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うらにわのこどもたち2 それから季節がひとつ、すぎる間のこと
case5.十歌(2/2)
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「単刀直入に聞きます。あなたは何をしようとしているんですか」
彼女を真っ直ぐに見据える。
「自分に都合のいいように、俺や皆を利用して、閉じ込めて。記憶までいじって。あなたの目的は何なんですか」
「ひとを悪者みたいに言うねえ」
「俺は、この施設が皆を幸福にするとは思えない」
「……ふうん?」
所長の瞳から、潮が引くように、怒りの感情が引いていく。彼女は俺の服から手を離す。
「どうしてそう思うのか聞こうか。こちらは快適な環境と快適な生活を苦心して提供しているつもりなんだけどなあ」
「……人の心まで縛り付けるのは、幸福とは呼ばないと、俺は考えます。誰かに押し付けられた幸福は、幸福とは言えない。何でも管理しようというのは傲慢です」
彼女はちらりとこちらを見て、クリップボードにボールペンを走らせる。カチカチというボールペンのノック音。沈黙。
「…………ふ、っ、くくく……」
こらえられない、というように、彼女は笑い声をもらす。笑う度、肩口で彼女の髪が揺れる。
「君、いくつか勘違いをしているようだから、教えてあげようか」
残酷さと無邪気さを同居させたような顔をこちらへ向け、彼女は口を開く。
「まず、この研究施設は、君達「こども」の為にある訳じゃない。私が、私の幸福の為に、私の考えるものを実現するためにある。私の都合のいいように管理するのは当たり前の話なんだよ。此処に存在するものは、全てが私の所有物。代わりに、それらを管理するリスクや責任はきちんと負っている」
ボールペンのノック音を響かせながら、所長は語る。
「次に、君は「人の心」と言ったね。違うよ。私がやってるのは「物語の調整」。君達「こども」が人間だって?私は一度だって、君達を人間だと思ったことは無いよ。君達に求めているのは「物語」。心だの、権利だの、作者抜きにして語らないで欲しいなぁ。傲慢で結構。自分が正しい行いをしているなんて、露ほども思っちゃいないよ」
「…………あなたは、」
「君も見るんだろう?違う世界の夢。学園に通う夢。だからそんな事を言う」
どうしてそれを、と思った。俺の反応に、所長はくくく、と肩を震わせる。どこか自嘲《じちょう》めいた、痛々しい笑い方だった。
「駄目だよ。駄目。誰一人逃さないし、逃れようとするなら赦さない。……君達はねえ、幸福の種類なんて選べないんだよ。幸福はひとつきり。君達に選択肢なんてない。選ぶまでもなく、君達は、幸福に、なるのさ」
彼女の声が、室内に虚ろに響く。俺に向けたその言葉は、どこか自分に言い聞かせているようだった。子供をあやすような、甘く、優しい声。昏い炎を宿す、薄く開いた瞳。同じ目を知っていた。幼少期、ただ一つの世界だった狭いアパートの中。フォークを手に俺を見るあのひとと同じ目。正気と狂気を薄紙一枚で隔てたあの目だ。どろりとした空気が、身体にまとわりつくようで、呼吸が苦しい。身構える。ごくり、と喉が鳴った。しかし彼女の瞳は、数度の瞬きの後に、何事も無かったかのように理性を取り戻す。それでも、その奥に痛々しさが残る。どうしてそんな目をするのか、俺には分からなかった。
「今日はここまでだなぁ。定期的に面接は設けるから、きちんと来るように。あと、次回は出した紅茶は飲んでくれると嬉しいなぁ。もったいないから」
「……はい」
いつもの、やや間延びした声に促されて退室する。所長を振り返りはしなかった。ドアを閉めて、小さく息をつく。負の感情を濃縮したような空気から逃れ、ほっとしている自分がいた。
ふと、微かな違和感に手のひらを見る。小さく震えているのが分かった。彼女の瞳に宿っていた、昏い炎を思い出す。それから、傷ついたような眼差しも。それらを振り切るように、ぎゅっと手を握って歩き出す。
君も見るんだろう?と言っていた。夢――俺にとっての現実世界を、彼女は知っていた。ということは、きっと俺以外にも、学園の記憶を持つ「こども」がいる。もしもその相手と協力できれば、現状を打開するきっかけになるかも知れない。
俺に託された役割。俺が果たすべきこと。
