ニケの宿

水無月

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第三十四話・首都に行く予定の子はいないかな?

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 朝。
 死んだような足取りで仕事に向かうフリーを見送り、ニケとキミカゲは紅葉街をぶらついていた。
 もちろんただの散歩ではない。

「あっちです」

 警察犬のように鼻をスンスンしていたニケがぴっと裏路地の入口を指差す。

「でかした。ニケ君」

 ニケと一緒に路地裏に入ると、足音が聞こえたのか黒羽織の青年がこちらを振り返った。

「あれ? キミカゲ様?」

 ウルフカットから突き出す、ニケのものより大きな耳。
 丹狼族のホクトだった。
 そばにミナミもいて、こちらは暴れる誰かを縄で縛っている最中のようだ。
 邪魔になってはいけないのであまり近づかず、キミカゲがそろ~っとたずねる。

「えっと。何かあった?」
「引ったくり、っす。いま捕まえたとこなんすよ」
「はー。つっかれた……」
「ぐえっ!」

 縛り上げられ地面に転がるひったくり犯の上にドスンと腰を下ろし、ミナミは鞄をホクトに放り投げる。すられた物だろう。

「ほーら。持ち主に返してきてくださーい」
「言われなくとも」

 「失礼」と言って横を通り過ぎていくホクトを見送る。やはり忙しそうだ。

「珍しいですねー。キミカゲ様がこの時間、うろついているなんて」

 少し親しみが籠ったような口調に、キミカゲは苦笑を滲ませ歩み寄る。背中にくっついていたニケがぴょんと着地した。
 ミナミの片眉が跳ね上がる。

「おおお、おや。ニ、ニケさんもいたんですねー」
「逃げないでください。フリーは、今日はいませんから」

 ものすごい勢いで後退ったミナミに、誰もいないと両手を広げてぶんぶんと振って見せる。
 ミナミの目が真剣に周囲を見回す。フリーがいないとやっと信じてくれたのか、そろそろと戻ってきた。

「な、なんです? 今からこいつを治安維持にぶん投げに行くんですけど?」

 と言って、つま先でひったくり犯を軽く蹴る。「うっ」と喚くが、それ以上何も言わない。きつそうな体勢なのにただひたすらミナミを見上げている。
 子どもの前で暴力は控えてほしそうに顔をしかめるも、キミカゲは苦笑を滲ませる。

「黒羽織の子で、首都に行く予定の子はいないかな?」
「首都? ……藍結ですよねー?」

 それがどうしたと、ミナミは首を傾げる。

「さあー? そういうことを把握しているのは、情報部の連中かボスくらいですかねー。なんせ人数多いですので。なんかありました?」

 ニケが訳を説明すると、ミナミはしゃがんでくれた。

「はー、これは分身の術を使えないフリーさんが良くないですね。つってもうちに、暇な奴なんていませんよ」
「ですよね……」

 しゅんとニケが足元に目線を落とす。その時だった。

 ニケの黒耳が、何かを感じピンと立つ。
 ミナミの背後で、ひったくり犯が音もなく起き上がったのだ。どうやってか縄を解いたらしく、瞬きを終えるよりも速くミナミに飛び掛かってきた。

「ミナミちゃ……!」

 ニケの叫びにミナミは反応する。強化したフリー並みの速度で振り向いたが、どういうわけか彼は避けなかった。

 ――避けたらニケさんとキミカゲ様にぶつかるからね。

 しかもこれはきちんと見張っていなかった自分の落ち度だ。なおさらふたりに怪我なんてさせられない。
 身を守る術は、黒羽織全員一通りペポラから叩き込まれている。が、体術に優れているわけではないミナミが動けたのはここまでだった。

 ひったくり犯――鮮やかな薄紅色の翼を持つ種族――はイノシシのように突進してきた。
 そして、

「はあっ!」

 しゃがんだミナミ目掛け腕を振り下ろす。シャン、と空を切る音。空振りに見えてそれは、ミナミの額を切り裂いていた。

「!」

 きらりと一瞬、光が反射する。刃物でも仕込んでいるのか。

(暗器だと⁉ ただのひったくりではない――?)

