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第二十三話・虫人
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勢いが一瞬詰まった少年を、赤い髪の女性が叱る。
「リーンか。おい。ここは勝手に入って良い部屋じゃ……」
ペポラ(女性)の姿に安堵したリーンが、勢いを取り戻す。
「キミカゲ様が倒れました!」
立ち上がりかけた女性はがくっと膝から転びかけた。隣にいた女性が片手で受け止める。
重い空気が霧散し、UFOを見ちゃったような空気が流れる。だが誰もざわつかないのは、言葉が見つからないのだろう。
「……」
前髪をかき上げ、ペポラはなんとか立ち上がる。生まれたての小鹿のようだ。
「お、おおおお、おい。その手の嘘は、こ、ここでは言っては……」
「本当です!」
リーンが嘘は言っていないと理解したのだろう。蛇の縦長の瞳孔が太くなったり細くなったりする。
ペポラは拳を握る。
――ああもうっ! 一日に何回倒れるんだあのジジイ。
大人しく桃源郷で余生を送れよ……いまはそんな文句を言う時ではない。
「ジジイ、じゃなくて、キミカゲ様の容態は?」
「汗がすごくて、声が出ないようです。……一体、どうしちゃったんだ! キミカゲ様が喋れなくなっちまったら……」
青ざめる新入りをなだめるように、大丈夫だと肩に手を置く。
「よし! 赤飯を炊けぇ!(なんだと! それは大変だ)」
「ペポラちゃん。多分、本音と建て前間違ってる」
片手で受け止めた女性がのほほん笑顔でツッコミをし、一番身体がでかい男が立ち上がる。力士のような体型だが、脂肪ではなく全身が筋肉に覆われており、身体を丸めると本当にちょっとした岩のように見える。
そんな男が、カッと目を開くと急に走り出した。
「お、おで! 医者呼んでくるど」
見た目を裏切る俊足で廊下の向こうへと消えていく。
「こら!」
それを追ったのは死蟷螂(しかまきり)族――獣人ではなく、虫人(ちゅうじん)――だった。
虫人らしい触角に複眼。足の関節は獣人とは逆に曲がるようになっており、しかも足が四本ある。虫人自体は珍しいことではないが、彼は両腕が布でぐるぐる巻きにされており、じっと見ていると不安な気持ちになった。
幸いかどうか、その男はリーンには目もくれずに目の前を通り過ぎる。
「台風だっつってんだろうがああ。連れてこられる薬師の身になれ!」
止める気なのか、そのまま足音ひとつ立てず壁(壁?)を走って行く。
「????」
一気に慌ただしくなる室内。
ペポラは困惑しているリーンの首根っこを掴むと、廊下を早歩きで進む。
「キミカゲ様は? あの隔離部屋だな?」
「隔離部屋っ? は、はい! そうです」
明かりも持たず、暗い道をどかどかと進む。
蛇の目が、ぎらりとリーンを見下ろす。
「報せてくれたことは褒めてやるが、今回のことは説教だからな! あそこは決まった者しか入ったらいけないんだよ」
「はい喜んで!」
「なに喜んでんだ。さてはお前、あの白髪と同類だな?」
リーンは一気に数か月放置された野菜のようにしなびた。
しなしなになりすぎだろ。同類扱いはそんなに嫌なのか。
「心に傷を負いました。責任を取ってください」
「そうか。元気そうだな」
かくり……キミカゲの部屋に入ると、震えるキミカゲにニケが布団をかけていた。何かしなければと思ったのだろう。
もう一人、動かないやつがいるな。
「まさかあの白髪もか?」
「そいつは全面的に無視してください。キミカゲ様の容態を診てください」
やたら真顔なリーンに言われ、キミカゲの顔の側に膝をつき、軽く頬を手の甲で叩いてみる。
