クズとグラブジャムン

水無月

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青空メール

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 布団を敷きに来てくれた宿の方が部屋を出て行く。

「俺。ちょっと行ってくるわ」

 部屋を出て行こうとする藤行に、広縁でくつろいでいた伸一郎が目を向ける。

「どこに?」
「トイレ。部屋にあるけど、風呂とくっついているトイレ、落ち着かないんだよ」
「あっそ」

 部屋を出てトイレに向かう。
 用を足し手を洗い、部屋には戻らずロビーのソファーに腰掛けた。

(うわわわ……)

 スマホ画面には、二十件以上の着信履歴が。すべて父親から。
 一件だけメールが届いており、確認すると青空からだった。

(どうしたんだろう。まさかなにか困って……⁉)

 思わず両手でスマホを持ち、画面を間近で睨みつけながら開くボタンを押す。
 メールには、

『兄ちゃんへ。兄ちゃんも朝忙しかったのにごめんな? 俺、兄ちゃんに頼る癖がついてるんだ。良くないよな! こんなんじゃ光先輩に告白できない。そういうわけで、洗濯と風呂掃除は俺がやっといたぜ。兄ちゃんはゆっくり休んでくれよ』

「……あ、あお、ぞら……」

 ぼろぼろと涙がこぼれる。
 弟に家のことをやらせてふがいないと思う以上に、嬉しいという感情が沸き上がった。
 青空には何も気にすることなく勉強と部活と恋に専念させてやりたい。この思いは不変のものだが、弟の成長が、ただただ嬉しい。
 父親からの着信などすっかり忘れ、メールを保存する。
 円形テーブルにスマホを置き、泣きながらスマホに向かって祈る。

「ううぅぅ……。青空。兄ちゃん嬉しいよ」

 怪しい儀式に思えたのか、不安な顔で宿の方がチラチラ見てくる。
 尊い弟を称える儀式をしているとすっと、斜め後ろからハンカチが差し出された。

「え?」

 てっきり伸一郎かと思い受け取ると、全然違う人だった。

「あ、あれ?」
「いきなりで驚かせた? 泣いてるみたいだったから」

 さわやか風のイケメンだった。三十代後半くらいか。お忍び中の俳優さんかモデルさんかと思ったくらいだ。脚が長い。
 ハンカチを握ったままぽかんとしている藤行に「それ使って?」と促し、斜め前のソファーに腰掛ける。

「……」

 ちょっと迷ったが、浴衣で拭うのも悪いと思い、使わせてもらった。

「すいません、ずびっ。洗って返しますから」
「いいよ。気にしなくて」

 イケメンは足を組み、にこりと笑う。

「君さ。同じバスだった人、だよな?」
「え?」

 ぱちりと瞬きする。あのバスにこんなイケメンいただろうか。
 思い出そうとするも、伸一郎の顔しか出てこない。

(おあああ。本当に伸一郎さんのことしか考えてない、俺……)

 思わず頭を抱える。しかもバスでされていたことも思い出し、この場から走り去りたくなった。
 なんとか堪えて笑顔を作る。

「え、ええ。そうでしたね……。はは……」

 「そうでしたっけ?」とも言えず、笑って誤魔化す。

「良かったらさ。私の部屋に来ない?」
「へ?」

 イケメンは左頬を指差す。

「その顔。同行者に殴られて部屋追い出されたのかなって」
「え? あ、あー……」
「私の部屋で飲もうか。私は生憎一人旅なので、君みたいなきれいな人がいたら、楽しいだろうな」

 最近容姿をきれいだと褒められる。鏡を見て顔をしかめることはなくとも、そこまで整っているとも思わない。いや、嘘。髪型が決まった時は悪くないな、とは思ってる。
 ぐいっと腕を掴まれる。

「さ。部屋に行こう。飲んで忘れよう」

「いいな。俺も混ぜてくれよ」

 イケメンと藤行が同時に振り返る。
 紺の浴衣を着た雰囲気のある男が悠々と歩いてくるところだった。
 暑いのか胸元をはだけさせ、片腕を浴衣の中に仕舞っている。時代劇から抜け出してきたような貫禄に、ロビーにいる人の視線が集中する。
 伸一郎は気にもせずイケメンと藤行、ふたりの肩に腕を回す。
 見知らぬ男に肩を組まれ、イケメンは素っ頓狂な声を上げる。

「誰⁉」
「で? お前の部屋どこだよ。良い酒あるんだろうな?」
「……」

 藤行は「あ、こいつ本当に酒飲みたいだけだ」と察した。
 イケメンは伸一郎の腕を剥がそうとするが苦戦している様子。

「誰だ君は。急に出てきて。私はこの人と飲みたいんだよ」
「二人より三人の方が楽しいに決まってんだろ? ほれ。部屋で宴会しようぜ。お前もなかなかいい身体してるなぁ? 楽しめそうだ」
「ひいっ」

