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幼馴染
妖精と会社の部下
しおりを挟む(遅くなっちまった……)
夜道を走る。
一人暮らしを始めたのにまったく家事をしない従兄の世話を焼いていたらこの時間だ。
(飯食う時間がねぇ~)
点滅する街灯の下を通り過ぎる。黒い髪を青い光が銀に染めた。
もう風呂入って寝てしまうのもいいだろう。そう思い鍵を取り出し、玄関の戸を開ける。
ガララ……
「あれ?」
開いている。
居間から光が漏れ、テレビの音まで。自分がいないのに生活音がする。
「……」
鍵は仕舞い靴を脱いで上がると、従兄の顔より見た幼馴染がくつろいでいた。
「もう、そんな季節か」
幼馴染は帰ってきた俺に気づくと、笑みを浮かべて手を振った。
夏はクーラーが無いと人が死ぬ暑さだ。では冬がマシかと言われると、猿が温泉に入る程度には過酷。
「邪魔してるよ」
幼馴染の有希路(ゆきじ)。隣の、こう言っては悪いが、物置のような家に住んでいる貧乏人だ。
アイス(有希路のあだ名)の家は冷暖房が完備されていないので、クーラーと暖房が必要な気温になると俺の家に上がり込んでくる。野良猫のような奴だ。
俺は首に巻いていたマフラーをハンガーにかけた。
小雪がちらつくこの季節に追い出しては真面目に死なれかねないので、俺も出ていけとは言えない。こいつがいる生活にもう慣れてしまった。
「また、お兄さんとこ?」
「まーね。俺、風呂入ってくる」
ミカンを剥いているアイスの後ろで、鞄を仕舞いゴミ袋を置いてバスタオルやらをばたばたと引っ張り出す。
「お湯は、沸かしておいたから」
「助かる!」
アイスを許容しているのは、こういうところがあるからだ。家に入ってくるが、食事や掃除などをしてくれる。雨で急いで帰ったら、アイスが取り込んで畳んでおいてくれたなんてことも多々あった。
……正直。もうこのまま嫁に来いと思う。
なんてね。冗談だ。
あいつは外を歩けば犬も振り返る美人だ。競争率が高いし。……そもそも俺は男だから、競争云々の話ですらない。勝負の土俵にすら立てない。
「……」
身体を洗うと、みかんの香りがするお湯にたっぷりと浸かった。
「……ふぅ」
「にーしき」
「ふわっ⁉」
ガラッと浴室の戸が開く。開けたのはアイスだった。
びっくりした。
「あ? どうした?」
「寝間着持ってくるの忘れちゃって……。なんか、借りていい?」
湯気の向こうで、妖精じみた美貌に困った笑みを浮かべている。不覚にもどきっと胸が鳴ってしまう。可愛かったのに、年々美しくなっていくな、こいつは。
隣なんだから取ってこいと言いかけたが、お湯を沸かしておいてくれたんだし、いいか。
「好きなのどーぞ」
「ありがと。にしき」
薄く笑うと戸を閉めて居間に戻っていく。
……俺は鯉木(こいき)。あだ名がニシキです。
十分温まってから風呂を出る。出る際に軽く掃除をしておく。
適当なルームウェアに袖を通し、髪を拭きながら居間に出る。
「まだ起きてるのか?」
俺の寝間着に身を包んだ美人が、布団の上でテレビを眺めている。布団、敷いてくれたのか。
「んー。これだけ。このラストが気になって。でもCMが長くて……」
あくびして目を擦っている。
(半分寝てるな)
俺も布団の上に腰を下ろし、お構いなくドライヤーを使った。
少し古いものなのでブオオッと大きい音が鳴る。テレビ観てるアイスには悪いが、ここの家主は俺なのでな。
コンセントの位置的に、テレビを観ているアイスに背を向けて乾かしていると、誰かが背中にもたれかかってきた。
カチッと、ドライヤーを止めて振り返る。
「おおい」
「うーん。お帰り……」
「くっつくなー」
