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第一章 強制退場
強制退場1
しおりを挟むスターターピストルの発砲音が耳に届いた。
一直線百メートル。発砲音を合図にクラウチングスタートの体制から足の裏に力を入れ、強く地面を蹴って走り始める。
誰よりも——風よりも速くと言わんばかりに上半身を傾けたまま腕を振るい走りゆく姿を見て、きっと目先のゴール以外何も見えなていないのだろうと思う。
陸上のルールでは胴体部分がラインを超すことでゴールと認定される。だから、陸上選手の殆どは胸を張るか上半身を突っ込む態勢になってラストスパートを駆け抜ける。
彼はどうやら上半身を突っ込んでいくスタイルのようだ。ストップウォッチを待って待つ顧問がいるゴールラインに頭が突っ込み、続いて胴体が突っ込んで越えていく。
超えると同時に顧問は力強く親指でスイッチを押して、彼のタイムを確認……大声でタイムが発表する。
自己ベストでも出たのであろうか。タイムを聞いた彼はいま全力で走り終えたとは思えないばかりに力強いガッツポーズと共に雄叫びをあげる。監督も嬉しいのだろう。興奮している彼に近づいて力強く、でも誇らしくその背中を叩いた。
そんな彼の姿を、俺——王門 誠はグランドのフェンス越しにパックジュース片手に見ていた。
「お~」
「そんなに気になるなら陸上部に入ればいいだろう?」
小さな驚きを口にする俺にフェンスの向こう側にいる友人が話し掛けてきた。タンクトップに短パン。走る競技にはベストな服装は友人が陸上部に所属していることを表している。
「いやぁ、速いのいるなぁ~って見ていただけで興味はないよ」
「興味無いねぇ? 中学まで楽しそうに陸上やってた奴が言っても説得力は無いなぁ」
(説得力ないって言われてもよぉ……)
頭を掻きながら呆れた風に言ってくる中学からの友人に、俺も内心呆れながらズズーっとジュースを飲み干した。
中学までは陸上部に所属していた。専門は短距離走。市の大会にも参加して名前と順位が学校の全校便りにも載ったことがある。部活に所属していた理由の一つとして高校受験のための内申点とかがあるけど……でも純粋にあの頃は仲間と部活の時間を過ごすのが楽しかったし、何より自由に走ることが楽しかった。
だけど、高校での部活はどうだ? 部活に高校生活全てを費やすのは青春でいいのかもしれない。そんな考えを持つ奴を俺は否定しない。だけど、中学の時とは全てが違う。
目指すは地区予選突破、県大会突破、インターハイ出場。生半可で遊び心の半端者は部活に入ってくるな。表上は「楽しめ」というが、実際は「勝つ気持ちで参加しろ」とギッチギチなスケジュールを組んでくる。
中学の時とは違うそんな空気に俺は早々陸上部に入ることを止めた。楽しく走っていたいのにストレスと愚痴が勝ってしまっては意味が無い。なら、好きな時に自分で走っている方がいい。走る場所なんて場所を選ばないのだからそれでいいじゃないか。
「この学校の陸上部は俺には合わなかったんだって言ってるだろう。だから、陸上部には興味がない。だけど走るのは好きだからつい見ても可笑しくないだろ?」
「いや、まぁ、可笑しくはないけど……」
それでも納得しない友人に「なんでかなぁ~」と肩をすくめる。こいつ自身は部活を楽しんでいるんだろうけど、生憎先程にも言った通りに此処では俺の楽しさを見出すことは出来なかった。
寧ろ、そのことに早く気付いて良かったとも思う。もし知らずに陸上部に入ってたとしたら辞める時の緊張感は半端ない。顧問にも仲間にも先輩にもだ。「辞めるってテメェなぁ~」って威圧感が目の前にあるんだぜ? 情が移ってやめられなくなるってことでも面倒なのに、そんな面倒も追加されるんだぜ?
