ニケの宿

水無月

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第七話・首都到着

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 豪雨の中、竜車は走る。
 窓ガラスを斜めに流れる水滴を眺めつつ、頬杖をついたフリーはぽつりとこぼす。

「俺……間違っちゃったかな?」

 書物を読んでいたニケはフリーを一瞥するも、興味がないのか読書を再開する。

「百人いたら百人と仲良くなれると思っとんのか? 人にも合う合わないが必ずある。……今回はお前さんが百悪いが、そんな気にすることはないだろう」
「ぅ……でも。謝った方が、いいかな?」

 頁をめくるニケに心細そうな目を向けるも、赤い目はこちらを見なかった。

「悪いことをしたと思うなら謝れ」

 少なくともニケはそう教わった。住んでいた環境から、同年代と華々しく喧嘩! の経験はゼロだったが。それでも他者と関わる接客業をしていると、言ってはいけないことを言ったり、誰かを傷つけたりしてしまうことはあった。
 そのたびに家族は叱ってくれた。
 だが――

「お前さんの発言を僕は「悪」だとは思わん。そりゃ、あの竜からすれば腹の立つクソお節介な言葉だっただろうが。謝る必要があるかと言われれば、首を傾げざるをえんな」

 なんだか自分の数倍は生きているヒトみたいな言葉に、フリーは口を開けたままじっと見つめる。

「俺が百悪いのに、「悪」ではないの?」
「小難しい話をするつもりはない。謝りたかったら謝れ。でもそうするより、今後どうしていくかを考えた方が、よほど建設的だと僕は思うがな」
「そ……そう」

 なんだか久しぶりだった。
 雪崩村にいたときは、侮蔑や見下したような冷たい目を向けられるのが常だった。それがニケと出会ってからというもの、会うヒト会うヒトみんなやさしくてあたたかくて。
 あったかい以外の感情があることを、すっかり忘れていたんだ。
 フリーは草履を脱いで、椅子の上で膝を抱える。

「話しかけるなって言われちゃったし。ほとぼりが冷めるまでは声をかけないようにするよ」
「舐めた座り方をしていると落ちるぞ」

 車は急に曲がったり止まったりするのだ。
 フリーは慌てて草履を履きなおす。

「えへへ……。気持ちの整理が、出来たよ。またニケに助けられちゃったね」
「僕は何もしていない」
「またまたぁ~。謙遜しちゃってぇ。ニケってすごーく甘えん坊で可愛いお子ちゃまほっぺだけど、たまにすごく大人なこと言うよね。そのギャップがたまらなくカーッコイッ」

 車から蹴り出された。



「急に車から飛び出たら危ないです! 何考えとるです」
「……ガクッ」

 近くの川が増水している。
 泥だらけになった物体に、目を剥いて駆け寄る金髪幼子。そのあとを、蹴り出した張本人が悠々と車から下りてくる。

「なんか不快な言葉が聞こえたせいで、足が滑ってしまった。まあいいか。済んだことより今後のことを考えよう。建設的だな。うん」

 のんきなことを言いながらクリュを見る。黒い羽織が雨を弾いているのか、髪の毛はともかく着物はあまり濡れていない。
 クリュは泥だらけの百八十センチを楽勝で引きずると、その辺の木の根元にもたれさせる。雨で土が流れ、ようやく白髪が見えてきた。
 幼子たちは顔を覗き込む。

「死んだ……です?」
「こやつはこの程度では死なん」
「車内でなにがあったです? わいの運転が乱暴だったから、外に弾き出されたんです?」
「こやつの奇行にいちいち突っ込んでいたら頭痛くなるぞ」
「?」

 本当にこの二人が何を言っているのか理解できない。誰か通訳に連れてこれば良かったなと思う。この二名と面識があるホクトあたりでも車に詰め込めばよかった。そんなことより。

「ヤババです! キミカゲ様から預かっている荷物を、死なせてしまったです。任務失敗とは、お父上の顔に泥を塗ってしまうです。どどど、どうしよう……です」

 狼狽えるクリュを据わった目で見つめる。
 荷物て。こやつのなかで僕らはそんな扱いだったのか。生き物ですらなかったとは恐れ入る。
 ニケは面倒くさそうに頭部をかく。

「こやつを生き返らせる(死んでない)方法があるぞ」

 クリュの瞳がきらんと輝く。

「それはなんです?」
「そこに気をつけの姿勢で立て。……そう。その辺」

 ぴしっと気をつけしたクリュをフリーの前に設置すると、そろそろと己のほっぺたを竜ほっぺに押し当てる。
 むい~っ。
 くっつき、押し上げられる頬肉。

「?」

 クリュは瞳の中まで「?」になっていたが、ニケは構わずすーりすりと頬ずりする。

「なんです? 赤犬族のこみゅみゅけーしょん、です?」

 コミュニケーションと言いたかったようだ。
 その時――

 ――カッ!

