ニケの宿

水無月

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第三十話・澄んだ空に金槌の音

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「そうだな。死ぬしかないな」
「……お、おう」

 てっきり誰かが助けに行くとか言ってくれると思っていたが、そんな甘い世界ではないようだ。
 ニケは会話の邪魔をしないよう、笑顔でフリーの腕に頬を擦りつける。すりすり。

「えへへ」

 レナは真顔でフリーを指差した。

「今からお前を殺す」
「なんでっ? なんでそんな話に⁉」
「……まあ冗談だが。子どものお遊戯じゃないんだ。いちいち忠告されずとも、自分の力量も把握していない者に猟師は務まらん。構わん。洗礼を受けてくるがいい。死んだらそれまでだし、もし生き延びられたらいい人生の糧となるだろう」

 フリーは腕をはむはむと甘噛みしてくるニケの頭を撫でる。

「後輩を育てるとか、なさらないんですか?」

 レナは「お?」と感心したような目つきを一瞬した。今日初めて目が合った。

「そういう物好きは、一定数いる。引退した者が、猟師になるための寺子屋のような機関、「訓練場」の教師をやっているとか……なんとか」

 その辺は興味ないのか、語尾が自信なさげだった。
 フリーは苦笑する。

「でも、レナさんは顔覚えられそうですよね」
「確かに一度会っただけの者が、よく私を覚えていたりするが。何故だ?」

 本気で分からないといった顔をするレナに、ニケまで内心「ええー?」と汗を流す。

「いや! レナさん鮫に変身するじゃないですか。あれ、一度見たら忘れられない迫力ですよ!」

 土砂を舞い上げ宙に飛び出す流線型の巨体。間近で見たこともあり昨日のことのように思い出せる。

「ああ」

 レナはポンと手を打つ。

「あれか。確かにあの薬はちょくちょく使うな」
「その薬ってなんなんですか? それ使ったらニケももふもふの犬になるんですか?」

 わくわくと身を乗り出すフリーの額を、デコピンが襲った。

「あいたっ」
「知らんのか? あれは一部の者しか効果がない」
「詳しく教えてくださいよ~」
「なぜ貴様と会話せねばならない?」

 急に打ち切られた。いいもん。キミカゲさんに聞くもん。

「……他には? ありますか?」
「地道に働け。なんやかんや言ったが、それが一番の近道だモヤシ」
「フリーです。うう、ありがとうございます……」

 全然名前で呼んでくれない。ああん。悲しい。
 身軽に立ち上がると、レナは背を向ける。

「ではな」

 大股で出て行く彼女を、ニケは急いで追いかけた。

「あー。待ってください! 怪我したらきちんと休んでくださいね?」

 お茶を出すのも忘れていた。レナが来てくれたことが嬉しくてすっこ抜けていた。接客が大事と言ったばかりなのに……。
 レナは軽く笑って手を振る。

「無論だ。一晩は寝ている」
「いやそうじゃなくて! 治るまで寝てくださ……。……んもー」

 声を張り上げるも陸地でも足が速い彼女の姿は、あっという間に見えなくなった。

「もっとゆっくりしていけばいいのに」

 万年忙しいのは分かるが、せめてお茶くらい。いや、お茶出さなかったのは僕だけども。
 寂しそうに頬を膨らませるニケが可愛い。反射的に抱き上げ、ちょんと鼻先をくっつける。

「また会えるよ」
「んむ……」

 くすぐったそうに鼻を手の甲で擦り、フリーの首に腕を回してしっかりくっつく。

「フリーは僕の側にいるんだぞ?」

 甘えている姿を見られたくないらしいので、家の中に入りそっと戸を閉める。
 ふりふり揺れる尻尾を見ながら、背中をやさしくたたく。

「もちろんだって。ところでレナさんが言っていた魔獣狩り、やってみようかな?」

 ニケに顔をぎゅっと鷲掴みにされた。

「以前翁に、危ないことをするなと、言われんかったけ?」
「いででででっ! しゅいません!」

 顔が取れる。
 ニケだって心配性なんだから。
 痛む顔を摩りつつ、こっそりと微笑んだ。



 キミカゲがいなくても訪れる患者さんの話や悩みを聞き、忘れないようにメモに取ったり、歩けない患者さんの家に訪問したりするなど、忙しくもいちゃつきながら日々を過ごすこと数日。
 メリネで下がった気温がまた上昇してきたころ、キミカゲが戻ってきた。

「やあやあ。心配かけたね」

 イグサの香りが充満し、家具が輝いている我が家に足を踏み入れる。オキンのところ待遇は良いが、やはり自分の家は落ち着く。炎樹の机、無事だったのか。長い付き合いだね、この机とも。
 室内を見ていると子どもたちは作業の手を止めて、ワンコのように駆け寄ってくる。