「なぁ本当に楽しくなさそうだから入んないんだよな?」
「しつこいなぁ。そう言ってんじゃねぇか」
「アイツが速いからって、感じで諦めてる感じじゃないよな」
その言葉にカチンっときた。
喧嘩売ってんのか?、と喉まできたがその言葉を飲み込み怒りを抑えた。
しかし、コイツは俺がそんなに器の小さい男だとでも思っているのだろうか。
俺は走るのは好きだが特別速いわけでもない。
昔、怪我をした時に訪れた病院の先生に「この体格だと今後速くなることはないねぇ」とついでの様に話されたことがある。当時、先生は世間話のようだったかもしれないが俺は大きなショックを受けて心底落ち込んだ。
いや、普通に落ち込むだろう。悪意のない言葉がこんなに人を傷つけるものだと思わなかったよ。あの時小学生だったが、よくグレなかったなと褒めて欲しいぐらいだ。
それから悔しくて……本当に悔しくて沢山走る練習をしたが、数年経った今ではそれを受け入れ落ち着いている。
高校で部活に入っていなくても、「中学で陸上やっていた」ってことで体育の時間や体育大会の試合で戦力として数えられる。それぐらいの運動神経は持っているし、残っている。
だから、部活やっている奴が特別凄いわけじゃない。勝ち組でもない。
「俺帰るわ」
「え、怒った?」
俺の態度に友人は焦ったが、単にバスの時間が近づいてきたため。怒ってない、と適当に手を振りながら、近くにあったゴミ箱に見切ったパックを放り捨てた。それでも困ったように眉を八の字にする友人に、「気にすんな」って声を掛けて部活にそろそろ戻る様に促した。
(そんな困ったような顔をするくらいなら言わなければいいのに……)
友人の言動に呆れながら、つい最近ダウンロードしたはずなのに聴き飽きてきた曲をスマホからワイアレスイヤホで流しながら、大きな欠伸を一つ。
掃除も無い、部活も無い。ただ帰るだけ。
今日は座りっぱなしの授業ばかりだったはずなのに、俺の身体は座いるだけで疲れているらしい。眠そうに目元を擦りながらバス停へと気怠そうに歩き出した。
——————…………
「華の高校生が毎日ダラダラと。なんか無いの?」
学校から帰宅し、居間でスマホゲームをしながらダラダラ過ごしてから夕飯の準備をしていた母に文句を言われた。
「なんかって?」
「どっか行くとか」
「こんな田舎町で何処に行けっていうんだよ」
ショッピングモールと呼ばれる場所はあるがそんな十年も前にできたところなど既に行き飽きているのだよ母上。
行くにしてもこんな田舎町では学校帰りに寄れるところなどたかが知れている。そのショッピングモール内にある遊び飽きたゲームセンターとボーリング、あと学校の近くにあるカラオケ以外何もない。
「別に学校帰りだけに限定してるわけじゃないわよ。アンタ休日まで部屋でゴロゴロしてんじゃない。バスや電車に乗って遠出するとかないの?」
「一回遠出するだけで一か月の小遣いなんか簡単に吹っ飛ぶわ」
貰っている小遣いは決して少なくはないが、その金額は全国の高校生のお小遣い平均値である。此処から離れた都会の街に行くにも片道バスで一時間半で千二百七十円。それを往復と遊び代含めて考えてみろ。余裕で高校生のお小遣いなど吹っ飛ぶ。
「なら、趣味とか新しく始めるとか」
「趣味ならゲームがある」
「それは却下」
まさかの却下。じゃぁ何があるのだと言うのか。
(バンドか? バンドやれってか?)