 瞼が押し上げられ、金緑眼が露わになる。謎の風圧(眼力)で幼子ふたりは後ろに倒れた。







 雨は上がり、尖龍国の首都・藍結。
 一目見た感想は「青い」だった。
 磨かれた青い瓦がずらりと並ぶ城下町、藍の旗。尖龍国一の人口を誇り、政治の中心地として発達した地。
 霧の向こう。遠くに見えるひときわ高い建物。お城。藍結城にはこの国の王がおわすとか。どんなヒトなんだろう。そしてそこから見えるのはどんな景色なのだろう。
 その城から蜘蛛の巣状に水路が伸び、高価そうな品や米が大量に運び込まれていく。
 農作業にいそしむ赤犬族。食事の支度をする角の生えた女性たち。若い商人の談笑。川の側の茶屋で夕涼みする羊耳の男女。
 幅の広い通りはたくさんの種族で溢れ、耳に届く活気や喧騒などが紅葉街を遥かに上回っている。
 藍結は十四の区で分けられ、王城(中心)からぐるっと時計回りに螺旋状に番号が振られている。その区ごとにがらっと街並みが変わったりするので、ただ歩いているだけでも面白い。

「ただ……区の数字が大きくなっていくにつれ、王城や富裕層の住まいから遠くなるので、どうしても治安が悪くなるです。特に十二区、十三区、十四区は行かない方が良いです。もし行くなら、早朝や夕方以降は避けるべきです」

 歩いて一週間。
 手紙を届ける仕事をしている茶馬(ちゃば)族の脚で三日。
 その距離をたった一日で駆け抜けた竜。しかも大きな車を引っ張りつつという条件下で。生物としてあまりのポテンシャルの差に、街並みを眺めるのに忙しそうなフリーは置いておいて、ニケは一日で首都についたことがいまいち受け入れられなかった。
 首都の入り口では商人の馬車やたくさんのヒトが行き来している。そのほとんどが竜車を珍しそうに見上げていく。

「では、わいはこれで失礼するです」

 一礼するクリュに、ニケも礼を返す。

「ありがとうございます。お世話になりました。本当にお金は払わなくてよろしいんですか?」
「……急に大人ぶった話し方するですね」

 赤い瞳をじっと見つめ、やがて踵を返す。

「お金はキミカゲ様に請求してやらぁです!」

 鼻息荒く無人になった車を引き、がらがらと元来た道を帰っていく。その後ろ姿が見えなくなるのは、あっという間だった。
 手を振るのを止め、ニケを抱き上げる。ヒトが多いので、またニケが蹴られてはいけないと思ったのだ。

「……どうしよっか」
「スミさんに行くと手紙は出したが、手紙より早く着いてしまったな」

 十二区にいるのは聞いたが、細かい場所までは分からない。間抜けな話だ。

「スミさんは衣兎(ころもうさぎ)族でありながら青い目を持っているから、知っているヒトはいるだろう。……ま、情報収集の前に、飯でも食うか」
「衣兎族が青い目はおかしいの?」
「……」

 無視された。お腹が減っているのだろう。真剣な目つきで鼻をすんすんと動かし食事処を探している。ここに来るまでの間、桃百(もももも)村でお茶をして、あとは車内で干し肉を少量齧っただけなのだ。お子様には物足りない。荷物を減らすためとはいえ、もう少し振り分け荷物(柳や蔓で編んだ小さな行李ふたつを手ぬぐいや紐で結び、肩に前後に分けて用いるもの。旅行用の小型鞄)の中に食べ物を入れてくるんだった。鞄は当たり前のようにフリーの肩にかけられた。はい。喜んで持ちます。
 寝間着などは肉球柄の風呂敷にまとめて入っている。
 フリーの腹の虫も鳴く。
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