ニケの宿

水無月

文字の大きさ
上 下
198 / 260

第二十三話・虫人

しおりを挟む
 勢いが一瞬詰まった少年を、赤い髪の女性が叱る。

「リーンか。おい。ここは勝手に入って良い部屋じゃ……」

 ペポラ(女性)の姿に安堵したリーンが、勢いを取り戻す。

「キミカゲ様が倒れました!」

 立ち上がりかけた女性はがくっと膝から転びかけた。隣にいた女性が片手で受け止める。
 重い空気が霧散し、UFOを見ちゃったような空気が流れる。だが誰もざわつかないのは、言葉が見つからないのだろう。

「……」

 前髪をかき上げ、ペポラはなんとか立ち上がる。生まれたての小鹿のようだ。

「お、おおおお、おい。その手の嘘は、こ、ここでは言っては……」
「本当です!」

 リーンが嘘は言っていないと理解したのだろう。蛇の縦長の瞳孔が太くなったり細くなったりする。
 ペポラは拳を握る。

 ――ああもうっ! 一日に何回倒れるんだあのジジイ。

 大人しく桃源郷で余生を送れよ……いまはそんな文句を言う時ではない。

「ジジイ、じゃなくて、キミカゲ様の容態は?」
「汗がすごくて、声が出ないようです。……一体、どうしちゃったんだ! キミカゲ様が喋れなくなっちまったら……」

 青ざめる新入りをなだめるように、大丈夫だと肩に手を置く。

「よし! 赤飯を炊けぇ!(なんだと! それは大変だ)」
「ペポラちゃん。多分、本音と建て前間違ってる」

 片手で受け止めた女性がのほほん笑顔でツッコミをし、一番身体がでかい男が立ち上がる。力士のような体型だが、脂肪ではなく全身が筋肉に覆われており、身体を丸めると本当にちょっとした岩のように見える。
 そんな男が、カッと目を開くと急に走り出した。

「お、おで! 医者呼んでくるど」

 見た目を裏切る俊足で廊下の向こうへと消えていく。

「こら!」

 それを追ったのは死蟷螂(しかまきり)族――獣人ではなく、虫人(ちゅうじん)――だった。
 虫人らしい触角に複眼。足の関節は獣人とは逆に曲がるようになっており、しかも足が四本ある。虫人自体は珍しいことではないが、彼は両腕が布でぐるぐる巻きにされており、じっと見ていると不安な気持ちになった。
 幸いかどうか、その男はリーンには目もくれずに目の前を通り過ぎる。

「台風だっつってんだろうがああ。連れてこられる薬師の身になれ!」

 止める気なのか、そのまま足音ひとつ立てず壁(壁?)を走って行く。

「????」

 一気に慌ただしくなる室内。
 ペポラは困惑しているリーンの首根っこを掴むと、廊下を早歩きで進む。

「キミカゲ様は? あの隔離部屋だな?」
「隔離部屋っ? は、はい! そうです」

 明かりも持たず、暗い道をどかどかと進む。
 蛇の目が、ぎらりとリーンを見下ろす。

「報せてくれたことは褒めてやるが、今回のことは説教だからな! あそこは決まった者しか入ったらいけないんだよ」
「はい喜んで!」
「なに喜んでんだ。さてはお前、あの白髪と同類だな?」

 リーンは一気に数か月放置された野菜のようにしなびた。
 しなしなになりすぎだろ。同類扱いはそんなに嫌なのか。

「心に傷を負いました。責任を取ってください」
「そうか。元気そうだな」

 かくり……キミカゲの部屋に入ると、震えるキミカゲにニケが布団をかけていた。何かしなければと思ったのだろう。
 もう一人、動かないやつがいるな。

「まさかあの白髪もか?」
「そいつは全面的に無視してください。キミカゲ様の容態を診てください」

 やたら真顔なリーンに言われ、キミカゲの顔の側に膝をつき、軽く頬を手の甲で叩いてみる。
 うっすらと瞳が開かれた。よかった。生きてて。

「ペポラ……くん?」
「何があったんだ? 話せるか? 死んだら殺すぞ」

 ペポラの姿に、おじいちゃんは若干安堵したようだ。震える手をペポラの手に重ねる。

「申し訳ないんだけど……私の死体はきっちり、火葬しておいてくれる、かい? 棺桶に、出来ればお花も何も……い、入れないでね」
「まだ死んでませんよ。キミカゲ様!」

 声を上げながらリーンも近くに来てくれる。

「むきーっ」

 ばしばしべしっべしっ。
 ニケ君が割と強めに顔を叩いてくる。痛い。ちょ。ほんと痛い。でもその顔は怒りながらも泣きそうになっていて、真っ赤だった。ご、ごめん。火葬とか言ったら、悲しくなるよね? おじいちゃんが悪かったよ。

