60 / 69
うらにわのこどもたち3 空中楼閣
THE STAR(3/5)
しおりを挟む
一日の仕事を終え、日野尾はぼんやりとソファーに座り、昼間の出来事を思い返していた。カイとこどもたちとの初対面。じっと成り行きを見守りつつ、内心ではどうなるかとはらはらしていた。大きな問題もなく終わったからよかったものの、後から肩の痛みに気がついた。緊張していたのは自分も同じだったらしい。深呼吸が必要なのは自分の方だったのかもしれない。
気になるのはやはり、眠兎の態度だ。暴力こそ無かったが、友好的な態度とはとても言えない。何であんなに敵意をむき出しにするかなぁと思う。それでも、彼にしては成長した方だと思ったが。
どうしたものかな、と思案する。最近は他のこどもとの関係も良好そうだ。芽生え始めた協調性と眠兎自身の可能性を信じて放っておくべきか。
(……まぁ、どうにもならなかったら、黙らせる手段はいくらでもあるか)
手元のボールペンをカチカチとノックしつつ、そうならない事を願う。と、扉の方からノック音が響いた。
「失礼します。お疲れ様です。異常ありません」
こどもたちの就寝後、見回りを終えた大規だった。彼にしては珍しく白衣のボタンを外している。
「お疲れ様。報告有難う」
座ったままひらひらと手を振る。それからソファーへと彼を促した。歩く度、白衣の裾が揺れる。
「何ですか?」
「うん。折角だから、ちょっとお茶付き合ってよ」
「……はあ」
「いいじゃない。たまには」
大規が対面のソファーに座るのを待ち、日野尾は立ち上がる。コンロにヤカンをかけると茶葉を保管している棚を開けた。手に取ったのはラベンダーティーの缶。ティーポットやカップも取りだし、お湯が沸騰するのを待つ。
「所長は紅茶がお好きですよね」
背中に投げられた声に振り返る。
「いや、昔は嫌いだったよ。飲み慣れなかった事もあるけど、あんまり美味しいとも思わなかったし。でも、いつの間にか好きになってたなぁ」
「それは意外ですね」
大規の言葉に苦笑する。確かに自分でもそう思う。他の事は大雑把にしか済まさない、ベッドで眠る事すらしない自分がこだわりを見せるのは、紅茶の事と、研究の事くらいだ。
「何かきっかけが?」
「これ、っていうのは思いつかないけど……そうだなぁ。紅茶を淹れる時の時間とか、温度とか、香りとか。そういうのを楽しむようになったら、紅茶を淹れる事自体が好きになって……気付いたら味にもこだわるようになってた」
記憶を辿る。初めて紅茶を飲んだのはいつだっただろう。自分で淹れるようになったのは。
「ああ、いつだったかな。私の淹れた紅茶を美味しいって言ってくれた人がいたんだよね。遠い昔の記憶だから、相手の事は思い出せないけど。それが嬉しかったっていうのも大きいのかも」
「おや、妬けますね」
「何言ってんだか」
お湯が沸騰したのを確認し、コンロの火を消す。ポットの中に茶葉を入れ、そこに静かにお湯を注ぐ。ポットを中心にふんわりとラベンダーの香りが広がる。ひっくり返した砂時計やティーカップと共に、テーブルへと運ぶ。
「……ラベンダー……? ですか?」
顎下へとマスクを移動させた大規も香りに気付いたらしい。
「正解。好みが分かれるお茶だから、君の口に合うかどうか分からないけど」
私は好き。そう言ってさらさらと流れる砂時計を見つめる。
「……思えば、あんまりこういうプライベートな話をした事が無かったねぇ」
彼との会話は研究に対する事が大半だった。あとは日常の些事の話ばかり。特別異性として意識した事も、無理矢理仲良くなろうと思った事も無かったし、それでいいと思っていた。彼が此処へやって来て、気が付けば時が流れ、今の程よい距離感が形成されていたように思う。
「あまり話しすぎるのも、詮索するのも無粋かと思いまして」
「それは同意見」
互いに干渉しすぎず過ごしたお陰で今の関係性があるのだろう。日野尾は大規を見る。日野尾には珍しく感情が読みにくいタイプの人間。にも関わらず、気付けば彼という存在にほっとする自分もいる。いつも緩やかに引かれている互いの境界線。それをほんの少し緩める。自分に一歩踏み込むのを許容する。
「でも、たまにはいいかなって今思った」
「光栄ですね」
砂時計を確認し、大規のカップへと紅茶を注ぐ。熱い紅茶からはラベンダーが一層強く香った。
「どうぞ」
「頂きます」
彼は紅茶を一口飲んで手を止める。伏せた睫毛。夜を映した瞳。理知的で整った顔立ち。どう?と問いかけると、人形のような彼の顔が柔らかにふっと微笑む。優しい月明かりに似た微笑み。
「僕も好きです。ラベンダーティー。香りも、味も」
「……そっか。良かった」
優しい時間。穏やかな、凪のような夜。
こんな優しい時間と優しい場所を、ずっと夢見ていたように思う。やっと叶いつつある理想の世界。自らの手で生み出した幸福な世界。此処にいれば何も怖くない。
ずっとずっと此処にいたい。この優しい場所に。
二人の会話は三十分程続き、それから別れた。ラベンダーの香りが残る部屋の中、日野尾は白衣を脱いでソファーに転がり、ブランケットを引っ掛ける。外した眼鏡をテーブルに置くと、あとはそのまま眠りの中に落ちていった。
気になるのはやはり、眠兎の態度だ。暴力こそ無かったが、友好的な態度とはとても言えない。何であんなに敵意をむき出しにするかなぁと思う。それでも、彼にしては成長した方だと思ったが。
どうしたものかな、と思案する。最近は他のこどもとの関係も良好そうだ。芽生え始めた協調性と眠兎自身の可能性を信じて放っておくべきか。
(……まぁ、どうにもならなかったら、黙らせる手段はいくらでもあるか)
