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うらにわのこどもたち2 それから季節がひとつ、すぎる間のこと
case1.眠兎(2/2)
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その日の夕食は、味なんてわかったものじゃなかった。
僕達の食事を作るのは、基本的に大規先生だ。テーブルの上にそれぞれの分が盛り付けられ、用意されている。基本的に、とただし書きがつくのは理由があって、時々は日野尾先生の料理が並ぶ時や、二人共忙しくて料理が間に合わない時は、外の世界の市販品のようなものが出る時もある。大規先生の作る料理は、「向こうの僕」との記憶を照らし合わせてみても、彩りも栄養バランスもかなり計算されている、と思う。見た目にも美味しそうだし、実際に美味しい。不味かったためしがない。逆に、日野尾先生の料理は、その向こうに「食べられればいい」という感情が見え隠れしている。唯一間違いなく美味しいと言えるのはカレーで、具材の形はまちまちなものの、トマトの酸味が効いたカレーは大規先生の料理をしのぐ時もある。今日はそのカレーの日だった。
目の前のカレーを口に運びながら、僕は蒼一郎の部屋のことを考えていた。
蒼一郎の部屋には、確かに本棚がなかった。蒼一郎と十歌、二人分の机と椅子、ベッド。本の一冊すら見当たらない部屋の中。
十歌が来たから、スペースを確保するために本棚を撤去した?
だとしても、本好きの蒼一郎が、手元に一冊の本も残さないなんて変だ。撤去したならそう言えばいいだけの話だし、「ずっと本がない」なんて嘘をつく必要性だってない。それに、蒼一郎は僕に、「いつも本を貸してもらっている」と言っていたけれど、逆だ。僕のほうがむしろ、蒼一郎に本を借りることが多かった。お互いに本を貸し合い、時々感想を言い合ったり、内容について議論し合える唯一の相手。一方的に本を貸す仲ではなかった。少なくとも、僕の記憶の限りでは。
間違い探しの問題にすらならないような話なのに、お互いの話は一向に交わらない。
「眠兎」
名前を呼ばれて、はっと我に返る。スプーンを持ったまま、日野尾先生がやや不機嫌そうにこっちを見ている。ご飯は楽しく、がモットーの日野尾先生は、こういう時目ざとい。
「考え事しながらご飯食べないの」
「……すみません」
「分かればよろしい」
大人しく謝って、カレーをすくう。人参、じゃがいも、玉ねぎ。香辛料と混ざり合い、溶け込んでいるかもしれない謎の薬物。
一瞬、手が止まる。食べるリスクと、食べないリスクを考える。薬物混入に関しては未確定な以上、現時点では食べない方がリスクは上。今、先生達に目をつけられる方が、後々不利になりかねない。口に運ぶ。味わう気分になんて、なれない。
「せんせー! おかわりー!」
本日二度目のおかわりをした真白と、それに笑顔で応える日野尾先生。いつも通りの和やかな食卓とは裏腹に、僕の胃と心はきりきりと痛んでいた。
*
「……はー……」
夕食後、部屋のドアを閉めて、ようやくため息をつく。
カレーは誰にも見つからないように、こっそりとトイレで吐いた。何が入っているか分からない以上、しばらくは食べて吐くが日常になりそうだ。多少の栄養は吸収されているだろうし、懲罰室で空腹と嘔吐には慣れている。まさか役立つ日が来るとは思っていなかったけれど。
くそ、と毒づく。正直、蒼一郎の点滴パックの中身なんて、今までどうでもよかった。真白も、白雪も、誰がどうなろうがどうだっていい。僕さえ楽しければ、それなりに暮らせるなら、他の「こども」に何が起きようがどうだっていい。今もそうだ。究極的に、自分さえ生き残れれば、それでいい。
けれど、自分に害が及ぶ可能性があるなら話は別だ。
あの薬は一体何なのだろう。投与され続けたら、僕はどうなってしまうんだ? 少しずつ、少しずつ、僕が僕だと思っている自分が変わって、壊れて、得体の知れない何かになってしまうのか? 記憶も、人格も、何もかも塗り替えられて。
記憶の相違。小さいけれど、大きな違和感。込み上げてくるのは、不安と、わけのわからない怒り。
知りたい。知りたい。情報が欲しい。この世界で、何が起こっているのか。自分に、何が起こっているのか。それは僕にとってどれくらい重要度の高い出来事なのか。実害があるのかないのか。なんでもいい。何かあった時に、自分が不利にならないためのカード。
何を信じるべきか。誰を信じるべきか。身の振り方を試されている。誰かに。何かに。
僕達の食事を作るのは、基本的に大規先生だ。テーブルの上にそれぞれの分が盛り付けられ、用意されている。基本的に、とただし書きがつくのは理由があって、時々は日野尾先生の料理が並ぶ時や、二人共忙しくて料理が間に合わない時は、外の世界の市販品のようなものが出る時もある。大規先生の作る料理は、「向こうの僕」との記憶を照らし合わせてみても、彩りも栄養バランスもかなり計算されている、と思う。見た目にも美味しそうだし、実際に美味しい。不味かったためしがない。逆に、日野尾先生の料理は、その向こうに「食べられればいい」という感情が見え隠れしている。唯一間違いなく美味しいと言えるのはカレーで、具材の形はまちまちなものの、トマトの酸味が効いたカレーは大規先生の料理をしのぐ時もある。今日はそのカレーの日だった。
目の前のカレーを口に運びながら、僕は蒼一郎の部屋のことを考えていた。
蒼一郎の部屋には、確かに本棚がなかった。蒼一郎と十歌、二人分の机と椅子、ベッド。本の一冊すら見当たらない部屋の中。
十歌が来たから、スペースを確保するために本棚を撤去した?
