うらにわのこどもたち

深川夜

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うらにわのこどもたち3 空中楼閣

THE MAGICIAN(2/4)

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 午前中、眠兎みんとの部屋に来客があった。椅子に座り適当な本の文字をだらだらと目で追っていると、控えめなノックに次いで「開けてくれ」と硬質な声が響く。ドアを開けた先に立っていた十歌とうたの手には、食パン二枚と水の乗ったトレーがあった。

「持っていけと言われた」
「……どーぞ」

 十歌とうたを室内へと通し、ドアを閉める。十歌とうたはベッドにトレーを置くと、その横に座った。眠兎みんとも椅子に座り直す。

「食べないよ、それ」

 目線だけでトレーの中身を示す。

「薬とか入ってるんだろ。だから食べない」

 警戒心を露わにする眠兎みんとに対し、十歌とうたは食パンの端をちぎって自分の口に放り込む。

「おいっ、……」

 驚く眠兎みんとをよそに、十歌とうたは食パンを飲み込む。

「これには入っていない。だから安心していい」
「これに〝は〟?」
「普段の食事については保証しない。食パンに何か塗るなら別だが、そのままなら薬も入れようがない。本当は飲み物も……、野菜ジュースが入っていたのを捨てて、コップの中を綺麗に洗ってから水道水に入れ替えた。味気ないと思うが、済まない」
「………………」
「食べないなら、俺が」

 食べる、と言いかけた十歌とうたの横から、食パンを手に取って口へと運ぶ。もぐもぐと咀嚼そしゃくして飲み込むと、胃のあたりが動く感覚の後、そこを中心に身体が温かくなる気がした。久し振りの吐く必要のない食事に、身体が栄養を欲していたのが分かる。

「本当、君ってお節介。そういう奴が流れ弾で死ぬんだぞ」
「それは……怒ってるのか? 褒められてるのか……?」
「うるさい」

 怒りながらも残りのパンを口へと運ぶ。十歌とうたが僅かに表情を緩めるのが分かった。

「食事、今までどうしてたんだ?」
「ここ暫くは吐いてた。先生達の前で食べないわけにもいかないし」
「吐いてたって……いつから」
蒼一郎そういちろうと記憶が噛み合わないのに気付いてからだから……向こうの世界で言うところの、梅雨? の初めくらいから」
「お前、ひと月……いや、ふた月近くじゃないか」

 驚く十歌とうたに、まあね、と返す。

「向こうの世界で食事してる記憶はあるし、懲罰室送りで多少は慣れてるから。役に立つとは思わなかったけど」

 最後の一口を食べ終え、それより、と話を促す。

「今後の為に、お互い情報交換といこうじゃないか」


 *


「君は、〝こども〟への昇格条件って何だか分かる?」

 眠兎みんとはそう切り出す。十歌とうたが「分からない」と素直に答えると、小さく頷く。

「これは僕の推測だけど、一番の条件は〝自己を有しているかどうか〟だと思ってる。自分とそれ以外の区別がつくかどうか、固有の人格とか性格、特性みたいなのを持ってるかどうか……他にも色々あるんだろうけど、これは少なくとも、今いる〝こども〟全員に当てはまるだろ」
「確かに。……だからか。この世界の最初の記憶で、労力返せとか処分がどうのとか言われて蹴られたのは」
「あー。蹴られたんだ。先生達、容赦ようしゃないからなー」

 懲罰室での地獄の鬼のような二人を思い浮かべる。情け容赦なく十歌とうたを蹴りあげる姿が容易に想像できた。よくもまあ、それで〝こども〟になれたものだ。

「まあ、それで先生達お望みの〝こども〟に昇格する訳だよ。その時、名前と何かひとつ、日野尾ひのお先生から贈られるんだ。僕ならこの眼鏡。蒼一郎そういちろうなら、いつも髪の端に青いピンしてるだろ? あれが贈られたもの」

 具体例を出しながら、眠兎みんとはふと、十歌とうたに贈られたものが何なのか気になった。いつも何かを持ち歩いている訳でも、身につけている訳でもない。

十歌とうたは? 君だって名前以外に何か貰っているだろ?」

 十歌とうたは首を振る。

「俺は、何も貰っていない」
「マジかよ」

 十歌とうたが頷く。驚いた。本当に何も貰わなかったらしい。

「君、何で〝こども〟になれたんだ……?」
「さあ。蹴られていたら大規おおき研究員が観察したいと言い出して、所長から許可を貰っていた。所長はさっさとぶつ切りにしたかったらしいが、どうやら俺の悪運が勝ったらしい」

 肩をすくめる十歌。悪運、とは言い得て妙だった。彼にとって〝こども〟として迎え入れられたのは、幸運なのか不運なのか分からない。結果的に、少なくとも眠兎みんとにとっては幸運だったが。

「少なくとも、君にも素養はあると思われたんだろうな。ただ、君は色々とイレギュラーだ。〝こども〟への昇格の仕方もそう。一番僕達と違うのは、君には〝実験体〟としての意識がまるでない」

 そうだろ?と問いかける。ややあって、十歌とうたは口を開いた。

「正直、突然知らない世界に放り込まれた気分だ。この研究施設といい、ろくでもない大人達といい、戸惑いの方が大きい」
「それ。その言い方」

 十歌とうたの顔の辺りを指さす。思わず彼は背筋を伸ばした。

「根本的に違うんだよ。僕達は日野尾ひのお先生や大規おおき先生を、自分と切り離して考える事が難しい。どうしても〝自分を創った人〟って感覚が抜けないんだ。逆に十歌とうたはそう考える方が違和感あるだろ?」
眠兎みんとの言う感覚は、親と子に近い感覚、という事か?」
「少し違うかな。例えるなら――そう。神と人間の感覚に近い。だから僕達は、先生達を慕うし、畏怖に近い感情を抱く事もある」
「…………お前も?」
「多少はね」

