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第三十一話・ちゅーしてた
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「ところでフリー。洋服の着方はわかるか?」
ニケも詳しくは知らないが、手伝うくらいなら出来る。
スミもつられて振り返ると、シャツとズボンは身につけたが予想通りボタン全開のままのフリーがいた。濡れた着物を絞っている。
「室内で、着物を、絞るな! 常識ないのか?」
着物をひったくられる。
「だって着物濡れたままなの嫌じゃないですか」
「干せや!」
カンカンに怒っているスミに、「だって……」と左右の人差し指の先端をつんつんと合わせる。
白いシャツに白いズボンのフリー。
ニケは足元にぱたたっと駆け寄る。
「おお。なかなか似合うじゃないか」
「え? そ、そう? 照れるな……」
「すごいぞ。二股に分かれた白ごぼうのようだ」
「ぼっはっ‼」と吹き出す音がする。フリーは一瞬だけ音の発生源を見たが、すぐにしゃがんでニケほっぺをつつく。
「あ、ありがと」
「あとは前を閉めて……。むう。これがボタンというやつか。どうすればいいんだ?」
「こうするんだよ」
ニケの背後に誰かがしゃがみ、顔の左右から両腕が伸びてくる。スミだ。干し終えたらしく、雑に吊るされた着物にランランが猫のようにじゃれついていた。
ひとつずつボタンを穴にくぐらせていく。
その手元を、ふたりはじっと見つめる。
「器用ですね」
「ニケならすぐに出来るようになるさ。……フリーくんは無理だろうけど」
むすっと頬を膨らませる十八歳の腹を強めに叩く。うさぎパンチ。
「うっ?」
「はい。ボタン留めたよ」
腹を押さえた隙に胸ぐらを掴み、首筋に歯を押し当てる。
「ひいっ!」
何が起きたのかすぐには分からなかった。弱い場所に触れる硬いもの。
反射的に突き飛ばそうとするが、スミが離れる方がずっと速い。
スミは上唇を舐める。
「可愛い反応出来るんじゃん」
「ななな、なにを?」
ニケは口をポカーンと開けている。
首筋を押さえてフリーが喚こうとする前に、みしっと踵が落ちた。
「うおっ?」
「このくらいはいいだろ?」
ぐぬぬとなるフリーに、肩を竦める。
「あのなぁ、自分。脅されて、仕事の邪魔されて、仕事場濡らされて。これでまだ維持隊に突き出していない自分って聖人の類じゃね? 感謝しろよ?」
ポッケに両手を突っ込んだまま、ぐりぐりと踵を押しつける。
フリーは目に涙を溜めながらも、その足首を掴む。
「仕事場屋根と壁が一部ないせいで、元々びしょ濡れじゃないですか」
「自然に濡れるのと、たわけに濡らされるのでは腹立ち度が違うわ」
仕事場の床はわずかに傾いており、水が外に流れていく仕掛けになっているため水位が上がっていく心配はない。
「この『首筋に歯を立てる』という行為に何の意味が?」
足を下ろし、ため息をつく。
「お子ちゃまなんだな。ニケの方がよっぽど大人じゃん」
それは、フリーもそう思う。
「ぐうの音も出ませんぐう……」
「出てる出てる」
木箱に腰掛け、仕事に戻る。
端から見れば座っているだけだが、頭の中ではたくさんの案が浮かんでいた。前回は「植物型魔獣・覇王花(だいおうばな)」を、毛で作り上げたが優勝ならず。
技術点は良かったのだが、「ランランの毛色を活かせていない」という、初歩的なミスで準優勝止まりだったのだ。確かに、覇王花は目の覚める赤色。ランランの毛で作れば当然、ぼやけた色の覇王花になってしまう。作っている最中で気がつけよと言いたい。
(とにかくこんな凡ミスを二回もやるわけにはいかない。今回はもっと気合いを入れないと)
なので、本当にこのふたりに構っている場合ではないのだ。
しょんと肩を落とすフリーの、七分丈になっているシャツを引っ張る。
「ニケ?」
「いつの間にスミさんとあんなに仲良くなったんだ?」
雨音だけが響く。
「え? そう? 俺、スミさんと仲良さそうに見える?」