 だがすぐに視界は真っ赤に染まり、使い物にならなくなる。

「ミナミちゃん!」
「ニケ君。離れて」

 自分たちが邪魔になると判断したキミカゲが、助けに行きかけたニケを抱えて表通りに走る。助けを、ホクトを呼ぼうとしたのだ。
 声を出そうと息を吸い込んだと同時、石に躓き派手に転んでしまう。

「痛っ」
「わうう!」

 気合いで庇ったために、ニケに怪我はなかった。
 息を吸い込んでいたために、結構な大声が出る。それにびっくりしつつも、すぐさま通行人や客引きをしていた者が駆け寄ってくる。

「キミ、カゲ、様……ですよね? 大丈夫ですか?」
「おいおい。なにしてんだよ」

 修理を頑張っていた牛の角を持つ大工まで屋根から心配げに下りてくる。治安の良さが生んだ善良な市民。だが、今はそれが仇となる。

「みんな! ここから離れて!」
「へ?」

 差し出された手を振り払うように叫ぶも、ぽかんとなるだけだ。
 狂気はすぐそこに迫っていた。

「キイイハハハハハアァ―――ッ!」

 奇声を上げながら、翼族が裏路地の影から飛び出してきた。

「わっ」
「なんだなんだ?」

 キミカゲの叫びが効いたのか、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。そのせいで狙いがキミカゲに定められる。

「翁!」

 ニケが庇うように前に出ようとするより速く、逃げたはずの牛の若者が戻ってきた。

「なにしやがる!」
「!」

 甘牛(かんぎゅう)族のシャレにならない突進をもろに受け、翼族の軽い身体は枯葉のように宙に舞う。

「―――っ、がはっっっ!?」

 吐血をまき散らし、どさっと地面に落ちた。
 ぴくぴくと、ひったくりの足が痙攣している。

「……っ?」

 牛の若者はなにがなんだという表情だったが、キミカゲとニケを拾い上げると他の市民同様、その場を離れる。

「ぐっ……キエアアアアァァッッ!」

 その背後で、翼族が雄たけびを上げる。目は血走り、明らかに正気ではなかった。異様な姿に牛の若者はぎょっと目を剥く。

「な、なんだ、あいつ!」
「振り向かないで。逃げて!」

 キミカゲの声で止まりそうだった足が動く。
 肋骨が砕けていてもおかしくないというのに、なんと翼族は立ち上がった。

「キエエエエエ!」

 再び地を蹴る。
 牛以上の俊足で若者を襲おうとしたとき、裏路地の隙間から伸びた半透明の蛇が翼族の足に絡みついた。

「?」

 がくんと足が後ろに引っ張られる。
 足を取られたというのに転びはしなかった。その翼を広げ、倒れかけの姿勢のまま空中で制止する。

「……ああん?」

 おかげで牛が逃げてしまった。
 血走った目で振り返ると、刻んでやったはずの男が自分を捕らえていた。血で潰れた片目を瞑り、暗い路地では見えにくい縄――鞭だろうか――で、これ以上行かせまいと力を込めている。

「この、手羽先野郎……っ」
「ふん」

 翼族も腕力がない方の種族だ。それは自分がよく分かっているため、素直に綱引きをするつもりはない。仕込み刃で鞭を切断すればいいだけ。これであの男は無手となる。そうなればなぶり殺しだ。

「ん?」

 笑ってやろうとした相手をよく見ると、頭に巻いていた貝殻柄の布が外れている。
 染められたものだろう。汚い黒髪から猫耳のように突き出す、水晶のような角。
 翼族の口が三日月のように吊り上がった。

「やはりお前だァ……。会いたかったぞおおおっ。天氷族うううぅ!」
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