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無礙
05 アゲハとシュリン
しおりを挟む「はぁ~い。アゲハ様」
モンスターに追われていたハンターの救出を終えて一息ついた時、地味な着物姿の人物が近づいてきた。
人差し指ほどの二本角に、ふわふわと柔らかそうな銀の髪。背はそれほど高くない。獣人にしては珍しく、靴を履いている。
「……?」
有名人な自覚はあるので、知らない顔に名前を呼ばれることは多々ある。
だがここは青ランク以上のハンターしか来ない、危険なモンスターの生息地。
そんな場所を軽装で歩いてくるので警戒した。しない方がおかしい。銀の首飾りから、数が多すぎて黒い川のようになる丸虫を呼び出す。アゲハに助けられたハンターたちは、その光景を見るなり我先にと逃げて行く。元気そうで何より。
川のせせらぎのような音を立て、川を作る虫たち。主と二本角男を分断する。
「うわー。すごい数。これほどの虫使いは今後現れないですねぇ」
何がおかしいのかニヤニヤ笑っている。だが妙に、誰かと被る笑みだ。
「俺に何か用ですか?」
問いかけると、瞬きの一瞬で男の姿が消えた。
「!」
ギイイイイィィィイイイッッ
怪我の手当てを任せていた虫がけたたましく鳴く。モンスターの接近を報せる虫ちゃんが沈黙し、幻術を見破る虫ちゃんが警告音を出していると言うことは――
棍棒を取り出し、振り返ると鼻先が触れる距離に笑みがあった。
思わずのけ反りかけた。
「ッ」
「おや~。素晴らしい虫をお持ちで」
角の男の様相が変わっていた。地味な着物は煌びやかな朱色に。帯は銀糸で刺繍された金の生地。その下から伸びる龍の長い尾。
「龍……?」
「あなた様の頭蓋骨は、んー微妙ですねぇ」
ギィィィイイィィッ!
警告音が鳴り続けるが、何が幻術で何が本当なのか分からない。おかしい。ふと小指を見ると、幻術に惑わされないためのお守りである指輪に亀裂が走っている。
金ランクの装備品を壊すほどの力。アゲハは警戒から討伐に心を切り替えた。誰かは知らないが危険すぎる。
わざわざ幻術を使うと言うことは、危害を加えてくる可能性が一パーセントでもあるということ!
人間の目では視認できない速度で棍棒を振る。それは首を飛ばす威力があったが、棍棒は煙を叩いたかのようにすり抜けた。
(これが幻術?)
驚きはしない。幻術使いと戦うとままあることだ。
ギイイイイィィィ!
警告音だけ。幻術破りの虫でも、角の男を見失っている。
「楽しんでいただけませんでしたかァ? それはすみませんねぇ」
蛇が這うように、二本の白い腕がわきの下から胸に伸びてくる。背後から抱きしめられた。
服の隙間から入ってきた指が、もみもみと胸のあたりを揉む。
「⁉」
突然のセクハラにピシッと、頭から亀裂が走る。
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棍棒の先が、幻術男の腹にめり込んだ。
ズドゥンッ――
人体を殴ったとは思えない音がして、腹を押さえた銀髪が地面にへたり込む。
「ちょ! ……そんな思……いっきり。オエッ。背骨が三つに折れるとこでしたよぉ」
ふざけているが油断できない。
エースモンスターを呼び出そうとしたところで、謎の男は白旗をあげた。
「はい降参降参。降参しま~す」
木の棒に結んだ白い布をひらひらと振りだした。首飾りを握ったまましばし考えたが、警告音が消えていることに気づく。
「これ見てくださーい」
男はすっと封筒を差し出してくる。そこには見覚えしかない印が押されていた。
「それは……」
アゲハの元父、〈黄金〉が使用している印だった。
「お兄さまって、可愛く呼んでくれていいですよぉ?」
目の前で正座している龍人は、自分と同じ。
……あの変態の最初の子どもだという。
目を通した手紙を手の甲で叩く。
「初めからこれを見せればよかったんじゃないの? なんで攻撃してきたわけ」
「う~ん。あなたを見ていると、からかいたくなってしまって」
ふざけた銀の頭に、人の歯茎そっくりな歯を持つでけぇアメンボががじがじと齧りついている。
アゲハははあっと息を吐く。
「ではお互い様と言うことで」
「お互い様ですかぁ? あちしは腹に穴空けられそうになったんですけどぉ」
「セクハラ野郎と呼ぼうかな?」
「ああん。怒らないでぇ~。怖ぁい怖ぁい」
両こぶしを顎の下に添え、全力でぶりっ子してくる男に青筋が浮かぶ。黒い川に放り込みたい。
「……」
「やめてくださいよぉ~。ゴミを見る目で見下ろすの。あちしをパシらせるなんて、それだけ急用だってことですよ。速く行ってあげてくださーい」
〈黄金〉もわからない自分の居場所を、なぜこの龍人は見つけるとこができたのか。
(龍は目が良いと聞くけど……)
「どうしましたぁ?」
珊瑚玉のような瞳が嘲笑うように細められる。顔面を蹴りたい。
