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第三十話 消せない気持ち

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「じゃあ私はもう行くから。アンタ達?今日は一緒に登校するらしいけど……、戸締りはしっかりして登校するのよ。もし遅れるような事があれば、LINEで早いうちに知らせるように!じゃあ母さん、もう行くわね。」

「「いってらっしゃい!(お)母さん!」」


 体育祭の合同開催について話し合った次の日の朝。俺と雫は、今日も朝から出勤の母さんを二人で見送り、それからいそいそと自分達の身支度を整えて、今朝の登校へ向けて準備を続けていた。

 そして、身支度をしている間……、俺は今朝の出来事についてぼんやり思い出す。


「(結局、雫が何を考えていたのかは分からずじまいだったなぁ……。本人が言う通り、別に怒っていた訳でないんだろうけど。何か俺もしくは三葉先輩に思う事は……、恐らくだけど何かあるんだろうな……。)」


 俺は昨日と今日の雫の様子を対比して考えながら、今朝からの様子についても思い出して、ようやくそこで自身の鈍感さに気が付き少し苦笑してしまう。

 いつもの雫の様子について、あれこれ俺は考えていたのだが……、そもそも今日は、朝から色んな事がいつもとは違ったのだ。


 いつもは結構ギリギリの時間まで寝ている事が多い俺なのだが……、今日は珍しく、朝の登校の段階から大事な約束があるのと、それに対する少しの緊張感もあって、いつもより早い時間に目が覚めた。

 そして、流石に今日は雫よりも早く目覚めただろうと思い、スタスタと下のリビングに降りて来た所……、なんと、もうすでに雫はリビングに降りていたのだ。

 俺は昨日の少しだけ怖かった雫を想像して、「お、おはよう雫。」と、恐る恐る声を掛けてみた所、意外にも雫は落ち着いた様子で、昨日のような圧迫感などは感じない。


「あっ、お兄ちゃん。おはよう。今日はいつもより早いね?朝食はもう直ぐだから、顔洗って歯を磨いて来てね?」


 いつもと変わらぬ様子で雫は俺に受け答えし、朝食の準備を手伝いに行くのだった。


 あれ?昨日の不機嫌だった雫は?


 俺は昨日、なぜか雫が不機嫌だった事を思い出し、それが今日には普段通りに戻っている事に疑問を感じる。


「(昨日の事情を知ってる感じだったから、俺が三葉先輩と交際(仮)をするって事に、まだその手の話に懲りてないのか?って思われてて、それに対して怒ってるのかと思ってたんだけど……。別にそんな事は思ってなかった…のか?俺の思い込みだっただけで。ただ昨日は機嫌が悪かっただけなのか?)」


 俺は口には絶対にしないがそんな事を考えて、なぜかいつも通りの様子に見える雫に対して戦々恐々とする。

 実際、俺よりも精神年齢が高いと思われる雫の考える事は、表面上はある程度分かったつもりでも、深層心理の部分ではよく分からない事が多く、いつも通りに見える状態でもその内心は不明瞭なのだ。

 そして今の雫はまさにその状態であり、ハッキリ言って、いつもの雫よりも何倍も気を遣い、より慎重な対応が俺には求められる。


「(まずは雫の言う通りに動くのは……、まあ当然の話だよな。雫に逆らおうなんて事は始めから考えた事もないし。それに加えて、迂闊な発言を自らしない事。これによって不用意に雫の機嫌を損ねずにいられーー)」

「どうしたの?お兄ちゃん?そんな洗面台でぼーっと鏡なんか見て。朝ごはんはもうできてるし、お母さんも早くごはん食べたそうにして待ってたよ?」

「ぐふぇ!かは!けほ!」


 俺がこの朝の時間、どのようにして雫を怒らせないように対応するべきか?と、真剣に考え込んでいると……、突然、背後に気配がして振り返ると、まさに今考え込んでいた相手、当の本人がそこに立っていたのだ。

