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噂ほど怖いものはない。

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人間、気づかないほうが幸せなことってあるよね、うん。
とりあえずなかったことにしようと心に決め、まずは明日の予定を竜児へ連絡する。
どうやら、昼頃にこちらの会社まで相手側が出向いてくるという話になっているようで、幸い連絡はすぐにつき、大体の事態を想定済みだった竜児には快く返答を貰うことができた。
というか、やはり最初に思ったとおり、黙っていたら相当やばかった。
電話をしながら、明日の直接対決に思わず冷や汗が出るくらいには。
ある程度落ち着いたところで、ようやく思い出したのは今朝の一件だ。
「あの……そういえば矢部先輩って、今日は…?」
竜児から話を聞いた限りでは、既に事情聴取も終えて朝には自宅に戻っていたという話だが…。
「あぁ、彼女なら風邪を引いたとかで休んでるけど…。なに?やっぱり話を聞いてあげるの?」
「いえ、そういうわけでは」
いいながら、ちょっと口ごもった高瀬に目ざとく気づく部長。
「何かあるのか」
問いただされ、果たしていま口にしていいものかどうか一瞬躊躇する。
いくら怪我がなかったとは言え、風邪という名目で休んでいる以上やはりショックが大きいのだろう。
本人が事件のことを隠したがっている可能性もある。
高瀬が事実を知ったのはかなりなイレギュラー、というか反則技だ。
ここはやはり、本人が話す気になるまでは黙っているのが正解だろう。
部長達が誰かに吹聴すると思っているわけではないのだが――。
「いえ、別に」
「………」
あからさまに怪しい反応の高瀬に疑わしげな視線を送る部長だが、ここは何を言っても無駄だとわかったのだろう。
「そうか」と言うに止め、追求することはない。
部長としても、矢部先輩に深入りをするつもりはなさそうだ。
詰問されずに済み、内心でホッと胸をなでおろす。
「でも、話を戻しますけど部長」
これだけは言っておかなくては、ときっと部長に向き合う。
「社長の勘違い、あれだけはいずれ必ず何とかしてくださいね?変な噂話とかになったら、働きにくくなるじゃないですか」
現在、それが一番の死活問題かも知れない。
中塚女史あたりは同情してくれるかもしれないが、他の女子社員からどんな目に合わされるか。
「安全パイ扱いされてた私が部長と、なんて話になったらそれこそ夜中に五寸釘を刺されますよ」
自分の名前の書かれたわら人形とご対面するのは遠慮願いたい。
「おや、弱気だねぇ高瀬君。君ならそんな素人の呪いの一つや二つ平気で跳ね返せるんじゃないの?」
いっそ面白がるようなその口調に、高瀬は言う。
「主任、人を呪わば穴二つですよ」
「?」
「返り討ちにすることは簡単ですけど、その場合相手の本気度に応じて相応なダメージが相手方に跳ね返ります」
「……それって……」
高瀬の言葉の意味を悟った主任。
若干顔色の青くなったその姿に満足しながら、高瀬は告げる。
「最悪、死にますね」
「………」
まさか、そこまでの事態に発生するとは思ってもみなかったのだろう。
驚くのはわかるが、そもそもは自業自得なことを思い出して欲しい。
「インターネットの匿名の誹謗中傷と同じで、誰も見ていないところで人を呪うことは簡単です。
面と向かって相手に「死ね」ということはできなくても、呪うことならいくらでもできる。
でもそれが実際に効力を持ってるとしたら、例え本人が直接手を下さなかったとしても、殺人と一緒ですよ」
見えない悪意に対抗する手段は少ない。
だが、その悪意が人を殺す場合だって存在するのだ。
「やられたらやり返す。それに関しては手を抜きませんがそれでもいいですか」
「まずいだろうね…」
ようやく事の重大性を理解してもらえたようで、満足だ。
「まぁつまり、自分より格上の相手に手をだすってことは、そういうリスクがあるってことです」
最も相手は、高瀬が自分より格上だなどとは夢にも思っていないのだろうが。
「というわけで、絶対訂正してください」
「………」
「部長?」
そこは言質を取るまで諦めるわけにはいかない。
ジッと見つめる高瀬の視線に、深い溜め息を吐く部長。
「安心しろ。少なくとも、あの人の口から社員に情報が漏れるということはないと思っていい」
あの人――つまり社長か。
「どうしてそう言い切れるんですか」
身内を庇うのは当然だろうが、納得は行かないと畳み掛ける高瀬に、部長の答えは明確だった。
「以前俺の婚約者を自称した女子社員がいたんだ。それを知った社長が俺とその彼女を呼び出し、あっという間に噂が広まった――――」
「自称、ですか……」
痛い。いろんな意味で痛い。
「勿論俺は否定した。全く見に覚えのない話だったからな」
「それで、その人はどうなったんですか……?」
「仕事を辞めたよ。噂じゃ、パニック症候群を引き起こして精神科に通ってるって話」
話を引き継ぎ、あっさりと答えたのは主任だ。
その口ぶりからすると、主任もその当時のことを知る一人なのだろう。
「自分に自信があったんだろうねぇ。嘘でも噂が広まっちゃえば谷崎を落とせるって思ってたんじゃない?それがあっさり玉砕した上に、他の女子社員からは嘘をついてまで抜け駆けしようとした女として有名になっちゃってさぁ…」
これがお笑いなんだけど、と更に主任は続ける。
「その子、社内で複数の男性と交際してたらしくてさ。谷崎の方がうまくいったらなに食わぬ顔で乗り換えようとしてたんだろうけど、そうは問屋が卸さないって訳。
ほかの社員にみんな暴露された上、そのうちの一人と刃傷沙汰を起こして一発退場」
「うわぁ……」
笑えない。そこまで行くと、笑い話みたいに言う主任の方がどうかしてる。
それでトラウマ発症かと納得した所で、更に話は斜め上に発展。
「しかも刃傷沙汰を起こした社員は既婚者の子持ち。つまりは不倫の関係ってわけ。
その子としては、結婚なんて全く考えていない、遊びの相手だったらしいけど……」
相手はそうではなかった、そういう事だ。
今もまだそこの奥さんと慰謝料問題で揉めてるらしいよ、との補足までついてきた。
「そこまで行くと確かにもう笑うしかありませんね…」
「でしょ?」
随分乾いた笑いになるが。
「まぁその子の場合は極端な例になっちゃうけど、その後しばらくの間、谷崎の本当の恋人は誰だって言うので社内がごたついてさぁ…。その件以来社長も多少は考えるところがあったんだろうね。
たまに見合い写真を持ってくることはあったけど、基本的には谷崎の恋愛結婚を応援するって宣言したんだ。
―――――だから、及川君は安心していいと思うよ?」
お言葉だが、ここは正直に言わせてもらおう。
「安心材料が全く理解できません」
「え、そう?」
「意外そうに言わないでくださいよっ!今の話のどこに納得できる要素があったって言うんですか!」
「う~ん……。まぁ、簡単に言えば、社長は谷崎の意思を尊重してくれるはずってことかな」
「意思!?」
「そんな状況じゃあ、本当に谷崎に好きな女ができた場合、上手く纏まるより先に周りから潰されるってのが容易に想像出来たんだと思うよ。だから、谷崎が本気なら、自分は何も口出ししないって。下手な噂になるような事がないようにさ」
「さっき思いっきり口出ししてた気がしますけどあれは幻かなにかですか」
顔を見に来たとまではっきり言われたが。

「うんうん。だからさ、社長から見て及川君は谷崎の本命だと判断されたんだろ。
なぁ谷崎。――お前、社長になんか言ったのか?」

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