あの魔女っ娘が自分を頼ってくれるのは嬉しいが、どうもろくなことじゃないような……
「ひとまず話を聞いてきます」
「あ。あちしも行きまーっす」
「ついてくるの? 嫌なんだけど」
「久しぶりに会いたいんですもん。そんな露骨に嫌わないでくださいよ」
同じ親を持つ二人は、陽光知らずの森へと向かうことにする。
「ところで~。このアメンボ取ってくださいよ」
「え? 可愛いでしょ? 何が不満なの?」
「……」
「あぐあのばかばかっ。にげてっていったのに。ばがあ」
目の前で小さな修羅場が繰り広げられている。
「おい。落ち着けって。お前を置いて逃げるわけないだろ」
やわらかそうな拳がぽかぽかとアクアの頭を叩く。アクアは防ぐだけでやり返さない。
ファイアは大粒の涙を零す。
「ばがーっ。あぐあが、いなくなっちゃ、やだー!」
「……」
「なんでにげながっだの?」
歯を食いしばりながら自分と同じ灰色の髪を引っ張る。〈優雅灯〉が止めようとしたが、シュリンに制止された。
「いてえって。やめろ」
「いうごと、ぎいでよ! ばがばが! あぐあのばがあー」
がぶうっと太い尾に噛みつく。尻尾を持たない者にとっては分かりづらいが、同じく尾を持っているシュリンがピクッと肩を揺らしていた。もちろんアクアは飛び上がる。
「いてぇーーーっ」
ごろごろ転がる片割れに、顔をびしょびしょに濡らしてファイアが抱きつく。
「ばかぁ……。ごんあごど、ずびっ、いいだくない……」
「ファイア」
「あぐあが、言うこと、ぎいで、くれないっから……。逃げてって、いったら、に、にげてよ」
下敷きになっているアクアが自分より小さな耳が生えた頭を撫でる。
「やだよ」
「!」
ショックを受けたファイアの顔を両手で挟む。
「自惚れるなよ、ファイア。俺たちは弱いんだ。思い出せ。ゴミみたいに生きていた日のことを」
「……。ぐずっ……」
スカートで鼻水を拭き取ってやる。
「俺たちは弱いから、二人揃ってないと生きられないんだ。死ぬときは一緒に死のう。ファイアが寂しくないって言える日まで、生まれ変わっても隣にいてやるから」
両腕で抱きしめ、背中をぽんぽんと撫でてやる。ファイアの瞳からぼろっと涙が落ち、片割れの服を握りしめて大声で泣き出した。
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主人は過呼吸になるほど泣いていた。
「ばかっていって、ごめんね?」
「気にすんなって」
「ばかなんて、思ってないよ? アクアのこと……大好きだよ?」
「知ってるって」
「アクアもぼくのこと、好きだよね?」
「大好きだぞ!」
わしゃわしゃと灰色の髪をかき混ぜるアクア。
シュリンはハンカチをアゲハに差し出す。
「いい大人が、泣かないでくださいってぇ」
「泣いてない!」
「目が痛い……」
アゲハとは違いハンカチでは追い付かなくて、バスタオルで顔を押さえている金髪。泣きすぎて目の奥が痛い。
「す、すまない。アクア。ファイア。悲しい思いをさせてしまって」
「? おま、大人すじん、何かしたか?」
主人のバスタオルの端を掴み、ファイアの顔をぐしぐしと拭ってやる。
「きれいになったぞ!」
「アクア。ありがよ……」
ちゅううではなく、ズゴゴッと片割れの顔に吸いついている。衰えるどころか増す吸引力。視界が潤んでいる時に可愛いことしないで。見えん!
主人は心底ほっとした。
「シュリンにアゲハも。来てくれて助かった」
「アゲハ様を見つけたあちしに、もっと何かないんですか~?」
にっこにこ笑顔で、両手のひらをを出してくる。主人はやれやれとポッケに手を突っ込むと、小粒の飴ちゃんを乗せた。
「はい。お駄賃」
シュリンのきれいな顔に青筋が走る。
「舐めてるんですかあぁ? お父様~。飴ちゃんて。今時三歳児でも飴ちゃん一個では誤魔化されませんよおおおぉ?」
胸ぐらを掴んでくる息子から顔を背け、口を押える。
「うっ。昔は喜んでくれたのに……。すっかり俗世に染まっちゃって」
「染めたのあなたやないかい」
がくがくと主人を揺らしていると、アゲハが割って入ってくる。
「はあ。しょうがないですね。じゃあここは俺が……」
「「?」」
「じゃーん」と自前の効果音付きで、ホームベースサイズのカナブンを取り出す。
「俺のとっておきの虫ちゃんを撫でさせてあげるよ」
アクアとファイアの手を掴み、主人とシュリンは競うように扉から逃げた。
「特別、ですよ! シュリンさん……あれ?」
満面の笑みで虫を抱いたアゲハだけが取り残された。
すぐに追いかける。
「どこ行くんですか?」
「虫持ったままこっち来るな。ぶぁああああああか!」
前世で蜂の大群に追いかけられた時以上の形相で逃げた。
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