4 / 152
第1章 長州の風雲児
4 法光院の肝試し
しおりを挟む
亥の初刻(午後九時)、法光院の前。
待ち合わせの時刻であった戌の正刻から半刻(約一時間)が過ぎていた。
漆黒の闇が辺りを覆い、真冬の冷たさが体を突き刺す中、秀三郎は姿を現さない晋作を待っていた。
「遅いのう……晋作は一体何しちょるんか……」
手に持っている提灯の蝋燭も半分溶けてしまっているが、晋作はまだ来る気配が一向にない。
秀三郎が諦めて家に帰ろうかと思い始めたとき、片手に提灯を持ちながら何かを担いでいる一人の少年らしき姿が近づいてくるのが見えた。
「遅くなってすまぬ! 寺に忍び込むための梯子を持ち運ぶのに苦労してな……それに家の者の目を盗んで屋敷を抜け出すのにも手間取ってしもうた……」
担いでいた七尺近くの大きさの梯子を脇に置いた後、息を切らしながら晋作が言った。
「家の者とは御父上のことか? それとも爺様のことか?」
秀三郎は晋作の身内の中で、特に父親と祖父が厳格なことを聞いていたので、もしやと思い尋ねてみる。
「父上じゃ! 爺様は今大阪に在勤しておる故、萩には居らん」
晋作は息を整えながら返答した。
「晋作の家もいろいろ大変じゃの! では夜も更けておるけぇ、早う寺の中へ忍び込もうっちゃ!」
その言葉に従い、晋作は刻限を過ぎて門が閉ざされた法光院の塀に、七尺の梯子を架けて中へと忍び込み、秀三郎もその後に続いた。
寺の者がみな寝静まったためか、中は静寂そのものであり、聞こえるのは晋作と秀三郎のかすかな足音だけだ。
彼らは提灯の明かりを頼りに寺の中を進んでゆくと、例の天狗の面がかかっている金毘羅社の前にたどり着いた。
その天狗の面は血のように真っ赤な朱塗りで、口髭や頬髭をぼうぼうとはやし、人をも呑み込めそうなほどに大きな口を開けていた。また金色の目は、まるで盗賊の如く忍び込んだ二人の少年を睨み付けるかのように光っている。
「噂に違わずなんとまあ不気味な面なことか」
秀三郎は面を見てぶるっと肩を震わせながらつぶやく。
「普段からこの面は見慣れちょったが夜に見るとまた違う趣があるのう!」
晋作は感心したように言うと続けて、
「じゃが夜になると天狗の面が笑うなどというのはやはり単なる法螺に過ぎんかったか……」
と言って少し残念そうな素振りを見せた。
「おめぇ等、ここで何しちょるんじゃ?」
後ろから突然声が聞こえてきたので晋作と秀三郎が振り向くと、彼らとそう歳のかわらぬ少年が寝ぼけ眼で立っているのが確認できた。
「お前は確かわしがあの侍と揉めちょったときにその場におった奴じゃな?」
晋作は例の侍といざこざを起こした時、母親とともにその一部始終を見ていたみすぼらしい身なりの百姓の少年がいたことを思い出した。
「わしは松本村の林利助じゃ! この寺の住職とは親戚ゆえ昨日から一時的に預けられてここにおる!」
晋作と再び会えた喜びで興奮したのか、利助はすっかり目が覚めている。
「じゃが何故、かような真夜中に忍び込んできたんじゃ? まさか賽銭でも盗みにきたんか?」
まだ萩に来て日が浅く天狗の面についても何も知らなかったため、利助は再会を喜びながらも、なぜ晋作たちが忍び込んできたのかが不思議で仕方がない。
「無礼な! わしらは賽銭を盗みにここに参ったのではないっちゃ! 夜になるとこの寺の天狗の面が笑うという噂が誠か否か、確かめるためにここに来たんじゃ!」
憤慨しながら晋作が利助の問いに対して答えた。
「それはすまんかった! 許してくれろ! まさかこの拝殿の天狗の面にそねーな噂があったとは知らんかったんじゃ!」
利助は慌てて謝罪をすると気を取り直して、
「それにしてもおぬしは本当に大したものじゃのう! お侍様を負かしたり、噂の真偽を確かめるためだけに真夜中に寺に忍び込んだり、一体何者なのじゃ?」
と再び質問をぶつけた。利助はますます晋作のことが気になって仕方ないといった様子でいる。
「わしは高杉晋作じゃ! 高杉家は元就公以来、代々毛利家に仕えてきた武家の家柄なんじゃ!」
高杉家は毛利元就が安芸国の吉田郡山城の主であったころに毛利氏に仕えはじめ、関ヶ原の戦いに負けて毛利氏が防長の二ヶ国に押し込められて以降も、歴代の高杉家当主たちは重役の一人として、長州藩政に多大な力を発揮し続けてきた。
利助に賞賛されてすっかりその気になったのだろうか、晋作は名前だけでなく自らの誇りとする家柄のこともつい口走ってしまった。
