ニケの宿

水無月

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第二十八話・お世話になりました

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 メリネは速度を上げたのか、昨日とは打って変わり小雨だった。風は時々強くなるが、ずっと弱まっている。

(今年のメリネは居座り型じゃなかったようだな……)

 雨戸を開け広がる曇り空。同僚は早く青空が見たいとほざいていたが、ベゴールには雲っていようが晴れていようがどうでもいい。心底興味がない。

「……ぅん?」

 物音で目が覚めたリーンは薄目を開ける。着替えている途中だったのか、ベゴールの肌は傷跡でいっぱいだった。

(ここ……。そういうヒトばっかりだな)

 竜(最強)のひざ元でしか生きられない者たち。

「……」

 自身の嫌な記憶も蘇り、胸糞が悪くなり寝たふりをして寝返りを打つ。

「寝たふりしてんじゃねーですよ?」
「ぎくっ」

 目を開ければ、ベゴールが覗き込んでいた。包帯が巻かれ目は見えないが、機嫌は悪いのは分かる。このヒトいつも機嫌悪いな。

「お、おはようございます……」
「上司より起きるのが遅いとは、とんだ平和脳ですね。幸せそうで、なによりです」
「……」

 この皮肉にも慣れていかねばならないようだ。
 上から退いてくれたので、リーンも起き上がる。隣に布団を敷くなといわれたので――敷くつもりはない――壁際で寝たのだ。
 ふああっと大あくびをする。

(おかしいな……。いつもはもうちょい早く起きているのに)

 やはりあれだろうか。起きたらディドールの所に行けると思って寝るのとでは、起きる早さが違うようだ。
 がしがしと髪を掻いて、立ち上がって背伸びをする。

「はあ」

 着たまま寝たというのに、黒羽織にシワひとつない。

(めちゃめちゃいいじゃんか。やべぇ、本気で脱げなくなった)

 脱げなくなったというかは、脱ぎたくないというか。
 感心したように羽織を眺めていると、鋭い舌打ちが聞こえた。見ると、ベゴールがいらだった様子で踵を高速で床に打ち付けている。

「いつまで上司の部屋でくつろいでいるんです? さっさと出て行きなさい」

 親指で出口を示す。

「……はーい」

 出て行こうとして、言われっぱなしは癪なので足を止めて振り返る。
 ベゴールは気の短い声を出す。

「何か?」
「まあ、すぐ俺様が追い越すでしょうが? 俺が上司になったらたっぷりお礼してあげますよ」

 白い歯を見せて笑うリーンに、ベゴールがぴくりと反応する。

「……その意気は買ってあげましょう。ですが――」

 口元だけ笑みの形を作ると、片足を持ち上げる。
 そのまま猛禽類の足が生意気な尻を蹴っ飛ばした。

「うあっ?」
「百年早いですよ」

 べしゃっと廊下で倒れた新入りを見下ろし、戸を閉めるのだった。

「……くっそー」



 青空が顔を出したのはその日から二日後。しとしと雨が長引いたのだ。

『もう貴様らを邸宅内に入れておく理由はない』

 そう言って山のようなお土産を手渡してくれた。お菓子や日用品などが入っている。嬉しいしありがたい。

『当分は貴様らの顔も見なくない。街で会っても、声をかけるでないぞ』

 ニケは可愛いワンコ模様の半纏を貰っていた。あたたかそうだ。これから寒くなるはずだし、ちょうどいい。

『さっさと出ていけ』

 姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。横にいたペポラさんが「素直になれよ……」と言いたげにため息をついていたのが印象的だった。

「オキンさん。めっちゃいいヒトだったねー」

 お菓子の入った風呂敷を抱え上機嫌のフリーに、ニケは微妙な笑みを浮かべる。

「……そう、だな。僕も最初ほど怖くは感じなくなった、かも……」

 まだ怖いという気持ちはあるが、当初のように呼吸が出来なくなることはなくなった。
 貰ったばかりの、ふかふか半纏を抱きしめる。こんな高価なものを、まるで摘んできた花を渡す気安さでくれるのだ。オキンを頼りたくなる街人の気持ちもわかるというものだ。







 彼女がくすりばこへやってきたのは、メリネが去った一週間後だった。

 台風が長居しなかったおかげで、くすりばこの被害は少なくて済んだ。と、そんなはずはなく……。
 なんせぼろい建物だ。屋根がなくなり内部は水浸し。
 それなのに薬やたくさんの書物が納められたキミカゲの書斎が九割がた無事だったのは、彼の日頃の行いかもしれない。
 キミカゲはオキン邸宅で絶対安静。その間、ニケたちは片付けや掃除を頑張っていた。
 天井や家具、駄目になった畳はオキンの力(財力)で買い揃え、ようやく営業が再開できそうになったところだ。
 当たり前のように手伝ってくれたホクトとミナミ――ミナミは引きずられて来た――とすれ違うように、くすりばこ内へ入ってくる。
 新品のにおいがきつい畳の上でくたくたになっていたニケは、彼女の顔を見るなりがばっと起き上がった。