うっすらと瞳が開かれた。よかった。生きてて。
「ペポラ……くん?」
「何があったんだ? 話せるか? 死んだら殺すぞ」
ペポラの姿に、おじいちゃんは若干安堵したようだ。震える手をペポラの手に重ねる。
「申し訳ないんだけど……私の死体はきっちり、火葬しておいてくれる、かい? 棺桶に、出来ればお花も何も……い、入れないでね」
「まだ死んでませんよ。キミカゲ様!」
声を上げながらリーンも近くに来てくれる。
「むきーっ」
ばしばしべしっべしっ。
ニケ君が割と強めに顔を叩いてくる。痛い。ちょ。ほんと痛い。でもその顔は怒りながらも泣きそうになっていて、真っ赤だった。ご、ごめん。火葬とか言ったら、悲しくなるよね? おじいちゃんが悪かったよ。
「おい! 原因はなんだ? 分かるか?」
名医中の名医であるキミカゲに分からないのなら正直お手上げだが、黒羽織にも医者はいる。なんとかなるはずだ。
必死に言葉をかけるペポラに、キミカゲは声を絞り出した。
「ぎ、ぎっくり腰……やっちゃった、みたい……」
部屋を出て行こうとするペポラを、リーンが引きとめる。
「待って待ってください! え? ぎっくり腰って何? 病気なの?」
怒りを逃すように深呼吸を三度繰り返すと、回れ右をして戻ってきてくれた。目は氷のようだったが。
「はあ。冷やすもの持ってくるから、ジジイは安静にさせておけ。リーンは医学部の部屋に行って、鎮痛剤を貰ってこい」
「ひゃいっ!」
凍てついた声で命じられ、リーンはびしっと敬礼を決める。
「翁……。みんながついてますからね? 大丈夫ですからね?」
幼子が健気に声掛けをしながら、何故かキミカゲの顔にすーりすーりと頬を擦りつけている。何の意味が? 赤犬族流の励まし方なのだろうか。いや、彼らはこういう時はぺろぺろ舐めるはず。って、今はいいか。
頬を押しつけられているせいで眼鏡がずれているのに、おじいちゃんは嬉しそうだ。
「ううっ。もちもちしてる……。ありがとう。ニケ君。でも疲れるでしょ? フリー君の側にいていいよ?」
「すーりすーり!」
夢中で頬を擦りつける。こうやればフリーが元気になるので、翁にもやっているようだ。自分のほっぺが万能薬とでも思っているのだろうか。でも絵面はほほ笑ましいので構わずリーンとペポラは部屋を出て行く。
「あれ? こっちだと思ったんだけど……」
まだ邸宅内を覚えきれていないリーンがさっそく道を間違うが、良い所にヒトが来てくれた。さきほどの死蟷螂族の者である。ずぶ濡れだし疲れた顔で巨漢を引きずっているしで、声をかけるのを躊躇ったが向こうが気づいてくれた。
「おや。星影の……」
「あ、あの! 医学部ってどこですか? ペポラさんに鎮痛剤を持ってこいと」
「ああ。分かった分かった。きゃんきゃん吠えるな。やかましい」
うるさそうに耳を塞ぎ、嫌そうに顔を歪める。たったそれだけなのにリーンは指先まで冷えた。
――怖い……。
強者の機嫌を損ねてしまったと、足がすくむ。オキンは本当に気を遣ってくれていたんだと、あらためて思い知った。
(やっちまった……)
一方。死蟷螂の者は子ネズミのように震える少年を見て、内心舌を出す。
違うんだ。この巨漢を引き留めようと雨の中ど突き合いをしていたから。気が立っていたのだ。
気まずそうに咳払いし、努めて笑顔を作る。
「医学部だろ? 案内しよう」
「……はわっ……」
好戦的な星影が完全に腰を抜かしている。自分の笑顔に効果がなかったことにも落ち込む。
「まあ、いいか。暴れるなよ?」
布でぐるぐる巻きにされた腕で少年を持ち上げ、巨漢の腹の上に座らせるとそのまま医学部まで運ぶ。医務室ではなく医学部と呼ばれているのは、単に医学も同じ部屋で教えているのでごっちゃになっているだけである。