そわそわして自身を指差すと、ニケはしっかりと頷く。
(だって首にちゅーしてたし。油断できん……)
兎衣(ころもうさぎ)族の「歯を押し当てる」行為は相手の不幸を願う意味がある――最近では「あなたが嫌いです」という意味に変わってきた――のだがニケにはキスに見えた。
「そっかぁ。俺とスミさんて、仲良しに見えるんだぁ。嬉しいなぁ」
わざとらしく声を大にする。
何やらスミが鬼の形相でこちらを見てくるが、きっといい案が浮かばないのだろうきっとそうだ。
のんきなフリーの腹にぽこっと拳を当てる。
「こら。なに喜んでんだ」
「え?」
手を後ろで組んで言いづらそうにもじもじと石ころを蹴り、ニケは声を小さくする。
「僕にも……」
――なんでそんな可愛いことを言うのっ! あっあああああああはああっ。
気持ちがたがぶり、制御が効かなかった。
光速でニケに飛びつくと、牛皮のような頬に吸いつく。
「ちゅううううう~っ」
なんというやわらかさ。これ以上のものがこの世界にあるか? いや無い。
ぎゅうぎゅうに抱きしめ、ほっぺを吸ったり、甘噛みしたり、頬ずりしたりと忙しい。
(ふんっ。言われないとしないなんて、気の利かないやつだ)
ニケにとっては慣れたことでも、スミにとっては突然の出来事だった。
満面の笑みも、スミからは後ろ姿しか見えない。当然、ニケがペド野郎(思春期以前の子どもに対し性的関心を持つ人)に襲われていると判断してしまう。
「助けねば」という思いが先行し、揺れる尻尾に気がつかなかった。
木箱を蹴とばす勢いで立ち上がると、ポ〇モントレーナーのようにバッと腕を突き出す。
「いけっ! 花子。白髪野郎に突進っ」
『ロォ~ロロロ~』
某メロン味の菓子パンヒロインのようなハイトーンボイスで鳴くと、花子(オス)は見かけを裏切る力強さで石床を蹴った。
「え?」
咄嗟にニケから手を離す。
砲弾のように迫る白い雲に、フリーは扉ごと大雨の中へ吹っ飛ばされた。
「ッアーー!」
借りた服は泥だらけと化した。これに激怒したのはスミだった。
「なに自分の服汚してくれてんだ。死なすぞ君ィ!」
「俺が悪いんですかっ?」
大雨のなかじゃれ合っている(ニケ視点)ふたりを、花子と共に眺める。
襲われていたわけではないと誤解を解きたいのだが、大雨の中に戻るの嫌だなという思いから外に出られない。ここから大声を出したとて、衣兎族の耳でもこの大雨では正確に聞き取れないだろうし。というか、いまは聞こえないだろう。
比較的濡れていない床の上に木箱を持っていき、その上に座ってじゃれ合いが終わるのを待った。スミさん、大会まで時間がないと言っていたのに、遊んでいていいのだろうか。
『ロロロォ~ロロ~』
「ん? 僕はもふもふをそこまで好きじゃないから、すり寄ってくるな」
どちらかと言うと、もふもふされる側が好みだ。もちろん親しい人限定、だが。
『ロロロロ』
「餌なんて持ってないぞ」
しっしっと手を振って追い払うも、花子はニケが気になるようだ。何度も頭突きだか体当たりだか分からん攻撃をしてくる。その度にニケは「うぐっ」「やめい」「毛が口に入っ……」と声を上げ、徐々に強めに押し返していく。が、花子は懲りない。
獣ながら加減する知能はあるようで、痛くはない。痛くはないが、
「こら。だからくすぐったいっ……っ、ぺぷちっ!」
『ロロロォ~』
どうやらニケのくしゃみが聞きたかったらしい。勝ったと言わんばかりに身体を揺らす花子に、据わった目で鼻をすすりながら拳を振り下ろした。
「こんなことをしている場合ではないんだ!」
正気を取り戻したスミが、フリーを放置して仕事場に戻ってくる。彼もずぶ濡れだった。
「待たせてすまない、花子。今すぐカットを……」
彼が見たものは、仕事場の床に半分埋まる花子と、やっちまったと冷や汗を流しているニケだった。
瞬きもしないスミと目が合ったニケは、あせあせと目を泳がせる。泳がせた割には素直に頭を下げた。
「す、すみません。つい、フリーにやる感覚でごつんと……」
「……」