アイスは寝ぼけていると人を抱き枕にしてくる。酔っぱらっても同じ行動をしてくるので、居酒屋でちょっと騒ぎになったこともある。こいつに酒を飲ませないと俺は誓った。
「後ろ。乾かしてあげよっか?」
腹に腕を回し、ぐりぐりと額を背中に擦りつけてくる。だから、猫かよ。
「自分で乾かせるわ。ほら、CM終わったぞ」
「んん……」
「おーい。アイスぅ」
返事がない。俺に全体重をかけたまま眠ってしまっている。
ため息をついてドライヤーを置き、アイスを布団の上に転がしてやった。束ねている髪を解いてやる。ゴムは目覚まし時計の上に置いた。
「おい! ラスト見たかったんじゃないのか? 始まって……え? クイズの答え、これだったの?」
俺の方が夢中になってしまった。とはいえ番組の最後など一分で終わってしまう。すぐに夜ドラマに切り替わった。いきなり死体が映るサスペンスものだったのでテレビを消す。
「ごはん……」
(なんの夢を見てんだか)
アイスにばさっと布団をかけ、ドライヤーを再開した。この毛玉まみれのおんぼろ布団はアイスが運んできたものだ。夏と冬になると、アイスの家にある物が俺の家にスライドされる。持ち物が少ないせいか、アイスの家にある物は旅行鞄に収まってしまうくらい少ない。
一応、部屋数はあるのでアイス用の客間を用意してやったのに、全っ然使わねぇ……
(あの部屋の何が不満なんだよ)
ベッドも机もテレビもある。古いけど。従兄が使っていたからきれいなのに。
(まあいいけどよ)
髪を乾かすと柑橘系の香りがするヘアオイル(?)を髪に塗りたくる。妖精と同居しているせいか、身なりに気を遣うようになっちまった。買い物行く時とか、こいつと並んで歩かなきゃならないし。ある程度はな……。
「……なんでこいつは」
何もしてなさそうなのに、黒髪にばっちりとキューティクルが浮かんでいるアイスを見下ろす。同じ人類と思えない寝顔してやがる。
「はー。疲れた。おやすみ」
電気を消すと隣の布団で横になった。
布団一枚じゃそろそろキツイかな? 毛布の出番か。明日、一度天日干ししてから……天気予報じゃ曇りだったっけ?
隣の布団がもぞっと動く。
「にしき……」
「……」
うっすい布団一枚は寒いのか、寝返り移動で誰かが俺の布団に潜り込んできた。
「あのなぁ」
俺も寝返りを打つと、ころんと腕の中に納まってくる同い年。俺の厚手のルームウェアをしっかりと握り締める。
「俺は湯たんぽじゃねぇぞ」
毛玉増量布団を手繰り寄せ、アイスの上にかけてやる。改めて触るとうっすいな、この布団。ぺらっぺらだ。
叩き起こして布団に戻らせるのが良いんだろうけど、俺はもう眠かった。
やさしい香りのするアイスを抱き締め、瞼を閉じた。
「ああ~」
ゾンビのような声を出してデスクに座ると、部下がシャーッと回転椅子で滑ってくる。名前は柳(やなぎ)くん。狐のように人を食った笑みが似合う子だ。
「お前……以前それで派手に転んだだろうが。やめろ、それ」
俺の忠告が聞こえていないのか、ニヤニヤと俺のデスクまでやってくる。
「にっしきさん! もしかして昨晩は、お楽しみでしたぁ?」
「あ?」
「朝から身体痛そうにしているので、ついに! 一晩中激しいプレイが出来る彼女に出会えたのかと」
にししっと笑っている。こういう話が好きな可愛い奴だ。可愛い部下には会社だろうがヘッドロックをお見舞いしてやろう。しょうがないな~。かまってちゃんめ。
「あああぎゃああああああ! ギブギブギブギブ」
「彼女いない歴年齢の俺にいい度胸だ。頭割ってやるから脳みそ入れ替えろ」
「あああああ‼ し、じぬうううう!」
周囲が「またやってる」といった空気で見て見ぬフリをしていく。
動かなくなった部下を床に捨てた。
妖精と半同居しているせいで彼女がみんなアイスに心奪われるんだよ。付き合って長続きして、二日だぞ。死にたくなるわ。
