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第五十四話・星空盗人
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するっと甚平の紐を解く。胸元をはだけさせると先ほどより濃いユメミソウの香り(体臭)に、頭がくらっと揺れた。
(はっ。危ない危ない……。間違いを犯すところだった。ワシは子どもには興味ない)
盗みをしておいて今更間違いも何もない。
(しかし、やはり持って帰りたいものだ)
ぐぬっと親指の爪を噛む。
この街で誘拐は難しい。貧困地区だろうとお構いなしに神使がふらついているからだ。あの神使。上等な血筋ではないために、高貴な者なら顔をしかめて近寄らない治安の悪い場所(スラム)だろうと、平気で足を踏み入れる。
流石にもう眠っていると思うが。チクショウ。あの鹿野郎。夜更かししてるんじゃない。ばったり出くわせばジ・エンドである。
(くっ。わずらわしい神使め。いつか清いその身をぐちゃぐちゃに……おっと、いかん)
口をつぐむ。豊穣の女神。いつの世も女神の嫉妬深さと言ったら、背筋が凍るほどだ。かの女神が羽梨という女性の身体を借りて顕現した遥か昔も、その嫉妬深さでひと悶着あったという。そんな嫉妬の権化……じゃなくて女神の神使を、たとえ妄想でも手を出そうものならどうなるか。
おそろしや、おそろしや。
(考えるのはよそう)
腹立たしさから、真下の少年の肌を触る。どうせ目を覚ましても一人暮らし。すぐに助けなど来ない。ちょっと遊んでいくくらいは良いだろう。いやすぐにでも撤収すべきだと頭では分かっていたが、ユメミソウの香りが狂わせる。
「んん……」
頬を撫で、首筋に舌を這わせ、胸の突起をいじる。起きてしまう、やりすぎだと分かっていてもやめられない。いつしかビクビク跳ねる少年の手首を抑え込み、その肌に夢中になっていた。
「……、やぁ……あ……っ」
悪夢にうなされているのか、少年がいやいやと首を振る。
「はあ、はあ、はあ」
盗人は静かにすることも忘れ、息を荒くさせる。もはや周囲の警戒などしておらず、何者かが背後にゆらりと立ったことすら気づけなかった。
「おい。なーにしてんだ。――落ちよ」
真夜中の静寂を切り裂く突然の落雷。リーンはおろか近所のヒトたちまでもが飛び起きる。
「はあっ? な、何っ」
ばちんと瞼を開け、一気に覚醒した。リーンが起き上がろうとすると同時に爆発音のような音が響き、びくっと身を怯ませる。
「ひっ!」
寝起きにこれは、心臓が痛い。どくんどくんと鼓動を聞きながら、頭を抱えたままそろそろと目を開ける。
――誰も、いない?
跳ね起き、慌てて周囲を確認すると、布団は空。しかも外で何者かが争っている声が聞こえる。
ただ事ではないと判断し、上着も羽織らず野外へ飛び出す。家のすぐ近くのゴミ捨て場。そこにはひっくり返った人物と、大きな刀を持った白い影が。
「え?」
声を上げると、白い影は瞬時に振り向いた。ビクッとしたが――よく見るとフリーだった。
別人めいた険しい眼光だったのに、リーンと目が合うといつものマヌケ面でほほ笑む。
「先輩。起こしちゃってすみませっ」
声が裏返ったかと思うと、フリーは足早に近寄ってきて、リーンの乱れた着物を直す。暑いとはいえいつの間にこんなにはだけていたのか。首を傾げていると、ゴミ捨て場がガサッと物音がした。
リーンを庇って刀を構える。
「いてててて……。なんだか雷に打たれた挙句、殴られた気がする……」
ぬっとゴミの中から出てきた人物に、リーンはあっと指を差した。
「あっ! てめえ。以前俺の着物を盗んだ……って、オイ!」
「あ、ばれた」
人物の懐から見慣れた着物がはみ出しているのを見つけ、リーンは駆け出す。
「性懲りもなくテメェ! 駆除してやるアアアアッ」
「きひいいっ」
唾を飛ばして怒鳴る星影の少年。眠っている時は可愛げがあったのにこの差。
盗人は即座に回れ右しようとしたが、殴られたダメージが足に来たらしい。転びかけた背中にリーンの蹴りが突き刺さった。
「ほっご!」
海老ぞりになり、大通り目掛けて滑っていく。
「おい! 無暗にぶっ飛ばすな。逃げられんぞ。確保しろ! 確保」
「……あ、はい」
吹っ飛ばしたの先輩やん、など余計なことは言わずに、先輩とふたりがかりで殴る、蹴る、殴る、蹴る。
数分もしないうちに盗人は動かなくなっていた。
やりすぎたかなと過剰防衛を心配している横で、リーンが白目を剥いた盗人の懐から着物を引っ張り出す。
「おおい! 干してあったの全部じゃねえか。俺に全裸で過ごせってのか!」
「落ち着こう。ひとまず」
盗人の上でジャンプしだした先輩をなだめ……る前に刀を消す。なんだなんだと野次馬が出てきたので。