それはきっと、この世界の現状を変えること。
恐れている暇も、怯えている暇もない。選んだ選択肢の向こうに、俺がここにいる意味があるんだ。
彼女を真っ直ぐに見据える。
「自分に都合のいいように、俺や皆を利用して、閉じ込めて。記憶までいじって。あなたの目的は何なんですか」
「ひとを悪者みたいに言うねえ」
「俺は、この施設が皆を幸福にするとは思えない」
「……ふうん?」
所長の瞳から、潮が引くように、怒りの感情が引いていく。彼女は俺の服から手を離す。
「どうしてそう思うのか聞こうか。こちらは快適な環境と快適な生活を苦心して提供しているつもりなんだけどなあ」
「……人の心まで縛り付けるのは、幸福とは呼ばないと、俺は考えます。誰かに押し付けられた幸福は、幸福とは言えない。何でも管理しようというのは傲慢です」
彼女はちらりとこちらを見て、クリップボードにボールペンを走らせる。カチカチというボールペンのノック音。沈黙。
「…………ふ、っ、くくく……」
こらえられない、というように、彼女は笑い声をもらす。笑う度、肩口で彼女の髪が揺れる。
「君、いくつか勘違いをしているようだから、教えてあげようか」
残酷さと無邪気さを同居させたような顔をこちらへ向け、彼女は口を開く。
「まず、この研究施設は、君達「こども」の為にある訳じゃない。私が、私の幸福の為に、私の考えるものを実現するためにある。私の都合のいいように管理するのは当たり前の話なんだよ。此処に存在するものは、全てが私の所有物。代わりに、それらを管理するリスクや責任はきちんと負っている」
ボールペンのノック音を響かせながら、所長は語る。
「次に、君は「人の心」と言ったね。違うよ。私がやってるのは「物語の調整」。君達「こども」が人間だって?私は一度だって、君達を人間だと思ったことは無いよ。君達に求めているのは「物語」。心だの、権利だの、作者抜きにして語らないで欲しいなぁ。傲慢で結構。自分が正しい行いをしているなんて、露ほども思っちゃいないよ」
「…………あなたは、」
「君も見るんだろう?違う世界の夢。学園に通う夢。だからそんな事を言う」
どうしてそれを、と思った。俺の反応に、所長はくくく、と肩を震わせる。どこか自嘲《じちょう》めいた、痛々しい笑い方だった。
「駄目だよ。駄目。誰一人逃さないし、逃れようとするなら赦さない。……君達はねえ、幸福の種類なんて選べないんだよ。幸福はひとつきり。君達に選択肢なんてない。選ぶまでもなく、君達は、幸福に、なるのさ」
彼女の声が、室内に虚ろに響く。俺に向けたその言葉は、どこか自分に言い聞かせているようだった。子供をあやすような、甘く、優しい声。昏い炎を宿す、薄く開いた瞳。同じ目を知っていた。幼少期、ただ一つの世界だった狭いアパートの中。フォークを手に俺を見るあのひとと同じ目。正気と狂気を薄紙一枚で隔てたあの目だ。どろりとした空気が、身体にまとわりつくようで、呼吸が苦しい。身構える。ごくり、と喉が鳴った。しかし彼女の瞳は、数度の瞬きの後に、何事も無かったかのように理性を取り戻す。それでも、その奥に痛々しさが残る。どうしてそんな目をするのか、俺には分からなかった。
「今日はここまでだなぁ。定期的に面接は設けるから、きちんと来るように。あと、次回は出した紅茶は飲んでくれると嬉しいなぁ。もったいないから」
「……はい」
いつもの、やや間延びした声に促されて退室する。所長を振り返りはしなかった。ドアを閉めて、小さく息をつく。負の感情を濃縮したような空気から逃れ、ほっとしている自分がいた。
ふと、微かな違和感に手のひらを見る。小さく震えているのが分かった。彼女の瞳に宿っていた、昏い炎を思い出す。それから、傷ついたような眼差しも。それらを振り切るように、ぎゅっと手を握って歩き出す。
君も見るんだろう?と言っていた。夢――俺にとっての現実世界を、彼女は知っていた。ということは、きっと俺以外にも、学園の記憶を持つ「こども」がいる。もしもその相手と協力できれば、現状を打開するきっかけになるかも知れない。
俺に託された役割。俺が果たすべきこと。
それはきっと、この世界の現状を変えること。
恐れている暇も、怯えている暇もない。選んだ選択肢の向こうに、俺がここにいる意味があるんだ。
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