手元のボールペンをカチカチとノックしつつ、そうならない事を願う。と、扉の方からノック音が響いた。
「失礼します。お疲れ様です。異常ありません」
こどもたちの就寝後、見回りを終えた大規だった。彼にしては珍しく白衣のボタンを外している。
「お疲れ様。報告有難う」
座ったままひらひらと手を振る。それからソファーへと彼を促した。歩く度、白衣の裾が揺れる。
「何ですか?」
「うん。折角だから、ちょっとお茶付き合ってよ」
「……はあ」
「いいじゃない。たまには」
大規が対面のソファーに座るのを待ち、日野尾は立ち上がる。コンロにヤカンをかけると茶葉を保管している棚を開けた。手に取ったのはラベンダーティーの缶。ティーポットやカップも取りだし、お湯が沸騰するのを待つ。
「所長は紅茶がお好きですよね」
背中に投げられた声に振り返る。
「いや、昔は嫌いだったよ。飲み慣れなかった事もあるけど、あんまり美味しいとも思わなかったし。でも、いつの間にか好きになってたなぁ」
「それは意外ですね」
大規の言葉に苦笑する。確かに自分でもそう思う。他の事は大雑把にしか済まさない、ベッドで眠る事すらしない自分がこだわりを見せるのは、紅茶の事と、研究の事くらいだ。
「何かきっかけが?」
「これ、っていうのは思いつかないけど……そうだなぁ。紅茶を淹れる時の時間とか、温度とか、香りとか。そういうのを楽しむようになったら、紅茶を淹れる事自体が好きになって……気付いたら味にもこだわるようになってた」
記憶を辿る。初めて紅茶を飲んだのはいつだっただろう。自分で淹れるようになったのは。
「ああ、いつだったかな。私の淹れた紅茶を美味しいって言ってくれた人がいたんだよね。遠い昔の記憶だから、相手の事は思い出せないけど。それが嬉しかったっていうのも大きいのかも」
「おや、妬けますね」
「何言ってんだか」
お湯が沸騰したのを確認し、コンロの火を消す。ポットの中に茶葉を入れ、そこに静かにお湯を注ぐ。ポットを中心にふんわりとラベンダーの香りが広がる。ひっくり返した砂時計やティーカップと共に、テーブルへと運ぶ。
「……ラベンダー……? ですか?」
顎下へとマスクを移動させた大規も香りに気付いたらしい。
「正解。好みが分かれるお茶だから、君の口に合うかどうか分からないけど」
私は好き。そう言ってさらさらと流れる砂時計を見つめる。
「……思えば、あんまりこういうプライベートな話をした事が無かったねぇ」
彼との会話は研究に対する事が大半だった。あとは日常の些事の話ばかり。特別異性として意識した事も、無理矢理仲良くなろうと思った事も無かったし、それでいいと思っていた。彼が此処へやって来て、気が付けば時が流れ、今の程よい距離感が形成されていたように思う。
「あまり話しすぎるのも、詮索するのも無粋かと思いまして」
「それは同意見」
互いに干渉しすぎず過ごしたお陰で今の関係性があるのだろう。日野尾は大規を見る。日野尾には珍しく感情が読みにくいタイプの人間。にも関わらず、気付けば彼という存在にほっとする自分もいる。いつも緩やかに引かれている互いの境界線。それをほんの少し緩める。自分に一歩踏み込むのを許容する。
「でも、たまにはいいかなって今思った」
「光栄ですね」
砂時計を確認し、大規のカップへと紅茶を注ぐ。熱い紅茶からはラベンダーが一層強く香った。
「どうぞ」
「頂きます」
彼は紅茶を一口飲んで手を止める。伏せた睫毛。夜を映した瞳。理知的で整った顔立ち。どう?と問いかけると、人形のような彼の顔が柔らかにふっと微笑む。優しい月明かりに似た微笑み。
「僕も好きです。ラベンダーティー。香りも、味も」
「……そっか。良かった」
優しい時間。穏やかな、凪のような夜。
こんな優しい時間と優しい場所を、ずっと夢見ていたように思う。やっと叶いつつある理想の世界。自らの手で生み出した幸福な世界。此処にいれば何も怖くない。
ずっとずっと此処にいたい。この優しい場所に。
二人の会話は三十分程続き、それから別れた。ラベンダーの香りが残る部屋の中、日野尾は白衣を脱いでソファーに転がり、ブランケットを引っ掛ける。外した眼鏡をテーブルに置くと、あとはそのまま眠りの中に落ちていった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~
しんいち
キャラ文芸
オカルト好きの少年、「しんいち」は、小学生の時、彼が通う合気道の道場でお婆さんにつれられてきた不思議な少女と出会う。
のちに「幽子」と呼ばれる事になる少女との始めての出会いだった。
彼女には「霊感」と言われる、人の目には見えない物を感じ取る能力を秘めていた。しんいちはそんな彼女と友達になることを決意する。
そして高校生になった二人は、様々な怪奇でミステリアスな事件に関わっていくことになる。 事件を通じて出会う人々や経験は、彼らの成長を促し、友情を深めていく。
しかし、幽子にはしんいちにも秘密にしている一つの「想い」があった。
その想いとは一体何なのか?物語が進むにつれて、彼女の心の奥に秘められた真実が明らかになっていく。
友情と成長、そして幽子の隠された想いが交錯するミステリアスな物語。あなたも、しんいちと幽子の冒険に心を躍らせてみませんか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合系サキュバス達に一目惚れされた
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる