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第二十八話・生くりぃむ
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確かにわざわざ僕の真正面にしゃがんでいたな。
「ほら。ニケって尋常ならざる可愛さだし。もぐもぐ……。ニケのこと嫌いになるヒトなんていないし」
――すでにいるぞ。オッドアイの蝙蝠野郎がな。
思い出しただけで腹立つので、じっと小鉢を見つめる。
小鉢自体が氷のように冷たい。この季節、氷を用意するだけで一苦労なのに、匙や器まで冷やし、長く氷を楽しめる配慮までしてある。ニケの宿は場所が場所なので、外に出て十秒で氷を用意できるが、普段なら冬の間に山中で作った氷を持ち、おっちらおっちら下山して氷室で保存しておかなくてはならない。
重いしのんびりしていたら溶けるし、かなりの重労働だ。
ただで食っていいものではないのだが。本当にお金払わなくていいのだろうか。
「……だし、ぱっちりお目目に桃色の唇。髪の毛はつやっつやだし、尻尾はふわふわしているけど根元の方がちくちくしていて、触っていて飽きないし。利発で大人顔負けの礼儀正しさに、かっけぇ低い声まで備えておいて、怖がりで甘えん坊って差が」
で、こやつはいつまで僕賛美をしているのだろうか。
あと、僕は怖がりじゃない。幽霊が苦手なだけだ。
「小さいのに一人で……じゃなくてお姉さんとふたりで、宿を守っているところがかっこよくて、俺は尊敬してる」
「……」
殴ろうと握った拳から力が抜ける。
「いい加減黙れ。誰かが通りかかったら変人扱いされるぞ。お前さんは変人だけど」
何故かニケが顔を背けるから表情が分からない。怒った――わけじゃなさそうなんだよね。尻尾揺れてるし。
観察しているとニケは小鉢にくんくんと鼻を近づける。
「この白いのはなんだ? 生くりぃむと言っていたが、聞いたことないな」
「あの、ニケさん。こっち向いて喋ってくれませんか? 最強のニケほっぺが見えないんですけど」
「あっ」
フリーが肩を掴んだ反動で、鼻先がくりぃむに埋まってしまう。すぐ顔を上げたが、ふわっとした物体が鼻についてしまっている。甘い香りが胸いっぱいに広がる。
ぷるぷると頭を振るが取れない。両手が塞がっているため指で拭うことも出来ない。
どうしてくれるんだと、きっとフリーを見る。鼻の頭に白い泡のようなものをつけたニケの破壊力は凄まじく。フリーは椅子から転げ落ちた。
「や、やめて! そんな犯罪的に可愛いことをしないで」
「お前さんのせいだろが」
ケッと尻を蹴っておく。
「いいから早く、これどうにかせんかい」
自分で拭くという選択肢はない。フリーのせいなんだから、彼が取るべきだ。うむ。
やっと発作が収まったフリーは片手で小鉢を持ち、反対の手で泡(生くりぃむ)をすくい取った。
それを躊躇なくぱくっと口に入れる。
……そして顔色を悪くした。
「ううっ。甘い」
「アホめ」
指をくわえたままフリーはじっとニケを見下ろす。
「……そんなほくほく笑顔で「アホめ」と言われても……」
「えっ?」
どんな顔をしている? 咄嗟に頬を押さえたかったが、手が塞がっている。まじまじと覗き込んでくる白髪の顔面に足を乗せる。
「覗き込むな。椅子に戻れ。いつまで床に座ってんだ」
「ありがとうございます」
照れた様子で鼻の下を指で擦るフリーに、処置なしと諦めて匙で凍った果物を掬う。
ぱくっ。
「っ、ちべたい!」
甘くて美味しい。この白い泡の正体は不明だが、黒蜜に比べるとさらっとした甘さが、水分の多い果物と調和している。
瞳をキラキラさせるニケを凝視しつつ、フリーも氷果実を平らげる。
「この白いのと黒蜜あげる」
「は?」
「白いの」と言われたので一瞬、「え? フリーをくれるの? すでに僕のモノなのに?」と思ってしまった。
覗くと、小鉢に生くりぃむと黒蜜だけがきれいに残っている。
「しょうがないなぁ。もらってやろう」
「ありがと」
小鉢を傾け、中身をニケの氷果実の上にかけるように落とす。
豪華になった氷果実に、ニケの手の速度が上がる。