『医学部だよ。全員集合』と書かれた札がかかっている戸を開ける。
すぱーん。
「せんせー。薬を……って、いないのか?」
「リーンか。おい。ここは勝手に入って良い部屋じゃ……」
ペポラ(女性)の姿に安堵したリーンが、勢いを取り戻す。
「キミカゲ様が倒れました!」
立ち上がりかけた女性はがくっと膝から転びかけた。隣にいた女性が片手で受け止める。
重い空気が霧散し、UFOを見ちゃったような空気が流れる。だが誰もざわつかないのは、言葉が見つからないのだろう。
「……」
前髪をかき上げ、ペポラはなんとか立ち上がる。生まれたての小鹿のようだ。
「お、おおおお、おい。その手の嘘は、こ、ここでは言っては……」
「本当です!」
リーンが嘘は言っていないと理解したのだろう。蛇の縦長の瞳孔が太くなったり細くなったりする。
ペポラは拳を握る。
――ああもうっ! 一日に何回倒れるんだあのジジイ。
大人しく桃源郷で余生を送れよ……いまはそんな文句を言う時ではない。
「ジジイ、じゃなくて、キミカゲ様の容態は?」
「汗がすごくて、声が出ないようです。……一体、どうしちゃったんだ! キミカゲ様が喋れなくなっちまったら……」
青ざめる新入りをなだめるように、大丈夫だと肩に手を置く。
「よし! 赤飯を炊けぇ!(なんだと! それは大変だ)」
「ペポラちゃん。多分、本音と建て前間違ってる」
片手で受け止めた女性がのほほん笑顔でツッコミをし、一番身体がでかい男が立ち上がる。力士のような体型だが、脂肪ではなく全身が筋肉に覆われており、身体を丸めると本当にちょっとした岩のように見える。
そんな男が、カッと目を開くと急に走り出した。
「お、おで! 医者呼んでくるど」
見た目を裏切る俊足で廊下の向こうへと消えていく。
「こら!」
それを追ったのは死蟷螂(しかまきり)族――獣人ではなく、虫人(ちゅうじん)――だった。
虫人らしい触角に複眼。足の関節は獣人とは逆に曲がるようになっており、しかも足が四本ある。虫人自体は珍しいことではないが、彼は両腕が布でぐるぐる巻きにされており、じっと見ていると不安な気持ちになった。
幸いかどうか、その男はリーンには目もくれずに目の前を通り過ぎる。
「台風だっつってんだろうがああ。連れてこられる薬師の身になれ!」
止める気なのか、そのまま足音ひとつ立てず壁(壁?)を走って行く。
「????」
一気に慌ただしくなる室内。
ペポラは困惑しているリーンの首根っこを掴むと、廊下を早歩きで進む。
「キミカゲ様は? あの隔離部屋だな?」
「隔離部屋っ? は、はい! そうです」
明かりも持たず、暗い道をどかどかと進む。
蛇の目が、ぎらりとリーンを見下ろす。
「報せてくれたことは褒めてやるが、今回のことは説教だからな! あそこは決まった者しか入ったらいけないんだよ」
「はい喜んで!」
「なに喜んでんだ。さてはお前、あの白髪と同類だな?」
リーンは一気に数か月放置された野菜のようにしなびた。
しなしなになりすぎだろ。同類扱いはそんなに嫌なのか。
「心に傷を負いました。責任を取ってください」
「そうか。元気そうだな」
かくり……キミカゲの部屋に入ると、震えるキミカゲにニケが布団をかけていた。何かしなければと思ったのだろう。
もう一人、動かないやつがいるな。
「まさかあの白髪もか?」
「そいつは全面的に無視してください。キミカゲ様の容態を診てください」
やたら真顔なリーンに言われ、キミカゲの顔の側に膝をつき、軽く頬を手の甲で叩いてみる。
うっすらと瞳が開かれた。よかった。生きてて。
「ペポラ……くん?」
「何があったんだ? 話せるか? 死んだら殺すぞ」
ペポラの姿に、おじいちゃんは若干安堵したようだ。震える手をペポラの手に重ねる。
