ニケの宿

水無月

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第二十二話・ふむ?

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「貴様。動きが良いな。今の主はなんだかなぁと思っていたところだ。我に勝ってみせよ」
(鬼ってめんどくせえ。……そして腕が動かない!)

 銀臥柊を握っているのが精いっぱいだ。石壁を素手で砕くな。これを突き立てても弱体化するのか、怪しく思えてくる。
 ヴァンリは息を大きく吸った。

「逃げろ!」
「いい、言われなくともぉ!」

 ボスと兄貴を担いだライムが、大穴が空いた壁から脱出する。

「どこへ行く」
「ひいい! ヴァンリちゃん。なんとかし――」

 鬼がまさかこちらを追いかけてきた。だが、ヴァンリはその動きにぴったりと追従する。背後を取られた鬼が嬉しそうに笑う。

「ほう。貴様、調子(ギア)が上がってきたようだな」
(背後取られて笑うな~~~)

 先ほどのお返しと言わんばかりに、雨霰と突きを繰り出す。
 鬼は追跡を諦め、左に大きく跳ぶ。そこへヴァンリが左手に持ち替え突き、突き、突き。

「ほう……」

 温羅の動きを予知していたかのような完璧なタイミング。一撃一撃は軽いが鋭い連続攻撃。生物としては反則級にタフで再生力に優れている温羅でなければ、あちこち肉を削がれていただろう。走りながらの攻撃だったため突き立てるに至らなかったが、無論温羅とて無傷とはいかない。

「やるな! 夏の雨に打たれているようなさわやかな心地! 褒めてやろう」
「……ちっ」

 たしかに背中に十六箇所傷をつけることは出来た。着物は穴だらけで赤く滲んでいるものの、鬼の再生力なら一分もかからず血は止まる。

 だが、動きは止めた。
 ボスたちは逃げ切り、ヴァンリも狭い室内から外に出られた。
 シュッと刃を振るい、血を払う。

「はしゃいじゃって。俺が勝ったら君の首、居間に飾ってあげるよ」
「? 我らは首だけでも動けるぞ?」
「ああ、うん。……冥途の土産にひとつ教えてくれない? どうやってここが分かったの?」

 嗅覚の優れた種族すらも気付けない、隠密に適した子に尾行させていたのに。
 鬼がこちらに向かっていると、尾行班から連絡が来なかったのがおかしい。

「ああ、それか」

 温羅は微妙に言いにくそうに目を泳がせる。
 主の手を叩いたことを、詫びた時のことだ。



『ちょっと聞きたいことがあるんだけど……』
『どうしたんです?』

 主の目だけが後ろを見る。

『ずっともふもふがついてきてるんだけど。これって触って良いって意味なのかな?』

 ニケが反応するより速く、温羅は主の視線の先へと移動した。そこにはほぼ同時に、逃げようと身を翻しかけていた怪しい人物がいた。頭からすっぽり布を被っており、目の前にいるのに現実味がないほど、存在感が薄い。

『鈴音(すずね)族か』

 猫妖精のように妖精寄りの種族で、竜でも気付けないほど姿隠しに特化した生き物だ。

 足音も体臭も気配もしない、急に現れては驚くため、「鈴でも付けてくれ」と言われたことから「鈴音族」と呼ばれるようになった。
 最小狐族と近しい種族とされ、大きな耳にふさふさの尻尾。成長しても身体は子どもサイズなので、戦えば衣兎族にも負ける。

 温羅に摘まみ上げられ、短い手足をばたばたさせている。

『むぎゃーっ。はなせよ、はなせよ!』

 子どものように高い声。
 見た目年齢はがきんちょと同じくらいか。だが実年齢は結構いっていそうだな。

『……』

 え? 我が君は鈴音族に気づいたってことか? 竜ですら感知出来ないこいつらを?

 なんか背筋が寒くなってきた。
 おそるおそるやって来る主とがきんちょに、摘まんだものを見せる。

『鈴音族でした』
『鈴音族! 初めて見た。……実在したのか』

 予想通りの反応をするがきんちょ。我も見たのはこれが二回目だ。

『なになになになに? 可愛い、可愛いいいい! なにそれなにそれ。ちょうだい!」

 ある意味予想通りの反応の主。

『フリー。よく気づけたな。どうやって分かったんだ?』

 聞きたかったことをがきんちょが聞いてくれる。
 フリーは「え?」と涎を垂らしながら首を傾げる。

『……もふもふだったから』
 


 恐怖体験(主)を思い出して顔色が悪くなる。

「?」

 黙り込んだ鬼にヴァンリはどうしたのかと、まじまじと顔を見つめた。

「……あれだ。我に勝てば教えよう」

 指先から墨汁を染み込ませた紙のように、温羅の腕が黒く変色する。ボコンボコンッと元々太い右腕がさらに膨張し、爪は熊の爪のように太く鋭くなる。
 地の底に沈んだテンションを、鬼は無理に押し上げる。

「我らは主を手に入れる。つまりそのたびに負けていると言うことだ。だが、その都度強くなれる! 同じ相手に、二度は負けんのだ!」

 そう。今の我ならあの「黒い主」にさえ勝てるだろう。ああ。ああ。もう一度、もう一度黒い主と戦いたい――!