「おい! 原因はなんだ? 分かるか?」

 名医中の名医であるキミカゲに分からないのなら正直お手上げだが、黒羽織にも医者はいる。なんとかなるはずだ。
 必死に言葉をかけるペポラに、キミカゲは声を絞り出した。

「ぎ、ぎっくり腰……やっちゃった、みたい……」

 部屋を出て行こうとするペポラを、リーンが引きとめる。

「待って待ってください! え? ぎっくり腰って何? 病気なの?」

 怒りを逃すように深呼吸を三度繰り返すと、回れ右をして戻ってきてくれた。目は氷のようだったが。

「はあ。冷やすもの持ってくるから、ジジイは安静にさせておけ。リーンは医学部の部屋に行って、鎮痛剤を貰ってこい」
「ひゃいっ!」

 凍てついた声で命じられ、リーンはびしっと敬礼を決める。

「翁……。みんながついてますからね? 大丈夫ですからね?」

 幼子が健気に声掛けをしながら、何故かキミカゲの顔にすーりすーりと頬を擦りつけている。何の意味が? 赤犬族流の励まし方なのだろうか。いや、彼らはこういう時はぺろぺろ舐めるはず。って、今はいいか。
 頬を押しつけられているせいで眼鏡がずれているのに、おじいちゃんは嬉しそうだ。

「ううっ。もちもちしてる……。ありがとう。ニケ君。でも疲れるでしょ? フリー君の側にいていいよ?」
「すーりすーり!」

 夢中で頬を擦りつける。こうやればフリーが元気になるので、翁にもやっているようだ。自分のほっぺが万能薬とでも思っているのだろうか。でも絵面はほほ笑ましいので構わずリーンとペポラは部屋を出て行く。

「あれ? こっちだと思ったんだけど……」

 まだ邸宅内を覚えきれていないリーンがさっそく道を間違うが、良い所にヒトが来てくれた。さきほどの死蟷螂族の者である。ずぶ濡れだし疲れた顔で巨漢を引きずっているしで、声をかけるのを躊躇ったが向こうが気づいてくれた。

「おや。星影の……」
「あ、あの! 医学部ってどこですか? ペポラさんに鎮痛剤を持ってこいと」
「ああ。分かった分かった。きゃんきゃん吠えるな。やかましい」

 うるさそうに耳を塞ぎ、嫌そうに顔を歪める。たったそれだけなのにリーンは指先まで冷えた。

 ――怖い……。

 強者の機嫌を損ねてしまったと、足がすくむ。オキンは本当に気を遣ってくれていたんだと、あらためて思い知った。

(やっちまった……)

 一方。死蟷螂の者は子ネズミのように震える少年を見て、内心舌を出す。
 違うんだ。この巨漢を引き留めようと雨の中ど突き合いをしていたから。気が立っていたのだ。
 気まずそうに咳払いし、努めて笑顔を作る。

「医学部だろ? 案内しよう」
「……はわっ……」

 好戦的な星影が完全に腰を抜かしている。自分の笑顔に効果がなかったことにも落ち込む。

「まあ、いいか。暴れるなよ?」

 布でぐるぐる巻きにされた腕で少年を持ち上げ、巨漢の腹の上に座らせるとそのまま医学部まで運ぶ。医務室ではなく医学部と呼ばれているのは、単に医学も同じ部屋で教えているのでごっちゃになっているだけである。
 『医学部だよ。全員集合』と書かれた札がかかっている戸を開ける。
 すぱーん。

「せんせー。薬を……って、いないのか?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件

水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて── ※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。 ※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。 ※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。

嫌われ者の長男

りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

選択的ぼっちの俺たちは丁度いい距離を模索中!

きよひ
BL
ぼっち無愛想エリート×ぼっちファッションヤンキー 蓮は会話が苦手すぎて、不良のような格好で周りを牽制している高校生だ。 下校中におじいさんを助けたことをきっかけに、その孫でエリート高校生の大和と出会う。 蓮に負けず劣らず無表情で無愛想な大和とはもう関わることはないと思っていたが、一度認識してしまうと下校中に妙に目に入ってくるようになってしまう。 少しずつ接する内に、大和も蓮と同じく意図的に他人と距離をとっているんだと気づいていく。 ひょんなことから大和の服を着る羽目になったり、一緒にバイトすることになったり、大和の部屋で寝ることになったり。 一進一退を繰り返して、二人が少しずつ落ち着く距離を模索していく。

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか

Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。 無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して―― 最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。 死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。 生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。 ※軽い性的表現あり 短編から長編に変更しています

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

処理中です...