もっと無理だろ。
華の高校生=バンド、と安直だなぁと思ったしまう方程式だが、別に嫌いなわけではない。バンドといったものに若干憧れはある。それが興味に繋がるかはわからないが。
ギターは一生懸命一曲を覚えることに集中、あの素人でも分かる挫折の一つFコードさえ工夫して何とかすれば実は短い期間で弾けるようになるらしい。
だ・け・ど。ここで問題なのはやはり金銭問題である。
ギターは普通に高いだろう。その値段で都会のまで数回往復できる。中古を探せばいいっていうかもしれないが中古でも十分に高い物は高いし、そんな高い買い物をして挫折・もしくは途中で飽きたら勿体無い。
そもそも一緒にそんな大金払って一緒にやってくれる友達はいるのか? いや、友達はいるが「一緒にやろう」って言っても苦笑いされて断られるというオチが見える。そんな大金あるならゲーセンとかカラオケに行こうぜって言われそうだ。
「というか、趣味始めること自体金が必要だから。何、お小遣い増やしてくれんの?」
「これ以上お小遣いは上げることはできません。バイトでもして稼いできなさい」
いや、答えは分かってたけど。
じゃぁ趣味とか言うなよなぁ。
そんな想いを乗せて、長年の主婦の腕前を見せる様に豆腐をスパスパ切っていって鍋に突入させていく母をジーっと見つめるが、そんな俺の目など気にもせず「というか、アンタ」とまだ話を続ける。
「もう一度バイトでもしたら? この前のバイト三か月で止めたじゃない」
そうそう。実は高校生活が始まって間もない頃にバイトを始めていたのだ。母の言う通り、三か月で止めてしまったが。
それでも、その三か月の間に結構稼いだもので。だけど、結局はバイト中にタイミングの無かった為に使ったのは辞めた後、家族にファミレスでご馳走したり、ゲーム買って友達と遊んだり……特別なことに使うわけではなく、よくある使い方をして終わった。
バイトを辞めた理由だが「嫌な奴がいた」とか「客とトラブルを起こした」とかそんなことではなく、ただ単純に「行くのメンドクセ~」って気持ちになった。
それだけだ。
「別に学業に支障が無かったんだから、お母さんまたバイトしても怒らないわよ」
「怒るとか怒らないとかの問題じゃなくて、単に行くのが怠くなって辞めただけだから」
「はい出た。怠いって。もぉ、一生に一度しか来ない高校生活なんだから青春しなさいよ」
何を言っても否定形で返ってくる。
ウザいなぁ、と段々腹が立ってきた。
提案はするだけして責任持たないんだから何も言ってくるなよ、と内心で悪態を吐きながら無視して自分の部屋に戻ろうとした時、玄関から「ただいまー」といった声が聞えてきた。
「お帰り兄ちゃん」
「ただいま~。お母さん、今日の夕飯何~?」
「味噌汁と魚と野菜。今日帰るの早かったのね~」
「部活早めに終わったからね」
兄の質問へザックリと答えた母はもうすぐできるから、と魚を焼き始める。先程腹は立ったが言葉の通り、あと数分でできるのならば二階に上がっては面倒だと、すぐ隣にあるソファーに腰を掛けることにした……が。
「ちょっと、お兄ちゃん聞いて。誠ったら今日も帰って来てからずっとダラダラスマホ弄ってたのよ。何か言ってやってよ」
母は諦めていなかった。
先程の話を今度は兄に振り始めた。
「余計なお世話だよ」
「別にダラダラしてもいいんじゃないかな」
流石兄ちゃん。話がわかる。兄の答えに「え~」っと不満げな声を上げる母に俺は勝ったように笑った。
「大人になったらダラダラする時間なんてないんだから。寧ろダラダラできる時間はある意味貴重なのかもよ」
「でも、せっかくの華の高校生なんだから、もっと熱くなって一生の思い出となる青春を親としてはやって欲しいんだけど」
母よ、それは親のエゴというものだ。いずれこのダラダラした日常も含め、「高校生活は青春であった!」という日が来るから我が子の事など気にするな。
「お兄ちゃんみたいに部活に入ろうとは思わないの?」
「中学の部活と高校の部活は全く違うんだよ。バイトで出来ても、部活での勉強との両立なんて無理だと思う」
二つ上の兄は別の学校に通っていて、運動系に属していた俺と正反対の文科系である吹奏楽部に属している。演奏会には行ったことが無いが何万もするクラリネットをいままでの貯金と入学祝いで買って貰い、家で吹いているところを何度か見せて貰った。
良かったな。俺ではなく兄が立派に母の望む青春を謳歌しているぞ。だから、俺はしなくていいだろう。
俺のダラけ切った姿と兄の援護射撃、そして「部活と勉強の両立」というキーワードでようやく母は「もういいわ」と溜息を付いて晩御飯の準備に集中し始めた。
これで今後、また思い出したように「華の高校生なのに~」って言ってこなければ良いのだが。悲しきかな。また月単位で聞いてくるんだろう。
いずれくるだろう面倒臭い会話を想像しながらバレないようにため息をつき、再びスマホを弄り始めた。
……くそ、また微妙なキャラが当たった。
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