「晋作! 寺の者に名を名乗ったりしてどねーする? 一部始終を密告されでもしよったら一大事じゃぞ!」
有頂天になった晋作を咎めるように秀三郎が言うと続けて、
「それにあまり長居をすると他の者にも気付かれる可能性があるけぇ、早う寺の外に出たほうがええ!」
と言って焦る素振りを見せ始めた。
「大丈夫じゃ! 利助はわしらの事を他言したりはせんよ!」
根拠はないが、晋作は利助が誰かに密告するような真似をしないことを直感で感じている。
「じゃが夜も大分更けてきたけぇ、そろそろこの寺から立ち去ったほうがええのは確かじゃ! さらばじゃ、利助! また会おう!」
晋作は利助に別れを告げると、秀三郎ともに闇夜に消えた。
待ち合わせの時刻であった戌の正刻から半刻(約一時間)が過ぎていた。
漆黒の闇が辺りを覆い、真冬の冷たさが体を突き刺す中、秀三郎は姿を現さない晋作を待っていた。
「遅いのう……晋作は一体何しちょるんか……」
手に持っている提灯の蝋燭も半分溶けてしまっているが、晋作はまだ来る気配が一向にない。
秀三郎が諦めて家に帰ろうかと思い始めたとき、片手に提灯を持ちながら何かを担いでいる一人の少年らしき姿が近づいてくるのが見えた。
「遅くなってすまぬ! 寺に忍び込むための梯子を持ち運ぶのに苦労してな……それに家の者の目を盗んで屋敷を抜け出すのにも手間取ってしもうた……」
担いでいた七尺近くの大きさの梯子を脇に置いた後、息を切らしながら晋作が言った。
「家の者とは御父上のことか? それとも爺様のことか?」
秀三郎は晋作の身内の中で、特に父親と祖父が厳格なことを聞いていたので、もしやと思い尋ねてみる。
「父上じゃ! 爺様は今大阪に在勤しておる故、萩には居らん」
晋作は息を整えながら返答した。
「晋作の家もいろいろ大変じゃの! では夜も更けておるけぇ、早う寺の中へ忍び込もうっちゃ!」
その言葉に従い、晋作は刻限を過ぎて門が閉ざされた法光院の塀に、七尺の梯子を架けて中へと忍び込み、秀三郎もその後に続いた。
寺の者がみな寝静まったためか、中は静寂そのものであり、聞こえるのは晋作と秀三郎のかすかな足音だけだ。
彼らは提灯の明かりを頼りに寺の中を進んでゆくと、例の天狗の面がかかっている金毘羅社の前にたどり着いた。
その天狗の面は血のように真っ赤な朱塗りで、口髭や頬髭をぼうぼうとはやし、人をも呑み込めそうなほどに大きな口を開けていた。また金色の目は、まるで盗賊の如く忍び込んだ二人の少年を睨み付けるかのように光っている。
「噂に違わずなんとまあ不気味な面なことか」
秀三郎は面を見てぶるっと肩を震わせながらつぶやく。
「普段からこの面は見慣れちょったが夜に見るとまた違う趣があるのう!」
晋作は感心したように言うと続けて、
「じゃが夜になると天狗の面が笑うなどというのはやはり単なる法螺に過ぎんかったか……」
と言って少し残念そうな素振りを見せた。
「おめぇ等、ここで何しちょるんじゃ?」
後ろから突然声が聞こえてきたので晋作と秀三郎が振り向くと、彼らとそう歳のかわらぬ少年が寝ぼけ眼で立っているのが確認できた。
「お前は確かわしがあの侍と揉めちょったときにその場におった奴じゃな?」
晋作は例の侍といざこざを起こした時、母親とともにその一部始終を見ていたみすぼらしい身なりの百姓の少年がいたことを思い出した。
「わしは松本村の林利助じゃ! この寺の住職とは親戚ゆえ昨日から一時的に預けられてここにおる!」
晋作と再び会えた喜びで興奮したのか、利助はすっかり目が覚めている。
「じゃが何故、かような真夜中に忍び込んできたんじゃ? まさか賽銭でも盗みにきたんか?」
まだ萩に来て日が浅く天狗の面についても何も知らなかったため、利助は再会を喜びながらも、なぜ晋作たちが忍び込んできたのかが不思議で仕方がない。
「無礼な! わしらは賽銭を盗みにここに参ったのではないっちゃ! 夜になるとこの寺の天狗の面が笑うという噂が誠か否か、確かめるためにここに来たんじゃ!」
憤慨しながら晋作が利助の問いに対して答えた。
「それはすまんかった! 許してくれろ! まさかこの拝殿の天狗の面にそねーな噂があったとは知らんかったんじゃ!」
利助は慌てて謝罪をすると気を取り直して、
「それにしてもおぬしは本当に大したものじゃのう! お侍様を負かしたり、噂の真偽を確かめるためだけに真夜中に寺に忍び込んだり、一体何者なのじゃ?」
と再び質問をぶつけた。利助はますます晋作のことが気になって仕方ないといった様子でいる。