 俺は動揺のあまり口に含んでいた歯磨き粉を少量ながらも飲み込んでしまい、咳き込むと同時に慌てて水で洗い流す。

 多少飲み込んでしまったが、別に有害と言う程ではないので、急いで洗面台を離れようと寝癖もそのままに立ち去ろうとしてーー


「あっ!お兄ちゃん。ちょっと待って……。よし、これで髪も元どおり!あんまりだらしないでいると、その三葉さんって人に幻滅されちゃうよ!お兄ちゃん。」

「お、おう……。ありがとう。気をつけるわ……。」

「じゃあ、私は先に戻っとくね?別に無理に急がなくても大丈夫だから、しっかり身だしなみを整えてから来てね?」


 雫は髪が何本か跳ねたままだった俺の頭を手櫛で梳き、三葉先輩の名前を出して、俺のだらしない所を苦笑気味に注意してくれる。

 別に嫌味を言っているとかそういう訳ではなく、あくまで俺のためを思ってそう言ってくれたというのが、さっき手櫛をした時の優しい手付きから伺う事が出来る。

 そして、雫はそれだけ言うとリビングに戻り、その場には俺だけが残る。だが、雫言われた事をすぐに思い出し、出来るだけ早く身だしなみを整えて俺はリビングに戻る。


 そうして、俺と雫のいつもとは違う。けれど、いつもに以上に暖かい朝の時間が、朝ごはんを終えるとすぐに過ぎて行くのだった。

 そして場面は冒頭のシーン。二人一緒の登校へと話は戻る……。



 ・
 ・・
 ・・・
 ・・
 ・



「ーーで、こんな時になって聞くのも変な話なんだけど……。その三葉さんってどんな人なの?お兄ちゃん。そっちの高校でもとっても有名な美人さんって事は知ってるんだけど、私自身、その人の性格とかについては全く知らないし、聞いた事がないんだよね。
 ……まあ、お兄ちゃんが会ってすぐに信頼するくらいの人だから、決して変な人ではないって事は分かるんだけどね?」


 昨日、三葉先輩と一緒に登校する事を約束し、その集合場所として決められていた古びたアーケード街。

 ここは俺と先輩が初めて会った場所で、俺達の思い出の場所だ。(まあ思い出と言っても、ここ数日の出来事なのだが……。)

 そして、そんな思い出の場所を俺達は約束の場所に選んだ訳であるが、先のセリフから分かる通り、俺の妹、相川 雫あいかわ しずくも一緒に先輩の到着を待っていた。


 やはりというか、昨日の雫の言葉は冗談の類などではなかったようで、しっかりと朝食の際に「今日はお兄ちゃんと一緒に登校するから。」と、宣言されてしまった。

 そのため俺は現在、雫と先輩の到着を二人で雑談しながら待っているという状態だ。


 ーーそれで、ひとまず先程の雫の質問にちゃんと答えるとするなら……。


「そうだな……。雫の言う通りの美人なのは間違いないし、変な人ではない事は言うまでもないな。それで性格は……うん。基本は穏やかだな。たまに変に熱くなる時もあるけど……、いつもはしっとり落ち着いた、歳上のお姉さんって感じかな?」


 大体当たり障りのない、基本的な俺が思っている先輩の印象について答える。

 まあ、実際の俺の第一印象は……、うん。雫には別に言わなくてもいいかな……。兄としての威厳とかがね?……うん。


 とりあえずの先輩の印象を俺は想像して、そんな風に雫の質問に答えた所、なぜか雫はじとーっとした目で俺を見てきて……。


「うーん、私がもう一つ友達から聞いてた情報には、もっとがその人にはあったと思うんだけど……?
 どうしてお兄ちゃんはそれを私には伝えなかったのかな?もしかして、何か後ろめたい事でもあるの?お兄ちゃん?」


 と、あえて俺が触れなかった先輩の特徴について触れ、それを言及しなかった理由について……、平たく言うと、何か後ろめたい事があるのではと疑われている。

 そして全然関係ない話なのだが、俺を見る雫の目はジトっと少しの不満を示しており、どこか不機嫌な子犬のようで可愛らしい。


 しかし、こんな意味のない所で雫の機嫌を損ねても仕方ないので、俺は下手な言い訳をせず、素直にありのままを伝える事にした。


「はい。ごめんなさい。ちょっと気恥ずかしくて1番の特徴を黙ってました。聞いているとは思いますが、三葉先輩は胸が大きくて、非常に魅力的な女性です。はい……。」

「うん。素直でよろしい。下手に言い訳なんかしたらホントに何かしでかしたのかと疑ったけど……、お兄ちゃんも男の子だし仕方ないよね。それに……、みんなが噂するくらいのソレみたいだし、そこに目がいってもおかしくはないと思うよ。……男の子だしね?」


 俺が素直に告げた事に溜飲下げたのか、雫は俺の言葉を深くは追及せず、むしろこちらに寄り添う意見を言い、一定の理解を示す。

 雫が一定の理解を示してくれて、兄としては追及されず助かるのだが……、男の子だからと理解を示されるのは何だか複雑だ。

 とは言え……、俺は雫から追及されない事に安心しながらも、少しだけ顔を引き締めて、ちょうどこの機会に俺が先輩に想っている事について、雫にも話しておく事にした。


「まあそれも、先輩の魅力の1つである事は事実なんだけど。それはあくまでも魅力の1つであって、その……。何か……うん。上手くは言えないんだけど、先輩にはそれ以外にも沢山良いとこがそういう外見の良し悪し以外にも沢山あって、もっとある他の魅力も見つけたくなる……、そんな先輩ひとなんだ。」


