うらにわのこどもたち

深川夜

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うらにわのこどもたち

case3.蒼一郎

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 唐突に、大規おおき先生が知らない男の子を連れてきた。
 僕より少し背が高くて、表情の無い、薄汚れたシャツのこども。

「今日から同じ部屋になる十歌とうたくんだよ。仲良くしてね」
「……はい」

 びっくりした。十歌くんの様子に、と言うより、僕より後にやってきたこどもは、初めてだったからだ。

「十歌くんはちょっと難しい子かも知れないけど、いい子だから。蒼一郎そういちろうくんなら、仲良くできると思うんだ」

 僕は十歌くんを見る。にこにことした先生とは対照的に、十歌くんはじっと黙ったままだ。
 確かに、ちょっと時間はかかりそう。でも。

「はい! きっと仲良くなれると思います! 十歌くん、よろしくね!」

 十歌くんは笑わなかったけれど、僕はなんだか、ワクワクしていた。これから楽しいことが起こるぞ、って、誰かに言われているような気がした。

「じゃあ僕はもう行くけど、点滴がなくなる頃にまた来るから」
「はーい」

 腕に繋がったチューブの先、不思議な色の点滴のパックを見上げる。中身は、半分を少し下回ったくらい。

「もう**しちゃ駄目だよー」
「えっ?」

 先生が何を言ったのか、上手く聞き取れなかったけれど、先生はそのまま部屋を出ていってしまった。
 
 *
 
 僕のベッドに、二人で腰かける。十歌くんはお喋りじゃないから、僕が一方的に話しかける。

「この部屋、本がたくさんあるから、気になった本を好きな時に好きなだけ読めるんだ。あ、でも、ご飯の時と消灯の後はダメ。夜更かしがバレるとすごく怒られるから。前にこっそりベッドの中で読んでたら、日野尾ひのお先生に見つかって、三日間読書禁止! って言われちゃった」

 ずらりと並んだ本棚と、そこに詰め込まれた本を見渡す。

「あっちにあるのはお話の本。あっちは石の本。あっちは星の本。それからね」

 よっ、と、僕は立ち上がって、自分の机から、古い表紙の本を持ってくる。

「これは、僕が今読んでいる、神様の本」

 十歌くんの瞳が、本の表紙をなぞるように、少しだけ動く。

「……興味、あるの?」

 十歌くんは何も言わないけれど、多分そうなんだろうな、と思って続ける。

「この世界にはね、神様って存在がいて、全ての物事を知っていて、全ての物事を決めているんだって。僕だってここにある本はほとんど読みつくしたし、先生達からも色んなことを教えてもらったから、たくさんのことを知っていると思うけど。でも、神様はもっとたくさんのことを知っているんだろうなぁ。いいなあ。僕も神様から教わってみたい。そうすれば、もっともっと色んなことを知ることができるのに。もし、興味があったら、後で貸してあげるね!」

 黙ったままの十歌くんに、にこ、と笑いかける。

「十歌くんはもうほかの子に会った?ここにはね、他にも何人か〝こども〟がいるんだよ。僕と同じように、本が大好きな子もいるし、外で遊ぶのが大好きな子もいるんだ。いつもぬいぐるみと一緒の子もいるよ。それから……」

 ふと、僕の心にひとりのこどもが浮かぶ。

「あのね、十歌くんは知ってる? 僕は遠くから一度しか見たことがないけど、とってもキラキラした髪の色の子がいるんだ。ほら、僕や十歌くんは暗い髪の色でしょ? ほかの子もそうなんだけど……銀髪……っていうのかな? その子だけは、明るい髪色をしていたよ。僕達と同じ服を着てたから、多分、別の場所で生活してるんだど思う」

 再び、十歌くんの瞳が、少しだけ動いた。

「いつからいる子なのかは知らないけど、背は……結構、小さかった気がする。僕が見た時は、日野尾先生と一緒にいたよ。何かの本を持ってた気がするから、その子も本が好きなのかなぁ……だったら、友達になりたいな……」

 うーん、と、記憶をたどるために上を見上げる。いつもペットのように引きずっている点滴棒の先、パックの中身が大分減っていた。もうすぐ、無くなってしまいそうなくらいに。

「あとは……ええと、確か、そう、詩集が好きで、一つ違いのお姉さん達が……いて……? あれ……? そうだったっけ……?」


 僕はあの子のこと、はずなのに。


 あれ?
 