「翁」
「キミカゲさん。おかえりなさい」
「ただいまー」

 両腕を広げて待ち構えるが、誰も抱きついてきてくれなかった。直前で停止される。

 ――いや……うん。いいよ。駆け寄ってきてくれただけでも、嬉しいんだ。

 しょうがないので、涙を拭いながら自分からふたりを抱きしめる。
 触れるとキミカゲの腰が駄目になると思っているのか、途端にふたりの表情が曇る。

「あの。腰の方は? もう良いんですか?」
「布団敷きますよ? 横になります?」

 めーっちゃ心配してくるなぁ。

「もう大丈夫さ。明日から仕事も始めちゃうよ」

 腕まくりをしてやる気を見せると、やっとふたりはホッとしたような笑みを見せてくれた。

「無理しないでくださいね? 俺、キミカゲさんには元気でいてほしいんですから」
「そうですよ? 翁が倒れたら悲しい気持ちになりますから。わかってますか? ぷくぅーっ」

 頬を膨らませるニケに、フリーと一緒になって悶える。
 久しぶりに会う孫たちが可愛い。
 なんとか起き上がり、キミカゲはよしよしと黒髪を撫でた。

「うんうん。分かっているよ。無理はしない分、君たちに頼らせてもらっちゃうね?」

 そう言うとふたりは嬉しそうに何度も頷く。
 いい気分のままフリーは腰に手を当てる。

「存分に頼っちゃってくださいね?」

 おじいちゃんはかわいいなぁと笑顔になる。

「こちら、患者さんの話をまとめたものになります。が、今日は仕事しちゃだめです」
「ありが……おっと?」

 紙の束を受け取ろうとしたのに、サッと引っ込められた。
 ニケは鈴蘭柄の座布団(新品)を取り出し、ポンポンと叩く。

「さあさあ。座ってください。ふかふかですよ? お茶淹れますから」

 鈴蘭柄の座布団を微妙な顔で見つめていたキミカゲは焦る。

「いやいや! もう十分オキンのとこで休ませてもらったんだよ。これ以上休むと、腕と頭が訛るよ」

 頭でなく身体で、指で薬の作り方を覚えている部分があるのだ。長い間薬草類に触れていないと、感覚が分からなくなってしまう。ただでさえ、脳みその出来が良くないというのに。
 手のひらでお腹を叩く。

「それにほら見て? お腹出ちゃってるし、肌艶いいでしょ? オキンがめちゃ沢山ご飯を食べさせてくるから、ちょっと太っちゃったくらいだよ」

 じとーっと見つめてくるお子様たち。
 冷や汗を流していると、フリーが抱きついてきた。

「? フリー君?」

 嬉しいけど、どうしたんだろう。
 ちゃっかり抱きしめ返しているとニケが肩を竦める。

「どうだ?」
「大して変わっていません、隊長。肉が増えている気配ないし。相変わらず骨が浮かんでるよ」

 体型チェックされてたあああっ!

(抱きついただけで分かるの? 何その記憶力。うらやましい……っ)

 変な方向に感心していると背中を押され、座布団に座らされる。
 分厚い座布団はお尻を包み込んでくれる。これ一枚でいくらしたのやら。いくらドのつくお金持ちとはいえ、甥っ子の金銭感覚が心配になる。

「ニケ君。私本当に大丈夫だから。たっぷりと休んできたから。患者さんのそのメモ取ったの、見せて?」
「お茶淹れてきます」

 メモの束を帯に挟み、炊事場へ歩いて行ってしまう。追いかけようとした肩を、フリーが掴んできた。

「フリー君?」
「キミカゲさん。ニケは寂しがっていたんですから、ニケとの時間を作ってあげてくださいよ」
「……あ」

 言われてハッとなる。
 そういえばこの子たち、台風でぐちゃぐちゃになったくすりばこの掃除を、ずっと頑張ってくれていたんだっけ。私としたことが、礼も言わずに。
 キミカゲは肩の力を抜いた。

「そ、そうだね。ごめんね」
「謝らなくていいですけど……。まあ、すぐ仕事に戻らなきゃっていう、キミカゲさんの気持ちもわかりますよ。俺もほぼ毎日、『キミカゲ様はいつお戻りになるんですか?』って聞かれたからさぁ」

 イラついているような、呆れているような。フリーにしては珍しい表情に、キミカゲは苦笑する。

「ふふっ。頑張ってくれていたんだね。ありがとうね」

 フリーの頭も撫でる。くすりばこにきた当時より、髪に張りが出てきたように思う。やはりご飯はしっかり食べなくちゃね。
 しかし私との時間を取ってほしいとは、嬉しいことを言ってくれる。
 このふたり、私に興味がないような感じだったから。あ、涙が。
 心配そうな金緑の瞳が覗き込んでくる。

「なんで泣いてるんですか? どっか痛みます?」
「ああ、いや。なんでもな……」
「よしよし」

 フリーが頭を撫でてくる。
 前は子ども扱いされることが衝撃だったけど、今はむしろ嬉しいな。ちょっと照れくさいけどね。

「あ、ありがとう。元気出たよ」
「やっぱりね! 俺も頭撫でられると元気出るから、キミカゲさんもそうじゃないかと思ったよ」

 得意げな笑みに、自分の子にしてしまいたいなという思いが湧く。もう、そういうことにしておこうか。
 ニケが運んできてくれた美味しいお茶を飲んだ後、家の中をひとしきり見て回る。内装は変わっていない。書斎もほぼそのままだ。
 数冊、雨で駄目になった書物や薬草類が痛いが、暇を見つけてはまた補充しよう。
 

 メリネ被害のため、数か月の間はとんかんとんかんと、澄んだ空に金槌と大工さんの声が響く。
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