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獅子王の悔恨

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グキ……っと。

目の前の女の細首を噛みちぎり、口の中いっぱいに溢れたのは鮮血。

甘い。一瞬、我を忘れて恍惚としかけるほどに。

「レ、レオナルドっ……!!そんな、私のためにルナマリア様を……!!」

その高い声にハッと彼は我に返る。
ざわつく会場。

そうだ、俺は目の前のこの少女のために、少女に害をなすこの女を――――――。

この、女を?

「っつ!!令嬢を離せっ!!この獰猛な獣めっ!!」
「やめてください騎士様、レオナルドは私のために……!!」

こちらに向かい剣を抜く騎士を、必死に止めようとする少女。

だが。

なぁ、なぜ君は笑っているんだ。
これは、君の望んだことだったのか。

「……お嬢……様」

己の腕の中で今にも息絶える寸前の女。
白いその顔に飛び散った血を、無意識に舐めとっていた。
女の顔に浮かぶのは、絶望でも恐怖でもない。

ただの、諦めだ。

あぁまた、こうなったのかとでも言うように、ただただ静かに目を閉じている。


「なぜ……?」

俺は何を間違えた。
ひどく、大きな間違いを犯したような気がしてならない。

この女は自分を見下し、召使として扱き使い――――――。

いや

それは違う。

気づいていたはずだ。

彼女は決して俺を見ようとはしなかったが……それでも、見捨てようとしていたわけではなかった。

奴隷としてモノ以下の扱いをされていた自分が、食事だけはまともなものを与えられていたのはなぜだ。
主である彼女の父親や母親は俺をまるで見世物のように扱ったが、彼女は一言、「そのような真似、汚らわしいだけですわ」と述べただけで、暴力を与えることも、見世物にすることもなかった。

『汚らわしい』

その言葉が自分に向けられたものだと思い、ひどく憤ったのはいつだ。

あれが本当は、『人を奴隷として扱う自分の父母に対して』の言葉だったとしたら。

蔑まれていると苛立っていたあの目は、本当はただ、怯えていたのだとしたら。


思い出す、最初の出会い。
奴隷商に売られ、入れられた檻の中で、美しい一人の少女を見た。
どことなく寂しげな瞳をした少女。

そうだ。
俺はあの少女に目を奪われて――――。


「レオナルドッ!!!」

ハッ!

記憶の波に飲み込まれそうになったところで、突然己の名を呼ばれ、腕を掴まれる。

「一緒に逃げましょう!!このままじゃあなたが死刑になっちゃう!!」

伯爵令嬢である彼女を殺した罪は重い。
レオナルドが自国の王位を取り戻したあとであれば別であっただろうが、今はまだ時期尚早だった。
少女の言うことは正しい。
逃げなければ。

しかしなぜだろう。
少女の顔を見ていると、今まで感じていた疑問が白塗りされていくようにかき消されていく。
これまでもそうだった。
少女の声を聞くと、まるで自分が自分でなくなったような感覚を覚えることが多々あった。
まるで、誰かに操られでもしているように。

今も、そうだ。

「共に逃げてくれるか」
「……はい!!」

嬉しそうな少女の顔。
自身のために人がひとり死んだことなどなんとも思っていないような顔。

忘れたくない。
あぁ、俺はきっと間違えた。
この記憶は無くしてはいけないもの。
俺が本当に愛していたのは――――。

「お嬢様――――」

              ※

「……?どうしたの、レオ」
「!!マリア!!」

レオナルドは寝台の中で飛び起きた。

「随分悪い夢を見ていたようね?汗がひどいわ」
「あぁ……。とても、とても酷い夢を見ました」

私が愛する妻を己の牙にかけてしまうなど……。
あり得るはずもないというのに。

今みたもののあまりの鮮烈さに吐き気すら覚えていると、その背中を彼女が優しくさすってくれる。

「大丈夫……?あなたが私を『お嬢様』と呼ぶのを久しぶりに聞いたわ」
「私の中では、永遠にあなたは私の主のままですよ…」
「ふふ……。王の言うセリフではないわね」

笑った彼女が、そっとレオナルドの額に流れる汗をぬぐった。

獅子王。
国に帰ってきたレオナルドに与えられた称号だ。
王位に返り咲き、無事に子も生まれ、すでに10年近い年月が立った。
子もすくすくと育ち、何不自由なく過ごしている。
彼女への言葉遣いは半ば癖のようなものになってしまったが、あの頃とは関係もすっかり変わり、夫婦らしくなってきていると思う。

幸せだ。

自分は今、ようやく幸せを掴んだのだと実感する。

「まだ夜更け前よ。もうひと寝入りしたらどう?」
「……いや。今夜はもう眠りたくない」

またあの悪夢を見たらと思うと、とても眠る気にはなれなかった。

「そう。なら、散歩にでも行きましょうか」
「付き合ってくれるのですか?」
「勿論」

寝台を降りる彼女の衣擦れの音が、シュル…と耳通りよく響く。
上から下まで全て自らが用意し、選んだ衣服だ。
この国に来てから、彼女が纏うもの、身につけるものは全て彼自身が選んだものだけ。
食事もともにとり、眠るときも一緒。
普通の人間の女であれば、それを窮屈に思うことは分かっていても、そうすることは止められなかった。
蜜月時など、一ヶ月近く寝台から出られない時が続いたはずだが、それをも彼女は許してくれた。

本当に、彼女は私に甘すぎる。

これは、私にとって都合の良い夢なのではないだろうか。

「……マリア。あなたは今、ここにいますよね……?」
「今さら何を言っているの。まだ寝ぼけているのかしら?」

困った方ね、と言いながら差し出されたその白い手を取る。

あぁ、この手が血で真っ赤に染まることなど、あってはならない。
どんなことがあろうと、間違えることはもう許されないのだ。

「愛してる、マリア……。勿論、ルナも」
『「そうね。私たちは二人で一人。愛してるわ、レオ」』

自分が愛したのは一人ふたりの女。
大胆でさみしがり屋のと、穏やかで臆病な
どちらも、愛する妻だ。
はじめは隠していたのだろうそれを、彼が見破るのは早かった。
だが、それに一体何の問題があるだろう。
彼女たちは二人で一人。私の愛する人だ。

「ルナマリア。あなたは今、幸せですか?」

何気なく問いかけたその言葉に、彼女はいつものように微笑む。

「ええそうね。今回いまはとても幸せよ、あなた」

眠ることが怖い。
これが夢であったらと思うことが怖い。
再び目覚めて、あちらこそが現実であったのだと知ることが怖い。




「このまま、この世界が終わってしまえばいいのに」

そう低くつぶやいたレオナルドは、妻の首筋に顔をうずめ、その皮膚に唇を軽く添わせた。

己の魂に刻まれた記憶が、かつてこの血を啜ったことがあると訴える。
この肉を喰らい、甘い血を飲み干したと。

「……あなた?」

知らず、涙がこぼれていた。
心配そうな顔をした妻が、己の指で溢れる涙を拭っている。

「このまま、この世界が終わってしまえばいい」

二度と、悲劇が繰り返されることのないように――――。
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