ニケの宿

水無月

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第四十話・無理に横文字を使わなくても良いと思うんだ

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「リニューアルすることになりまして。他の宿を参考に見させてもらっているんですよ。で、良い宿がないか聞いたら、ファイマさんがここを」
「ほおー。おばば様が聞けば、全面的に協力しそうですね。それでおたくは? 荷物持ちですか?」
「従業員です」
「左様でしたか」

 「リニューアルと言いたかったんだな。俺もたまに噛むから気にするな」と幼子を励ましている旦那を見つめ、狐耳はボリューミーな尻尾をふわんと揺らす。

「赤犬族同士、ああしてると親子に見えますねぇ」
「お兄さんは最小狐族ですか?」
「お兄さんって年じゃないですよ。おじさんですよおじさん。……それとどうして尻尾をガン見されているんで?」

 何かついてる? とおじさんは自分の尻尾を抱え込みあちこち確認する。
 羽梨(はねなし)の巫女は尻尾が大きくて巫女装束が前掛け状態になっていたが、このおじさんは下半身の部分がのれんのようになっている。後ろ半分を潔く撤去した巫女袴と違い布はあるが、それでもきわどいことに違いはない。

(俺も狐尻尾抱きしめてみたい~)

 と見つめていると、ぽんぽんと膝を叩かれる感触。ニケかなと思い首をめぐらせると、むすっとしたニケだった。考えるより先に手がニケを抱き上げる。

「はあ~……。かわいい」

 もちもちのほっぺに頬ずりしてご満悦。ニケはムスッとしたままだが、嫌がる素振りはない。
 それをじっと見つめているトマを茶化すように笑う。

「どうしました? 旦那。そろそろ子どもがほしくなりました? その前に嫁さん見つけにゃ、ですよ?」

 はっと旦那は我に返る。

「ふんっ。なんと言われようと嫁はもらわん。跡取りが心配なら、養子でもお前の娘でも構わんと言っているだろう。早くお前の娘を寄こせ。でないと他の者に跡を継がせるぞ」
「っか~。またそれですか」

「まあまあ。いいではありませんか」

 そういって顔を出したのは、頭皮に毛が一本もないおじいちゃんだった。白衣を着ているので薬師なのだろう。
 トマがサッと立ち上がる。

「先生。ご足労いただき、ありがとうございます」
「いえいえ。おばば様が自分の足でお立ちになられたと聞き、『そんなばかな』とすっ飛んできただけです。好奇心です」

 そういうことを言わなきゃいいのにと狐男は呆れるが、トマは真面目に薬師を玄関まで送る。

「家まで送りましょうか?」
「いえいえ。ここで結構結構。それと……春夏秋冬の旦那さん」
「ん?」

 薬師のおじいちゃんはトマの肩あたりで囁く。耳元でささやきたかったが、これで精一杯である。つま先立ちになった足が震える。

「初恋を忘れられないのは、お母様譲りですかな?」
「――は?」

 おじいちゃんはニヤッと笑うと風のように去って行った。一瞬だった。呼び止める暇もなかった。
 ぽかんとした旦那だけが取り残されたが、「なんだったんだ?」と頭を掻きながら休憩室に戻る。室内では、ニケと笠を被ったままの従業員が黄金色の尻尾に戯れていた。
 狐男は助けを求めるように旦那を見上げる。

「旦那~。この子たち、子ども時代の旦那と同じことしてきます~」
「ははっ。ほほ笑ましいではないか」

 笠の従業員は念願叶ったと言わんばかりに狐尾を抱きしめ、ニケは毛の中に両手をボフボフと突っ込んでいる。確かにどちらも子どもの時にやったことがある。

「すぅ―――、はあぁ―――。すう―――、ハァ―――」
「むむ。ランランよりかはしっかりした毛並み」

 赤犬の子はいいとして、尻尾に顔を押しつけて深呼吸を繰り返している兄さんが怖い。暑いはずなのに背中に寒気がした。

「それで、宿の内装を見たいのだったな。今日は臨時休業の予定だったので、好きに見てくれて構わないぞ」
「いいんですか? お母様がその、このようなときに?」

 ささっと尻尾から離れる幼子に頷く。

「ああ。サクラ様のお孫さんを追い返したとおふくろにバレれば、尻をぶっ叩かれてしまうからな」

 ニケの前に座ると、真面目な顔を作る。

「それと――ニケ殿はまさか、ひとりで宿をやってるわけではないのだろう?」

 こくんと頷き、思わず正直に答えてしまう。

「え? はい。ボクと姉とこの従業員の三名です」
「子どもだけですか? なんとまあ……」

 そろそろ尻尾を放してほしそうに、狐男がフリーの着物を引っ張る。
 トマは少し考えこむと、やがて決心したかのように口を開いた。

「なあ、ニケ殿。よければ俺の子にならんか?」

 突然の申し出に、固まったニケとフリーは声も出ない。唯一、狐男だけは「言うと思った」という表情で尻尾を抱いてフリーから距離を取った。
 先に硬直が解けたフリーがトマの犬耳に目を向ける。

「えっと……? それはどういう?」
「言葉の通りだ。俺は嫁がおらず跡取りがいなくてな。近々養子を、と考えていた」

 ちらっと、狐男を睨む。

「そやつがさっさと娘を差し出さないのが悪い。四歳だったか? そろそろあれこれ教えていかなければ、良い女将になれんぞ」
「いやー。娘は猟師になりたがっていまして」
「そんな危険な仕事を娘にさせるな」

