うらにわのこどもたち

深川夜

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うらにわのこどもたち2 それから季節がひとつ、すぎる間のこと

case5.十歌(1/2)

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 こんなことはないだろうか。
 何度も、何度も、執拗しつように同じ設定の夢を見る。同じ設定、同じ舞台、少しずつ進むエピソード。それは現実と奇妙に混ざりあっていて、繰り返す度に何が夢の記憶で何が現実の記憶か分からなくなっていくのだ。

 少なくとも、俺にはある。

 だから、最初にまぶたを開けた時、初めに見える天井がどの天井なのか、真っ先に考えるのだ。

 虐待死寸前の俺を保護した養育施設――現実の天井なのか。
 幼少期、ただ一つの世界だった古いアパート――過去の天井なのか。
 それとも、俺の現実を侵食する研究施設――夢の中の天井なのか。

 ここは、何処どこだ。

 *

「ま、座りな」

 ある日の昼下がり、俺は「所長」の研究室に呼ばれていた。外は降りしきる雨で灰色に薄暗く、時折ときおり遠雷えんらいが聞こえてくる。わずかに点滅する、室内の蛍光灯。布張りの、やや固めの弾力のソファーに浅く腰かける。テーブルの上には何かの資料と思われる紙の山と、筆記用具が数本転がっている。
 見るもの、触れるもの、聴こえる音。意識はこんなにもはっきりと世界を認識しているのに、これは夢だ。繰り返し見る、夢の中の世界。
 自らを所長と名乗る女は、俺の目の前にソーサーとティーカップを置き、そこに静かに紅茶を注いだ。温かい琥珀こはく色の液体からは、湯気と共にベルガモットの香りと、ほろ苦いキャラメルのような香りがする。反対側のソファーに置かれた淡い色のブランケットを横に押しのけて、所長が座る。自分のティーカップにも同じように紅茶を注いでから、こちらを見て、にや、と笑った。

「君、本当に用心深いねえ。別に何も入れてやしないよ。ただの紅茶」

 カップに触りもしないのを、「用心深い」と受け取られたらしい。実際、警戒はしているので間違ってはいない。別に今に限ったことではなく、どの世界においても他人に提供された飲食物には抵抗感がある。くせのようなものだ。それでも、毎日、抵抗感を振り切って、食事をする。食べなければ恐ろしいことが待っている。幼少期の記憶が、半ば強迫きょうはく観念かんねんのようになっていた。

「さーて、始めるかぁ。最近どう?上手くやれてる?」

 紅茶を飲もうかどうか迷っていると、クリップボードとボールペンを手に、所長が話を振ってくる。大雑把おおざっぱで抽象的な質問。「先生」と呼ばれる分類の人達は、どこの世界でも同じような質問をしてくる。だから俺も、同じように答える。

「……先生から見て、俺は上手くやれてますか?」
「んー。問題があるかどうかという点においては、ない。ただ、困っているかどうかという点においては、個人的には困ってる」

 さらっと返される。やや意外に思った。こういうやり取りが発生した時、大抵は曖昧あいまい誤魔化ごまかされることが多いからだ。困った顔、もしくは妙に優しい笑顔と共に、「あなたはどう思うの? 大丈夫、安心して」なんて変に丁寧ていねいに言われるのがつねだった。具体的に何をどう安心すれば良いのだろうとその度に思っていたが、所長の場合は違った。この人の返答は淡白で、直球で、飾ったり取りつくろうとする感じを受けない。良くも悪くも、嘘がない。

「問題がないけれど、困ってる……?」
「とってもね」
「…………」

 この夢を見始めた時から思っていたが、変な大人である。少なくとも、今まで周囲にいた、多数の大人達とは違う。

(いや、近い大人はいたか)

 不安定で、弱くて、残酷で、欲望のままに俺を自分の世界に閉じ込めた女の人ははおやが。

 思い出す。あまり思い出したくない過去。古いアパートの一室。時が止まったような部屋の中。あのひとは、俺を決して外に出そうとはしなかった。ひど癇癪かんしゃくを起こしたかと思えば、泣きながら俺を抱きしめたひと。じっと見つめたかと思えば、どこにもいないかのように扱ったひと。ルールを破れば容赦ようしゃなく、俺にフォークを突き立てたひと。あれはとても痛くて熱くて重かった。あのひとに、所長は少し、似ている気がする。

 所長の言葉の意図が分からずに黙っていると、彼女は可笑おかしそうに笑った。

「私や大規くんから見て、君に深刻な問題は無い。大分動くようになったし、話すようにもなった。他の子とも仲良くなったしねぇ。君は少しずつ、確実に「こども」として成長してる。こんなに短期間で変化した個体もめずらしいくらいさ。お陰でさっさと検体にもぶつ切りにも出来なくなって少々ストレスだよ。その点、私個人としてはとても困ってる」

 ぶつ切り。

「ぶつ切り、ですか」
「面白いよ」

 昨晩のテレビ番組の感想でも言うような気軽さだった。ぞっとしたのは、彼女の瞳に悪意の欠片かけらも見い出せないことだ。それがより一層、彼女という人間の残酷さを物語っているようだった。

「……あなたの立場なら、出来るんじゃないですか」
「あなたじゃなくて先生ね」
「先生、……の立場なら、俺ひとりくらいぶつ切りにしたところで、困らないんじゃないですか」
「立場をわきまえているのは結構」