デスクに手をついてよろよろと柳が這い上がってくる。上がってくるな。そのまま床と一体化しておけ。
「はあ~? 首をゴキゴキ鳴らしながら『いってぇ……』って呟いてたじゃないすかー」
「寝違えたの」
朝起きたらアイスが俺にがっちり抱きついてて。寝返り打てなかった俺は全身痛い。アイスはひたすら謝ってた。
部下は唇を尖らせる。
「紛らわすぃ~」
「何がだよ」
コツンと小突いておいた。
「寝違えたのなら、枕でも買いに行きません?」
「んー?」
柳が腕を絡めてくる。
「枕が~合ってないのも原因らしいっすよ?」
枕というか。俺の場合は抱き枕(生き物)が原因なんだけどね。
「うーん。それより、布団が欲しいかな~」
アイスがあのぼろ布団一枚しか持ってない、となると。春になるまで俺が湯たんぽになるのは目に見えている。子どもの頃は良かったが年々、大人になってくると湯たんぽにされるのがこう、精神的にこう、きつくなってきた。
可愛い女の子ならともかく。整っている幼馴染とはいえ男だし。おまけに俺の初恋泥棒だし……。
ぎしっと背もたれに身体を預ける。
「はあ~」
「遠い目しちゃって。買い物付き合いますよ」
「いいよ。お前は帰って寝ろ」
「やーだ。ついていきますぅ!」
しがみついてくる部下の頭にもふっとチョップを落とす。人を湯たんぽにするアイスのせいで、俺は人との距離感がバグっていたと思う。くっつかれても何も思わなかった。
休日。
自分に合った枕と出会える「まくらぐら」に訪れていた。
「いや、だから俺は布団を……」
「まあいいじゃないっすか。見るだけ見るだけ!」
柳にぐいぐい引っ張られていく。私服のこいつを初めて見た。スーツ時よりうさん臭さが減少しているように感じる。
店内には色んな「枕の中」が見える形で展示され、自由にお触り下さいと書いてある。
「ふーん。枕の中ってこうなってんだな」
何故かイルカの形をした枕をゴワゴワと揉んでみる。冷感と書いてあるのでひんやりしているが、この季節に用は無いかな。
「えーん。連れ帰ってよー」と泣いているイルカを元の位置に戻し、手当たり次第に枕を揉んでいく。
「にしきさん。可愛いもの好きなんすか?」
「は?」
「さっきから抱き枕たちに夢中みたいなんで」
「にしきさんも可愛いです」とププッと笑いながら肩を突いてくる。
ぼすっと羊さん枕で殴っておく。
「はよ選べ。付き合ってやってんだぞこっちは」
「そのまま付き合ってくれてもいいですよ?」
「はあ?」
アッパーでもしてやろうかと見下ろすが、柳にしては真面目な顔をしていた。
「……」
一瞬、迷いが生じたが……
「んふふっ。真に受けちゃいました?」
ニヤリと笑われ、どこかホッとした自分がいた。それはそれとして、
「このご時世はな。野郎から告られても茶化しづらいし……」
「ご、ごめんなざあああああああいでええええええ‼」
逃げようとした部下はしっかり絞っておく。
店員さんが駆け寄ってきたので、「大丈夫です。肩凝りを治してやってるだけです」と言っておく。心配かけてはいけないしな。
動かなくなった柳くんを引きずる。
「柳くんはどんな枕が良いの?」
「おごごごごごっ……。低反発の、やつっすか、ね」
柳が選んだのは、こう、横から見ると波状になっている形のもの。
「ベッドがありますので、一度試してみませんか?」
にっこにこの店員さんが勧めてくるので、柳は『ご自由にどうぞ』と書かれたベッドにぴょんと飛び乗る。
「うわーい。……あ、駄目だ、寝そう」
「寝るな。その枕はどうだ?」
「うーん。文句ないっすけど、一晩寝てみないとわかりませんね」
まあそうだよな。良いと思っても、翌朝首痛かったら駄目だし。
「にしきさんも寝転んでみませんか?」
「なんで?」
本当になんで?