「お前さん。何で甘いものが駄目なんだ? 嫌な思い出でも……あるのか?」
「美味しいとは思うんだけどね? 食べると胸やけがするっていうか」
「わかった。もういい」
フリーの目が笑ってない。
「ニケは? どうなの?」
「僕か? 僕は苦いものが、ちょっと苦手だな」
「アキチカさんみたいだね」
ニケは首を傾げる。
「? 神使殿、そんなこと言っていたか……? ああ、翁の薬を嫌がっていたな」
匙で山盛りに掬い、あむっと頬張る。
――こやつ、何気に記憶力良いよな。
翁が、そういえば人族は知能が高いとおっしゃっていたな。あれ本当だったのか。
今まで空っぽの器だったから阿呆で間抜けな面が目立っていただけで、このまま知識を吸収していけばどうなるか。
「うーむ。見てみたいが、阿呆で間抜けじゃないフリーなんざ、魅力半減だな」
「なんで俺いま、罵られたの?」
「? 褒めてやったんだろう? 感謝しろ」
「あ、ありがとう?」
しかし顔色は良くなっている。冷たいものを摂取して、体温が下がったのだろう。
ずっと見られていて食べ辛かったが、小鉢が空になったあたりで、また違う女中がやってくる。
「いかがでしたでしょうか? 料理の味は」
「あ、はい。美味しかったです」
「ご馳走様です~。おかげで元気出ました」
手を振るフリーに「はしゃぐな」と注意しつつ、空になった小鉢を返す。
「それはようございます」
女中さんが頭を下げたと同時、空が鳴った。
ゴロゴロゴロ……
「ひっ」
びくっと肩を震わせた女中さんが顔を赤くする。雷に驚いてしまったことが恥ずかしかったようだ。ニケもそんなに雷は得意な方ではない(怖くないが音がうるさいからな。怖くはない)が、最近はやや平気になってきた。隣の人のせいだろう。
風が強さを増してくる。
フリーは「あんなに晴れてたのに、雷⁉」と、外を見て騒いでいるので、誰も女中さんをからかったりはしなかった。
女中さんは安心したように立ち上がる。
「それでは失礼いたします。何かあれば、声をかけてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
去って行く女中さん。礼を言いながらニケはもう一度「はしゃぐな」と白い着物を引っ張る。
「この時期は天気が崩れやすくなることが多いんだ。晴れていても油断するな。遠くに黒い雲が見えたら、天気が急変すると思え」
「え? なんで?」
――はあ。自分で調べるということを覚えろシイタケが。
「野分の月の『野分』は秋の暴風や台風という意味で、この季節、やたらと台風が多いからこの名になったという説だ」
言ってから、ニケは頭を抱えた。
また、甘やかしてしまった。
項垂れるニケに「頭痛いの?」とフリーが背中を撫でてくる。
「じゃあ、この季節は急に雨が降ると覚えておけばいいんだね?」
「ああ。ついでに風も強くなるから、空が怪しいときは外出するな」
どおおん……ゴロゴロゴロ……
雷の足音が近づいてきたように思う。
ニケはぎゅっと腕にしがみつく。
「ニケ? どうしたの?」
「怖いの?」と聞いてこないあたり、フリーにとって雷は恐怖の対象ではないようだ。
「フリーは雷、怖くないのか? 僕は火を扱えるが、やはり火は怖いぞ」
「え……? 火が怖いのに焼き魚とか作ってくれていたの? ありがとう」
そうじゃない。
ぎろっと睨み上げるがフリーは怯んだりしなかった。くっついているせいで迫力減なのだろう。
自身の顎を撫でつつ、フリーは外に目をやる。
「雷は怖くないよ? むしろ大きい音が鳴れば鳴るほど、心がスッとして気持ちいいんだ」
「はあ……。やはり変態の思考回路は常人には理解できんな」
「変人から変態に昇格出来た気がする」
なんで昇格したと思えるのかは謎だが、ニケは口には出さなかった。
「雨が降る前に、帰った方が良いのかな?」
「お前さん、体調は? もう歩けそうか?」
視線を外からニケに戻す。
「うん。冷たいもの食べて落ち着いたし、雷鳴ったあたりで全回復したよ。もう大丈夫」
よしよしと頭を撫でる。ニケは目を細めるが、腕から離れない。