 ボールペンをぐりぐりと動かし、クリップボードに挟んだ紙に何かを書き込んでから、所長は小さく溜息をつく。そして、紅茶に口をつけて、もう一度溜息をついてから、ソファーに背を預けて宙を見上げた。

「面倒くさいんだよねぇ……。君さあ、どうして物語を紡ぐようになっちゃったかなぁ……。そのまま検体になってくれたら良かったのに」

 本当に、心から面倒くさそうに言われる。

「君という存在はもう、他の物語にも根付いちゃってるの。それをひとつひとつ改ざんするのって滅茶苦茶面倒なんだよねえ。どんなに整合性を持たせようとしても、どうしても辻褄つじつまは合わなくなっていくだろうし、だったらその労力を新しい「こども」の作成にいた方が、こっちとしても楽しいんだよねえ」

 所長はぼやく。そんなことが可能なのか、と密かに思う。それから、こちらの世界の蒼一郎そういちろうに初めて出会った日のことを思い出した。何かを思い出そうとした彼の様子。もがく蒼一郎そういちろうを取り押さえた大規おおき研究員の様子。首筋に押し付けられた、ペンタイプの注射針。揺れる点滴パック。蒼一郎そういちろうの腕へと伸びる、不思議な色の液体。

「……蒼一郎そういちろうの記憶も……」
「なんだ、頭の回転は早い方なんだ」

 所長はゆるく首をかしげて俺を見る。

「そうだよ。あの子の記憶も、多少いじらせてもらってる。小さなものなら比較的簡単に塗り替え可能だからねぇ。ただ、人物にまつわる記憶となると、そうもいかない。君の記憶を他の「こどもたち」全てから消去するのは無理がある」
「……俺に教えて良いんですか」
「聞かれたから答えたまでだよ。何でも教えるわけじゃないけど、嘘はつかない主義でね」

 じっと、彼女を観察する。

 はっきりした口調。淡々とした声のトーン。余裕のある態度。ドライで冷淡な話の内容。感情を隠さない表情。
 彼女もまた、こちらを観察しているように見える。

「何考えてるか当ててあげようか?」

 からかうような声。所長の眼鏡の奥、大きな瞳と目が合う。

「君は私を信用していない。得体の知れないものだと思われているのかな?苦手意識があるのかもしれないね。私に……というより、苦手意識の対象は……そうだな、大人に対してなのかな。普段の様子から察するに、大規おおきくんの事も苦手でしょ、君。自分の置かれた環境に疑問を持っている。君はこの「はこにわ」に違和感なのか、拒否感なのか……とにかく、良い感情を持っていない。慎重で、常に周囲にアンテナを巡らせているタイプだ。ふふふ、どうしてなのかなぁ。この「はこにわ」にも、私にも、そんなにおびえなくてもいいのに」

 チカチカと明滅めいめつする蛍光灯が、彼女のリチア雲母のような瞳を照らす。傲慢な微笑み。心に土足で踏み込まれたような不快感。

「違う?」
「…………いえ」
「賢明だね」

 機嫌良く所長は答え、再びティーカップに口をつける。

「まあ、そういう訳で話を戻すけれど。君も立派にうちの「こども」な訳だ。だからこっちとしても皆と上手くやれているか心配なんだなぁ。私達がどう思っていたとしても、本人がどう思っているかは、聞いてみないと分かんないからねぇ」
「平気です。特に困った事は無いです」

 拒絶するための嘘をついた。これもくせのようなものだった。これ以上、自分に踏み込まれないための嘘。相手との線引き。
 途端とたんに、ぱぁん、と頬を張られた。一瞬だけ、暗転する視界。

「私に嘘をつくのは賢くない。とてもとても賢くない。嘘や誤魔化ごまかしが私に通用すると思わないで欲しいんだよなあ嫌いなんだよねそういうの馬鹿にしてるのかな君は」

 ぱぁん、と、もう一度、衝撃と共に耳元で破裂音が鳴る。頬が熱い。ぐい、と胸倉むなぐらつかまれる。彼女の瞳が、すぐ近くにあった。

「あのさあ、信用云々うんぬんはどうでもいいけど、聞いた事には素直に答えて欲しいんだよねえ。君がどうしてあの時死なずに今も存在できてるか、ちゃんと考えられるよねえ?」

 苛立いらだちを含んだ声だった。忌まわしいものを見るだった。大人からこんな風に接せられたら、大抵の子供は恐怖で萎縮いしゅくするだろうな、と頭の片隅かたすみで思う。自分の感情を確認する。麻痺まひしたように、何も感じない。実際に麻痺まひしているのだ、多分。怒りも不安も恐怖も悲しみも、今、この瞬間、自分の中に見いだせなかった。心拍数の変化すらない。笑ってしまいそうになるくらい、平静さを保った自分。

 過去の後遺症。人としての欠損。異質さとして残った傷跡。
 こんな時ばかり、自分の平坦な心に助けられる。威圧いあつのためにこんなことをするのなら、めないで欲しい。

 そういうのは嫌になるくらい慣れているんだ。

 息を吸う。吐く。自分に問う。

 俺はどうしたい?
 俺は何を、果たしたい?
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