 舌なめずりする熊男。
 でかい男に連行されそうになり、三十代後半イケメンは慌てた様子で逃げて行った。

「……」

 藤行はハンカチに目を落とすが、同じバスなら帰るときにまた会えるだろう。なくさないようポッケに……浴衣にポッケがない。
 面白くなさそうに伸一郎の目が据わる。

「んだよ。あいつ酒、独り占めする気だぜ」
「伸一郎さん。いきなりそんな十年来の親友みたいな距離で迫ったら、誰でも驚くよ」
「はあー? 俺いつもこんなんだぜ?」

 人との距離感見極めが下手くそかよ。地球上の人、全員友人だと思ってるタイプ?
 苦笑し、彼を見上げる。

「どうしたの? 散歩?」
「お前が戻ってこねぇから。どんだけ腹痛いんだと思ってな」
「あ……」

 トイレ行くって言って出てきたんだった。
 訳を話そうとしたが視線の集中率が相変わらずなので、部屋に戻ろうと彼の手を握る。

「部屋の場所忘れたのか?」

 伸一郎は当然のように手を握り返してくれた。かっと体温が上昇する。熱い。

「え、う、えっと。す、スマホ見てた。青空からメールきてて」
「何でロビーで見てんだよ」
「俺。友人と一緒にいるときはスマホを触らないようにしてるんだ」

 廊下を並んで歩く。前から人が歩いてきて咄嗟に手を離そうとしたが、しっかり握られていて解けなかった。

「~~~っ」

 赤くなった顔を伏せ、すれ違う。幸いアパートの住人のように何かを言われることはなかった。

「んもう……」
「何でスマホ触らないんだ? 盗られたことでもあんのか?」
「ないないっ。そうじゃなくて」

 仲の良かった友人と飯に行った際、友人はずっとスマホを触っていてどれだけ話しかけても生返事しかしてくれなかった。スマホのゲームに熱中していたようだ。相手は楽しそうだったが藤行は悲しくて。
 後日友人はそのことを謝ってくれたが、出かけるとまたスマホに夢中になり出したので、呆れて途中で帰った過去がある。

「だから伸一郎さんのいない空間でしかメール開けなくて」
「ふーん」

 心底興味なさそうな返事に笑ってしまう。

「自分でも心狭いと思うぜ? 相手がスマホしていたら、自分もすれば良かっただけなのに」
「それ、一緒にいる意味あるのか?」
「ヴ……」

 伸一郎の言葉が突き刺さる。
 言い返せなかったので話題を変える。

「探しに来てくれたの?」
「ああ。部屋の場所分からなくなってる可能性もあったしな」
「伸一郎さんさぁ。顔に似合わず面倒見良いよね?」

 伸一郎の足がピタッと止まる。

「またあのローターと遊びたいようだな」

 歯を見せて笑われ、やっちまったと血の気が引いた。



 部屋にはすでに布団が敷かれてあるので、伸一郎が「いつでも遊べるな」とぼそっと呟いたのが怖くて泣きそうになった。
 意気揚々と鞄を漁る伸一郎の背に、藤行は懸命にすがる。

「ごめんって! 伸一郎さん、顔面凶悪なのに無視せず相手してくれるし見るからにカタギじゃないのに気配りもきめ細かいから。顔とのギャップでつい、言っちゃったんだって!」
「ほーん? お前、そんな風に思ってたんか」
「……」
「目ぇ逸らしてんじゃねぇぞ」

 布団の上に倒され、唇を重ねられる。

「んっ」
「今夜はたっぷり遊ぼうな。藤行」

 寒空に放り出されたように藤行の歯がかちかちと鳴り出した。

「……許して?」
「やだね」
「あ、えっと、ほら! 俺殴られたところ痛むし。そんな俺に。し、伸一郎さん。無茶しないよね?」

 冷や汗が止まらない藤行を見て可笑しそうに笑う。捕虜を今から拷問しますと言いたげな、笑み。

「安心しな。無茶はしねえよ」
「だよね! あ、ありがと!」

 ぐっと顔が近づく。

「その分、やさしーく、たああぁぁ~っぷり、可愛がってやるよ」
「……ほげえええ」

 潰れたカエルのような声が出た。
 俺はもう駄目かも知れない。せめて最後に、青空におやすみメールをしたかった。
 太ももの上に跨られ、そっと抱きしめられる。

「へ?」
「身体の力抜け。緊張していたら感じなくなっちまうぞ」

 耳元で囁かれ、今夜は眠れないのだと悟る。

「ね、ねえ? ローター以外は持ってきてないよね?」
「……あー、わりぃな。これしか持ってきてねぇ」
「申し訳なさそうにすんな! 違うの! 持ってきてほしくなかったの」

 喚く藤行の首元をくすぐり始める。

「ん、ちょ! ……消して。電気消して!」
「ああ?」
「こんな明るいとこで、恥ずかしい」
「消したらお前の顔が見れないだろ」
「消して!」

 伸一郎は面倒くさそうな顔をしながらも部屋の明るさを落としてくれた。心理的にかなりホッとできた。
 オレンジの明かりがぼんやりと部屋を照らす。外はもう、真っ暗だった。

「ったく。バスの中よりはマシだろうに。文句言いやがって」
「でも、言うこと聞いてくれるんだね……」
「お前のほっとした顔が、可愛くてな」

 布団の中にくるまる。

「おい。出てこい。ミノムシかお前」
「何で恥ずかしいことぽんぽん言うの⁉」
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