「レナさん!」
「邪魔するぞ」

 海の民、年中忙しい鼬鮫(いたちざめ)族。本名ガレナエルティベト。通称、レナ。
 魔物魔獣専門の猟師兼退治屋という、魔獣魔物共の天敵のような女性である。
 虎柄の白い中華風ドレスに豊満な肢体を包み、瑠璃色のアイシャドウがどこまでも冷たく美しい。そんな氷姫のような外見とは裏腹に、彼女が優しいのはニケがよく知っている。

「わーい」

 思わず満面の笑みで飛びつこうとして、ハッと我に返る。キキィっとブレーキをかけた。いかんいかん。落ち着け。急に飛びついたら無礼だろう。

「お、お久しぶりです。レナさん……」

 抱きつこうとしたことを照れているニケに、しゃがんだレナが両腕を広げる。

「なんだ? 抱きついてくれないのか? 久しぶり会えて嬉しいと、思っていたのは私だけか?」
「……っ」

 ぱああっと、ニケの瞳が輝く。
 迷わず胸の中に飛び込む。
 レナはしっかりと抱きしめてくれた。

「レナさんっ」

 すりすりと彼女に甘える。レナは犬耳頭をそっと撫で、不意に笑みを消した。

(――……?)

 なんだ。この違和感は。
 ニケに付いていた加護が消えている。

(馬鹿な。あの生真面目で過保護(ナターリア)がニケちんを護るのをやめたというのか? あり得ん)

 ニケの姉・ナターリアは愛深い少女だった。死後も魂だけとなり弟を護ろうとするほど。レナでもそんな芸当は出来ない。だいたい、魂だけになったのに自我を残しているってなんだ。そんな魔九来来でも持っていたのか?
 その儚くもあたたかい加護が、全く感じない。
 まるでニケを護るために、魂すら使い切ってしまったかのように……

「……」

 一筋の汗を流すレナを、寝そべったままのフリーが見ていた。

「レナさん?」

 ニケの声に、レナはぱちりと瞬きする。

「あ、ああ。すまない。苦しかったか?」

 ニケはもじもじと両手の指を絡ませる。

「いえ……。もっと抱っこしてほし、じゃなくて。宿の件で来てくれたんですよね?」
「くっ!」

 レナは咄嗟に顔半分を手で押さえた。
 ニケの可愛いが止まらない!
 会うたびに新鮮な可愛さに驚かされる。多分ニケに上目遣いで「二兆円欲しい」と言われたら笑顔で渡しそうだ。
 震える腕でニケを座布団(フリーの腹)に座らせ、ふっと二色の髪を払う。

「その通りだ。内装などは決まったかな?」

 すーはーとニケは呼吸を整えると、背筋を伸ばした。

「以前と同じで、お願いします」
「「……」」

 ニケの口から出た言葉に、フリーまで目を丸くする。
 真面目な話だと思ったのか、いそいそとフリーが胡坐をかいて座る。その足の上に当然のようにちょこんと尻を乗せるニケ。
 フリーの指がふにふにとほっぺを揉み、ニケは嬉しそうに、くすぐったそうな笑顔になる。
 いちゃつくふたりに、猛烈に白髪を引っこ抜いてやりたくなった。

「いだだだだだだっ! なぜ? 何故髪を抜こうといたたただだっ」
「――ハッ。手が勝手に」

 気がつくと白髪野郎に掴みかかっていた。身体が勝手に、を初めて体験した。
 ニケが出してくれた新品の座布団に片膝を立てて座り、指に絡みついた白い毛を邪魔くさそうに捨てる。

「それで? 以前と同じでというのは、私の聞き間違いではないのだな?」
「あの、なんで髪を引っこ抜こうとしたんですか?」
「黙れ。私の視界に入るな殺すぞ」

 乙女のように泣き出すフリーに構わず、ニケは頷く。

「はい。……いくつかの宿を見て思ったのですが。内装はもちろんですが、一番肝心なのは接客態度だと。僕はそう思いました」
「ほう?」

 レナは宿など休めればいいので、従業員の態度など気にしたこともないが続きを促す。
 ニケは思い出すように自分の両手を見下ろした。

「どれほど素晴らしい部屋に料理で温泉でも、従業員の態度がアレだと、心からくつろげない。休めないんだと」

 幼子がここまで吸収して学んでいたことに、特に何も考えておらず吸収もしていなかったフリーは冷や汗を流し目を泳がす。
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