「わしは高杉晋作じゃ! 高杉家は元就公以来、代々毛利家に仕えてきた武家の家柄なんじゃ!」
高杉家は毛利元就が安芸国の吉田郡山城の主であったころに毛利氏に仕えはじめ、関ヶ原の戦いに負けて毛利氏が防長の二ヶ国に押し込められて以降も、歴代の高杉家当主たちは重役の一人として、長州藩政に多大な力を発揮し続けてきた。
利助に賞賛されてすっかりその気になったのだろうか、晋作は名前だけでなく自らの誇りとする家柄のこともつい口走ってしまった。
「晋作! 寺の者に名を名乗ったりしてどねーする? 一部始終を密告されでもしよったら一大事じゃぞ!」
有頂天になった晋作を咎めるように秀三郎が言うと続けて、
「それにあまり長居をすると他の者にも気付かれる可能性があるけぇ、早う寺の外に出たほうがええ!」
と言って焦る素振りを見せ始めた。
「大丈夫じゃ! 利助はわしらの事を他言したりはせんよ!」
根拠はないが、晋作は利助が誰かに密告するような真似をしないことを直感で感じている。
「じゃが夜も大分更けてきたけぇ、そろそろこの寺から立ち去ったほうがええのは確かじゃ! さらばじゃ、利助! また会おう!」
晋作は利助に別れを告げると、秀三郎ともに闇夜に消えた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
伊藤とサトウ
海野 次朗
歴史・時代
幕末に来日したイギリス人外交官アーネスト・サトウと、後に初代総理大臣となる伊藤博文こと伊藤俊輔の活動を描いた物語です。終盤には坂本龍馬も登場します。概ね史実をもとに描いておりますが、小説ですからもちろんフィクションも含まれます。モットーは「目指せ、司馬遼太郎」です(笑)。
基本参考文献は萩原延壽先生の『遠い崖』(朝日新聞社)です。
もちろんサトウが書いた『A Diplomat in Japan』を坂田精一氏が日本語訳した『一外交官の見た明治維新』(岩波書店)も参考にしてますが、こちらは戦前に翻訳された『維新日本外交秘録』も同時に参考にしてます。さらに『図説アーネスト・サトウ』(有隣堂、横浜開港資料館編)も参考にしています。
他にもいくつかの史料をもとにしておりますが、明記するのは難しいので必要に応じて明記するようにします。そのまま引用する場合はもちろん本文の中に出典を書いておきます。最終回の巻末にまとめて百冊ほど参考資料を載せておきました。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
悲恋脱却ストーリー 源義高の恋路
和紗かをる
歴史・時代
時は平安時代末期。父木曽義仲の命にて鎌倉に下った清水冠者義高十一歳は、そこで運命の人に出会う。その人は齢六歳の幼女であり、鎌倉殿と呼ばれ始めた源頼朝の長女、大姫だった。義高は人質と言う立場でありながらこの大姫を愛し、大姫もまた義高を愛する。幼いながらも睦まじく暮らしていた二人だったが、都で父木曽義仲が敗死、息子である義高も命を狙われてしまう。大姫とその母である北条政子の協力の元鎌倉を脱出する義高。史実ではここで追手に討ち取られる義高であったが・・・。義高と大姫が源平争乱時代に何をもたらすのか?歴史改変戦記です
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
拾われ子だって、姫なのです!
田古みゆう
歴史・時代
南蛮人、南蛮人って。わたくしはれっきとした倭人よ!
お江戸の町で与力をしている井上正道と、部下の高山小十郎は、二人の赤子をそれぞれ引き取り、千代と太郎と名付け育てることに。
月日は流れ、二人の赤子はすくすくと成長した。見目麗しい姿と珍しい青眼を持つため、周囲からは奇異の眼で見られる。こそこそと噂をされるたび、千代は自分は一体何者なのだろうかと、自身の出自について悩んでいた。唯一同じ青眼を持つ太郎と悩みを分かち合おうにも、何かを知っていそうな太郎はあまり多くを語らない。それがまた千代を悶々とさせていた。
そんな千代を周囲の者は遠巻きに見ながらも、その麗しさに心奪われる者は多く、やがて年頃の千代にも縁談話が持ち上がる。
しかし、当の千代はそんなことには興味がなく。寄ってくる男を、口八丁手八丁で退けてばかり。
果たして勝気な姫様の心を射止める者が、このお江戸にいるのかっ!?
痛快求婚譚、これよりはじまりはじまり〜♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる