ニケの宿

水無月

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第八話・教育の場

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「ニケは何食べたい?」
「焼き魚か肉が食べたい。お前さんを焼いたら美味しいかな?」
「ニケに食われるなら本望です」

 ご飯の香りを嗅ぎつけたらしいニケが指さす方向に歩いていると、後ろから声をかけられた。

「これこれ。そこの者。待ちんしゃい」
「え?」

 素直に振り返ると、一人の男性が小走りで駆け寄ってきた。七福神が一、大黒天のようにふっくらした優しそうな顔つき。背は低いが、豪華な着物を身につけている。
 品定めするように見てくる中年っぽい男性に、ニケはめんどくさい気配を察知した。

「おおっ。おおっ。なんという、見事な白髪! 見たところ職を探しに上京してきた田舎者……いやいや、働き者といったところ。どうかね? 私の店で働かんかね?」

 「さあさあ、早く」と言いながら、自分の店に招こうとフリーの背中を押す。何を焦っているのかと思えば、他にもフリーを見ている者たちがいる。商売敵か。中には嫌な雰囲気、例えば奴隷商人だろうか。も混じっているようである。

(奴隷商人って、まさかな。僕の考えすぎだといいが)

 だがもし、人攫いの類だとしたら……そこまで考えて、ニケはため息をついた。こやつを攫おうとするならレナを上回る武力か、質の良いほっぺが不可欠だ。奴らが持っているとは考えにくい。
 フリーは訳が分からず、「え? え?」っと、促されるままついていこうとしている。知らないヒトについていくなと尻叩いておかなければ。あとで。
 ここで「飯屋を探しているので結構です」と断れば、「ぜひ我が家で食事を!」とか言われそうな気がする。言われないかもしれないが、空腹からニケは気が短くなっていた。
 ぴょんとフリーの腕から飛び降りる。

「申し訳ありませんが、病気の叔母に薬を届ける最中でして。失礼します」
「え?」

 そういうと、ニケはすたこらさっさと駆け出す。当然、ニケが走ればフリーもついてくる。

「あ、ああ。白髪があ……」

 大黒様(違)は寂しそうだったが、追いかけてはこなかった。ニケの一言が効いたのだろう。
 ニケはフリーが付いてこられる速度で走り続け、そのまま飯屋に直行した。
 飯の準備をするのは一苦労だ。職を探しにやってきた独身男のために、首都には食事処が多数ある。中でも人気なのが酒が飲めるところで、後の居酒屋である。
 外に椅子はなかったので、店内で食べることとする。椅子に座りキリッとした表情で涎を垂らしているニケと、それを無我の境地で見つめているフリー。
 フリーの頭に笠を乗せておいたので、向けられる視線の数はぐっと減った。店内でも笠を取らない変な奴、と思われているかもだが、その程度だ。

(リーンさんから麦わら帽子、借りてこればよかった)

 あれはフリーによく似合っていた。
 ミナミのように髪を染めるという手もあるが、ニケは染料のにおいが苦手だ。フリーにくっつきにくくなる。
 そうこうしていると、もり蕎麦が運ばれてきた。もり蕎麦とざるそばの違いは、上に海苔が乗っているか否かの差だという(諸説あり)。
 この店のオリジナルだろうか。甘辛く煮た魚の切り身が二切れ、蕎麦の上に乗せてある。汁は濃いめの味付け。

「「いただきます」」

 やっと飯にありつけたお子様は、上機嫌でつるつると啜っていく。
 慣れない「麺」を口に入れようとするフリーの食べ方は悲惨であったが、箸を知らないときから比べると上達したと思う。蕎麦を知らないようで、汁をそのまま飲もうとしていたので焦って止めた。

「待てえ! 飲むな。この汁に麵をつけて食うんだ。こんな風に」
「へええ」

 つるつる。

「「ごちそうさま」」

 暑さで食欲が落ち気味だったフリーが珍しく完食した。
 ニケはわざわざ隣に移動し、弟にするように……頭に笠が陣取っているので頬を撫でて褒めてやる。

「全部食べたな。偉いぞ」
「えへへ。褒められちった」

 にっこにこの笑顔を見ているだけで嬉しくなる。蕎麦湯を飲んで一息つき、情報収集をしようと席を立つ。

「せっかく首都に来たんだし。もっと遊びたいな~」

 夏の間遊ばせまくったからだろうか。フリーはすっかり色んなものに興味を持つようになっていた。いまも首都の色んな所に行きたいと、顔に書いてある。

「気持ちは分かるが、先にスミさんを見つけないと。スミさんに首都案内してもらった方がいいだろ」
「そうだね」

 よしよし。聞き分けのいいやつだ。
 代金を支払い外に出ると、空は青く晴れ渡っていた。

「あっぢい……」
「大丈夫か? 頭痛いか? 手足痙攣するか? 吐き気は?」

 キミカゲのようなことを聞いてくるニケに、鈴蘭柄のうちわで扇ぎながら苦笑する。

「ううん。ない。頭痛も吐き気も手足のしびれも。平気平気」
「何かあればすぐに知らせるんだぞ? 水路に叩き落としてやるからな」

 物やヒトを運ぶ水路の水は澄んでおり、とても冷たそうだ。いくつもの小型の船が行き交い、足湯ならぬ足水をしている子どもたちもいる。

「あの、叩き落とされた方がダメージでかそうなんですが……」

 すごく優しい、こちらを心配する声音で「水に叩き落とす」と言われても。恐怖が勝つんです。
 引きつったフリーの声は届かなかったようだ。てくてく歩く背中についていく。

「さっさと歩いてるけど、スミさんのにおいを辿れるものなの?」
「まあ、スミさんのにおいは覚えているから余裕、と言いたいが。流石にヒトが多いな……」

 現在地は五区。
 五区を象徴するものと言えば、上向きに弓なりの形をしている大きな橋。
 派手な装飾もないのに美しいと思える。この琴谷橋(ことたにばし)を渡り、十二区を目指す。
 ここのヒトは足が速いのかせっかちなのか、よくぶつかりそうになる。
 ニケは振り返ることなく言う。

「おい。スリや置き引きに気をつけろよ?」
「……」
「えっと。他人の物を盗む奴らのことだ。スリなんかはすれ違い様に物を盗っていく。その技術を他で活かせよと言いたくなるくらい、芸術的な手腕の者もいるからな」

 フリーは小型鞄の紐をぎゅっと握り、風呂敷は胸の前で抱える。

「荷物から意識を離すなってことね?」
「そうそう」

 迷いない足取りで進んでいくニケにひたすらついていく。逆カルガモ親子みたいになっていると、曲がり角で誰かとぶつかった。ニケはひょいと躱したので、フリーがぶつかった。

「おっふ」
「うおっ……いってえな。どこに目ぇつけてやがんだ!」

 見るからにガラの悪そうなおヒトとぶつかってしまった。ニケの「何ぶつかってんだ。よけろよ」と言いたげな目つきがイタイ。心が。
 俺はそんな、反射神経がニケみたいに良く……

「なにシカトこいてんだ。てめぇ!」

 目と目で会話していたら、無視されたと感じた男性が掴みかかってきた。

(ひええっ。どうしよう!)

 あわあわと周囲を見回す。ヒトに教えてもらう機会が多いフリーは、何かあれば「どう対処すべきか」をも、他者に教えてもらおうとする癖がついてしまった。つまり、自分で考えて判断しない、動かないということだ。
 分からなくもない。責任も背負わず、ヒトの指示だけ聞いていればいいというのは、確かに楽だ。
 しかしフリーをイエスマンや指示待ち人間にするつもりはない。自分の意志で考え動く使える従業員になってくれないと困る。
 甘やかしてはいけないと、ニケはあえて目線を逸らして他人のふりをした。フリーはガーンとショックを受けたようだったが、これも教育。

 ――見捨てずに見守ってやるから安心しろ。

 ちらちらと、フリーが助けを求めてくるが、心を鬼にして突き放す。

「ぷいっ」
(ううっ。ニケにそっぽ向かれた。愛想つかされたんだ……どうしよう)

 泣きそうになっていると、男は拳を振り上げた。

「なんか言えやああっ」
(そんな、先輩みたいなこと言われてもっ)

 殴られていないのに泡を吹きそうになっていると、男がピタリと止まった。

「……な、なんだぁ、てめぇ……」
「?」

 男はフリーの金緑の瞳を見上げ、顔を赤くし後退っていく。頬を掻きながらばつが悪そうに何かつぶやくと、さっと走り去った。声をかける間もなかった。

「ど、どうしたんだろう?」

 本当に分からない。

「さあ? お前さんの無駄にある上背にビビったんじゃないのか?」

 適当な返事をし、くるりと背を向け歩き出す。

(こやつ、アホで変態度高いがきれいな瞳をしているからな……)

 瞳の方は珍しい色ではないのだが、無知な分、子どものようにきらきらしているのだ。大人の目が濁っているというわけではないが、濁っているヒトもいるが、子ども特有の輝きがある。
 ていうか、逃げるなよ! 絡んだのなら最後まで責任をもって絡んでほしい。せっかくのフリーの教育の場が!

(……まあ、えっか)

 治安の悪い場所へ行くんだし、今後もこういう機会はある、はずだ。
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