 温羅本体より巨大化した右腕。
 勝手にパワーアップする鬼に、しかしヴァンリは理不尽だとは叫ばなかった。

「……闇の民って、ぶっ壊れ多いね」

 ただでさえ性能が他の種族と大きくかけ離れているのに、物語の主人公みたいな特性を持つな。

「それで俺が負けるとは、限らないけどね」
「うむ! 油断するな」

 強がってみせたものの、ヴァンリはもう勝てるとは思っていなかった。なんなんだよあの腕は! さっきは頬が切れた程度で済んだ。だがあの不気味に肥大化した腕。あれを掠めたら、いや風圧で木っ端微塵になる。

 ゴヒュンッ!

 温羅が地を蹴る。腕だけで重量百キロは超えてそうだというのに、動きが鈍くなるどころか速――

「――ッ!」

 防御態勢は取ったが、それは紙の盾ほどの役にも立たなかった。ガラスが割れる音がして、銀臥柊が砕けたのは、最後に見えた。

「ふむ――。こんなものか?」

 拳を突き出した体勢で、温羅は拍子抜けたような、がっかりしたような、そんな表情だった。腕を下ろし、肥大化させた腕を元に戻す。
 のしのしと歩き、どこまでも吹き飛んだ紫髪の元まで行く。

「ほお」

 温羅はわずかに目を見開いた。
 紫髪は五体満足だった。両腕の骨は砕け、顔面は血まみれ。髪を纏めていた金のかんざしは跡形もなくなっている。
 それでも、息はあった。

「終わりか?」

 つまらない。軽く蹴っとばしてみるも、何も言わない。

「ふむ?」



「メンバーを全員集めなさい! 鬼よ! 鬼が暴れているわ」
「無事でしたか、ボス」
「避難(逃走)の準備は済んでいます。店員をやらせている奴らはどうします」
「そいつらも全員、集めなさい」

 慌ただしくなる「非風」のアジト。

 アーデルカマーは人員をかき集めていた。戦うためではない。こいつらが時間を稼いでいる間に、逃げるのだ。

(ンもうっ! 蛇兄弟は見失っちゃうし、ヴァンリちゃんも役に立たないんだから)

 ぎりっと親指の爪を噛み、隠し通路へ向かう。部屋で転がる遊び潰した奴隷を「邪魔よっ」と蹴り、部屋の隅の畳を外す。
 畳の下は空洞。地下へ伸びる階段があり、その先に地下通路がある。この通路の存在を知っているのは自分だけ。つまりどれだけ下っ端たちにボスの居場所を聞き出そうと、もうあの鬼は自分にたどり着けない。

「絶対に許さないわ……」

 足早に階段を下りる。暗いが一本道だ。明かりも何もないが壁伝いに沿って歩けばいい。
 何もかも捨てて逃げることになるとは。だが、一番大事なのは自分の命。自分さえいれば、「非風」は何度だって蘇ることが――

 どんっ!

「うっ」

 壁にぶつかった。鼻を押さえぺたぺたと触る。

「え? な、なんで壁がこんなところに?」
「さっきぶりだな」

 呆然となった。

「我(闇の民)から逃げるのに、闇に逃げてどうする」

 ボスの頭を掴んで、気安く放り投げる。
 畳を突き破り、屋根にぶち当たり、アーデルカマーの身体は屋敷の廊下に落ちる。
 ぴくぴくと痙攣する。

「か……かかっ……」
「殺すと我が君がうるさそうなので手加減したが、生きてるよな?」

 のんびり階段を上り、アーデルカマーの首筋に手を添える。今にも死にそうだが脈はあった。

「うむ」

 上機嫌に頷く。
 と、背後から二人分の足音がした。

「いや、なにが『うむ』なの?」
「殺すなとは言ったが、ほとんどの奴らが死の一歩手前だな……」

 ぴくりともしない「非風」のメンバーが転がる中を、フリーとニケが引いた顔で歩いてくる。転がっているものは皆、顔面が陥没していた。

「フリーが殴ったヒスイみたいだな……」
「お、俺はここまでめり込ませてないよ」
「そういう問題じゃない」

 温羅は嬉しそうに振り返る。

「我が君。どうです? 我の働きは? 褒めてくださっていいんですぜ?」
「スミさんは?」
「……」

 誇らしい顔から一転、「あ」と言うと温羅はどこかへ走って行く。

「嘘でしょ! 忘れてたの?」
「それが目的だろうに。あの戦闘馬鹿」
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