うらにわのこどもたち

深川夜

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うらにわのこどもたち3 空中楼閣

THE STAR(3/5)

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 一日の仕事を終え、日野尾ひのおはぼんやりとソファーに座り、昼間の出来事を思い返していた。カイとこどもたちとの初対面。じっと成り行きを見守りつつ、内心ではどうなるかとはらはらしていた。大きな問題もなく終わったからよかったものの、後から肩の痛みに気がついた。緊張していたのは自分も同じだったらしい。深呼吸が必要なのは自分の方だったのかもしれない。
 気になるのはやはり、眠兎みんとの態度だ。暴力こそ無かったが、友好的な態度とはとても言えない。何であんなに敵意をむき出しにするかなぁと思う。それでも、彼にしては成長した方だと思ったが。
 どうしたものかな、と思案する。最近は他のこどもとの関係も良好そうだ。芽生え始めた協調性と眠兎みんと自身の可能性を信じて放っておくべきか。

(……まぁ、どうにもならなかったら、黙らせる手段はいくらでもあるか)

 手元のボールペンをカチカチとノックしつつ、そうならない事を願う。と、扉の方からノック音が響いた。

「失礼します。お疲れ様です。異常ありません」

 こどもたちの就寝後、見回りを終えた大規おおきだった。彼にしては珍しく白衣のボタンを外している。

「お疲れ様。報告有難う」

 座ったままひらひらと手を振る。それからソファーへと彼を促した。歩く度、白衣の裾が揺れる。

「何ですか?」
「うん。折角だから、ちょっとお茶付き合ってよ」
「……はあ」
「いいじゃない。たまには」

 大規おおきが対面のソファーに座るのを待ち、日野尾ひのおは立ち上がる。コンロにヤカンをかけると茶葉を保管している棚を開けた。手に取ったのはラベンダーティーの缶。ティーポットやカップも取りだし、お湯が沸騰するのを待つ。

「所長は紅茶がお好きですよね」

 背中に投げられた声に振り返る。

「いや、昔は嫌いだったよ。飲み慣れなかった事もあるけど、あんまり美味しいとも思わなかったし。でも、いつの間にか好きになってたなぁ」
「それは意外ですね」

 大規おおきの言葉に苦笑する。確かに自分でもそう思う。他の事は大雑把にしか済まさない、ベッドで眠る事すらしない自分がこだわりを見せるのは、紅茶の事と、研究の事くらいだ。

「何かきっかけが?」
「これ、っていうのは思いつかないけど……そうだなぁ。紅茶をれる時の時間とか、温度とか、香りとか。そういうのを楽しむようになったら、紅茶をれる事自体が好きになって……気付いたら味にもこだわるようになってた」

 記憶を辿る。初めて紅茶を飲んだのはいつだっただろう。自分でれるようになったのは。

「ああ、いつだったかな。私のれた紅茶を美味しいって言ってくれた人がいたんだよね。遠い昔の記憶だから、相手の事は思い出せないけど。それが嬉しかったっていうのも大きいのかも」
「おや、妬けますね」
「何言ってんだか」

 お湯が沸騰したのを確認し、コンロの火を消す。ポットの中に茶葉を入れ、そこに静かにお湯を注ぐ。ポットを中心にふんわりとラベンダーの香りが広がる。ひっくり返した砂時計やティーカップと共に、テーブルへと運ぶ。

「……ラベンダー……? ですか?」

 顎下へとマスクを移動させた大規おおきも香りに気付いたらしい。

「正解。好みが分かれるお茶だから、君の口に合うかどうか分からないけど」

 私は好き。そう言ってさらさらと流れる砂時計を見つめる。

「……思えば、あんまりこういうプライベートな話をした事が無かったねぇ」

 彼との会話は研究に対する事が大半だった。あとは日常の些事さじの話ばかり。特別異性として意識した事も、無理矢理仲良くなろうと思った事も無かったし、それでいいと思っていた。彼が此処へやって来て、気が付けば時が流れ、今の程よい距離感が形成されていたように思う。

「あまり話しすぎるのも、詮索するのも無粋かと思いまして」
「それは同意見」

 互いに干渉しすぎず過ごしたお陰で今の関係性があるのだろう。日野尾ひのお大規おおきを見る。日野尾ひのおには珍しく感情が読みにくいタイプの人間。にも関わらず、気付けば彼という存在にほっとする自分もいる。いつも緩やかに引かれている互いの境界線。それをほんの少し緩める。自分に一歩踏み込むのを許容する。

「でも、たまにはいいかなって今思った」
「光栄ですね」

 砂時計を確認し、大規おおきのカップへと紅茶を注ぐ。熱い紅茶からはラベンダーが一層強く香った。

「どうぞ」
「頂きます」

 彼は紅茶を一口飲んで手を止める。伏せた睫毛。夜を映した瞳。理知的で整った顔立ち。どう?と問いかけると、人形のような彼の顔が柔らかにふっと微笑む。優しい月明かりに似た微笑み。

「僕も好きです。ラベンダーティー。香りも、味も」
「……そっか。良かった」

 優しい時間。穏やかな、凪のような夜。
 こんな優しい時間と優しい場所を、ずっと夢見ていたように思う。やっと叶いつつある理想の世界。自らの手で生み出した幸福な世界。此処にいれば何も怖くない。

 ずっとずっと此処にいたい。この優しい場所に。

 二人の会話は三十分程続き、それから別れた。ラベンダーの香りが残る部屋の中、日野尾ひのおは白衣を脱いでソファーに転がり、ブランケットを引っ掛ける。外した眼鏡をテーブルに置くと、あとはそのまま眠りの中に落ちていった。
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