「にしきさんも低反発を試してみてくださいよ」
なんで店員さんよりお前がおススメしてくるんだよ。
一ミリだけ気になるので横になってみる。
「うわっ。すっごい沈む」
これは、慣れるまで落ち着かないな。
頭を上げようとしたらどういうわけか、柳も乗っかってきた。俺の腹を跨いで見下ろしてくる。
眉をしかめる。
「おい……」
「へへ。なんかこうしてると、にしきさんの家でくつろいでるみたいっすね」
俺の家でくつろぐのはあいつだけで十分だ。従兄も親戚の子たちも勝手に上がり込んでくるので、プライベート空間に人がいる状況には慣れているが、これ以上増えなくていい。
「馬鹿やってないで。どけ。店員さん困惑してるだ、ろ……」
首を捻るがいなくなっている。
「色違いもありますよって、取りに行ってくれましたよ」
「そう。っ!」
ビクッと身体が震えた。
何を思ったのか、柳が横腹をくすぐってくる。
「ちょ!」
「静かにしないと、見られちゃいますよ」
何を言ってるんだこいつは。
退かそうとしたが、今度は両手でくすぐってきた。
「ひあ!」
「あはは。可愛い声。でももうちょっと声を抑えてくださいね。店の奥にあるとはいえ」
「やめ……んんっ!」
ゾクッと甘い痺れが背筋を駆け脳にまで届く。
「ん、んん。……は、ああ」
「あれあれ? くすぐったくないんですかぁ?」
柳の細い指が、ヘソの周りまで這いまわる。
「はあ、ぁ、やっ……」
手首を掴むも、力が入りにくい。
「柳……っ、う」
「あは? 気持ち良くなっちゃってます? もしかして~くすぐったさではなく、快感に変換されるタイプですかぁ?」
「あっ、調子に、んっ!」
人が横を通るこんな、お店で。こいつは何をしてくれてんだ。
「やなっ……ぎ。怒るぞ、ひゃあ」
「『ひゃあ』ですって。どこからそんな声出るんすか? もう一回鳴いてくださいよ」
「う、あっ、そこ。やだ……ぁ」
「ん~? ここですかぁ?」
ビクッビクッと腰が跳ねる。あーやばいやばい‼
俺はこうなるとまったく動けなくなる。学生時代、修学旅行で友人複数に、くすぐられたことがあった。あいつらに悪気はなかったけど、俺は危うくイきそうだったからな……
二人に両手足押さえられて、二人がくすぐってきたんだ。まあ、冗談だったってのは、分かっていたけどな。
『あ、う。や、やめろって』
『駄目でーす。罰ゲームなんだから』
『しっかり押さえとけよー』
服の中に潜り込んできた手が、肋骨の上をこしょこしょと引っ掻く。
『んんっ!』
『頑張れよー。五分我慢したらオッケーだからな』
『はうっ、あ、ああ』
あ、駄目だ。くすぐったくない。くすぐったいんじゃなくて……
でも布団の上で手足を押さえられていて。逃げることも出来なかった。
『や、もう、止めて! 五分、経っただろ……っあ』
『うーわ。にしきエッロ』
『顔真っ赤じゃん。乳首とか、立っちゃってんじゃない?』
ジャージを捲り上げられる。自分でも、こんなに立っている胸は初めて見たかもしれない。ブンブンと首を左右に振る。
『やめ。見ないで、よ』
『男同士だし、いいじゃん! それより、触ってみていい?』
『や、やだ』
いま、触られたら確実にやばいことになる。修学旅行でイくなんて冗談ではない。
『まじやめろ!』
『えーでも、触ってくださいとばかりに立ってるし』
『そうそう。嫌なら立たせるなよ』
『……ッ』
摘む気満々の、親指と人差し指が迫ってくる。
今思えば罰ゲームの範疇を超えていたような……。いや、そんなことないか。学生時代なんてこんなもんだろーし。
遊びに来たアイスが全員蹴散らしてくれて助かったけど。
「はあっ……ああ、やな、ぎ。ああ」
「あちゃあ~。にしきさん、こんな風になっちゃうんすね~。イイこと知りましたよ」
ニヤッと笑うと、上から退いてくれた。店員さんが戻ってきたのはそれと同時だったので、俺は荒い息と赤くなった顔を隠すのに必死だった。
「謝ったじゃないですかぁ~」
枕を購入できた柳くんの胸ぐらを掴んで歩く。頭にトリプルたんこぶを生やした部下が何か言っているが無視する。
「みかんデラックスパフェ奢ってくれたらチャラにしてあげるよ」
あれ、食べてみたかったんだよね。でも三千円もするから迷ってたんだ。
「拒否権は?」
「もう一回言ってみろ」
「奢らせていただきます……」
財布もゲットできたことだし、遠慮なく食べれるな。
梟柄の財布を握った柳くんが泣いているが、きっとパフェを食べられるのが嬉しいんだろう。
「今月ピンチなのにぃ。にしきさん金持ちの癖に。逆に奢ってくださいよ~……嘘です寝言です」
「そっか」
新技を試そうと思ったんだけど、寝言なら放置しよう。
うわ、結構混んでるな。
「人気なんですね。そのパフェ」
「テレビで紹介されてたからな。俺も財布くんがいなかったら来てなかったよ」
「柳です……」
名前を書いて、椅子に座っておく。
「俺、こういうのに並ぶの苦手なんすよねぇ~」
手のひらを差し出す。
「そう? 財布だけ置いて帰ってもいいよ?」
「そんな寂しいことあります⁉ いいですよ。にしきさんと一緒に食べます!」
「イイ枕買ってたのに。無理するなって。三千円だけ置いて帰れ」
「可愛い顔で酷いことを言わないでください……メンタルにクるんで」
柳くんの顔色が悪い。
頭を撫でてやると、ぱっとこちらを見た。
「……にしきさん。誰にでもそういうことするんすか?」
「は? お前にしか奢らせたりしないよ?」
俺のこと鬼畜上司だと思ってんのか?