野次馬の数人は顔見知りなのか、騒いでいるのがリーンだと知ると、眠そうな顔で帰っていく。だが大多数は安眠を妨げられた怒りをぶつけてきた。
「おい! またアンタかよ」
「いい加減にしとくれよ! 今何時だと思ってんのさ」
「ったく。だから星影を受け入れるなんて……」
「馬鹿! よせ」
受け入れたのがアキチカなためか、誰も「出て行け」とは口にしないが、目が、ここにいる睡眠妨害された人々の目が訴えている。
リーンは「やべ」という顔をしながらも着物をかき集めるとフリーに小声で告げる。
「おう。撤収すんぞ」
「いやいや。この盗人さんを放置するわけには。えーっと。どうしたらいいのかな? オキンさんに預ければいいのか?」
はて? とのんきに考え込むフリーに、空気読めないって最強だなと変な方向に感心してしまう。
「疫病神が!」
誰かが散らばったゴミを投げつけてくる。リーンは躱したが、後ろにいたフリーの顔面にぶつかった。
「フゴッ」
「さっさといなくなっちまえ」
「迷惑なんだよ」
唾を吐き、野次馬は散っていく。
顔についたゴミを払うと、着物を抱いて蹲っているリーンの隣にしゃがむ。
「でもやっぱり治安維持のヒトに引き渡した方が良いんでしょうかね? 先輩はさっきあてにならんと言ってたけど、たまには頼ってあげたら、彼らもやる気が出ると思うんですよ」
「……」
リーンはそろ~っとフリーの顔を見る。
「まあ、でも先輩が治安維持に頼りたくないのなら、オキンさんに渡そっか? いや、なんでもオキンさんは悪者を預かってくれるみたいでさ。もしかしたらホクトさんに会えるかもしれないし」
まだホクトさんが起きていたら、ニケと仲直りする良い助言をもらえないかな~とかなんか呟いているフリーの顔をまじまじと見つめる。
あれ? こいつ、野次馬に気づいてなかったんだろうか。背が高くて見えていなかったのか。ゴミだって投げつけられたのに、どうしてそんな何もなかった顔で。
野次馬に何か言われたのは俺の幻聴だったんだろうか、という気持ちになってくる。
釈然としない顔でリーンは立ち上がると、盗人を引きずって家に戻っていく。
「確か縄があったから、それで縛ろう。信じられないほどぐるぐる巻きにしてやる」
「当分起きない気もしますけどね……」
リーンが縄を探している間、盗人を見張っておく。でもずっと触っているのも嫌なので、床に置くとその上に腰掛けた。
「でもお前、よく気づいたな。寝てたんだろ? 寝苦しくて目が覚めた、とか?」
(はっ。危ない危ない……。間違いを犯すところだった。ワシは子どもには興味ない)
盗みをしておいて今更間違いも何もない。
(しかし、やはり持って帰りたいものだ)
ぐぬっと親指の爪を噛む。
この街で誘拐は難しい。貧困地区だろうとお構いなしに神使がふらついているからだ。あの神使。上等な血筋ではないために、高貴な者なら顔をしかめて近寄らない治安の悪い場所(スラム)だろうと、平気で足を踏み入れる。
流石にもう眠っていると思うが。チクショウ。あの鹿野郎。夜更かししてるんじゃない。ばったり出くわせばジ・エンドである。
(くっ。わずらわしい神使め。いつか清いその身をぐちゃぐちゃに……おっと、いかん)
口をつぐむ。豊穣の女神。いつの世も女神の嫉妬深さと言ったら、背筋が凍るほどだ。かの女神が羽梨という女性の身体を借りて顕現した遥か昔も、その嫉妬深さでひと悶着あったという。そんな嫉妬の権化……じゃなくて女神の神使を、たとえ妄想でも手を出そうものならどうなるか。
おそろしや、おそろしや。
(考えるのはよそう)
腹立たしさから、真下の少年の肌を触る。どうせ目を覚ましても一人暮らし。すぐに助けなど来ない。ちょっと遊んでいくくらいは良いだろう。いやすぐにでも撤収すべきだと頭では分かっていたが、ユメミソウの香りが狂わせる。
「んん……」
頬を撫で、首筋に舌を這わせ、胸の突起をいじる。起きてしまう、やりすぎだと分かっていてもやめられない。いつしかビクビク跳ねる少年の手首を抑え込み、その肌に夢中になっていた。
「……、やぁ……あ……っ」
悪夢にうなされているのか、少年がいやいやと首を振る。
「はあ、はあ、はあ」
盗人は静かにすることも忘れ、息を荒くさせる。もはや周囲の警戒などしておらず、何者かが背後にゆらりと立ったことすら気づけなかった。
「おい。なーにしてんだ。――落ちよ」
真夜中の静寂を切り裂く突然の落雷。リーンはおろか近所のヒトたちまでもが飛び起きる。
「はあっ? な、何っ」
ばちんと瞼を開け、一気に覚醒した。リーンが起き上がろうとすると同時に爆発音のような音が響き、びくっと身を怯ませる。
「ひっ!」
寝起きにこれは、心臓が痛い。どくんどくんと鼓動を聞きながら、頭を抱えたままそろそろと目を開ける。
――誰も、いない?