「申し訳ないんだけど……私の死体はきっちり、火葬しておいてくれる、かい? 棺桶に、出来ればお花も何も……い、入れないでね」
「まだ死んでませんよ。キミカゲ様!」
声を上げながらリーンも近くに来てくれる。
「むきーっ」
ばしばしべしっべしっ。
ニケ君が割と強めに顔を叩いてくる。痛い。ちょ。ほんと痛い。でもその顔は怒りながらも泣きそうになっていて、真っ赤だった。ご、ごめん。火葬とか言ったら、悲しくなるよね? おじいちゃんが悪かったよ。
「おい! 原因はなんだ? 分かるか?」
名医中の名医であるキミカゲに分からないのなら正直お手上げだが、黒羽織にも医者はいる。なんとかなるはずだ。
必死に言葉をかけるペポラに、キミカゲは声を絞り出した。
「ぎ、ぎっくり腰……やっちゃった、みたい……」
部屋を出て行こうとするペポラを、リーンが引きとめる。
「待って待ってください! え? ぎっくり腰って何? 病気なの?」
怒りを逃すように深呼吸を三度繰り返すと、回れ右をして戻ってきてくれた。目は氷のようだったが。
「はあ。冷やすもの持ってくるから、ジジイは安静にさせておけ。リーンは医学部の部屋に行って、鎮痛剤を貰ってこい」
「ひゃいっ!」
凍てついた声で命じられ、リーンはびしっと敬礼を決める。
「翁……。みんながついてますからね? 大丈夫ですからね?」
幼子が健気に声掛けをしながら、何故かキミカゲの顔にすーりすーりと頬を擦りつけている。何の意味が? 赤犬族流の励まし方なのだろうか。いや、彼らはこういう時はぺろぺろ舐めるはず。って、今はいいか。
頬を押しつけられているせいで眼鏡がずれているのに、おじいちゃんは嬉しそうだ。
「ううっ。もちもちしてる……。ありがとう。ニケ君。でも疲れるでしょ? フリー君の側にいていいよ?」
「すーりすーり!」
夢中で頬を擦りつける。こうやればフリーが元気になるので、翁にもやっているようだ。自分のほっぺが万能薬とでも思っているのだろうか。でも絵面はほほ笑ましいので構わずリーンとペポラは部屋を出て行く。
「あれ? こっちだと思ったんだけど……」
まだ邸宅内を覚えきれていないリーンがさっそく道を間違うが、良い所にヒトが来てくれた。さきほどの死蟷螂族の者である。ずぶ濡れだし疲れた顔で巨漢を引きずっているしで、声をかけるのを躊躇ったが向こうが気づいてくれた。
「おや。星影の……」
「あ、あの! 医学部ってどこですか? ペポラさんに鎮痛剤を持ってこいと」
「ああ。分かった分かった。きゃんきゃん吠えるな。やかましい」
うるさそうに耳を塞ぎ、嫌そうに顔を歪める。たったそれだけなのにリーンは指先まで冷えた。
――怖い……。
強者の機嫌を損ねてしまったと、足がすくむ。オキンは本当に気を遣ってくれていたんだと、あらためて思い知った。
(やっちまった……)
一方。死蟷螂の者は子ネズミのように震える少年を見て、内心舌を出す。
違うんだ。この巨漢を引き留めようと雨の中ど突き合いをしていたから。気が立っていたのだ。
気まずそうに咳払いし、努めて笑顔を作る。
「医学部だろ? 案内しよう」
「……はわっ……」
好戦的な星影が完全に腰を抜かしている。自分の笑顔に効果がなかったことにも落ち込む。
「まあ、いいか。暴れるなよ?」
布でぐるぐる巻きにされた腕で少年を持ち上げ、巨漢の腹の上に座らせるとそのまま医学部まで運ぶ。医務室ではなく医学部と呼ばれているのは、単に医学も同じ部屋で教えているのでごっちゃになっているだけである。
『医学部だよ。全員集合』と書かれた札がかかっている戸を開ける。
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