 あんたの母親も猟師だろう、という声は無視して、ニケに視線を戻す。

「それで、どうだ? おふくろとも縁があるようだし、子どもだけでは不安だろ? ここにいれば俺たちが守ってやれる。……そういえば、姉がいると言っていたな? よければ見合い相手も紹介するぞ?」

 鈍いフリーでも、トマが焦っているのが伝わってきた。
 フリーは狐耳に目を向ける。

「あの、さっきからトマさんがあなたの娘さんに、勝手なこと言っていますが、いいんですか?」

 ん? と顔をした狐男は、派手に吹き出す。

「んぶふっ……! 言っているだけですよ。旦那は俺の娘にゲロ甘なんでご心配なく」

 トマは拗ねたように目を逸らす。

「ふんっ! せっかく愛らしく生まれたのだ、性格がお前に似ないことを願うぞ」

 軽口を叩き合える和やかな空気に、ニケは一瞬真面目に考えたがすぐに頭を振った。

「ありがとうございます。お気持ちだけもらっておきますね」
「駄目か……」

 両手を床につき、トマはがっくしと項垂れた。
 からかっていた割に狐男が残念そうな眼差しを向けてくる。

「駄目ですか? あ、旦那の顔が気に入りませんか? 子どもだけなのでしょう? そんなん危険ですよ」
「顔っ? い、いえ」

 違うと手を振り、ニケはフリーを指差すと自慢げに言う。

「極めてド阿呆ですけど、用心棒がいるので大丈夫です」
「なんか酷いことを言われた気がする。しかも指さされながら」

 トマと狐男の目が、フリーに向かう。

「……この、ニケ殿より頼りなさそうなのがか?」
「ただの従業員では? 強そうな要素どこ?」

 追加でさらに心えぐられた。
 他人の家でふて寝するフリーに構わず、ニケは胸を張る。

「これまでもやってこられましたし。僕だってもうちょい背が伸びれば、もっと姉ちゃんに頼ってもらえるはずです」

 だから大丈夫だと告げるニケに、トマと狐は不安そうな顔を見合わせる。

「用心棒ねえ」

 トマは納得いかない顔で、寝転んでいるフリーを揺すって起こす。
 腕まくりをし、腕を差し出す。

「どれ、腕相撲でもしてみないか? こう見えて俺は力には自信がある」
「……」

 こう見えてって、どう見ても力があるようにしか見えません。三人の心が一つになった。
 ヒスイのようにごついわけでも、オキンのようにバッキバキというわけでもないが、身体は大きく厚みがある。

「おばば様に鍛えられていますから、一般人にしては強いですよ」

 どこか自慢げに言う狐男にニケの対抗心がわずかに燃える。景気よくフリーに「やれ」と命じたくなったが自重した。乱闘しに来たわけではないのだ。
 ニケが断る前に、フリーが首を横に振った。

「無理です。勝てません。その前に、折れます腕が」

 親指を立て自信満々に敗北宣言をする男に、トマはずるっと肩の着物がずれる。

「おいおい。そんなんでニケ殿を守れるのか?」
「もしかしてスピード特化型、とかですか?」

 わくわくした様子の狐男に、フリーはふふんと腕を組む。

「走ったらよく転びます!」

 トマは真剣にニケの両肩に手を乗せた。

「よかったら知り合いの維持隊を紹介しようか? 性格は適当な奴だが、金さえ払えばきちんと仕事するぞ?」
「この不良品、早く返品してきなさい」
「あー」

 狐耳に首根っこを掴まれ、部屋の外に捨てられそうになる。
 背は高いのだ。これでフリーに威厳や威圧感的なものがあればこんな事態にはならないのだが。

(フリーにそんなもの求めても虚しいだけか)

 それに、ふにゃふにゃしているフリーが嫌いかと言われれば、決してそんなことはない。
 捨てられそうになっている足首を掴むと、自分の方にぐいっと手繰り寄せる。

「これでいいんです。僕には」
「おあー」

 余裕で力負けした狐男までついてきたので、ぽいっとトマの方へ投げる。投げてから、ついクリュのようにやってしまったと反省した。
 飛んできた狐耳を、トマは片手で受け止める。

「す、すげー力。流石赤犬族」
「まあな」
「いや、今のは旦那を褒めたんじゃなくて……」

 喋っている途中の狐男をポイと後ろに捨て、ニケに向き直る。

「では、本当にいいのか?」
「ええ。僕は僕の宿を守ります」

 はっきり告げると、トマはにかっと笑う。

「そうか! 残念だ。だが、何か困ったことがあれば、いつでも尋ねてくるといい。俺が……というか、おふくろが絶対に味方になるからな」

 くすっと笑うニケを抱き上げ、自身の膝に座らせる。

「いいか? この先どんな不幸があっても、自分は一人だ、などと思うなよ? 助けてくれる者は案外いるものだ。たとえ有料だろうと、手は差し伸べてくれる。少なくとも、藍結に味方が一人はいることを忘れるな」
「……」

 同族や子どもだけということもあり、随分心配してくれたのだろう。優しい言葉だった。
 ニケはしっかりと頷く。

「……はい」
「しっかり者に見えるし、余計な言葉だったかな? さて、宿を案内しよう。ついでに昼食も食べていくといい。ああ、宿で一番豪華なものを振舞おう」

 照れくさくなったのか、早口でまくしたてるとそそくさと厨房へ歩いて行った。
 狐男は頭を摩りながら呟く。

「あ、俺が案内するんですね?」
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