――ランランを怪我させるとレンタル料の三倍の額を請求される……――
蓄積された心労(ストレス)が許容量を超えたのか、スミは仰向けに倒れた。
ニケも詳しくは知らないが、手伝うくらいなら出来る。
スミもつられて振り返ると、シャツとズボンは身につけたが予想通りボタン全開のままのフリーがいた。濡れた着物を絞っている。
「室内で、着物を、絞るな! 常識ないのか?」
着物をひったくられる。
「だって着物濡れたままなの嫌じゃないですか」
「干せや!」
カンカンに怒っているスミに、「だって……」と左右の人差し指の先端をつんつんと合わせる。
白いシャツに白いズボンのフリー。
ニケは足元にぱたたっと駆け寄る。
「おお。なかなか似合うじゃないか」
「え? そ、そう? 照れるな……」
「すごいぞ。二股に分かれた白ごぼうのようだ」
「ぼっはっ‼」と吹き出す音がする。フリーは一瞬だけ音の発生源を見たが、すぐにしゃがんでニケほっぺをつつく。
「あ、ありがと」
「あとは前を閉めて……。むう。これがボタンというやつか。どうすればいいんだ?」
「こうするんだよ」
ニケの背後に誰かがしゃがみ、顔の左右から両腕が伸びてくる。スミだ。干し終えたらしく、雑に吊るされた着物にランランが猫のようにじゃれついていた。
ひとつずつボタンを穴にくぐらせていく。
その手元を、ふたりはじっと見つめる。
「器用ですね」
「ニケならすぐに出来るようになるさ。……フリーくんは無理だろうけど」
むすっと頬を膨らませる十八歳の腹を強めに叩く。うさぎパンチ。
「うっ?」
「はい。ボタン留めたよ」
腹を押さえた隙に胸ぐらを掴み、首筋に歯を押し当てる。
「ひいっ!」
何が起きたのかすぐには分からなかった。弱い場所に触れる硬いもの。
反射的に突き飛ばそうとするが、スミが離れる方がずっと速い。
スミは上唇を舐める。
「可愛い反応出来るんじゃん」
「ななな、なにを?」
ニケは口をポカーンと開けている。
首筋を押さえてフリーが喚こうとする前に、みしっと踵が落ちた。
「うおっ?」
「このくらいはいいだろ?」
ぐぬぬとなるフリーに、肩を竦める。
「あのなぁ、自分。脅されて、仕事の邪魔されて、仕事場濡らされて。これでまだ維持隊に突き出していない自分って聖人の類じゃね? 感謝しろよ?」
ポッケに両手を突っ込んだまま、ぐりぐりと踵を押しつける。
フリーは目に涙を溜めながらも、その足首を掴む。
「仕事場屋根と壁が一部ないせいで、元々びしょ濡れじゃないですか」
「自然に濡れるのと、たわけに濡らされるのでは腹立ち度が違うわ」
仕事場の床はわずかに傾いており、水が外に流れていく仕掛けになっているため水位が上がっていく心配はない。
「この『首筋に歯を立てる』という行為に何の意味が?」
足を下ろし、ため息をつく。
「お子ちゃまなんだな。ニケの方がよっぽど大人じゃん」
それは、フリーもそう思う。
「ぐうの音も出ませんぐう……」
「出てる出てる」
木箱に腰掛け、仕事に戻る。
端から見れば座っているだけだが、頭の中ではたくさんの案が浮かんでいた。前回は「植物型魔獣・覇王花(だいおうばな)」を、毛で作り上げたが優勝ならず。
技術点は良かったのだが、「ランランの毛色を活かせていない」という、初歩的なミスで準優勝止まりだったのだ。確かに、覇王花は目の覚める赤色。ランランの毛で作れば当然、ぼやけた色の覇王花になってしまう。作っている最中で気がつけよと言いたい。
(とにかくこんな凡ミスを二回もやるわけにはいかない。今回はもっと気合いを入れないと)
なので、本当にこのふたりに構っている場合ではないのだ。
しょんと肩を落とすフリーの、七分丈になっているシャツを引っ張る。
「ニケ?」
「いつの間にスミさんとあんなに仲良くなったんだ?」
雨音だけが響く。
「え? そう? 俺、スミさんと仲良さそうに見える?」
そわそわして自身を指差すと、ニケはしっかりと頷く。
(だって首にちゅーしてたし。油断できん……)