 その瞬間、ぶわっ、と、たくさんの映像が、感情が、感覚が、頭の中に押し寄せた。心臓がどきどきして、胸がぎゅっと苦しくなる。


 なんだ、これ。


「僕は……、僕は、先生の創った実験体一八二四一八二二四番〝蒼一郎〟……僕は、事故があって……転校してきて……転校? 僕は基準をクリアして〝こども〟に……、君や……、カイと同じ……同じクラスに……クラス? カイって誰だっけ……あの子と同じ……なんだよこれ……? 僕は……」

 思わず胸を抑える。記憶がおかしい。頭が、混乱する。
 思い出すな、と何かがブレーキをかけようとしているのに、そんなことはお構いなしに、情報が洪水のように流れ込んでくる。


 大規先生はまだ来ない。


「教室……知らない……制服……知らない……嘘だ……知らないはずなんてない……違う……なんだこれ……薬がなくなりそうだから……? 違う……こんな薬……知らない……こんな世界、知らない……僕は……」

 部屋の本棚。僕がこの本を読んだのはいつ?
 少しくすんだ白い部屋。僕がこの部屋に来たのはいつ?
 点滴。この点滴はいつから?
 自分の記憶をたどろうとすればするほど、別の記憶がそれを上書きしようとする。


 僕は誰?
 この世界は、今の僕は、何?


「逃げなきゃ……」

 ここにいてはダメだ。逃げなきゃ。どこへ行けばいいかなんて分からない。どうすればいいのかなんて分からない。それでも、とにかく、ここでは無いどこかへ逃げなくては。ここは、危険な気がする。とても良くないところのような、嫌な感じがする。
 十歌くんの、〝十歌〟の手を引く。視界がぐらぐらと揺れた。

「十歌、行こう」

 混乱する頭と、重い身体を無理矢理動かす。ごとっ、と、音を立てて、点滴棒が倒れた。
 ドアノブに手をかけようとして、

「おっと」

 部屋に入ってきた、〝大規先生〟に抱きとめられた。

「いやーごめんね遅くなって。点滴、もう無いね?危ない危ない」
「はなっ……離せっ……!」

 じたばたともがいても、僕を抱きとめる手はびくともしない。

「ああ、駄目だよ。大人しくしておかないと。僕が所長に怒られる」
「…………っ……!」
「君のためにも、ならないよ」
「嘘だ……嘘だ、ここ、何なんだよ……! せ、…………!」
「お前、なんて酷いな。先生に、そういう口の利き方は良くないよ」
「お前なんか知らない! 僕は……こんな場所、知らない!」
「ああ、……うるさいな」

 ばつん、と、首筋に衝撃が走った。何かを押し当てられて、針のようなものが刺さった感触。
 急速に、身体から力が抜けていく。

「大規だよ。ここの研究員の」

 冷たい声だった。顔を見る。目が合う。僅かに目を細めた、その奥の瞳は、真夜中の闇を濃縮したように、くらい。

「うん、本は回収しよう。トリガーは多くても少なくてもいけない。何事も過不足なく。……所長も無茶振りが過ぎる」

 動かなければ。逃げなければ。
 その心とは裏腹に、身体はいうことを聞いてくれない。大規にもたれ掛かるように、膝を着く。
 意識が、保てない。

「おやすみ。もう脱走しちゃ駄目だよ」

 ――その声を最後に、完全に僕の意識は途絶えた。

 *

 ふっと目覚めると、僕はベッドの上だった。
 隣には、いつもの点滴棒と、大規先生と、十歌くん。

「大丈夫?」

 大規先生が、優しく声をかけてくる。

「あれ……?僕……」
「ごめんねー、僕が遅くなっちゃったせいで、蒼一郎くん倒れちゃったんだよー」

 本当にごめんね、と大規先生。先生の横にいる十歌くんは相変わらず黙っているけれど、心配してくれていたのは、何となく分かった。
 会ったその日なのに、悪いことしちゃったな。

「十歌くん、ありがとう。それと、いそがしくても、先生はせめて、僕が倒れる前に来てください」
「うん、気を付けるね」
「もう……」

 何度目ですか、と言おうとして、何度目だったっけ?と考える。


 そんなに何度もあったっけ。
 まあ、いいや。


「これから夕食だから、一緒に行こう」
「はい」

 答えて、起き上がる。いつの間にか、十歌くんの机やベッドが運び込まれていた。立ち上がってみる。ふらふらするかと思ったけど、思ったより意識も身体もしっかりしていた。
 先を歩く先生たちに続いて、点滴棒を引きずる。
 部屋から出る時に、一瞬、あれ? と思って、立ち止まる。
 何が〝あれ?〟なのかは分からなかった。ただ、部屋がちょっとだけ広くなっているような気がした。
 きっと、十歌くんの机やベッドを運ぶときに、片付けものでもしたのだろう。そんなに片付けるものもなかった気がするけれど。


(それに、十歌くんのものが増えた分、狭くなった、はずなんだけどな……)


 あれ?


「蒼一郎くん?」

 先生に呼ばれて、廊下を見る。

「もしかしてふらふらする?もっとゆっくり行こうか?」
「あ、……大丈夫です」
「そう。もう**しようとしないでね?」
「えっ?」
「ううん。行こう。今日はハンバーグだよ」

 先生が何を言ったのか聞き取れなかった。だけど、先生が言い直さないということは、大した事じゃなかったんだろう。そう思って、歩き出す。


 僕と先生の様子を、十歌くんは静かに見つめていた。
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