「違うっすよ。頭撫でたでしょ?」
「嫌だった?」
「……いえ、その……」
小声でごにょごにょ言うので聞こえなかった。
暇なのでスマホでも見ておくか。
「……にしきさん。さっきの、気持ち良かったですか?」
「ん? まだ怒られ足りないの?」
「いえ~? 他の部下たちの前でやれば、楽しそうだなーと思っただけです」
たまにする、柳くんのこういう陰湿な笑みは好きじゃないな。
「目を覚ませ」
「へばっ!」
ビンタしておく。
「なんで⁉ マザーにも親父にも殴られたことあるのに!」
「やんちゃだったんだな。また寝言かと思って」
「起きてますよおお!」
しばらくして名前を呼ばれた。
通されたのは窓際の席。テーブルクロスの可愛い円形のテーブル。
メニューを見ることなく、水を持ってきたウエイトレスさんに即注文。
「みかんデラックスふたつ」
「かしこまりました」
フリルの可愛い制服を見送る。
柳はテーブルに頭を乗せた。
「あーあ。もう。しばらくモヤシ生活っすよ~」
「モヤシ美味いじゃん」
「……」
「まあまあ。辛かったら俺の家に食べに来ればいいよ」
目を輝かせて顔を上げる柳。
「え? いいんすか?」
「そのくらいはね。俺の家で存分にモヤシお食べ」
「あ。飯作ってくれるとかでは、ないんですね」
俺は料理苦手だ。アイスが一生飯作ってほしい。後片付けするから。
「お待たせしました。みかんデラックスで……す。にしき?」
「え?」
ウエイトレスさんの口から俺の名前が飛び出した。
首を向けると、幼馴染の妖精がパフェを持って目を丸くしている。
「アイス⁉」
なんでここに! 制服似合うな。彼はバイトしまくりバイト戦士だが、ここでも働いていたのか。
(もしかして……客が多いのって)
柳が俺とアイスを交互に見ている。
「あ……パフェです」
「どうも……」
でっけーパフェを置いて去っていく。
残されたのは暴力的なまでのオレンジ色。いい香り……
「今の誰ですか⁉」
「幼馴染」
わなわな震えていた柳がテーブルを叩く。
「今のが? にしきさんが『妖精妖精』言うから、てっきり幼女みたいな人を想像してたのに……百八十はありそうなでっけー男じゃないですか! 詐欺っすよ」
何詐欺なんだろうか。
「でも、きれいだろ?」
細いスプーンを握り、みかんの塔に挑む。あ、その前にみかんシャーベットに刺さっているオレンジつぶつぶポッキーから頂く。ポリポリ。うまい。
「はああああっ? あ、あんなエグイ透明系美人と同棲してんすか」
「同居ね」
「そりゃ彼女吸い込まれますよ」
うぐっ。
柳はポッキー二本食いしている。
「あーあ……。にしきさんがやけに目が肥えてるのもあの方のせいっすね」
「目が肥えてるって?」
「俺になびかないじゃないですか!」
「……」
とんでもねぇ自信だ。見習いたい。
じろじろと柳を見つめる。
(見た目は悪くないと思うけどね……)
うさん臭さが上回っているから素直にかっこいいと思えない。
「あの……」
まともに眺めていると柳くんがたじろいだので目線を外し、唯一白い生クリームとみかんを同時に頬張る。
「……甘くておいしい。すっきりする」
「でも三千円かぁ~。にしきさんの喘ぎ声を聞けた代償は大きなぁ」
この花瓶みたいな器で頭殴ってやろうか。
湯たんぽ回避用毛布も買えて満足だ。
「ありがとね」
家の近くまで柳くんが車で送ってくれた。帰りは荷物が多いからと、車を出してくれたのだ。
肝心の俺の車はただいま修理中。バックが下手過ぎて家のブロックにぶつけたんだ。他の家にぶつけなかったのは幸いだが、心から泣いた。
点滅する街灯の光。
「いいえ~。冷やさないようにしてくださいねぇ」
つまらなさそうにハンドルにもたれている。クラクション鳴らさないようにしろよ。
シートベルトを外そうとすると、柳もベルトを外す。てっきり、毛布を下ろすのを手伝ってくれるのかと思いきや……
