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肆意

07 温泉の街

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🌙









 観光地『アラガシヤマ』。
 地面の奥深くから温泉が湧く、世界的に見ても珍しい土地である。
 と、同時に世界一肌がきれいな人が多い国として有名で、美の街とも呼ばれている。
 急に温泉旅行に行くことになったふたりは、昼前には到着していた。猫形態のキャットの移動速度が速すぎて、途中ご来光を眺めたり道草を食ったりしていたのに、午前中のうちにこの地を踏めた。

「ここが温泉の街、ですか」
「キャット。おい。待て。ちょっと待て」

 卵の腐ったようなにおいがする白い煙が霧のように街を包んでいる。独特な風景だ。荷物を全部持っているキャットは愛しい声に振り向く。

「いかがなさいましたか?」
「ああ~―――……」

 ごっちん様がなにやら額を押さえている。どうしたのだろうと自身を見下ろせば、シャツとズボンは血まみれだった。
 移動中、なにかにぶつかったしな。モンスターとか。でかいモンスターとか。
 猫の尾に守られて一滴も血がついていないごっちんは冷静に来た道を指差す。

「よし。帰るぞ」
「なにゆえ?」
「そんな人殺した直後のようなナリで、検問どうやって超えるんだ。観光地なんだから、厳しいはずだろ?」

 ごっちん様の慌てているお顔が、無礼ながらとても可愛い……。これを独り占めできるとか、生きてて良かった。司書になりたかったのに跡を継げと親父に馬鹿鍛えられたときは憎しみしかなかったが、今だけありがとう親父。

「別に血まみれの人間なんて珍しくありませんよ」
「どこの世界の話だ。お前、替えの服は?」
「これと、レイクドームで(水路に落ちて船に轢かれた時に)買ったシャツだけです」
「それに着替えろ。どこか……木陰でも」

 ちょうどいい人目を遮断できる場所を見つける前に、自分の荷物の上にごっちんの鞄を置くと、キャットはがばっと脱ぎ出した。
 ごっちんが口を開けて固まる。
 通行人が華麗に二度見していく。
 道の端にいるとはいえ、交通量の多い街道。急に現れたイケメンの半裸に、八割がたが足を止めて見入る。
 鞄から折り畳まれた服を取り出し、さっと袖を通す。

「ズボンは黒いのでそこまで目立たないでしょう。お時間を取らせてしまい、申し訳ございません」
「……うむ」

 紫の瞳が「もういいや」と半眼になる。
 背筋がまっすぐすぎる青年と良家の子息風の男の子が、検問の列に並ぶ。

「いちいち街に入るのに検問……があるのだな……」
「首都や観光地はどうしても、仕方ないでしょうね」

 基本的に治安がよろしくない。
 ごっちんはキャットの腕に軽くもたれかかる。

「! どうなさいましたか? もしやお疲れで……? いま椅子になります! どうぞ腰掛け――」
「立ってろ」

 四つ這いになりそうだった青年の言葉をぶつ切る。

「退屈なのでお前に触れていただけだ」
「そうでございましたか……ふぁっ⁉」

 おかしな悲鳴を上げる執事。
 だが嬉しくてテンションが上がったのか、君主に意気込んで提案をする。

「よければ殺戮の宴でも開きましょうか? ここは人が多いですし、多種多様な悲鳴が楽しめますよ」
「気持ちだけもらっておくから黙って立ってろ」

 黙って立っていることにしたキャットは満面の笑みだ。
 キャットが暴れ出さないかハラハラしていると、ごっちんたちの番になる。

「身分証の提示をお願いいたします」

 観光地のためか、門番はにこにこ笑顔を作っている。

「どうぞ」

 同じくにっこにこ笑顔のキャットがギルドカードを差し出す。
 二枚のカードと二人組を見比べる。

「失礼ですが。ご兄弟……で?」
「俺とごっちん様がきょきょきょ兄弟だと⁉ ありがとございます!」
「こいつは無視してくれ。従兄だ。旅行に連れてきてくれたのだ」
「そうでしたか」

 カードを返し、さわやかに礼をする。

「いらっしゃいませ。アラガシヤマへ」
「ああ。ありがとう」
「兄弟……」

 妄想から戻ってこない青年を引っ張り、竹で作られた立派な門をくぐる。

 木造の民家が立ち並び、あちこちから白い煙が噴き出ている。
 石畳の上を歩き、主人が予約してくれた宿へと向かう。
 軽く道に迷っていると復活したキャットが前を歩いてくれた。安心して背中について行く。

「ごっちん様がお泊まりになさせあそばされる宿がしょぼかったら、あの変態どうしてくれましょう」
「私は宿のグレードなど気にはしない。だから指をボキバキ鳴らすな」

 なんだか今日、キャットのテンションがずっと高い。ルンルン気分というか。幼児が遠足に来たようにはしゃいでいる。

「可愛いことだ」
「ごっちん様がですか?」
「なぜ私が急に私を褒めるのだ」

 主人からもらった地図を頼りに進むと、木造の三階建ての建物が。

「「……」」

 この世界で三階建てというのはかなり珍しい。王城や変態の住む洋館は置いておいて、民家や安宿はまず一階建てが基本である。

 ならばここは相当な高級旅館――

 ではなかった。
 なんだか、前に傾いている。そのせいか入り口に立った時の圧迫感がすごい。そこそこ大きい建物なので余計にそう感じる。庭も雑草が伸び、およそ手入れされているとは思えない。宿の名前が書いてある看板は傾き、文字が霞んでいて読めないと、外観だけで泊まりたくない宿コンボを炸裂させてくる。

「あの変態殺してきます。少々お待ちを」

 どっか行きそうなキャットの腕にそっと触れる。

「ほがっ⁉」
「私から離れるのか?」
「いえ離れません。一ミリたりとも‼ 離れません」
「一ミリは離れてくれ。とにかく入ろう」

 顔が赤いキャットが宿の扉に手をかける。

 ガッ。
 十センチほど開いたが、それ以上開かない。物に引っかかっているというより、戸がここまでしか開かない設計のように。

「さてと……」
「やめろ。壊そうとするな」

 キャットのシャツを掴んでいると背後に人が立った。

「いらっしゃいませ~。すみません。扉の調子が悪くって……」

 角が生えた優男がぺこぺこと頭を下げてくる。制服っぽい着物を身につけているので、ここの従業員か。ねじれていない真っすぐな、人差し指ほどの長さの角。……なんの種族だ?

 キャットはがっと優男の顔面を鷲掴みにした。

「いい度胸だコラ。何を思ってごっちん様が泊まる宿を傾けたんだ。来世で悔い改めろ」

 ぎちぎち締め上げるも、従業員らしき男は笑みを絶やさない。

「ささ。部屋までご案内いたしますよぉ?」

 ぶら下げられた状態で話を進めてくる。

「……」

 キャットも気味が悪くなったのか手を離す。
 男は制服の衿を正すと、おもむろにキャットに顔を近づける。

「きれいな頭蓋骨ですね……。是非仲良くしましょうね」

 ひょいと荷物を受け取るとバシンッと扉を開けて入っていく。
 鳥肌が立ったのかキャットは自身の腕を摩っている。

「なんだあいつ。妙にあの変態と被るような笑みだったぞ……」
「……」

 ごっちんも、早々に帰りたくなっていた。


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