兎衣(ころもうさぎ)族の「歯を押し当てる」行為は相手の不幸を願う意味がある――最近では「あなたが嫌いです」という意味に変わってきた――のだがニケにはキスに見えた。
「そっかぁ。俺とスミさんて、仲良しに見えるんだぁ。嬉しいなぁ」
わざとらしく声を大にする。
何やらスミが鬼の形相でこちらを見てくるが、きっといい案が浮かばないのだろうきっとそうだ。
のんきなフリーの腹にぽこっと拳を当てる。
「こら。なに喜んでんだ」
「え?」
手を後ろで組んで言いづらそうにもじもじと石ころを蹴り、ニケは声を小さくする。
「僕にも……」
――なんでそんな可愛いことを言うのっ! あっあああああああはああっ。
気持ちがたがぶり、制御が効かなかった。
光速でニケに飛びつくと、牛皮のような頬に吸いつく。
「ちゅううううう~っ」
なんというやわらかさ。これ以上のものがこの世界にあるか? いや無い。
ぎゅうぎゅうに抱きしめ、ほっぺを吸ったり、甘噛みしたり、頬ずりしたりと忙しい。
(ふんっ。言われないとしないなんて、気の利かないやつだ)
ニケにとっては慣れたことでも、スミにとっては突然の出来事だった。
満面の笑みも、スミからは後ろ姿しか見えない。当然、ニケがペド野郎(思春期以前の子どもに対し性的関心を持つ人)に襲われていると判断してしまう。
「助けねば」という思いが先行し、揺れる尻尾に気がつかなかった。
木箱を蹴とばす勢いで立ち上がると、ポ〇モントレーナーのようにバッと腕を突き出す。
「いけっ! 花子。白髪野郎に突進っ」
『ロォ~ロロロ~』
某メロン味の菓子パンヒロインのようなハイトーンボイスで鳴くと、花子(オス)は見かけを裏切る力強さで石床を蹴った。
「え?」
咄嗟にニケから手を離す。
砲弾のように迫る白い雲に、フリーは扉ごと大雨の中へ吹っ飛ばされた。
「ッアーー!」
借りた服は泥だらけと化した。これに激怒したのはスミだった。
「なに自分の服汚してくれてんだ。死なすぞ君ィ!」
「俺が悪いんですかっ?」
大雨のなかじゃれ合っている(ニケ視点)ふたりを、花子と共に眺める。
襲われていたわけではないと誤解を解きたいのだが、大雨の中に戻るの嫌だなという思いから外に出られない。ここから大声を出したとて、衣兎族の耳でもこの大雨では正確に聞き取れないだろうし。というか、いまは聞こえないだろう。
比較的濡れていない床の上に木箱を持っていき、その上に座ってじゃれ合いが終わるのを待った。スミさん、大会まで時間がないと言っていたのに、遊んでいていいのだろうか。
『ロロロォ~ロロ~』
「ん? 僕はもふもふをそこまで好きじゃないから、すり寄ってくるな」
どちらかと言うと、もふもふされる側が好みだ。もちろん親しい人限定、だが。
『ロロロロ』
「餌なんて持ってないぞ」
しっしっと手を振って追い払うも、花子はニケが気になるようだ。何度も頭突きだか体当たりだか分からん攻撃をしてくる。その度にニケは「うぐっ」「やめい」「毛が口に入っ……」と声を上げ、徐々に強めに押し返していく。が、花子は懲りない。
獣ながら加減する知能はあるようで、痛くはない。痛くはないが、
「こら。だからくすぐったいっ……っ、ぺぷちっ!」
『ロロロォ~』
どうやらニケのくしゃみが聞きたかったらしい。勝ったと言わんばかりに身体を揺らす花子に、据わった目で鼻をすすりながら拳を振り下ろした。
「こんなことをしている場合ではないんだ!」
正気を取り戻したスミが、フリーを放置して仕事場に戻ってくる。彼もずぶ濡れだった。
「待たせてすまない、花子。今すぐカットを……」
彼が見たものは、仕事場の床に半分埋まる花子と、やっちまったと冷や汗を流しているニケだった。
瞬きもしないスミと目が合ったニケは、あせあせと目を泳がせる。泳がせた割には素直に頭を下げた。
「す、すみません。つい、フリーにやる感覚でごつんと……」
「……」
――ランランを怪我させるとレンタル料の三倍の額を請求される……――
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