 不本意ながら同意した。意外なものを見る目を向けた十歌とうたにやめろ、と手を振る。

「とにかく。それが僕達〝こども〟にとってのどうしようもない現実。どういう自己を有しているかで、違う役割も期待されてるんだろう。何を期待してるかまでは知らないけどね」

 眠兎みんとはそこで話題を区切り、もう一つの話へと移る。

「それで……やっぱり、記憶っていじられてるんだ」

 努めて平静に言葉にしたはずが、語尾が僅かに震える。十歌とうた眠兎みんとをじっと見て、それから少しうつむいて頷いた。

「だよね」

 胸の中にじわじわと込み上げてくるショック。改めて知った事実に、怒りとも哀しみともつかない不快感を覚える。

「小さなものなら、比較的簡単に塗り替えるのが可能だと言っていた。蒼一郎そういちろうの記憶は多少いじっている、と」
「あいつ、最近大人しいもんなぁ……」

 呟く。怪訝けげんな顔の十歌とうたに気付き、ああ、と説明する。

「基本的な性格は変わってないよ。でも、ここに来たばかりの頃は時々暴れてたんだ。先生達を振り切って脱走しようとした事もあったんだよ」

 〝こども〟としてここに来たばかりの頃の蒼一郎そういちろうを思い出す。普段は大人しい優等生が、別人のように暴れる姿。点滴が外れ、腕から出血するのも構わずに外へ出ようともがく姿。馬鹿だなあ、と冷めた目で見ていた自分。

「俺も、一度だけ見た事がある」
「ああ、なんだ。知ってたのか」

 意外だった。暴れる蒼一郎そういちろうの姿は、眠兎みんとの記憶の片隅にある程度の事だったからだ。

「初めて会った日だ。俺を連れて、何処かへ逃げようとした。結局、大規おおき研究員に捕まって、それきりだったが……蒼一郎そういちろうの記憶から本棚が消えたのは、恐らくその時がきっかけだ」
「……まだ暫くは食べて吐くが安全だなぁ……」

 はー……と深い溜息をつく。パンを消化中であろう胃のあたりが、文句を言うように動いた。

「所長は、〝物語の調整〟だと言っていた」
「物語、ね」
「あとは、君も違う世界の夢を見るんだろう?と。君、という事は、他にも夢を見る奴がいるんだと考えた。お前が賭けてくれなかったら、今も俺は一人で悩んでいたと思う」

 十歌とうたの言葉に、眠兎みんとはにやりと笑う。

「ただでさえ不利なんだ。これだと思ったチャンスは掴むさ。実際、リターンはあったしね」

 それから、十歌とうたの話した内容について思考を巡らせる。物語の調整。思い当たる節はあった。

「……日野尾ひのお先生は、僕達が夢の話をすることを嫌う。十歌とうたからすれば現実の世界。僕からすればもうひとつの世界。真白ましろ蒼一郎そういちろうも同じ世界の記憶を持っているかは分からない。特に興味もなかったし。でも多分、先生は〝こども〟から夢の世界そのものを消したいと思ってる」

 唇のあたりを爪で引っ掻きながら、眠兎みんとは更に考える。夢の記憶を消したいならば、初めに改ざんされるべきは自分ではないのか。何故自分よりも蒼一郎そういちろうが優先されたのか。蒼一郎そういちろうが暴れていたのも夢に起因きいんすることだったのか。

「多分、先生は、此処が僕達にとって唯一の世界であって欲しいんだ」

 ぽつりと自分の口から零れた言葉が、確かかどうかは分からない。続く言葉が見つからず、眠兎みんとは口をつぐむ。十歌とうたも返す言葉が見つからなかったのか、互いの間に沈黙が流れる。

「……俺は、この世界を変えたいと思っている。向こうの世界でお前にも話したが、お前や他の皆が利用されるのを黙って見ていたくはない。せめて、皆の手助けになる事がしたい」

 硬質な声。真っ直ぐで曇りのない、決意と覚悟を宿した声。強い意志を宿した声。

眠兎みんと。お前はどうしたい?」

 十歌とうたの声が、眠兎みんとを射抜く。

「僕は僕自身を失いたくない」

 眠兎みんとはじっと十歌とうたを見据える。

「〝こども〟なんて呼ぶけどさ、結局は実験動物がペットになったようなものなんだよ。それでも、僕の意思は僕のものだ。僕が何をするかも、どっちの世界を楽しむかも、どんな記憶を大事にするかも僕が決める。僕がひとつの物語だとするなら――そこから全てを調整されたら、僕である意味がない」

 ぐっと拳を握る。掌が熱い。自分が此処に確かにいることの証明。

「僕は君を利用するぞ」
「すればいい。俺も自分の我儘わがままみたいなものなんだ。それが互いの目的に適うなら、協力しあった方がいいに決まってる」

 互いに、拳をこつんと合わせる。

「まずは日記。できる限りメモは取るようにしよう。もし何か忘れてしまっても思い出せるように」
「そうだな。あとは――単独行動もできる限り避けよう。突発的に危害を加えられる事を減らせる」
「……善処ぜんしょはする」

 苦々しい思いで答える。口角を上げた十歌とうたに、眠兎みんともまた不敵な笑みを浮かべる。

「同盟、成立だ」
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