 俺は雫に先輩には外見よりも大切な、言葉で上手く言えないような多くの魅力がある先輩ひとだと知って貰いたくて、そう不器用だけど飾らない言葉でありのままを伝えた。

 これは俺が少しの時間だけど一緒に過ごして感じた先輩への素直な印象であり、今の時点までに俺が見つける事の出来た……、言葉で言い表せないけれど確かな先輩の魅力だ。

 そして、そんな数多くある魅力のその一つずつを、こんなにも近くで見つけ感じられる事がとても嬉しくもあり、これからの時間が楽しみだと…そう感じる。


 ーーといった感じで、思いのほか熱く、先輩の魅力を雫に語った所……、なぜか雫はとても穏やかな、何かを悟ったような……、そんな顔をして……。


「そっか……。お兄ちゃんは本当に大切な人を見つけたんだね。うん!それはよかった。本当に……よかったよ。
 じゃあ私は…うん。その人とはまた今度。次は……そう。お兄ちゃんとその人がになった時に会う事にするね。
 だから…ね。バイバイお兄ちゃん。私はずっと、ずーっと好き……大好きだったよ。」


 くるりと俺に背を向けた雫はそう言って、俺の返答を待たず、そのまま歩き出そうとして……、立ち止まった。俺の背後から気配なく現れた和葉ちゃんによって。

 俺は突然和葉ちゃんが現れた事にも驚いたが、それ以上に、あれ程人見知りな和葉ちゃんが、雫の手をぎゅっと掴んで離さないという事に驚きを隠せないでいた。


 そして、しばらく呆然と掴まれた手を眺めていた雫だったが、はっと我に返ったのか、自身の手を掴む和葉ちゃんをキッと睨む。


「あの!誰かは知りませんが……、手を離して下さい!私は……もう、行きますから。これ以上お兄ちゃんに迷惑なんて……。だから、この手を離して!」

「……だめ……です。……そんな顔でいるアナタをこのまま……離す訳にはいきません。
 ……きっとアナタは今、。……何かを言い訳にして……自分を誤魔化そうとしてます……。」


 これは本当に驚いた……。雫がこんなにも感情的になっている事にも驚いたが、和葉ちゃんも負けていない。

 俺の隣に並んで雫の手を掴む和葉ちゃんの目には、その手を絶対に離さないという強い意志を感じ、隣にいる俺までもが、その手の熱量を肌で感じ取る事が出来そうな程だ。


 俺は、突然の雫の発言に驚いたというのもそうだが、2人の作り出す緊迫した空気。その張り詰めた空間の中では、下手に口を挟む事は勿論、口を開く事すら出来ないでいた。


 だが固まる俺を他所に、そんな間にも二人の舌戦は続いていて……。


「な、何を言ってるんですか……?わ、私は別に誤魔化そうなんて……。そもそも、アナタに私の気持ちなんて分かるはずない。お兄ちゃんを想う、私の気持ちなんて。
 アナタはお兄ちゃんの知り合いの方なのかもしれませんが……、今は、今だけは!私を放っておいて下さい!止めないで下さい!」

「……いえ、放っておきません。……いくらアナタがの妹であっても……それだけは譲れません。
 それに……私には共感出来ます。……アナタが感じるその気持ちを。……届かないからと手を引こうとする、その寂しさを。……私には分からなくても……感じる事は出来ます。」


 すると、和葉ちゃんのその言葉に、和葉ちゃんの手を振り解こうと抵抗していたその手の動きがぴたりと止まる。

 そして、ゆっくりと振り向いた雫の、その瞳からは……。


 ぽた……ぽた……ぽた……。


 いつ以来見たのか分からない。絞り出すように流れた幾筋の雫がその瞳から溢れた。


 それには俺も思わず……。


「雫!」

「ーー待って!待って下さい。相太くん。」


 そう叫ぶや否や手を伸ばそうとした俺を、突如として現れた三葉先輩がそれを遮った。

 それに対して俺は「どうして!?」と、先輩の方を勢いよく振り返り向くと、かなり食い気味でその説明をするよう求める。


「落ち着いてください相太くん。今相太くんが彼女に近づいて話し掛けても、彼女の心をただ混乱させるだけです。
 それに、今は和葉が彼女にはついています。あの子は臆病で気の弱い所がありますが、いざという時には相手に寄り添う事の出来る、そんな優しさを確かに持っています。
 だから……、今は任せましょう。相太くん。和葉が彼女を立ち直らせてくれる事を信じて……。私達は先に行きましょう。」


 先輩は優しくも力強い言葉でそう言うと、俺の手を取り二人を置いて先に行くよう促す。

 それに対して俺は、思わず和葉ちゃんを見ると、コクリと彼女は頷いて、声には出さずとも先に行くようにとの意思を表示する。


 俺は少し逡巡したが、二人の意見に承諾をして、二人を置いて先に行くと決める。


「……ごめん。妹を、雫の事を頼む。和葉ちゃん。」

「……はい!」


 と、短くそう言って、俺は先輩の手を強く握り返してから、その場をすぐ後にする。

 雫の涙に動揺した心を、ギュッと手で握りしめて押さえつけるようにして……。
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