こうして喋っている間も、鈍い音が鳴り続けているのだ。手放し時が見つからないのだろう。耳をぺたんと倒している。
「ほら。ニケって尋常ならざる可愛さだし。もぐもぐ……。ニケのこと嫌いになるヒトなんていないし」
――すでにいるぞ。オッドアイの蝙蝠野郎がな。
思い出しただけで腹立つので、じっと小鉢を見つめる。
小鉢自体が氷のように冷たい。この季節、氷を用意するだけで一苦労なのに、匙や器まで冷やし、長く氷を楽しめる配慮までしてある。ニケの宿は場所が場所なので、外に出て十秒で氷を用意できるが、普段なら冬の間に山中で作った氷を持ち、おっちらおっちら下山して氷室で保存しておかなくてはならない。
重いしのんびりしていたら溶けるし、かなりの重労働だ。
ただで食っていいものではないのだが。本当にお金払わなくていいのだろうか。
「……だし、ぱっちりお目目に桃色の唇。髪の毛はつやっつやだし、尻尾はふわふわしているけど根元の方がちくちくしていて、触っていて飽きないし。利発で大人顔負けの礼儀正しさに、かっけぇ低い声まで備えておいて、怖がりで甘えん坊って差が」
で、こやつはいつまで僕賛美をしているのだろうか。
あと、僕は怖がりじゃない。幽霊が苦手なだけだ。
「小さいのに一人で……じゃなくてお姉さんとふたりで、宿を守っているところがかっこよくて、俺は尊敬してる」
「……」
殴ろうと握った拳から力が抜ける。
「いい加減黙れ。誰かが通りかかったら変人扱いされるぞ。お前さんは変人だけど」
何故かニケが顔を背けるから表情が分からない。怒った――わけじゃなさそうなんだよね。尻尾揺れてるし。
観察しているとニケは小鉢にくんくんと鼻を近づける。
「この白いのはなんだ? 生くりぃむと言っていたが、聞いたことないな」
「あの、ニケさん。こっち向いて喋ってくれませんか? 最強のニケほっぺが見えないんですけど」
「あっ」
フリーが肩を掴んだ反動で、鼻先がくりぃむに埋まってしまう。すぐ顔を上げたが、ふわっとした物体が鼻についてしまっている。甘い香りが胸いっぱいに広がる。
ぷるぷると頭を振るが取れない。両手が塞がっているため指で拭うことも出来ない。
どうしてくれるんだと、きっとフリーを見る。鼻の頭に白い泡のようなものをつけたニケの破壊力は凄まじく。フリーは椅子から転げ落ちた。
「や、やめて! そんな犯罪的に可愛いことをしないで」
「お前さんのせいだろが」
ケッと尻を蹴っておく。
「いいから早く、これどうにかせんかい」
自分で拭くという選択肢はない。フリーのせいなんだから、彼が取るべきだ。うむ。
やっと発作が収まったフリーは片手で小鉢を持ち、反対の手で泡(生くりぃむ)をすくい取った。
それを躊躇なくぱくっと口に入れる。
……そして顔色を悪くした。
「ううっ。甘い」
「アホめ」
指をくわえたままフリーはじっとニケを見下ろす。
「……そんなほくほく笑顔で「アホめ」と言われても……」
「えっ?」
どんな顔をしている? 咄嗟に頬を押さえたかったが、手が塞がっている。まじまじと覗き込んでくる白髪の顔面に足を乗せる。
「覗き込むな。椅子に戻れ。いつまで床に座ってんだ」
「ありがとうございます」
照れた様子で鼻の下を指で擦るフリーに、処置なしと諦めて匙で凍った果物を掬う。
ぱくっ。
「っ、ちべたい!」
甘くて美味しい。この白い泡の正体は不明だが、黒蜜に比べるとさらっとした甘さが、水分の多い果物と調和している。
瞳をキラキラさせるニケを凝視しつつ、フリーも氷果実を平らげる。
「この白いのと黒蜜あげる」
「は?」
「白いの」と言われたので一瞬、「え? フリーをくれるの? すでに僕のモノなのに?」と思ってしまった。
覗くと、小鉢に生くりぃむと黒蜜だけがきれいに残っている。
「しょうがないなぁ。もらってやろう」
「ありがと」
小鉢を傾け、中身をニケの氷果実の上にかけるように落とす。
豪華になった氷果実に、ニケの手の速度が上がる。
「お前さん。何で甘いものが駄目なんだ? 嫌な思い出でも……あるのか?」
「美味しいとは思うんだけどね? 食べると胸やけがするっていうか」
「わかった。もういい」
