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番外編 ミナミに懐く鬼
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この辺りで一番大きな街といえば紅葉街だろう。圧倒的治安の良さや利便性から移り住む者が多く、そろそろ首都の人口に並ぼうとしている。
紅葉街へ続く大きな道――へ出るための小路にて。娘は複数の男に追われていた。
動きやすい旅装束を身に纏っていることから、娘は旅人なのだと分かる。こういった事態にならないように男を装っていたのに、意味がなかったとは悲しい。
「はあ……っ、はあ……。あっ」
足の速さが自慢の種族なのに、娘は張り出た木の根に躓き転倒してしまう。そうなれば追いつかれるのはすぐだった。
鉈や手斧で武装した男たちが取り囲む。野盗の類。
「ぜえはあ……、ちょこまか逃げやがって」
「だが、はあはあ。ここまでだな。観念しな!」
だが娘は強気に睨み返す。
「あんたたち! 複数で女性を囲むなんて、恥ずかしくないの?」
状況をわきまえない怒声。しかもまだ転んだまま。
てっきり野盗たちは大笑いするかと思ったが、
「いいや? 別に?」
「気持ちは分かるけどよ。俺たちゃこうしねえと食っていけねえんだ」
「悪いな。恨むならひとりノコノコこんなところを歩いていた己を恨みな。嬢ちゃん」
真顔で返され、娘の方がうっと怯んでしまう。野盗共の表情は「悪いことをしている自覚はある」といった開き直ったもので、哀れな小娘に手にした刃物を突き立てるのに、なんのためらいも無かった。
――キンッ。
「うわっ。なんだぁ?」
野盗が素っ頓狂な声を上げる。振り上げたはずの鉈が弾かれたように手から離れたのだ。危うく、後ろにいた仲間の顔に当たりかけた。
燕のような速度で鉈を弾いたそれは、一人の男の手の中に戻っていく。
野盗共はいつの間にか小路に立っていたそいつを一斉に睨んだ。
「なんだテメエは!」
男は何も言わず、こちらに歩いてくる。
「正義の味方気取りか? こんな女のためにご苦労なこった」
「お前も身ぐるみ剥いでや……るよ……」
騒いでいた野盗の声がしぼんでいく。
その男は黒い羽織を身につけていたのだ。野盗の数人は迷うことなく逃げ去るが、数人――本当に金に困っている者だけが気丈にもその場に残った。
「く、〈黒羽織〉かっ!」
「だが、相手は一人だ。やっちまえ」
「……」
男は無言のまま得物を振るう。半透明の鞭が野盗をしばき倒すのはほんの一瞬だった。
とんでもない体勢で気絶する野盗たち。
娘の加勢に入った男・ミナミはふうっと息を吐いた。
――数人が逃げてくれて助かったやねー。
でないとあの人数を相手にするのはちときつかった。確実にこちらが負けていただろう。その辺の野盗にまで認知されている羽織を叩いて砂を払い、鞭を仕舞う。
「大丈夫ですか? 危ないところでしたね」
手を貸そうとするが、娘はその手をべしっと振り払った。
「別に! 助けてもらわなくてもあのくらい。私一人で追い払えたわよ」
「……左様で」
怪我はなさそうだ。身軽に起き上がった娘を尻目に、ミナミはリーダーっぽい男を探す。
こいつだけでも運ぶか? いや、仲間か維持隊に連絡して回収しに来てもらった方がいいですね。
ミナミは誰もいない森の木陰に近寄る。
「泥沼さーん? 居ます?」
『……』
木の影が生き物のように波打った。するとその中、影から闇の民・泥沼がにゅっと顔を出す。正確には、鼻から上が出ているだけだが。
『……』
マネキンに墨を塗ったような、黒一色の外見。目がないのにミナミを見ているような気はする。
一定以上近づかず、その場でしゃがむ。
「このことを報せて、人員を寄こすよう伝えてもらえますかー? 俺ひとりじゃ運べないので」
泥沼は小さく頷くと影の中に沈んで行く。
泥沼さんの声、聞いたことないんですけど。もしかして話せないんですかねー?