だとしても、本好きの蒼一郎が、手元に一冊の本も残さないなんて変だ。撤去したならそう言えばいいだけの話だし、「ずっと本がない」なんて嘘をつく必要性だってない。それに、蒼一郎は僕に、「いつも本を貸してもらっている」と言っていたけれど、逆だ。僕のほうがむしろ、蒼一郎に本を借りることが多かった。お互いに本を貸し合い、時々感想を言い合ったり、内容について議論し合える唯一の相手。一方的に本を貸す仲ではなかった。少なくとも、僕の記憶の限りでは。
間違い探しの問題にすらならないような話なのに、お互いの話は一向に交わらない。
「眠兎」
名前を呼ばれて、はっと我に返る。スプーンを持ったまま、日野尾先生がやや不機嫌そうにこっちを見ている。ご飯は楽しく、がモットーの日野尾先生は、こういう時目ざとい。
「考え事しながらご飯食べないの」
「……すみません」
「分かればよろしい」
大人しく謝って、カレーをすくう。人参、じゃがいも、玉ねぎ。香辛料と混ざり合い、溶け込んでいるかもしれない謎の薬物。
一瞬、手が止まる。食べるリスクと、食べないリスクを考える。薬物混入に関しては未確定な以上、現時点では食べない方がリスクは上。今、先生達に目をつけられる方が、後々不利になりかねない。口に運ぶ。味わう気分になんて、なれない。
「せんせー! おかわりー!」
本日二度目のおかわりをした真白と、それに笑顔で応える日野尾先生。いつも通りの和やかな食卓とは裏腹に、僕の胃と心はきりきりと痛んでいた。
*
「……はー……」
夕食後、部屋のドアを閉めて、ようやくため息をつく。
カレーは誰にも見つからないように、こっそりとトイレで吐いた。何が入っているか分からない以上、しばらくは食べて吐くが日常になりそうだ。多少の栄養は吸収されているだろうし、懲罰室で空腹と嘔吐には慣れている。まさか役立つ日が来るとは思っていなかったけれど。
くそ、と毒づく。正直、蒼一郎の点滴パックの中身なんて、今までどうでもよかった。真白も、白雪も、誰がどうなろうがどうだっていい。僕さえ楽しければ、それなりに暮らせるなら、他の「こども」に何が起きようがどうだっていい。今もそうだ。究極的に、自分さえ生き残れれば、それでいい。
けれど、自分に害が及ぶ可能性があるなら話は別だ。
あの薬は一体何なのだろう。投与され続けたら、僕はどうなってしまうんだ? 少しずつ、少しずつ、僕が僕だと思っている自分が変わって、壊れて、得体の知れない何かになってしまうのか? 記憶も、人格も、何もかも塗り替えられて。
記憶の相違。小さいけれど、大きな違和感。込み上げてくるのは、不安と、わけのわからない怒り。
知りたい。知りたい。情報が欲しい。この世界で、何が起こっているのか。自分に、何が起こっているのか。それは僕にとってどれくらい重要度の高い出来事なのか。実害があるのかないのか。なんでもいい。何かあった時に、自分が不利にならないためのカード。
何を信じるべきか。誰を信じるべきか。身の振り方を試されている。誰かに。何かに。
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