フリーの目が笑ってない。
「ニケは? どうなの?」
「僕か? 僕は苦いものが、ちょっと苦手だな」
「アキチカさんみたいだね」
ニケは首を傾げる。
「? 神使殿、そんなこと言っていたか……? ああ、翁の薬を嫌がっていたな」
匙で山盛りに掬い、あむっと頬張る。
――こやつ、何気に記憶力良いよな。
翁が、そういえば人族は知能が高いとおっしゃっていたな。あれ本当だったのか。
今まで空っぽの器だったから阿呆で間抜けな面が目立っていただけで、このまま知識を吸収していけばどうなるか。
「うーむ。見てみたいが、阿呆で間抜けじゃないフリーなんざ、魅力半減だな」
「なんで俺いま、罵られたの?」
「? 褒めてやったんだろう? 感謝しろ」
「あ、ありがとう?」
しかし顔色は良くなっている。冷たいものを摂取して、体温が下がったのだろう。
ずっと見られていて食べ辛かったが、小鉢が空になったあたりで、また違う女中がやってくる。
「いかがでしたでしょうか? 料理の味は」
「あ、はい。美味しかったです」
「ご馳走様です~。おかげで元気出ました」
手を振るフリーに「はしゃぐな」と注意しつつ、空になった小鉢を返す。
「それはようございます」
女中さんが頭を下げたと同時、空が鳴った。
ゴロゴロゴロ……
「ひっ」
びくっと肩を震わせた女中さんが顔を赤くする。雷に驚いてしまったことが恥ずかしかったようだ。ニケもそんなに雷は得意な方ではない(怖くないが音がうるさいからな。怖くはない)が、最近はやや平気になってきた。隣の人のせいだろう。
風が強さを増してくる。
フリーは「あんなに晴れてたのに、雷⁉」と、外を見て騒いでいるので、誰も女中さんをからかったりはしなかった。
女中さんは安心したように立ち上がる。
「それでは失礼いたします。何かあれば、声をかけてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
去って行く女中さん。礼を言いながらニケはもう一度「はしゃぐな」と白い着物を引っ張る。
「この時期は天気が崩れやすくなることが多いんだ。晴れていても油断するな。遠くに黒い雲が見えたら、天気が急変すると思え」
「え? なんで?」
――はあ。自分で調べるということを覚えろシイタケが。
「野分の月の『野分』は秋の暴風や台風という意味で、この季節、やたらと台風が多いからこの名になったという説だ」
言ってから、ニケは頭を抱えた。
また、甘やかしてしまった。
項垂れるニケに「頭痛いの?」とフリーが背中を撫でてくる。
「じゃあ、この季節は急に雨が降ると覚えておけばいいんだね?」
「ああ。ついでに風も強くなるから、空が怪しいときは外出するな」
どおおん……ゴロゴロゴロ……
雷の足音が近づいてきたように思う。
ニケはぎゅっと腕にしがみつく。
「ニケ? どうしたの?」
「怖いの?」と聞いてこないあたり、フリーにとって雷は恐怖の対象ではないようだ。
「フリーは雷、怖くないのか? 僕は火を扱えるが、やはり火は怖いぞ」
「え……? 火が怖いのに焼き魚とか作ってくれていたの? ありがとう」
そうじゃない。
ぎろっと睨み上げるがフリーは怯んだりしなかった。くっついているせいで迫力減なのだろう。
自身の顎を撫でつつ、フリーは外に目をやる。
「雷は怖くないよ? むしろ大きい音が鳴れば鳴るほど、心がスッとして気持ちいいんだ」
「はあ……。やはり変態の思考回路は常人には理解できんな」
「変人から変態に昇格出来た気がする」
なんで昇格したと思えるのかは謎だが、ニケは口には出さなかった。
「雨が降る前に、帰った方が良いのかな?」
「お前さん、体調は? もう歩けそうか?」
視線を外からニケに戻す。
「うん。冷たいもの食べて落ち着いたし、雷鳴ったあたりで全回復したよ。もう大丈夫」
よしよしと頭を撫でる。ニケは目を細めるが、腕から離れない。
こうして喋っている間も、鈍い音が鳴り続けているのだ。手放し時が見つからないのだろう。耳をぺたんと倒している。
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