(ま、ボスは何言ってるかわかるみたいですし。便利ですからいいでしょう)
本当に便利だ。泥沼の力は距離をゼロにする。いわゆるワープのようなものだ。無線代わりとして重宝していた。
「な、なに一人で喋ってるの? 気持ち悪い……」
振り返ると、怪訝な顔で娘がじりっと後退った。
「いえいえ。なんでも。それよりー? 女性一人で旅ですか? 襲ってくださいと言っているようなものですよー?」
「う、うるさいわね! あなたまでそんなこと言わないでよ。私はお父さんの薬を……」
「?」
威勢よく噛みついてきた娘の口から、ぱたっと言葉が途切れる。
何か見つけたのだろうかとミナミが背後を振り返るも、何もない。
「どうしましたー?」
「ううっ」
娘の顔が赤くなっている。
ああ、とミナミは合点がいった。こういった反応を取られることはよくあることだ。
踵を返す。多分くすりばこに用があるのだろう。父親の薬とか言っていたし。まったく。薬より貴女が無事に戻らないとお父様倒れるんじゃないですかねー?
「紅葉街に用があるんですよね? なら、案内しますよー。大きい道に出るまでは危険ですからね」
「……」
ゆっくり歩き出すも、娘は熱にうなされたような表情でぼうっとしている。
置いて行っちゃいますよー。
「はあ」
ため息をつくと娘に近寄り、デコピンをお見舞いした。
紅葉街へ続く大きな道にて。
「女の子の顔にデコピンするなんて信じられない!」「さっき野盗が言ってたけど、あなたって治安維持隊のヒトなの?」「名前は? ちょっと。なにか言いなさいよ!」と、娘はずっと文句と質問をぶつけてくる。道案内と周囲の警戒も兼ねているミナミは猫背になっていた。
思わずつぶやく。
「これだけ元気なら、助ける必要なかったですねー」
「何か言った⁉」
「……イイエナニモー」
娘はムキになっていた。
男の顔を見たいのに右に行けば左に、左に移動すれば右に顔を背けるためなかなか拝めない。なぜそんなに見たいのか。それもそのはず、男はとても整った顔立ちをしているからだ。かっこいいとかイケメンとか、そういった軽い表現は合わない。大きいのに吊り目がちな目許。通った鼻筋。女性のような顎のライン。形のいい薄い唇。軽薄そうな雰囲気を纏っているが芸術的なほど端正な面差し。
獣人に限った話ではないが、本来は同じ種族同士でしか恋をしない。それは人間がチンパンジーやお猿さんに欲情しないのと同じ理由。まれに、キミカゲのように違う種族を嫁に迎える変わり者も存在するが、結婚は認められていない。子を成すのはそれ以上の禁忌とされ、故にキミカゲも形だけの夫婦にしかなれなかった。
そんな価値観の壁をぶち抜き、どんな種族をも魅了してしまうのが天氷族。
体格は娘より華奢なほどかもしれないが、だぼついた羽織からは不思議な力を感じる。唯一髪の毛だけは自分で染めたのかぎしぎしに軋んではいるが、それを帳消しにする美しさ。
「はわわわわ……」
娘はもう、目が離せなくなっていた。
うんざりしたようにミナミは紅葉街の神使――の従者を思い浮かべる。
(俺もお面被ろっかなー?)
しかしお面を被れば視界が制限される。常に狙われている身でそれはちょっと。ミナミの武器は広い視野がいる鞭。お面とミナミは相性がことごとく悪い。
(ていうか、あいつはどこなの?)
ミナミは一人でも外出を禁じられている。ボスが過保護なため、外に出るときは必ず二人以上でなくてはならない。
さきほどまで一緒にいた相方がいない。女の子が野盗に襲われているのを見かけ、駆け出す瞬間までは隣にいたはずなのに。
歩きながら探すも見つからず、ついに紅葉街の入り口まで着いてしまう。
「ま、いいか。さ、紅葉街に着きましたよ」
「……」
「またデコピンしましょうかー?」
ぐっと丸めた指を近づけると、娘さんは飛び上がって我に返った。
「ひやっ! やめなさいよ」
「ぼーっとしてたら危ないですよ?」
「……あ、あなたどこに住んでるの?」
熱を帯びた目で見上げてくる。ため息をなんとか堪えた。
「では、俺はこの辺で」
「ちょ、ちょっと!」
片手を挙げて去ろうとするも、娘が手首を掴んでくる。
「……なにか?」
「え、えと。……た、助けてくれてありがと。それだけ!」
ぴゅううっと走って行く。元気な姿にミナミはやれやれと肩を竦めた。
「すまん。ミナミ」
聞き覚えのある声。
肩越しに振り向くと相方が駆け寄ってくるところだった。
「どこで迷子になってたんですー?」
「足をくじいたおばあさんが目に入って。野盗くらいミナミ一人で大丈夫かなーっと」
朗らかに笑うのは同じ〈黒羽織〉の一人。闇の民で幽鬼族の男。リーンより後に入ったので、今のところこいつが一番の新参だ。ボスは基本、来る者はそんなに拒まないので、仲間はどんどん増えていく。
それはいいことなのだがこいつは、年下なのにミナミより背が高く、とにかく生意気な奴である。
黒に灰色が混じった髪の男はにっこりと微笑む。
「そんな怒るなよ」
何を思ったのか手の甲でミナミの頬を撫であげてきた。ぞわっと全身に鳥肌が立ち、幽鬼族から距離を取る。
「気安く触らないでくれますー? きっしょいんですよ」
「ごめんごめん。きれいだからつい」
嫌な顔を隠しもせず歩き出すと、年下男は隣に並ぶ。
「だから、ミナミと一緒に見回り出来て嬉しいよ」
「……足をくじいたおばあさんはどうしたんです? まさか放置してきたんですか?」
話に乗らず気になったことを訊ねる。
「手当てして駕籠を呼んでおいたよ。泥沼がいるとほんと助かるよね」
「そうですねー。同じ闇の民でも貴方よりよほど優秀です」
「……」
正面に回り込んできた男に行く手を阻まれる。
「? 邪魔なんですけど」
「ミナミさあ。これからはずっと俺とコンビ組もうよ」
わざわざ膝を曲げて目線を合わせてくる。切れ長の瞳に髪をかき分けて伸びるわりと真っすぐな白い角。
周囲の視線とこいつが鬱陶しく、ミナミは遠慮なく顔をしかめる。
鬼はくすっと笑う。
「そんな顔もきれいだね」
「貴方は今すぐ成仏してください」
横をすり抜けるミナミを追いかける。
「成仏って何っ? もしかして俺ら(闇の民)をあの世の住民だと思ってる? ミーナミ。機嫌なおしてよ」
「直ってますよ」
「……そう。ミナミって見回りするときいっつもホクトさんと行っちゃうじゃん? あれなんで? 俺じゃ駄目なの?」
「駄目です」
目を合わさず即答すると幽鬼は硬直した。
ホクト単品は嫌いだが、あの狼の隣はとにかく落ち着く。なぜならミナミを、道端の石ころくらいにしか思っていないからだ。幼い兄弟のために働きに出てきているせいか、あいつはそれ以外目に入っていない気がする。どれだけ好意を向けられ黄色い悲鳴があがろうと、微塵も気にしていない様子を見ていると、ちょっと引く。
だがそれと同時に、ひどく心地いい。自分の容姿を一ミリも気にしない奴は貴重だ。
口角がわずかに上がっていることに、ミナミ自身、気づいていなかった。面白くなさそうに幽鬼は鼻を鳴らす。
「ホクトさんが〈黒羽織〉の大多数からヘイト向けられている理由がわかったよ」
「なんの話です?」
「さあー?」
知らんぷりして頭の後ろで手を組む。
「ほら。街中の見回りもさっさと済ませますよー。ツバキ」
「お」
目を丸くして腕を下ろす。
「へへっ」
「なに笑ってるんです……」
「初めて名前呼んでくれたね? 俺のこと好きになった?」
「……はあ」
ニケやキミカゲもホクト同様、天氷の容姿を気にしない部類なので、くすりばこでわいわいしていた時期はとても癒された。またあのメンツで海に行きたいものだ。不謹慎だが、ニケさんまた護衛が必要にならないかな?
あの人。……フリーは、悪い人物でないのは分かるのだが……怖いんですよー。目が。
オリキッツヴァイオン――ツバキが顔を覗き込んでくる。
「ミナミ? どうしたの? 顔色悪いよ?」
「なんでもないですよ」
見回りの時間になるとホクトの元へダッシュするミナミと、それを楽しそうに追いかけるツバキの姿が当分目撃された。
狼の背に隠れるミナミと、どかそうと狼の肩に手を置くツバキ。
「なんなんですー? 貴方」
「いいじゃん。一緒に見回り行こうよ」
「見回りに三人もいりませんよー」
「そう言わず。ね? ホクトさんもいいよね?」
「相手にしなくていいです。行きますよ! 貴方は掃除でもしてなさい」
「ミナミったら、もしかして照れてる?」
「はあああ? 貴方、フリーさんよりキモイですね」
「誰?」
「…………」
二人に挟まれているホクトはと言うと、ずっと買い物のメモを取っていた。
番外編 END
紅葉街へ続く大きな道――へ出るための小路にて。娘は複数の男に追われていた。
動きやすい旅装束を身に纏っていることから、娘は旅人なのだと分かる。こういった事態にならないように男を装っていたのに、意味がなかったとは悲しい。
「はあ……っ、はあ……。あっ」
足の速さが自慢の種族なのに、娘は張り出た木の根に躓き転倒してしまう。そうなれば追いつかれるのはすぐだった。
鉈や手斧で武装した男たちが取り囲む。野盗の類。
「ぜえはあ……、ちょこまか逃げやがって」
「だが、はあはあ。ここまでだな。観念しな!」
だが娘は強気に睨み返す。
「あんたたち! 複数で女性を囲むなんて、恥ずかしくないの?」
状況をわきまえない怒声。しかもまだ転んだまま。
てっきり野盗たちは大笑いするかと思ったが、
「いいや? 別に?」
「気持ちは分かるけどよ。俺たちゃこうしねえと食っていけねえんだ」
「悪いな。恨むならひとりノコノコこんなところを歩いていた己を恨みな。嬢ちゃん」
真顔で返され、娘の方がうっと怯んでしまう。野盗共の表情は「悪いことをしている自覚はある」といった開き直ったもので、哀れな小娘に手にした刃物を突き立てるのに、なんのためらいも無かった。
――キンッ。
「うわっ。なんだぁ?」
野盗が素っ頓狂な声を上げる。振り上げたはずの鉈が弾かれたように手から離れたのだ。危うく、後ろにいた仲間の顔に当たりかけた。
燕のような速度で鉈を弾いたそれは、一人の男の手の中に戻っていく。
野盗共はいつの間にか小路に立っていたそいつを一斉に睨んだ。
「なんだテメエは!」
男は何も言わず、こちらに歩いてくる。
「正義の味方気取りか? こんな女のためにご苦労なこった」
「お前も身ぐるみ剥いでや……るよ……」
騒いでいた野盗の声がしぼんでいく。
その男は黒い羽織を身につけていたのだ。野盗の数人は迷うことなく逃げ去るが、数人――本当に金に困っている者だけが気丈にもその場に残った。
「く、〈黒羽織〉かっ!」
「だが、相手は一人だ。やっちまえ」
「……」
男は無言のまま得物を振るう。半透明の鞭が野盗をしばき倒すのはほんの一瞬だった。
とんでもない体勢で気絶する野盗たち。
娘の加勢に入った男・ミナミはふうっと息を吐いた。
――数人が逃げてくれて助かったやねー。
でないとあの人数を相手にするのはちときつかった。確実にこちらが負けていただろう。その辺の野盗にまで認知されている羽織を叩いて砂を払い、鞭を仕舞う。
「大丈夫ですか? 危ないところでしたね」
手を貸そうとするが、娘はその手をべしっと振り払った。
「別に! 助けてもらわなくてもあのくらい。私一人で追い払えたわよ」
「……左様で」
怪我はなさそうだ。身軽に起き上がった娘を尻目に、ミナミはリーダーっぽい男を探す。
こいつだけでも運ぶか? いや、仲間か維持隊に連絡して回収しに来てもらった方がいいですね。
ミナミは誰もいない森の木陰に近寄る。
「泥沼さーん? 居ます?」
『……』
木の影が生き物のように波打った。するとその中、影から闇の民・泥沼がにゅっと顔を出す。正確には、鼻から上が出ているだけだが。
『……』
マネキンに墨を塗ったような、黒一色の外見。目がないのにミナミを見ているような気はする。
一定以上近づかず、その場でしゃがむ。
「このことを報せて、人員を寄こすよう伝えてもらえますかー? 俺ひとりじゃ運べないので」
泥沼は小さく頷くと影の中に沈んで行く。
泥沼さんの声、聞いたことないんですけど。もしかして話せないんですかねー?
(ま、ボスは何言ってるかわかるみたいですし。便利ですからいいでしょう)
本当に便利だ。泥沼の力は距離をゼロにする。いわゆるワープのようなものだ。無線代わりとして重宝していた。
「な、なに一人で喋ってるの? 気持ち悪い……」
振り返ると、怪訝な顔で娘がじりっと後退った。
「いえいえ。なんでも。それよりー? 女性一人で旅ですか? 襲ってくださいと言っているようなものですよー?」
「う、うるさいわね! あなたまでそんなこと言わないでよ。私はお父さんの薬を……」
「?」
威勢よく噛みついてきた娘の口から、ぱたっと言葉が途切れる。
何か見つけたのだろうかとミナミが背後を振り返るも、何もない。
「どうしましたー?」
「ううっ」
娘の顔が赤くなっている。
ああ、とミナミは合点がいった。こういった反応を取られることはよくあることだ。
踵を返す。多分くすりばこに用があるのだろう。父親の薬とか言っていたし。まったく。薬より貴女が無事に戻らないとお父様倒れるんじゃないですかねー?
「紅葉街に用があるんですよね? なら、案内しますよー。大きい道に出るまでは危険ですからね」
「……」
ゆっくり歩き出すも、娘は熱にうなされたような表情でぼうっとしている。
置いて行っちゃいますよー。
「はあ」
ため息をつくと娘に近寄り、デコピンをお見舞いした。
紅葉街へ続く大きな道にて。
「女の子の顔にデコピンするなんて信じられない!」「さっき野盗が言ってたけど、あなたって治安維持隊のヒトなの?」「名前は? ちょっと。なにか言いなさいよ!」と、娘はずっと文句と質問をぶつけてくる。道案内と周囲の警戒も兼ねているミナミは猫背になっていた。
思わずつぶやく。
「これだけ元気なら、助ける必要なかったですねー」
「何か言った⁉」
「……イイエナニモー」
娘はムキになっていた。
男の顔を見たいのに右に行けば左に、左に移動すれば右に顔を背けるためなかなか拝めない。なぜそんなに見たいのか。それもそのはず、男はとても整った顔立ちをしているからだ。かっこいいとかイケメンとか、そういった軽い表現は合わない。大きいのに吊り目がちな目許。通った鼻筋。女性のような顎のライン。形のいい薄い唇。軽薄そうな雰囲気を纏っているが芸術的なほど端正な面差し。
獣人に限った話ではないが、本来は同じ種族同士でしか恋をしない。それは人間がチンパンジーやお猿さんに欲情しないのと同じ理由。まれに、キミカゲのように違う種族を嫁に迎える変わり者も存在するが、結婚は認められていない。子を成すのはそれ以上の禁忌とされ、故にキミカゲも形だけの夫婦にしかなれなかった。
そんな価値観の壁をぶち抜き、どんな種族をも魅了してしまうのが天氷族。
体格は娘より華奢なほどかもしれないが、だぼついた羽織からは不思議な力を感じる。唯一髪の毛だけは自分で染めたのかぎしぎしに軋んではいるが、それを帳消しにする美しさ。
「はわわわわ……」
娘はもう、目が離せなくなっていた。
うんざりしたようにミナミは紅葉街の神使――の従者を思い浮かべる。
(俺もお面被ろっかなー?)
しかしお面を被れば視界が制限される。常に狙われている身でそれはちょっと。ミナミの武器は広い視野がいる鞭。お面とミナミは相性がことごとく悪い。
(ていうか、あいつはどこなの?)
ミナミは一人でも外出を禁じられている。ボスが過保護なため、外に出るときは必ず二人以上でなくてはならない。
さきほどまで一緒にいた相方がいない。女の子が野盗に襲われているのを見かけ、駆け出す瞬間までは隣にいたはずなのに。
歩きながら探すも見つからず、ついに紅葉街の入り口まで着いてしまう。
「ま、いいか。さ、紅葉街に着きましたよ」
「……」
「またデコピンしましょうかー?」
ぐっと丸めた指を近づけると、娘さんは飛び上がって我に返った。
「ひやっ! やめなさいよ」
「ぼーっとしてたら危ないですよ?」
「……あ、あなたどこに住んでるの?」
熱を帯びた目で見上げてくる。ため息をなんとか堪えた。
「では、俺はこの辺で」
「ちょ、ちょっと!」
片手を挙げて去ろうとするも、娘が手首を掴んでくる。
「……なにか?」
「え、えと。……た、助けてくれてありがと。それだけ!」
ぴゅううっと走って行く。元気な姿にミナミはやれやれと肩を竦めた。
「すまん。ミナミ」
聞き覚えのある声。