跳ね起き、慌てて周囲を確認すると、布団は空。しかも外で何者かが争っている声が聞こえる。
ただ事ではないと判断し、上着も羽織らず野外へ飛び出す。家のすぐ近くのゴミ捨て場。そこにはひっくり返った人物と、大きな刀を持った白い影が。
「え?」
声を上げると、白い影は瞬時に振り向いた。ビクッとしたが――よく見るとフリーだった。
別人めいた険しい眼光だったのに、リーンと目が合うといつものマヌケ面でほほ笑む。
「先輩。起こしちゃってすみませっ」
声が裏返ったかと思うと、フリーは足早に近寄ってきて、リーンの乱れた着物を直す。暑いとはいえいつの間にこんなにはだけていたのか。首を傾げていると、ゴミ捨て場がガサッと物音がした。
リーンを庇って刀を構える。
「いてててて……。なんだか雷に打たれた挙句、殴られた気がする……」
ぬっとゴミの中から出てきた人物に、リーンはあっと指を差した。
「あっ! てめえ。以前俺の着物を盗んだ……って、オイ!」
「あ、ばれた」
人物の懐から見慣れた着物がはみ出しているのを見つけ、リーンは駆け出す。
「性懲りもなくテメェ! 駆除してやるアアアアッ」
「きひいいっ」
唾を飛ばして怒鳴る星影の少年。眠っている時は可愛げがあったのにこの差。
盗人は即座に回れ右しようとしたが、殴られたダメージが足に来たらしい。転びかけた背中にリーンの蹴りが突き刺さった。
「ほっご!」
海老ぞりになり、大通り目掛けて滑っていく。
「おい! 無暗にぶっ飛ばすな。逃げられんぞ。確保しろ! 確保」
「……あ、はい」
吹っ飛ばしたの先輩やん、など余計なことは言わずに、先輩とふたりがかりで殴る、蹴る、殴る、蹴る。
数分もしないうちに盗人は動かなくなっていた。
やりすぎたかなと過剰防衛を心配している横で、リーンが白目を剥いた盗人の懐から着物を引っ張り出す。
「おおい! 干してあったの全部じゃねえか。俺に全裸で過ごせってのか!」
「落ち着こう。ひとまず」
盗人の上でジャンプしだした先輩をなだめ……る前に刀を消す。なんだなんだと野次馬が出てきたので。
野次馬の数人は顔見知りなのか、騒いでいるのがリーンだと知ると、眠そうな顔で帰っていく。だが大多数は安眠を妨げられた怒りをぶつけてきた。
「おい! またアンタかよ」
「いい加減にしとくれよ! 今何時だと思ってんのさ」
「ったく。だから星影を受け入れるなんて……」
「馬鹿! よせ」
受け入れたのがアキチカなためか、誰も「出て行け」とは口にしないが、目が、ここにいる睡眠妨害された人々の目が訴えている。
リーンは「やべ」という顔をしながらも着物をかき集めるとフリーに小声で告げる。
「おう。撤収すんぞ」
「いやいや。この盗人さんを放置するわけには。えーっと。どうしたらいいのかな? オキンさんに預ければいいのか?」
はて? とのんきに考え込むフリーに、空気読めないって最強だなと変な方向に感心してしまう。
「疫病神が!」
誰かが散らばったゴミを投げつけてくる。リーンは躱したが、後ろにいたフリーの顔面にぶつかった。
「フゴッ」
「さっさといなくなっちまえ」
「迷惑なんだよ」
唾を吐き、野次馬は散っていく。
顔についたゴミを払うと、着物を抱いて蹲っているリーンの隣にしゃがむ。
「でもやっぱり治安維持のヒトに引き渡した方が良いんでしょうかね? 先輩はさっきあてにならんと言ってたけど、たまには頼ってあげたら、彼らもやる気が出ると思うんですよ」
「……」
リーンはそろ~っとフリーの顔を見る。
「まあ、でも先輩が治安維持に頼りたくないのなら、オキンさんに渡そっか? いや、なんでもオキンさんは悪者を預かってくれるみたいでさ。もしかしたらホクトさんに会えるかもしれないし」
まだホクトさんが起きていたら、ニケと仲直りする良い助言をもらえないかな~とかなんか呟いているフリーの顔をまじまじと見つめる。
あれ? こいつ、野次馬に気づいてなかったんだろうか。背が高くて見えていなかったのか。ゴミだって投げつけられたのに、どうしてそんな何もなかった顔で。
野次馬に何か言われたのは俺の幻聴だったんだろうか、という気持ちになってくる。
釈然としない顔でリーンは立ち上がると、盗人を引きずって家に戻っていく。
「確か縄があったから、それで縛ろう。信じられないほどぐるぐる巻きにしてやる」
「当分起きない気もしますけどね……」
リーンが縄を探している間、盗人を見張っておく。でもずっと触っているのも嫌なので、床に置くとその上に腰掛けた。
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