シートベルトを外そうとする手に、手のひらを重ねてきた。
「ん?」
「さっき中途半端に触っちゃったんで、火照っているでしょう?」
「は? え? 柳く……」
頬に手を添えられるとキスされる。柳くんからも、ほんのり甘いみかんの香りがした。
「……?」
突然の事態に、頭が真っ白になる。柳くんの手が車内の照明を消す。車はシンッと夜と同化した。
ちゅうっと上唇を吸われて我に返る。結構強めに突き飛ばした。
「……ふざけるのもいい加減にしろ。さっきから、冗談で済ませてあげられなくなる」
手の甲で口を拭いながら睨むも、柳くんはへらっと肩をすくめる。
「冗談で済ませられると困りますよぉ。本気なんですから」
「え?」
「にしきさん鈍そうなんで、こうでもしないと気づいてくれないかなって」
「気づくって……」
はあっとため息をつかれる。
「あんなにベタベタしても意識されないとぉ? こっちも凹むんですよ」
「……」
会社なのに近いなとは思ったが。確かにそれ以上の感情は湧かなかったな。
「俺のこと好きなの?」
「……。好きでもない方にキスしますかね?」
……。
好き? 柳くんが?
俺を?
「――ッ」
耳まで熱くなったのを自分でも感じた。
「何ですかその可愛い反応は。脈ありと受け取ってもよろしいですか?」
「違うって」
強引に唇を押し付けてくる。
「近づくな!」
押し返すが動きづらい。狭い車内で、シートベルトでがっちり固定されているのだ。
苛立って外そうとすると、伸びてきた手が服の上から胸をくすぐった。
「っん」
「ここも弱いんですか?」
「違う、から。やめろ。怒るぞ」
「迫力皆無ですね~」
シートベルトを外している彼は俺の膝に跨ってくる。頭ぶつけるぞ。
至近距離に来られ、のけ反りかけた。
「近いって!」
「にしきさん。俺と付き合いませんか?」
「この状況で⁉」
告られても恐怖が勝るだけだ。
でも、柳くんの表情は真剣で――
ガチャッとドアが開いた。
「「……」」
二人で目を丸くすると、当然のようにアイスが覗き込んでいた。
「お帰り」
「たっ……ただいま」
「荷物あるなら運ぶの手伝うよ?」
これ、を見ても一切動じないアイスに脱帽だ。後ろのドアを開け、大きな袋を引っ張り出す。
「毛布買ったの?」
「ま、まあ……んぐ」
アイスに気を取られていると柳くんのキス攻撃。
「すんな!」
「にしきさん。返事は?」
べったりと抱きついてくる。
「やな……」
「おわっと!」
抱きしめ返そうとしたら柳くんも引きずり出される。
「あ、危ないじゃないですかぁ!」
「ラブラブなら空気読んで消えたんだけど、にしきが嫌がってるように見えてさ……。ごめんね?」
謝っている割に、見下ろす目は冷たかった。
尻についた砂利を払ってアイスに食って掛かる。
「邪魔しないでもらえます?」
「……」
「さては、貴方もにしきさんのこと?」
そうなの⁉
ちょっと期待してアイスの顔を見つめるも、幼馴染はいつものおっとりした表情で首を横に振った。
「にしきに彼氏が出来て追い出されたら、俺は死んじゃうから。ごめんね?」
「……さっきから、なんの謝罪なんですかねぇ?」
ピクピクと怒りで柳の目元が痙攣している。
今のうちにシートベルトを外した。
車外に出る。
「柳くん。送ってくれてありがとう。でも、許可なくキスしたことは怒るよ」
「え? あ、まっ、いっででででえでえええ!」
静かな住宅街に潰れたカエルのような悲鳴が響く。
右腕を背中に回して、レバーのように上に持ち上げてやると大人しくなった。
ぱっと手を離す。
「いでええ……」
「もう」
「にしき。この毛布何? 俺の境遇に憐れんで買った物なら、受け取らないよ?」
ムスッとしている。
貧乏なためか、「可哀想」な理由で貢がれるのを酷く嫌うところがある。
そんなこと知ってるっての。