肩越しに振り向くと相方が駆け寄ってくるところだった。
「どこで迷子になってたんですー?」
「足をくじいたおばあさんが目に入って。野盗くらいミナミ一人で大丈夫かなーっと」
朗らかに笑うのは同じ〈黒羽織〉の一人。闇の民で幽鬼族の男。リーンより後に入ったので、今のところこいつが一番の新参だ。ボスは基本、来る者はそんなに拒まないので、仲間はどんどん増えていく。
それはいいことなのだがこいつは、年下なのにミナミより背が高く、とにかく生意気な奴である。
黒に灰色が混じった髪の男はにっこりと微笑む。
「そんな怒るなよ」
何を思ったのか手の甲でミナミの頬を撫であげてきた。ぞわっと全身に鳥肌が立ち、幽鬼族から距離を取る。
「気安く触らないでくれますー? きっしょいんですよ」
「ごめんごめん。きれいだからつい」
嫌な顔を隠しもせず歩き出すと、年下男は隣に並ぶ。
「だから、ミナミと一緒に見回り出来て嬉しいよ」
「……足をくじいたおばあさんはどうしたんです? まさか放置してきたんですか?」
話に乗らず気になったことを訊ねる。
「手当てして駕籠を呼んでおいたよ。泥沼がいるとほんと助かるよね」
「そうですねー。同じ闇の民でも貴方よりよほど優秀です」
「……」
正面に回り込んできた男に行く手を阻まれる。
「? 邪魔なんですけど」
「ミナミさあ。これからはずっと俺とコンビ組もうよ」
わざわざ膝を曲げて目線を合わせてくる。切れ長の瞳に髪をかき分けて伸びるわりと真っすぐな白い角。
周囲の視線とこいつが鬱陶しく、ミナミは遠慮なく顔をしかめる。
鬼はくすっと笑う。
「そんな顔もきれいだね」
「貴方は今すぐ成仏してください」
横をすり抜けるミナミを追いかける。
「成仏って何っ? もしかして俺ら(闇の民)をあの世の住民だと思ってる? ミーナミ。機嫌なおしてよ」
「直ってますよ」
「……そう。ミナミって見回りするときいっつもホクトさんと行っちゃうじゃん? あれなんで? 俺じゃ駄目なの?」
「駄目です」
目を合わさず即答すると幽鬼は硬直した。
ホクト単品は嫌いだが、あの狼の隣はとにかく落ち着く。なぜならミナミを、道端の石ころくらいにしか思っていないからだ。幼い兄弟のために働きに出てきているせいか、あいつはそれ以外目に入っていない気がする。どれだけ好意を向けられ黄色い悲鳴があがろうと、微塵も気にしていない様子を見ていると、ちょっと引く。
だがそれと同時に、ひどく心地いい。自分の容姿を一ミリも気にしない奴は貴重だ。
口角がわずかに上がっていることに、ミナミ自身、気づいていなかった。面白くなさそうに幽鬼は鼻を鳴らす。
「ホクトさんが〈黒羽織〉の大多数からヘイト向けられている理由がわかったよ」
「なんの話です?」
「さあー?」
知らんぷりして頭の後ろで手を組む。
「ほら。街中の見回りもさっさと済ませますよー。ツバキ」
「お」
目を丸くして腕を下ろす。
「へへっ」
「なに笑ってるんです……」
「初めて名前呼んでくれたね? 俺のこと好きになった?」
「……はあ」
ニケやキミカゲもホクト同様、天氷の容姿を気にしない部類なので、くすりばこでわいわいしていた時期はとても癒された。またあのメンツで海に行きたいものだ。不謹慎だが、ニケさんまた護衛が必要にならないかな?
あの人。……フリーは、悪い人物でないのは分かるのだが……怖いんですよー。目が。
オリキッツヴァイオン――ツバキが顔を覗き込んでくる。
「ミナミ? どうしたの? 顔色悪いよ?」
「なんでもないですよ」
見回りの時間になるとホクトの元へダッシュするミナミと、それを楽しそうに追いかけるツバキの姿が当分目撃された。
狼の背に隠れるミナミと、どかそうと狼の肩に手を置くツバキ。
「なんなんですー? 貴方」
「いいじゃん。一緒に見回り行こうよ」
「見回りに三人もいりませんよー」
「そう言わず。ね? ホクトさんもいいよね?」
「相手にしなくていいです。行きますよ! 貴方は掃除でもしてなさい」
「ミナミったら、もしかして照れてる?」
「はあああ? 貴方、フリーさんよりキモイですね」
「誰?」
「…………」
二人に挟まれているホクトはと言うと、ずっと買い物のメモを取っていた。
番外編 END
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