲板上で待機しているよう漢文で記載した紙を渡すと、ペリーにお伺いを立てるべく趣意書を片手に船の中へと戻っていった。
寅次郎達が密航の希望が叶うのか否かそわそわしながら待ち続けていると、ウィリアムスが新しい紙を手に携えて再び船の中から姿を現して、その紙を寅次郎達に渡した。
その紙には長い漢文で、
「ペリー長官は貴方方の密航の意思を理解されましたが一緒に連れてゆくことはできないとの仰せです。日本とはまだ国交を結んだばかりであり、もし日本の法律を破って貴方方をアメリカに連れてゆけば我が国の信義を損なうことになります。三ヶ月間、我々は下田に滞在する予定ですので、どうしてもアメリカへの渡航を希望されるのであるならば日本の政府から正式に許可をもらうように」
と記載されていた。
紙の内容を全て読み、密航を拒絶されたことを理解した寅次郎達はただただ茫然とするより他なく、アメリカ側が用意した小舟に乗って帰るよう促されてもしばらくは立ち竦んだままであった。
その後、寅次郎達はアメリカ側の意向により小舟で強制的に福浦海岸へ送り帰されると、流された小舟に乗っていた所持品を探し回ることに没頭することとなった。
「駄目です! どこを探しても僕達の所持品らしきものはどこにも見当たりません!」
小舟で送り帰されたあと、一睡もせずに必死に所持品を探していた金子は疲れ果てた様子で寅次郎に言った。
「そうか……せめて所持品を見つけることができれば、まだ密航の機会があると思うちょったが、それも叶わんとなると自首するより他に方法はないっちゃ」
寅次郎が諦めたような様子で言う。送り帰されてから大分時が経ったのか、日の出が海岸を照らしていた。
「もしかしたらここの土地の者が先に、僕達の所持品を見つけてしもうたのかもしれん。だとすれば幕府の追手に捕まるのも時の問題じゃ。その前に潔く自首しようと僕は考えちょるが金子君はどうじゃ?」
「僕も先生の意見に賛成です。追手に捕まって無様な姿を晒すぐらいなら堂々と自首した方がええでしょう。それに僕達はもう十分人事を尽くしました。悔いはありません」
寅次郎の考えを聞いた金子はすっかり諦観している。
「そうと決まればさっさと自首しに行こう。丸一日睡眠も取らずに動き回っていたから眠気がひどくて仕方ないっちゃ」
こうして寅次郎達は柿崎村の名主である増田平右衛門宅に自首をしに行き、そのまま下田奉行所へ連行されることとなった。
そして下田奉行所の指示で長命寺という寺に数日間拘禁され、月がかわって四月になると江戸の伝馬町牢屋敷へと護送された。
またこの頃、波に流された寅次郎達の小舟が積んであった所持品もろとも発見され、寅次郎の密航を後押しする象山の送別の詩も下田奉行所の知る所となったため、象山も伝馬町牢屋敷に入牢することとなった。
象山や寅次郎達が伝馬町牢屋敷に入牢して、厳しい取り調べをうけるようになってから五ヶ月後の嘉永七(一八五四)年九月、彼らを死罪にすべきか否かの判決が幕府の最高裁判機関である評定所にて下され、結果は国許での自宅蟄居に定まった。
象山は松代へ、寅次郎と金子は萩へとそれぞれ送還された。その後、幕府を恐れていた藩の意向で寅次郎は士分の牢獄である野山獄に、金子は庶民の牢獄である岩倉獄に入牢することとなった。
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