「違うよ。俺の。湯たんぽ回避用毛布だ。お馬鹿」
毛布を引っ手繰ると、じわっとマシュマロが溶けるような柔らかい笑みを浮かべた。いやほんとうにきれいだな。見惚れるわ。
「見惚れないでください」
「うはわ!」
ツンッと脇腹を突かれ、倒れかけたがアイスが抱きとめてくれる。毛布は落ちた。
「危ないだろ!」
怒鳴るも、柳くんは素早く車に逃げ込んでいた。
「今日は楽しかったですよ。……にしきさんのこと、諦めたわけじゃないんで」
軽く手を振ると、柳は緩やかに去って行った。
排気ガスのにおいが、寒風に散らされる。
「ったく」
毛布を拾い、軽く叩く。袋に入っているので無事だった。
「他にも何か、された?」
店での事を思い出し、ビクッと両肩が跳ねた。
「にしき?」
「なんでもない! 寒い。中入ろう」
バイトから一足先に帰っていたのか、暖房はついているが部屋の中はそこまであったまっていなかった。
「いや。驚いた。今日は」
バイト中のアイスに会うし、柳くんに……あれ、本気なのかな? ああもう、明日どんな顔して会えばいいの。
どさっと毛布を置く。
テレビつけっぱなしだ。
「散歩してたのか?」
「ううん。今日……にしきは知らない人と一緒だったから、その人の車で帰ってくるのかと思って」
「?」
よく分からん奴だな。でも助かった。
アイスは毛布にチラッと目をやる。
「早速、毛布使うの?」
「いんや。一度天日干ししてからにする」
部屋の隅に移動させ、畳の上に腰を下ろす。アイスは横に座ると、ぴったりとくっついてきた。
「?」
「にしきは……あの人と付き合うの?」
アイスの頬がわずかに赤い。
ちょっと迷うな。柳くんのあの感じなら、アイスに吸い込まれることはないだろうし。ていうか、アイスの美貌にぽーっとならない人をひっさしぶりに見たかもしれない。
真剣に悩んでいると、両腕を回して抱きついてくる。
「俺は、にしきが誰かと……付き合うの、やだな」
「アイス?」
分かってるよ。俺に彼女か彼氏が出来たら、追い出されると不安なんだろ?
「寒空にアイスを放置するわけないだろ。心配するなって」
「……」
アイスが「そうじゃない……」みたいに、眉間にしわを寄せる。
「客室あるんだし、恋人とアイスくらい一緒に住めるさ」
「その恋人が、俺がいるの嫌がっても?」
吸い込まれそうな瞳がすぐ近くにある。
サラサラの髪を撫でた。
「人を寒空に放りだすような奴を、俺は恋人に選ばないよ。見くびるなよ?」
「……」
もごもごと何か言いたそうに口を動かし、結局何も言わなかった。
「そう」
「うん」
するりと離れていく。
「お風呂入る?」
「お先どうぞ」
「家主なのに。優しいね」
タオルと着替えを持って脱衣所に行く。今日はちゃんと寝間着持ってきたようだな。
……アイスが入った後の方がなにか、いい香りがするって言うか……。変態っぽいな。理由は言わないでおこう。
「はあ。つっかれた。でもパフェ美味しかったなー」
テレビをつけると同時に、スマホが鳴る。
「ん? 柳くん?」
『今日は楽しかったです。また、くすぐらせてくださいね~』
最後にふざけた絵文字で締めくくられていた。
苦笑を滲ませ返事を打つ。
「……反省してないな」
笑っている顔文字と共に『新技楽しみにしてて』と送り、スマホを置いて二人分の布団を敷いていく。
日常にゆるやかな変化が起きていることに、うっすらと気づいていた。
【おしまい】
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ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。
女子禁制の禁断の場所。
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